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彼女が身体を洗っている間、私はずっと彼女の思惑について考えていたが、何も答えは出なかった。
彼女は、私達がほんの二ヶ月ほど前に巻き込まれた事件で記憶を完全に失い、私の前から姿を消さざるを得なかった、私の大切な友人……
着替えは用意した。彼女の身体のサイズは覚えている。身長も身体も細い彼女には、私の服では少し大きいかも知れないが、まあ寝間着だと思って我慢してもらう以外になかった。今ではあまり着ないような、やや趣味から外れた装いだった。茅島さんなら似合うだろう。真っ赤なドレスとは言わないが、彼女は私よりも細身の服装をよく好んでいた。身体の細さと相まって、圧倒的な存在感があった。学内で、隣に並ぶと気恥ずかしかった気持ちが思い起こされる。
なんて、昔のことを思い出す。
私だけが彼女のことをこんなにも覚えているのに、彼女の方には何も残っていないのか。それでも、私はその思い出だけを頼りに、ここまで無理をして生きてきた。辛くなるから、端末に保存された写真もなるべく目にしないように徹した。消す勇気がないことが滑稽だった。
適当にインスタント食品を炒めて作った料理を、テーブルに置いた。考え事をしていたら、内容物が変になったが、まあ食べられないことはないだろう。そもそも料理の腕はない。私の分はなかった。ここ最近、あまり食欲がわかない。その所為かすこし痩せたのかも知れないが、私の身体の事なんて、どうでもよかった。
待っていると、茅島さんが風呂から上がってきた。
湿気の残る髪を揺らしながら、私の服を着て。思った通り、よく似合っている。彼女はどう思っているのか知らないが、私は満足した。脚はきちんと包帯が巻かれていた。
佇まいに、目を奪われてしまったが、気を取り直して彼女を炬燵に誘った。
「ご飯できてます」
「あら、ありがとう。ごめんね、急に来たのに」
着慣れない服に違和感があるのか、動きづらそうにしながら彼女は座る。
「私の服は?」
「ああ、洗濯でもしようかと……。でもドレスなんてどうやって洗うんですか?」
「良いわよそんな。捨てても」
「いえ、悪いですよ」
いただきますと言って、茅島ふくみは箸を手に取った。
私はベッドに腰掛けながら、彼女が私の料理を口に運ぶ様子を、ぼーっと眺めた。隣にも向かいにも座る勇気はなかった。手料理を人に食べさせると、なんだか自分の素を見せているみたいで逃げ出したくなった。
咀嚼する茅島さん。
「……どう、ですか」
「…………まずい」
「文句言うなら戻してください」
まずいと言われて、むしろホッとして、そんな私らしくも無い冗談が口をついて出た。
「ごめんて」茅島さんは笑う。「普段、料理しないの?」
「まあ、はい……。精進します」
「私じゃ練習にならないわよ。そんな食に興味ないし」
そう言いながら、まずいなんて呟きながら、茅島さんは料理を平らげていった。
精進なんて言葉、私が口にするとは思わなかった。
何もなかった私に、明日が芽生えたような気がする。
やっぱり私は、ひとりなんかじゃ生きられなかったよ。
耐え忍んだ今日が、難なく終わろうとしていた。
茅島さんに誘われて、別に寒くはなかったが二人で炬燵に入った。向かいだったが、足が触れるような距離だった。遠慮して私は正座をした。茅島さんは足を伸ばしてくつろいでいる。
ビールを飲みながら、その様子を眺めた。彼女にもお酒を勧めたが、何もいらないと言われた。そもそも彼女はビールが嫌いだったことは、私だって熟知していた。
何故か意味もなく天井を見上げていた彼女は、急に私に向き直って、微笑む。
「彩佳、久しぶりね、元気だった?」
あまりにも自然なその文章。
ずっと頭の中で、考えていたのだろうか。
「……覚えてないのに、よくそんなこと言えますね」
「まあね、上辺だけで話を合わせるのって、得意なの」
「あんまり元気じゃないです」
ビールを飲むと苦い味が私を突き刺した。
「風邪引いてるんだっけ? ごめんね、一人暮らしよね」
鋭いくせに、少し的はずれなことを言う茅島さんが、少し憎かった。
「はい、まあ、学生なので……」
「そうなの。家族は?」
「いるにはいますけど……実家です。私、大学進学を機にこんな都会に出てきたんですけど、何ていうか、嫌いだったんですよ。実家も、家族も、なにもかも。だから、少しでも離れたくて、都会に出てきました」
「それは、どうして? なんで嫌いなの?」
「私、あまり愛されていなかったんで。家族の誰とも仲が悪かったんです。だから……こんな家、絶対出ていこうって、子供の頃から思ってて……。あの人達って、古いんですよね、考え方っていうか、価値観が。私が生活するには、あまりにも厳しかったんです。死んだほうがマシだなんて思うことも、よくありました」
そう。と茅島さんは同情するように私を見る。
私は顔を、窓の方に向けている。何故か、直視する資格が無いと思った。
「じゃあ、今は楽しい?」
「……辛いんです。一人で生きていくことが、思った以上に……折角呪縛から逃れられたっていうのに、私って、人との付き合い方、あんまりわからなくて……。誰ともかかわらなくていい代わりに、私の価値なんて塵以下なんだって思って……」
「まあ……それはしょうがないわよ。みんな自分のことに必死だもの。田舎ほど暇じゃないわ」
私は、ちらりと茅島さんの顔を見てから、話を続ける。
「あなたのことが忘れられないんです」
言ってしまってから、変なふうに捉えられたらどうしようと思った。
茅島さんは不思議そうにしていた。
「私のこと?」
「はい……」
私は一から説明する。二ヶ月前の事件。そこで記憶を失った、私の唯一の友人、茅島ふくみ。あなたが私の前から消えたこと。それを気にしてずっと生きてきたこと。忘れてしまおうとしても、日常に何の彩りも見えないこと。
「……それで、休学したんです、私……」
「そうなの……」悲しそうに呟く彼女。「……そんなに、大切だったんだ、私が。ざっと概要だけは聞いたことはあるけど、そうか……」
「……大切な、友達でしたよ。あなたは、私にとって……。あなたは何も覚えてないかも知れませんけど、私はずっと覚えてる。だって……他に楽しかったことなんて、私にはないから……。だから、私が大切にしている思い出を、全部忘れてしまったあなたのことを考えると、なんか……。あの時、あの事件の時、もっと、上手く出来たのかなって……私の頑張り次第では、違う未来もあったのかなって……茅島さんが、今も私の友人で有り続けたのかなって……」
「そんな事が可能なのは、人生が複数ある人間だけよ」
誰にも言われたことがないことを彼女は言う。
「あなたがそんなに悩んでるなんて、私は知らなかった。正直なところ、想像だにしなかった。むしろ私のことなんて、もうどうでも良くなってるのかと思ってた。だけどそうじゃなかったのね。私がここに来たのは、何かの運命なのよ。あなたは、ずっと私を必要としてくれていた。今回は、それに応えろって、天がそう言ってるんじゃないかしら」
「意外ですね……。神様、信じてるんですか?」
「なんでもある世の中よ。神様だって、誰かがきっと作ってるわよ」
そんな彼女に全部預けてしまいそうな自分がいた。
そうして、ビールを飲み干す。
苦い。
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