2章 大好きな言葉で洗い流す
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私達は、繁華街を不審なほどに、急いで歩いていた。
先頭は私。茅島さんと精密女さん(以下敬称略)は二人でなにかを話しながら、私の後を何も考えないで着いてきていた。この入り組んだ都会、端末の案内機能を使っても、よくわからないことが多い。結局最も信頼が置けるのは、知っている人間の案内に頼るという方法なのだろう。
時刻は夜の七時半になろうとしている。つまり十九時三十分。警察の取り調べに応じているうちに、いつの間にかこんな時間になった。世間はもう夕餉時だった。心なしか私も空腹を感じ始めていた。
とはいえ、食事に向かうことが目的ではなかった。
私達が取り調べを受けている最中に、精密女の方に連絡が入っていた。誰かと思っていたが、すぐに彼女は私達に電話の相手を告げた。
その名前は『演算女』。意味のわからない名前をまた覚えさせられたことに、私は少し憤りを感じた。どうも彼女たちのチームの残りの一人のようだ。演算女は、すぐに指定するカフェに集まって欲しい、とだけ伝えてさっさと電話を切った。その様子に、精密女も少し呆れ顔を見せた。
精密女に指定の店の名前を教えてもらうと、聞き覚えがあった。確か系列の店には何度か行ったことがある。端末で詳しく調べてみると、演算女が待っているという店舗は、ここから徒歩でも十分たどり着ける距離だった。
こんな時間にカフェか。空いているのかどうかすらもわからない。人の多い繁華街、何処でも混んでいても不思議ではなかったけれど。
ネオンの光を健康を害しそうなくらいに直接浴びながら、歩き慣れることのない道を、人の肩を避けながら掻き分けるように進んでいくと、私の頭の上に夜空に張り付いたみたいな、それでいて控えめな看板が掲げられていた。
『ヴィエモッド 第二十八号店』。大きな文字でそう表示されている。その下には矢印と、八階という文字も書き添えられていた。
ここだった。もはやこの大通りでは目立つことさえ放棄したような、一方でネームバリューの余裕すら感じさせる立地。何の変哲もない、よくある怪しげなビル。その八階。他店の原色めいた光に照らされて、闇夜でも消え入ること無く、入り口がそこに確かに存在している。表に吊るされた看板も、色の統一感がなく、電子エラーを起こしているような趣があった。
一人だとあまり入りたくない雰囲気だった。ヴィエモッドの他店よりも、ここは少し怪しげな会合が開かれているみたいに、排他的に感じた。
「ここなの?」
後ろで茅島さんが、ビルを見上げながら呟いた。
「へえ……こんなの、私達じゃ見つけられそうにないわ」
「なんでこんな店を選んだんでしょう。まったく、もうちょっと探しやすいところがあると思うんですけどね……」
精密女が独り言のように囁いた。あの娘、というニュアンスから、演算女とやらが少なくとも、彼女よりも年下ということを察した。そもそも精密女の年齢すらよくわからないけれど。
「彩佳、ここって来たことある?」
「ここにはないですけど、違うヴィエモッドなら、何回か……。この辺じゃ、大体百メートル置きぐらいにあるんですけど」
「そんなにあってどうするのよ……。どんなお店? やっぱり変な感じ?」
「変っていうか……よくある無人のカフェバーの走り、ですかね。裏で料理する店員すらいないんですよ、ヴィエモッドって。珍しく完全に無人なんです」
「ふうん。最近って結構そういう店もあるのかと思ってたけど、珍しいんだ」
話しながら、私達はビルに足を踏み入れる。
煌々と照らされた大通りとは打って変わって、控えめな照明が私達を包んだ。真正面に構える無骨なエレベーターを呼び出すと、まるで悪いことでもしてきたかのように、さっさと身を滑り込ませた。扉が閉まって動き出す。妙に駆動音が大きい。古いのだろうか。
八階につくまでの間、一分ほどの時間がかかり、その間に茅島ふくみは何食べようかな、なんて囁いていた。私もいよいよ真剣に空腹を覚えていた。茅島さんが来てから、すこし食欲が戻った気がする。
一方で、精密女にはそういう人間味は感じられなかった。彼女が夕飯を食べてる姿を、私は想像しようとしたけど、家がひっくり返ることよりも思い描くことが難しかった。あの手でフォークやナイフや箸を握る姿なんて、私の考えの範疇を超えていた。いや、何も食べずに生きていける存在なのかも知れない。彼女の場合、そう考えたほうが私の腑に綺麗に落ちた。
エレベーターを降りる。指定した八階。カフェバーが目の前にあった。ヴィエモッド、その二十八号店。うちの近くにも、そういえば店舗があった覚えがある。五十四号店だったっけ。
自動ドアをくぐると、飲食店と呼ぶには殺風景な店内が目に入った。
夜景が隣のビルによって塗りつぶされている窓。その反対側に、申し訳程度の彩色を施された、四人がけのテーブルが数組。そしてそれらが面する壁には、ガラスで塞がれた四角い穴が空いていた。『配膳口』。はっきりとした字でそう書かれている。配膳口の上方には、鮮明な液晶画面が埋め込まれており、メニューが表示されていた。見ての通り、ここから注文すると、ものの数分でこの配膳口から品物が流れてくる仕組みだった。コミュニケーションが排除されているという点では、スーパー同様に私は気に入っていたが、味はそれ相応だった。あまり通う動機はない。だけどその設計がウケたのか、今では何処にでもある図々しいチェーン店になっている。
一番奥の席から見知らぬ女が手を振っていた。後ろを振り返ったけど、茅島さんと精密女しかいない。
もしかしてあの女が?
他に客はいなかった。振り返って尋ねる前に、茅島さんと精密女は、手を振っている女に向かった。置いていかれそうになって、私も後を追う。
「待たせたわね」
「もう、連絡くらい頂戴よ」
「ごめんね、端末が壊れてて……」
茅島さんは知らない女の向かいに腰掛けた。精密女がその女の隣に席を取ったので、私は茅島さんの横に並んだ。
「それは知ってるけどさ……」
知らない女が不満そうに呟く。
派手な金髪。まずそれが目に入る。おさげみたいにして垂らしているから、まずまずの長さがあるらしい。格好はいかにも運動がしやすそうな、いわゆる軽装だった。スタイルの良さが、ここから見ても際立っていた。可愛らしい顔立ちと相まって、少し目を奪われてしまう。施設には、こんな女もいるのか。
「彩佳。紹介するわ。彼女、演算女」
挨拶もせずに、じっと演算女の顔を見てしまう。
掴みたくなるような、くりっとした目玉が私を捉えた。これじゃあ私よりも若い。十代か、下手をすると、高校生かも知れなかった。そんな人間まで、危険な任務につかせるのだろうか。施設ってのは。
「あなたが加賀谷彩佳? うわあ、本物初めて見るよ。蝙蝠女から話は聞いてるよ。私、演算女。本名は……まあ、今は言わないけど、はじめまして」
精密女の時も思ったけど、茅島ふくみは記憶を失っているのに、私の何の話をしているのかわからない。
「あ、えっと……はじめまして、加賀谷彩佳、です……」
「良いよ別に、敬語使わなくて。私のほうが年下でしょ」
そういうお前は敬語を使えないのか、と一瞬思ったが口には出せなかった。
各々で液晶画面から注文を済ませると、配膳口から次々と流れ出てきた。コーヒー、紅茶、サンドイッチ、チャーハン、カレー、寿司。統一感がまったくなかった。茅島さんはコーヒーとサンドイッチ、私はカレーを頼んだ。彼女の分も代金は私が払うことになるが。
お腹が減っているのか、食べている間は全員無言だった。私もカレーを食べながら、チャーハンを食べている演算女を盗み見る。
正直なところ、私とはまったく剃りが合わないだろう。私はこういう人間が、苦手な部類だった。いや、得意な人間なんていないんだけど、なんというか、人のプライバシーを蔑ろにするというか、無粋に距離を詰めて来そうなところが、私には怖かった。
食事を終えてコーヒーを啜りながら、茅島ふくみが切り出す。
「さて、本題ね。作戦会議だっけ」
「そうですよ。今後の作戦を立てて、被害を最小に抑えながら、犯人の正体を暴く。これが私達の仕事です」
思いの外、普通の仕草で食事を取っていた精密女が言う。演算女の方は、それを黙って聞いていた。リーダー格はこの二人、茅島さんと精密女だろう。茅島さんは、そもそもあまり人の指示を受けるのが得意なタイプでもなかったし、精密女も、どちらかと言えばわがままそうな印象があった。
「じゃあチーム戦慄、第三回作戦会議ということで、今持っている情報でもまとめましょうか」
「チーム戦慄?」
横から私が尋ねると、コードネームを呼ばれた時のように嫌な顔をして、茅島さんは渋々私に向かって口を開いた。
「えっと……そうよ。『戦慄』が私達につけられたチーム名よ。あんまり言いたくないんだけど」
「それも医師が?」
「そう。適当に辞書引いて決めたらしいわ。一回は抗議したんだけど、もう上に提出したって言いやがってさ。あとから聞いたんだけど、他のチーム名も酷いもんよ。『島々』とか『目覚め』とか……。『しつけ』や『赤』もいたわね……」
そこから本格的な話になった。
主に爆破事件の事だった。私でさえ知ってることから、さっき警察から仕入れたような情報までを茅島さんは説明し、精密女もそれに口を出して、情報をすり合わせていった。聞いている限りでは、私が知っていることばかりだった。それらを演算女が今時珍しいノートパソコンに打ち込んでいた。相当使い慣れているらしく、入力スピードが私の三倍ほど早かった。
茅島さんは面倒くさそうに精密女に話す一方、精密女はずっと張り付いたような笑顔だった。まるで、姉が一方的に妹を可愛がってるだけみたいな関係を思わせる。
「あ、待ってくださいね、つまりこういう状況ですね」
突然に言って、精密女は端末からキャンバスを呼び出した。真っ白な画面が目の前に浮かぶ。それをテーブルに投影して、操作ペンシルを取り出して、おもむろに絵を描き始めた。
機械の腕で、描かれるものは、写真のような精工さがあった。こんな絵、いままで見たことがない。あまりの正確さに、目を奪われる。私が描く絵なんて、トイレの紙程度の価値すらなかった。
あっという間に、絵が完成した。スーパーの爆破現場の想像図。事実とは少し違っているが、茅島さんの説明のとおりではあった。
これが彼女の機能だろうか……。
私がじっと見ているのに気がつくと、精密女は照れ笑いをしながら、私に絵を見せた。
「ああ、人工知能が描いたみたいな絵でしょ、これ。腕の動作チェックでよく描いてるんですけど、やっぱり味気ないなあ……」
「いえ、そんなことは……」
とは言うものの、精密が過ぎて、面白みがないことはわかる。なんか、味のない固形物みたいな……。
「もっと上手く描きたいんですけど、私の腕じゃこれが限界ですよ。なんでも描けるけど、逆になんにも描きたいものがないんです。だって、私に描けないものなんてありませんからね。野心がなくて」
「野心がないのはそうだよね」嫌味ったらしく演算女が口を挟んだ。
あはは、とちょっとだけ、悲しそうに笑う精密女。
柔和。おしとやか。そして接しやすい。彼女について、表面上はそんな印象。でもその反面、何を考えているのかわからない。全員と平等に接するが、特に親しい人間は生み出さない。仕事か個人を優先している。偏見を交えて分析すると、そんなところ。
そうしていると、絵を表示していた精密女の端末から、呼び出し音が鳴った。あ、ちょっとごめんなさいね、と席を外してそのまま通話していたが、しばらくすると、くるりと私の方に踵を返して向いた。
「ちょっとすみません、加賀谷さん、席を外してこっちに来てもらっていいですか」
「え、なんでですか?」
狼狽しながら聞き返すと、精密女は「医師からの指示で」とだけ答えた。
「なによ、だったら直接彩佳にかけたら良いじゃない」
茅島さんはそう言ったが、精密女は、まあいろいろあるんですよ、と告げる。
席を立って、私達は店の外に出る。
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