胸懐の扉

ユーカリオーカミ

chapter-0 始まり

-1- 来るはずのない差出人から

 


 チャイムが鳴った。



 授業の終わりと理解した全員は起立し、礼をする。定められた行為を終えた皆は、繋がれた糸が切れたように、各々が帰宅の準備を始めた。



「なぁ斎伍さいご!今日一緒に帰ろうぜー!」



 俺に話しかけてきたのは、隣の席にいた友達の笹塚ささつかだった。鞄に教科書を突っ込みながら言った言葉に、俺は頷く。


「そうだな、帰ろうか。」



 *



 ホームルームが終わり、クラスの半分ほどが鞄を持って帰ろうとする。俺も鞄を持とうとして、ふと違和感を持つ。


 授業に集中していたからか、忘れていたことがあった。席を立ちながら、笹塚に言う。



「トイレ行ってくる。ちょっと待っててくれ。」


「了解!んじゃテキトーにゲームしよ。」



 携帯ゲーム機を取り出しながら呟いた席の後ろを、縫うように通る。そのまま扉を潜ると、早歩きでトイレに向かった。




 その途中、同じクラスの水上みなかみと鉢合わせた。皆が提出した何冊ものノートを重そうに両手で抱えている。


「あ、水上さん。持とうか?」


 その細い腕で最後まで抱えられるのか心配になり、つい声をかけてしまった。水上は立ち止まってこっちを向くと、その整った綺麗な顔を横に振った。


「ご心配なく。」


 淡白に言葉を吐くと、長い黒髪を揺らして俺の横を通るように再び歩く。


 水上は、まさに、才色兼備という言葉を体現していた。同級生の男子達は、こぞって告白を狙っているらしい。

 水上の淡白な口ぶりは、変なやつに目をつけられないように行っていることなのだろう。



 あれこれ考えていると、トイレに着く。


 早くやることやってクラスに戻らないと。




 *




「ただいまー。」


「おかー。」


 姉が適当に返す声が聞こえて、靴を脱ぐ。二階に上がって部屋に入ると、鞄を下ろし制服から普段着に着替える。


 一階のリビングに入ると、テレビを見てる姉がそれに目を離さずに言う。



「お母さん今日帰るの遅いからさっき晩飯作ったし、それ食ってね。」


「わかった。」



 どうやら母は遅く帰ってくるらしい。晩御飯を作れない母に代わって、姉が作ってくれたようだ。




 食事を終えたあと、しばらくしてシャワーを浴びた。歯磨きも終えた。ふと時計を見ると、午後八時を過ぎていた。洗面所から出て、階段を上る。一歩ずつ部屋に近づいていく。


 ようやく、悠々自適に部屋でゆっくりできる。今日は金曜日。夜更かしもできる。


 何をしようかと思いながら冷たいドアノブに手をかけた。





 扉を開けた瞬間、飛び込んできたのは、見たことの無い部屋だった。






「え?」



 非現実的な、意味不明な状況が起こる。理解できなくて、呆然と口を開ける。


 これは……部屋というより広間に近いだろうか?


 俺の部屋は、洋館の広間のような場所に姿が変わっていた。どうすればいいのかわからず、ただただ立ち尽くす。まさか、入ろうとは思えなかった。



 とりあえず扉を閉じて姉にこれを見せよう、と思った時、扉のすぐ前に何かが書かれた羊皮紙が落ちていることに気がついた。


 すぐ近くだったこともあり、特に注意することなく、広間に入ってそれを拾う。



 それは、絶対に来るはずのない差出人からだった。





『父より。どうか、悲しまないでくれ。』





 目を疑った。


 悪戯にしては、おかしすぎる。夢でも見ているのか?


 好奇心で取った手から、徐々に恐怖が広がっていく。震える手で手紙を元の場所に置くと、背後から、勢いよく扉が閉まる音が響いた。


 無音を貫いたそれで、恐怖が頂点に達しそうになる。心臓がうるさくなって、呼吸が荒くなる。

 さっきまでいた二階の廊下への扉は、もちろん閉まっている。慌てて駆け寄ると、ドアノブに手を回す。



 案外すんなりと開いた扉の先は、俺の部屋だった。



 おかしい。


 さっきまで二階の廊下だったじゃないか!



 意味不明の連続で、顰めた眉が元に戻らない。



「どういうことなんだよ……」



 思わず呟いた。


 こんなの理解できない。理解できる方が無理な話だ。


 ドアノブから手を離して、後ずさる。靴下越しに伝わる冷たい大理石。得体の知れない寒気が全身を包み込む。




 ふいに、背後から、扉がゆっくりと開く音が耳に届いた。




 数歩、乾いた足音が聞こえた。突然それが止まると、驚いたような声色でそいつは沈黙を破る。




「……逸二いつじ君?」


 聞いたことのある声だった。

 透き通った声。そうでありながら、どこか冷淡とした口調。まさか、と思いながら振り返る。



 長い黒髪。


 整った顔。


 鋭い目つき。



 そこにいたのは、紛れもなく……



「水上さん……!?」



 間違いない。目の前のその人は、同クラスの生徒だ。それも、クラスで人気者の。

 水上は、顎に手を添える。


「そう……アナタも……」


 水上で間違いはない。ただ、記憶の中の水上と少しだけ違うところがあった。


 まずは服装。学校でしか会っていないが為に制服を着ているイメージしか無かったため、今のラフな格好に違和感を覚えてしまう。


 次が大きい。表情だ。

 同クラスだから顔を見合わせる機会も多い。今の水上は、記憶の中の水上と比べると、刺がありながらも柔和を含んでいるように見えるのだ。


 柔らかい刺。痛々しく見えるが、その尖端を指で押すと曲がってしまうように、柔らかいもの。


 そんな表情を、感じ取れた。



「こ……これは、なんなんだ?」



 精一杯に出した俺の問いに、水上は近寄りながら答える。


「ここは広間よ。」


 それだけ言って、俺の手を引こうとする。


「今、時間はある?ここの説明をしたいわ。」


 やはりどこか淡白な口調で、水上は訊いた。


 ここの説明?分かるのなら、一刻も早く分かりたい。

 ここはどこなのか。なぜ父の手紙あったのか。なぜ水上がここにいるのか。


「時間はある。……聞かせてほしい。ここはどこなんだ?」



「……そうね、私じゃなくて、あの人に聞いた方がわかりやすいと思うわ。着いてきて。」


 水上は俺の手を引き、歩き始める。俺はその間、広間を見渡すことにした。



 二階への階段が、この広間に中央から奥に壁まで伸びている。吹き抜けから見える二階には、四枚の扉が見えた。そのどれもが、個性的な模様が描かれていた。


 その上を見ると、大きなシャンデリアがあった。主な光源はここからのようだ。


 一方、一階を見回すと、こっちにも四枚扉があった。一つの壁に二枚、反対の扉と向かい合うように設置してある。

 そのうちの一枚の扉は、俺がさっき開けた扉だった。



 どこにでもあるような、イメージ通りの洋館のホール、といった印象を持つ。


 手を引かれて着いたのは、一階の扉。俺の扉から対角線にある扉だ。模様といったものはなかったが、扉自体がやけに機械的だった。


「ここよ。」


 俺の手首から水上の手が離れると、こっちを向いた。


「中の人を呼んでくるわ。……でもその前に、忠告……というより、留意してほしいことがあるの。」


 水上は俺を顔を見た。留意、と言われると、自然に体が強ばる。



「その人は、人間じゃないの。」



 それを言われた途端、疑問符が顔に出た気がした。

 水上は、それを予期したように唇を噛んだ後、言葉を続ける。



「動物っているでしょう?人間以外の動物。それが、まるで人間のように歩き、話し、服を着る。

 ……想像できたかしら?それが、その人よ。」


 淡々と説明する水上。言っていることは難しいことではないはずなのに、どうにも想像しにくい。目を上方にやって、なんとか考えてみる。


「はぁ……そう、かぁ……」


 やっぱり、あまり想像できなくて言葉を濁してしまった。


「……見てもらった方が早いわね。ちょっと待ってて。」


 水上は扉に向き直ると、三回軽くノックする。


「入るわよ。」


 それだけ放って、機械的な扉の中央にあるボタンを押す。ドアノブの無いそれは、戸が吸い込まれるように上へ仕舞われると、内装を晒し出した。


 白色が多めの、何かの部屋。


 それだけがわかると、水上は中に入って、仕舞われた扉が下りる。水上と俺は、隔たれた。





 どことなく、緊張し始める。人間ではない、という言葉が鬱陶しいくらいに思考を邪魔していた。

 扉の隣の壁に凭れながら、唇を触る。



 やっぱり夢なのか?



 夢から覚めるための常套手段、頬を抓ってみる。




 ……結果として、ジリジリ痛む頬から夢ではないことが証明された。


「はぁ……」


 思わずため息が出てしまった。体は強ばったまま、腕を組む。




 ふいに扉が開く。




 腕を組むのをやめて、隣を見る。出てきたのは水上と……


 白衣を着た動物で……


 低身長でふくよかで……


 長い縞模様の尻尾で……


 二足歩行で……



 …………!??



「キミが新しく来た人だね!」


 俺の前で仁王立ちで頷く、その動物。


「じゃあまず、自己紹介からだね!」


 目の前のその人が、胸に親指を突き立てて笑顔で放つ。


「ボクの名前は神澄ミスミメイ!」

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