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「加賀谷さん。あなたのことを教えてもらえますか?」

 八階。店の前。人気のない場所で壁際に追い詰められている私。

 うっすら浮かべた笑顔を消さずに、精密女は私を間近でじっと見つめる。

 なんだ、この女――

「変な勘ぐりは止めてくださいよ。これは医師からの指示だって言ったじゃないですか。つまりはお願いです。私達に協力させる以上、どんな人間か知らなくちゃいけないじゃないですか? その判定を私が頼まれました」

 急激に医師への信頼が崩れた。あんなことを言って、私のことをちっとも信じてなかったのか。

「……それ、茅島さんじゃ、だめなんですか?」

 壁を後ろ手に触りながら、発した声が震えているのがわかった。緊張と恐怖。そのどちらかだろう。あるいはどちらも。

「彼女は、あなたに入れ込みすぎていますから。第三者の目で、ね?」

 そう言って、下手くそなウィンクをする彼女。

 怖い。

 この女の考えていることがわからない。改めて強くそう思う。

「プロフィールは医師から聞きましたけど、間違いはないですね?」

「はい……」

「そうですか。うちの施設に入院したことがあるらしいですけど、どうでした? まさかこんなことをやっているなんて、思いもしなかったでしょ?」

「はい……でも、入院したのは数日でしたから。それに……茅島さんのことがずっと気になってましたし……そんな余裕なかったです」

「茅島さん、ねえ……」

 なにか、キーワードを拾ったような顔をされる。咄嗟に彼女の機械腕に目をそらした。腰に当てられたまま、微動だにしない。

 悩みながら、彼女は息を吐く。私の髪が揺れる。

「あなた…………なにか抱えてますね。それも、蝙蝠女、茅島さんが原因ですね」

「……どうしてそう思うんですか?」

 訊き返すと、精密女は胸を張った。

「私はこういうことに関してはプロですからね。見ればわかります。あなたは無意識かもしれませんが、暗い顔しながら目でずっと茅島さんを追っている。どういう関係でしたっけ? 友人?」

「私の大切な……友人です」

 彼女の大学時代から、前に巻き込まれた事件までを、ざっと掻い摘んで説明した。まとめられた自信はなかったが、彼女のことを話すだけで、私の思い出は底を尽きた。

 うーん、と精密女は唸った。

「あなた、茅島さんがいないと生きていけないのですか?」

 ――。

 胸に矢を刺されたような。

 そんなこと私が一番わかってるのに、わざわざ他人に言われると、恥部を顕にされたような感覚を覚えてしまう。

 何も言えなくなった。

「図星ですか」

「そんなこと、ないです……」

 ふふ、と鼻で笑う彼女。

「ま、それもわかりますけどね。そうか、だから道案内するだなんて必死そうに言って、着いてきたんですか。あなたって、わかりやすくて可愛い」

「放って置いてください……」

「別に、彼女がいなくちゃいけないっていうのが、悪いことだなんて言ってませんよ。でも、考えてみてください? いつかいなくなる人間、いや、あなたを置いて一度逃げたような人間に、ずっと頼って生きていくなんて、無理な話なんですよ。あなたは茨の道を行こうとしています。何が足りないんですか? 自己愛? 承認を彼女で満たしてる? それはいけませんね。人から供給される承認は、安定しているわけではありませんから、無くなったとき苦しいですよ」

「……彼女は、逃げたわけじゃないです」

「ああ、ごめんなさいね。言葉のチョイスが適当でしたね。まあとにかく、です。今の自分のあり方、生きづらいと思いませんか? それでも彼女に着いて行きます?」

「辛いなんて……わかりきってますよ、そんなことくらい……」

 なんで説教されているんだろう。

「なるほどね」

 精密女は品定めをするように頷いた。

「ま、これは私からのおせっかいだと思って、聞いて欲しいんですけど、今回のことが終わったら、自分を愛して、ひとりで生きていけるようになったほうが楽ですよ。それも無理なら……」

「……自殺、ですか」

 ピンポーン、と楽しそうに精密女は口にする。全然楽しくない。

「それもありますけど、開き直るという手もあります。私なんて、演算女がいなかったら生活すらできませんからね。ムリなものはムリ! そう割り切るのも一つの手かと。蝙蝠女なら、泣きついたら受け入れてくれますよ。あなたがいないと駄目な私を受け入れて、って」

 なんでこんな女に励まされてるんだろう。

「…………考えておきます」

「ふふ、ごめんなさいね。決して嫌味を言っているわけじゃないんですけど、私って、なんかそういう風に受け取られる人格っていうか……」

「よくわかります」

 嫌味を言ったが通じなかった。

 よし、と彼女は私から顔を離して、息をついた。終わったのだろうか。

 端末を起動させながら、彼女は言った。

「良いでしょう。あなたは信頼に足りる、と言うよりも、私達に不利益をもたらすような度胸はないと判断しましたので、医師に伝えておきます」

「どうぞ」

 わざとぶっきらぼうにそう告げた。

「あ、そうそう」

「なんですか」

「実は医師から頼まれたっていうのは、真っ赤な嘘なんですけど」

「…………そうですか」

 どうでもよかった。

「本当は私の独断で、あなたのことを知りたかっただけです」

「勝手にしてください」

「蝙蝠女にとって、あなたが害のある人間であっては困りますからね」

 改めてそう問われると、無害であるという自信は、身体の何処にもなかった。



 医師に連絡を入れた精密女を眺めながら、電話が終わるのを待って、二人で店内に戻った。

 医師は『良いさ、もとより巻き込んだ間柄さ。危険な目にだけは遭わせるなよ』と伝えた。まるで扱いの困る姫にでもなった気分だった。

 席に帰ると、茅島さんと演算女で、今後の方針はすでにまとめてあった。やはり、リーダー格が二人もいないほうが、話がまとまるのだろう。

「私と彩佳は、とりあえず挙がったっていう容疑者を洗ってみる。演算女と精密女は、事件現場を調査してくれる?」

「結局私達はそういう役回りなんだから……交渉係は私なんだけどなあ」

 係が決めてあるのか。驚いた。

「あんたじゃ相手が怪しむわよ、そんな腕」

「ご尤も。蝙蝠女もむやみに機能は使わないでくださいね」

「まあ……抑えるわ」

「そうそう彩佳さん」

 いつの間にか、精密女から名前で呼ばれるようになった。変な気分だ。

「茅島さんの任務態度ですけど、何しでかすかわからないので、常に監視しておいてくださいね。任務達成率は今のところ高いですけど、器物損壊上等、機能もじゃんじゃか使うので、上層部が問題視してるんですよ。変なことをし始めたら、あなたが止めてくださいね」

「もう、それを彩佳に言わないでよ」

 珍しく少し恥ずかしがって茅島さんは遮る。

「情報収集担当係なんだから、どんなことをやってでも情報は集めるわよ」

「それが問題なんだって……」

「みなさんって、係があるんですか?」

 気になったことを、私は尋ねる。手元には更に頼んだコーヒーがそれぞれに置かれていた。私は砂糖を入れることすら面倒なので、ブラックで飲んだ。もう、苦いとも感じない。

「ええ、まあ一応、医師から決められた係というのはあるけど……」

 茅島さんは言い淀む。どうも、その係が守られていないらしかった。

「私が今言った通り、情報収集係。耳が使えるんだから、当然よね。そして精密女は交渉係。この場合の交渉っていうのは、なにも説得だけを指すんじゃなくて……」

「武力、という選択肢もあります」

 変わらない笑顔で、精密女は言った。あの腕で殴られればひとたまりも無いことは、私でも予想できた。今はその腕を使って、大人しくコーヒーを飲んでいる。

「そうだよこれ、自分で持ってよ」

 演算女が、自分の後ろに置いてある、長細くて大きなバッグを指さして、口を開いた。なんだろう。そういえば、視界に入るたびに気にならないでもなかった。

「あら、ごめんなさいね。移動には不向きだったので」

「それは、一体何が?」

 尋ねてみたが、「ふふ、内緒です」と不気味なことだけを言われた。もしかしたら、細切れにされた死体が入っていても不思議ではなかった。私はそれ以上の言及を止めた。

「まあ、私は、そういう武力での交渉は好みませんから、安心してくださいよ。この腕は、最終手段として取っておきます。もっとも、チラつかせるくらいはすると、一層効果的なんですけどね」

「そういう態度が甘いんだって言ってるじゃん」演算女がまた口を挟む。「この間だってさ、あんたがさっさと力で取り押さえないから、状況がややこしくなったんだけど、覚えてる?」

「あれは結果的に、犯人の標的を私達だけに絞れましたから、問題ないですよ」

「だから、それがもっとスマートに――」

「え、えっと、演算女の、係っていうのは?」

 柄にもなく私が割って入った。

 演算女は、精密女のことなんて一瞬で頭から消し去ったようにケロリとして、私の方を向いた。

「ああ、私は、分析。あと癪だけど、精密女のお守りだよ。この人、腕の機能の制御が不安定だから、日常生活にも支障が出てさ。まったく…………。ここ最近は、精密女のサポートしかしてないかな。本当はもっと、状況から犯人の機能を割り出す役割をしてもらいたいみたいだけど……」

「そう言えばあなたの機能は……」

「あ、言ってなかったね。私は目を機械化してて、見たものの具体的な数値が図れるんだよ。主に長さだけどね。もっと物理的な情報が集まれば、重さだってわかる。例えばあなたの身長は百六十三センチ、体重は五十二キロ。言って良いなら身体のサイズだって言えるけど」

「遠慮しておくよ……」

 その後も、機能の問題、係の守られなさ、あまりにも自由なチーム方針や他チームとの仲の話が繰り広げられる。それを聞きながら私は、頷くことすら出来なくなって、次第にコーヒーを啜るだけの存在になった。

 わからない。

 私の知らない話を、私の知らない人と茅島さんがしている。

 そんな様子を見ながら、精密女の言っていたことを反芻した。

 ――お前は茅島ふくみがいなければ生きられない。

 ――他人を生きる理由にしていると、人は不安定になっていく。

 ――茅島ふくみは、いつまでもお前のそばにいられない。

 そんなような話だった。どれも身につまされた。だけど、いまさら、言われるまでもない。わかっているのに、自分を止められない。それは、茅島ふくみがいなければ、私は生きていけなかったから。

 それでも、

 私の知っている彼女から、随分と知らない彼女になっちゃったな。

 なんでも知っているつもりではなかったけど、以前の彼女にはなかった一面が、目の中のゴミのように妙に気になってくる。

 知らない人と、笑う彼女。

 その横顔を、思い出と摺り合せていく。

 あなたのことなら何でも知りたいという私の気持ちと、

 あなたに過去を見る私を、

 あなたは受け入れてくれるだろうか。



      ★1



 これは昨夜の話。

 最近わたしは諸事情で忙しかった。その所為で、昨夜も少しだけだが帰るのが遅くなった。ただそれだけなのに、あの男にグチグチと文句を言われた。いつも頑張って早く帰ってきた時だって、微塵も褒めたことはなかったくせに、遅くなったらこれ見よがしに、ずっと作り続けていた憎しみの塊をわたしに投げつけてくる。

 はいはい、とわたしはいつも聞き流すのだが、そうした態度が余計に気に食わないらしい。わたしに暴力を振るうことはなかったが、エスカレートして、わたしに死ねだなんて軽々しく言ってくる。

『あの男』とは、わたしの父親だった。父親だとは認めていないけど、法の上ではそういう事になっていた。

 醜く太っていて、こいつも姉と同じように重い病気の身で、自宅療養に専念しており、一歩も外に出られない。床に根っこが張り巡らされたみたいに、同じ部屋の同じ箇所でじっとしているが、わたしを見るとそれでも小言が飛んでくる。

 わたしのことが嫌いなんだ。

 わたしと姉を比べているんだ。

 姉の方を溺愛していたこの男は、姉でなくわたしが病気になればいいって思っているんだ。

 したくもない世話を、こうしてしてやっているのに、お前なんかのために。口ぐらい塞げ。できれば死ね。

 気持ち悪い。

 わたしはこの男の小言が、首筋に吐瀉物をかけられたときよりも嫌いだった。

 だからいつも急いで帰ってきている。お姉ちゃんの世話を早くしてあげないとという思いもあったが、それよりも、そんな深い愛情よりも、あの男への憎悪が勝っていた。

 気に入らない。

 気に入らないんだよ。

 鬱憤が貯まれば当然だが、時々、わたしは暴発する。

 目の前にある後頭部。それにめがけて、近くにあった棒を振り下ろした。父親は悶絶して叫んだ。私はそれを封じるように、もう一度殴った。

 いつものこと。

 日常の一片。

 本当に耐えきれなくなった時だけ、わたしはこの男に憎しみをぶつける。小言こそ言うものの、父親は、わたしに逆らうことはなかった。こいつの心の何処かで、殴られて当然だという負い目があることを、わたしは知っていた。これは、わたし達の関係のバランスを取るために必要な行為だった。わたしは少なくともそう思っている。

 だから遠慮なく殴る。

 鬱憤と、

 怒りと、

 憎しみと、

 どうしようもない未来を嘆くために。

 夢中で五回くらい殴った。父親は身体をかばって、やめてくれ、なんて言っている。

 ははは。

 気持ちいい。

 そこにめがけて蹴りを入れた。

「や………………やめてくれ…………もうやめろ……」

 父親が嘆願してきた。その顔を見ると反吐が出た。わたしは舌打ちをした。

「……あなたがお母さんに何したか、忘れちゃったんですか? よくそんなセリフ吐けますね。図々しい。頭にヘドロでも詰まってるんですか?」

 棒でボコボコに殴った。わたしはわたしを止める術を知らなかった。第一、自制する理由が存在しなかった。彼はわたしのサンドバッグだからだ。

 許さないから、あんたは。

 そうして数分くらい殴り続けて、気分が晴れたわたしは、おもちゃに飽きた子供みたいに、棒を投げ捨てて日常に戻った。父親のことはその瞬間、どうでもよくなった。父親が封じられている部屋を後にして、わたしは父が出てこないことを祈るように、閉じた扉にもたれて廊下に立った。

 こんなところ、お姉ちゃんに見られたくない。

 幸いなのか、お姉ちゃんは部屋から出てこられない。父親も同じだ。

 そうしてわたしは考える。自分の未来を。勝ち得たい未来のことを。

 ずっと練っていることは、父親のことを最悪のタイミングで捨てようという漠然とした夢。そして、お姉ちゃんの病気が治ったら、何処か遠くへ旅行へ行くこと。それも二週間くらいの長期間が理想だった。

 それくらい家を開ければ、あの男は飢えて勝手に死ぬんだろうか。最高だ。

 大好きなお姉ちゃんと、ずっと楽しいことをして過ごしている間に、あいつがこの世から処理できるなら、これ以上最高なことはない。

 そうしよう。

 それまでにお姉ちゃんの病気を治す。

 あの男を、やりすぎて殴り殺さないようにして。

 お姉ちゃん。

 もうすぐだよ。

 もうすぐだから、待ってて。

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