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 そうだ、医師に連絡をしないと、と茅島さんが思い出したように言った。

 私の、連絡用には殆ど使われない端末(指輪の形をした主流のタイプ)を貸してあげると、記憶を頼りに速やかに番号を入力して、医師と繋いだ。しばらくすると聞き覚えのある声が漏れてきた。茅島ふくみの施設に、私も一身上の都合で入院していたときに、一度だけ話したことがある。掠れた、良く言えば格好のいい音色ではあったが、こうして聞くと、単にやつれているだけのように感じた。

 私が同席しているというのに、大事そうな話をする茅島さんに気を使って、席を立とうとすると、彼女に裾を掴まれる。私はまた腰を下ろした。医師が私にも用があるみたいだった。電話を変わると、声が私の名前を告げた。

『加賀谷彩佳だな』

「……お久しぶりです」

『覚えていたか。てっきり忘れられたのかと思った。そんなことよりも、君を巻き込むことになって済まない。だが事情が事情だけに、こっちも頭を下げざるを得ない』

「いえ、構いませんよ」

『君にも危険が及ぶかも知れない。彼女から、ホテル爆破事件のことは聞いたか?』

「ええ、まあ、ざっとは……」

『すこし捜査が進んでいてな。状況から、茅島ふくみを直接狙ったという線で、どうも間違いはなさそうなんだ。これは本人の話とも合致する』

 私は茅島さんを横目で見る。暇そうに頬杖をついて私を見つめていた。恥ずかしい。

『だから、犯人に見つからないように、私の指示があるまでは、彼女を家から出さないようにして、匿って欲しい。急に巻き込んだわけだ、それ相応の報酬は出すと約束しよう』

「そんなの、良いですよ、別に……」

『いや。君ももう当事者なんだ。なるべく危険には晒さないよう茅島ふくみには努力させるが、君もそういう責任意識を持っていてくれ。絶対に指示があるまで、茅島ふくみを匿っていてくれ』

「……わかりました」

「ねえ、なんか新しい情報入った?」と眠そうに茅島さんが割って入った。

『ああ。警察の調べだが、容疑者が挙がった。二人もだ』

「へえ。今までは誰ひとりとして挙がってなかったのに、すごいじゃない」

『一人は下方げほう奈々絵ななえという。お前に話しかけた、例のホテルの従業員だ。お前とは顔見知りらしいということで、当然疑うべき人物だろう。だが、警察はもうひとり当たりをつけている。土堀つちほ綾乃あやのといって、爆発時にはトイレに篭っていた女だ。大学生で、年の頃は二十代前半。この女には前歴があるらしい。と言っても大した事件ではないが、その辺りの恨みという線も固い』

「最近のガキはよく根に持つんだから」

『だが、爆破の規模はガキのイタズラでは済まされないぞ。なにせ、隣のビルまではっきり音が聞こえた、と言う証言がある。明確な殺意しか無いよ、この火薬の量は。死体も、酷いものになるといつものように、ほぼ残っていない』

「確かに、私の席も跡形も無く吹っ飛んだわね。丈夫そうなテーブルの下に隠れてなきゃ死んでたわ」

「だ、大丈夫だったんですか?」

 狼狽して私が尋ねると、彼女は他人事のように腕を振った。

「ええ。健康すぎて死にそう」

『ところで加賀谷彩佳。この容疑者二人の名前に聞き覚えはないか?』

「聞き覚え、ですか?」

 急にそんなことを問われても、私の鈍い頭ではすぐに結論は出なかった。

 が、すこし時間をかけて思い出していくと、医師の言う通り、間違いなく聞き覚えがある名前だった。

「あ、そうか……。ふたりとも同じ大学の……」

『やはりな、正解だ。下方は卒業生。土堀はお前の下級生だ。二年だったか。ところでこいつらは、そんなに有名なのか?』

「有名っていうか、下方先輩は少し話したことがあって……。土堀さんは、問題児として有名ですね。学内なら誰でも知ってますよ。ふたりとも、そんな程度しか私は知りませんけど……」

 下方奈々絵。具体的な会話内容はあまり覚えていなかったが、確かにその声を聞いたことがあるし、顔も思い描ける。上級生と関わることなんて皆既日食くらい珍しいことだったから、余計に思い出しやすかった。

 土堀の方は一般的な知識しかない。問題児。不良。かかわらないほうが良い。犯罪上等。薬もやっている。学校の汚点。様々な真偽不明の噂やあだ名を聞いたことがあるが、その本人を直接見たことはない。

「その下方ってのが、私に声をかけてきたのね」茅島さんが腕を組んで呟いた。「なんの知り合いなのかわからなかったけど、そうか、大学時代の先輩だったのね。覚えて無くて残念」

「私もなんで話したことがあるのか、ちょっと覚えてないですね。茅島さんが在学中でしたから、去年か一昨年、ですかね……」

「まあ、清潔感はあるけど、印象の薄そうな人ではあったわ」

 顔を思い浮かべて、私も頷いた。

『土堀の方はもっと面白いさ。時間から推測するに、爆発が来る前にトイレへ逃げ込んだらしい。まるで爆発が起きるのがわかっていたみたいだな。警察も、下方のことなんかおざなりにして、こっちを追っているだろうよ。現在は取調べ中だが、こちらとしても一度土堀のことは調べたほうが良さそうだ』

「でも……どうして茅島さんが狙われないといけないんですか?」

 気になっていたことを、私は医師にぶつけた。

『さあな。探られてるって、バレたんだろう』

「それにしちゃ、手口が的確じゃない。閃光弾まで用意して、確実に私を殺すための対策よ。私の機能を、あいつは知ってるんだわ。それが昔の知り合いとか、同じ大学だった人間なら、矛盾ないでしょ」

 この横でけろっとしている女を匿うこと。

 それは私に課せられた任務なのかも知れない。

 絶対茅島さんには、無事でいてもらわなくちゃ。

 そう心に決めて。



 医師から、また茅島さんの機能のことを聞かされて、十分に知っている内容だったが私は黙って聞いていた。どちらかと言えば興味があったからだった。

『つまりメンテナンス性が向上した代わりに精度が落ちたんだ。以前の彼女の能力については覚えているか?』

「はい。たしか、集中すれば人の心拍数まで聞き取られて、ある程度何考えているか筒抜けでしたけど……」

『そうだったな。だけど残念ながら、もうそこまでの機能は有していない。吐息や声色に出る人間ならそれも判断可能だろうが、隠すのが上手い人間には、基本的には通用しないさ。彼女の機能の最も有用な運用法は、探知。明確に聞こえる音や、それを遮るものがあれば、茅島の機能はうまく廻る。まあ、より現実的な範囲に絞られたということだ』

 なんだかわからないが、とりあえず私は納得した。

「確かに、今心拍数を聞けって言われても、ちょっと面食らうわ」じっと聞いていた茅島さんが口を挟んだ。

 耳のパーツを外しながら。

 それは、非日常が棍棒を持って、暴力的に迫ってきているような光景だった。

 耳が取れて、中から伸びたコードと繋がっており、それがテーブルの上に置かれていた。外した部分を、彼女は鏡で覗いている。耳掃除をしているように見えなくもなかった。いや、どちらかと言えば見えない。

「ゴミは溜まってないし、動作もまずまず。パーツに損傷なし。閃光弾投げられたときはどうしようかと思ったけど。まともに食らってたら破損しててもおかしくないわよ」

「その状態でも聞こえるんですか……」

「ええ。テーブルの上の耳から」

 悪趣味に彼女は微笑みながら、耳を指さした。

『何度も言うようだが、エネルギーの補給は怠るなよ。お前の機能は、ただでさえ電力を食ううえに、五感だから使用停止して節約しようっていう考えだと、生活にすら支障が出るだろう。とにかく何でも良いから食え』

「精度を下げれば結構保つわよ」

『お前は目も悪いんだから、それだと咄嗟のときに判断できないだろう』

「わかりましたよ」

 慎重に耳をつまんで装着しながら、茅島ふくみは適当にそう返事をする。なんだか口うるさい親と子供みたいなやりとりだった。医師はもうすこし恐ろしい人間だと思っていたが、私が勝手に作り出した恐れだったらしい。

「そうか、それで大食いなんだ」

「もう、大食いってはっきり言わないでよ。目もよかったら、こんなに耳に頼らないのにな」

「眼鏡とかコンタクトは使わないんですか? それか視力矯正手術や機械化も別にまっとうな病院ならやってますよ」

「うーん、眼鏡は邪魔だから嫌いなのよ。コンタクトは面倒。手術を受けても、今の生活から考えると、使わないんじゃ結局すぐ悪くなるし、これ以上機械部分を増やすつもりもないわ。彩佳って、目は良いの?」

「悪くないんですけど……」

「羨ましい。医師なんかさ、あいつ眼鏡かけてるくせにさ、自慢げに私の目は良いんだ、みたいなこと言ってくるのよ。試しにメガネを取ったら、そのへんの床で転んでさ、かわいそうだから謝って返したわ。笑ったけど……」

 意外な話を披露する彼女の余裕が、死ぬような任務を請け負ってる人間に見えなかった。

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