エッセイ「普通に考えてみると(三)」
@SyakujiiOusin
第1話
普通に考えてみると(三)
百神井応身
1. 働くことが美徳
世界にはいろんな考え方があるが、日本では労働は美徳ととらえられています。
南米の国では重要書類にサインするだけが仕事というのが一番良いとされているところがあるそうですが・・・
彼らの考えは、労働はお金を得るための手段であり、一番よいことはお金持ちの遺産を相続して遊んで暮らすことなのだとか。
西洋のプロテスタントも労働については、ある程度日本人と似たような考え方をしているらしい。
韓国は、労働については日本とは全然違い、それは下層階級がするものとなっていた。
両班と呼ばれる貴族階級などは、代々なんにもせずに移動するのにさえ自分の足で歩くことをせず、奴婢の担ぐ輿を使うなど優雅に暮らしていたので、手足が退化して小さくなってしまっていたそうです。
その名残で、朝鮮では肉体労働は今も卑しいものとされているようです。
日本では、天皇陛下も少しだけとはいえ稲作をするし、皇后陛下もお蚕様を飼う。
昔のお殿様だって、堤防工事に出て家臣や農民と共に汗を流した。
西洋人が日本に来て驚嘆したのは、日本人は労働して汗を流すことに喜びを持っていると感じ取ったことだったようです。
日本の職人の持つ技術も、長い修行と努力の賜物だと思うが、それに見合う収入が得られなくなってしまっていては、それを継承していく人がいなくなってしまう。
働くことの喜びだけではすまなくなるとしたら、何とか方策を打ち立てなくてはなるまい。
技術立国としての根幹に拘ることなのだから・・・
それにしても、働かなければ食べていけなかった時代を経験しているから思うのだけれど、良い悪いは別にして、仕事を探して選り好みできないで一所懸命働いたころは、上昇エネルギーがあったように思う。
今は良い時代なのか、なにもしないでも何とか生きていけるようです。
外国人であっても生活保護があるみたいだし・・・
2. 日本の職人技術
壁を塗る職人を左官と呼ぶのは知っているが、大工さんのことを右官と呼ぶのだと知っている人は少ない。
大工さんの技術である「木組み」にはいろんな木の接ぎ方があるが、釘を1本も使わないでそれをすることに、世界の大工さんたちは仰天するのだという。
材木を何本かつないで、どこでつながれているのか判らない仕上がりで長い木材にしてしまうのは、確かに圧巻です。
大工さんは、それぞれの木の性質をよみ、たとえ年月が経ってもその木が生きるような使い方を導きだし、材同士をより強く美しく組み上げるため、プレカットでは対応することのできない継ぎ手・仕口の加工を施している。
そのように手刻みされた継ぎ手・仕口は木材の変形・被衝撃が起こっても破壊されにくく、また、「木組み」ならではの貫(柱と柱を横木で貫いてつなぐ部材)は地震などによる衝撃を分散し、一気に倒壊してしまいにくい粘り強さを生み出します。
美しく組み上がった木組み構造には圧倒的な信頼感があるのです。
古い神社仏閣が形をとどめているのは、そういう技術があってこそのことである。
古来より日本の職人たちによって受け継がれ、洗練されてきた“伝統工法”であるが、後継者がいなければ絶えてしまう。
職人が大切にされた時代の日本は、文化が発展したように思う。
3. 日本の領土・領海
以外に知っている人は少ないが、日本の島の数は、6,852島です。
本土5島、離島6,847島(北方領土を含む)。この数は海上保安庁の調査により、海岸線の長さが100メートル以上の島を数えたものです。
島の数は「島の定義」によって変わるので、例えば海岸線の長さが100メートル未満のものを含めるとその数はもっと多くなります。
大抵の日本人は、自国が小さな島国だと思っているが、領土領海ということで見ると、実は大きい。
日本の領土面積は約38万km²で、世界第61位ですが、領海とEEZを合わせると世界第6位の面積を誇る国家だということになる。
これは、今まで殆ど手付かずだった海洋資源の開発が加速することにより、さらなる発展を望むことができる伸びしろを持っている国だということになります。
資源小国だと思っていたが、実は資源大国であったという事になれば、未来は明るい。
日本は、米国・英国と並ぶ海洋国家であり、大陸国家とは違う特質を持っている。
戦前は世界に先駆けて空母艦隊を擁し、その練度は凄まじいものであった。
空母があっても艦載機の離発着ができなければ、何の役にも立たない。
スクラップ寸前で会った空母をカジノにすると嘘を言って購入し、多少の改良を加えたくらいでは、恐るるに足らずと見くびることができる所以はそういうところにある。
海洋国家として発展するには、経験と積み上げられたノウハウが必要なのであり、短期間にそれが成し遂げられるということにはならない。
戦争をしようというのではない。
資源小国と言われてきたが、膨大な資源を開発入手できるのだから、そちらにシフトすることを考えれば、将来が豊かな国づくりができる。
メタンハイドレード・マンガン団塊・レアメタル・・・無尽蔵にありそうだ。
4. 日本人の根底にあるもの
日本には、聖徳太子の昔から「和をもって尊しとなす」が定着している「和」の本当の意味は、自己に正直に生きるということであり、自分を裏切らないということです。
不平不満があれば、正直に表現してぶつけ合うこと。言いたいことも言わないというではない。その中でお互い歩み寄り(妥協ではない)理解していくことが「和」である。
和の漢字で表される禾偏は、穀物の意。旁の口は、同じ釜の飯を食うということであるから、仲良くするということになる。
広く会議を起こし、万機公論に決すべし。
明治天皇が天地神明に誓約する形式で慶応4年3月14日(1868年4月6日)に出した五箇条の御誓文である。
突然そんなことを言いだしたところで浸透するはずはないが、下地というのは古くからあった。
一揆という言葉があるが、揆とは気持ちのこと。
一揆は、受益者が集まって徹底的に議論を尽くし、全員の気持ちが揃ったときに起こした行動だったらしい。暴力的な側面ばかりを習ったが、かなり整然としたものだったらしい。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。
福沢諭吉の書いた「学問ノススメ」は余りにも有名である。購読数は300万部であったというから、当時の日本の人口が3000万人であったということで見るに、10人に一人が読んだことになる。
当事の日本の識字率は70パーセント以上であったと言われ、いわゆる先進国と比べても圧倒的に優っていた。隣国などは数パーセントしか文字が読めなかった時代のことである。
それにも増して、森羅万象の悉くに神性を見出して敬う、という世界に類例を見ない美徳が根底に流れていた。
公のためであれば一身を顧みないという他国にはない精神構造も培われていた。
東洋において唯一植民地支配をされなかったばかりでなく、理屈もあげて西欧列強と戦った日本は、小面憎くはあっても精強だったから、さぞ恐ろしい存在であったろう。
そういう意味で、中国や韓国に反日が起こるのは解らなくはないし、戦った相手国である米国にも用心したい気持ちがあって不思議はない。
7年に及ぶ占領政策下で、自虐史観が行きわたってしまったとはいえ、施政権が返還された後は日本人自らの責任である。
反日的日本人というのは、意識しているかしていないかは別にして、何かからの影響を受けているように思えなくもない。
戦前を全否定することで意識を保とうとしても、無理がありすぎるのではないだろうか。
若者たちが普段目にしている日本人の性質が、何年かで急に変わる筈もないのに、過去に悪の限りを尽くしたのだと教わったことに疑問をもつようになったのは当然である。
調べてみたら事実は大分違うのではないのかと気づき始めた。
それはそうであろう。縄文時代から何千年にもわたって培われてきた民度が、そう簡単に変わる筈がない。
そもそもが暴力革命を目指していたのに、なぜか戦争反対を唱えていた左翼政党といえど、自衛戦争ならできるという。
しかし憲法を厳守するなら、そんなことはできない。「国の交戦権は、これを認めない」と書いてあるのである。論理的に矛盾する。
今後の日本が自分の方から戦争を起こすなどということは考えられない。
この条項を削除することで、日本は侵略されたら戦いますよ、と宣言するだけで大きな抑止力を持てるのだと思うが、議論にすらならないのは不思議に思える。
5. 白人と東洋人
自国民或いは自国に関連する人を大量に殺したのは、誰がどう言おうと、毛沢東とスターリンとヒットラーの3人ではないだろうか。
理由はそれぞれあるだろうが、日本と比べられても困る。内容が違い過ぎる。
白人同士の主導権争いの側面もある第一次世界大戦の結果、ドイツを追い詰め過ぎた。それが第二次世界大戦に結びついたという見方もできそうに思える。
いずれにせよ、植民地政策をとっていた当時の列強諸国は、人種差別撤廃を唱える日本は目障りであったに違いない。
それでも、日本に触発されて植民地支配を受けていた国々が、自ら立ち上げって白人と戦い、独立を勝ち取った。
それらの諸国は、何もないところからの再出発を図らねばならなかったけれど、潔かったと感じる。いつまでも恨み言をいっていないで、時に援助を仰ぐことはあったにしても、自力で努力しようとしてきた。
歴史をみていて気付いたことがある。
特亜3国だけは、白人世界と独立戦争をしたこともないし、戦って勝ったことがない。
ことにC国は、第二次大戦をアジア諸国の中で唯一白人側として戦い、その後も戦う相手は周辺の有色人種のみである。
人種差別をあげつらうつもりは全くないが、差別されることが全くなくなるのは、まだまだ先のことに思える。
本音の部分では根深い問題なのだと折節に感じてしまうのです。
6. 武士道
「武士道とは死ぬことと見つけたり」50年以上前の高校生の時にに読んだきり、その後は読み返していない。
行水して身を浄め、爪を綺麗に磨き、髪を整え衣紋を正し香を焚きこめて外出するのはオシャレのためではなく、いつ死んでも良いようにとの覚悟の現れであったと記憶する。
「死ぬこと」というのは「いかに生きるか」ということでもある。
人間の持つ闘争本能を、如何にコントロールするかということにもつながる。
名誉と責任その他、人間の善たるものを常に追求していた。
武士に限らず職人も、完全なるものを追求する求道者のような生き方をしたのが日本人である。
現在も、道を究めようと努めている人たちの言は、まるで哲学者のような趣を醸し出す。
野放図になっているかのように見えて、日本人はいざとなると、それら血に浸みこんだ精神が現出することは、広く世界が認めるところである。
武士は、約束をするとき金打(きんちょう)といって、刀の鍔を鳴らしたというが、約束をした以上、決してそれを違えなかった。自分の命に代えてでもそうした。
最近は、約束を簡単に反故にする国があるようだが・・・
7. 文化の違う国
ヨーロッパ諸国では、難民の受け入れに反対する勢力が拡大しているのだという。
難民が出る遠因を抱えてもいるから、難民の受け入れをせざるを得ないということもあるだろうが、テロリストも入ってくるというのでは、人道的にとは言っても簡単にはいくまい。
それまでの環境がガラリと変わってしまうのを避けたいというのも、自然に起きる感情である。
「郷に入っては郷に従え」という思想はないだろうし、「お世話になるのだから」ということで配慮ができるほどの民度が育っている国からの流入だとも思えないから、争いの種を内在させてしまうこともあるだろう。
宗教も違えば文化も全く違うし、歴史も価値観も異なるのである。異文化・異民族とは争って来た歴史もあるのだから、短期間に融合するということは期待できない。
難民が発生しないようにすることは、国際的にも協調関係が築けてはいなさそうだから、混乱はまだまだ続きそうである。
日本は金だけ出して難民の受け入れをしないという批判があるようだが、そんなことはあるまい。確かに今現に増え続ける難民に対してはそうかも知れないが、日本が抱えた外国人は相当の人数にのぼる。問題含みであることは誰もが知っているが、解決するには混乱が伴うであろうことは想像に難くない。
それほどまでに、社会の隅々にまでそれらの人は行きわたってしまっている。
彼らが日本の社会に溶け込んで仲良く暮らしていこうとしてくれるのなら良いのだが、そんな意識があるように思えないことも多い。それどころか、国内で反日的行動をする人たちも多いから、経験的に慎重にならざるを得ないのだと感じる。
考え方を変えるというのは、思惑に囚われているうちは難しいのではなかろうか。
8. 文明の衝突
サミエル・ハンティントンの著書に「文明の衝突」というのがある。
ハンチントンは、トインビーを参照しながら文明を以下のように分けたという。
① 西洋文明(アメリカ+西洋+オーストラリア)
② イスラム文明(中東+北アフリカ)
③ 中国文明
④ 日本文明
⑤ インド文明
⑥ ラテンアメリカ文明(西洋文明と近い)
⑦ アフリカ文明
まだ読んではいないから何のコメントもできないが、
上記のように、主に[人種と宗教]で文明を別けていて、日本は独自の文明としているというから、いずれは読んでみたいと思っています。
日本は、1万6千年前の縄文時代からの歴史があり、7000年前に作られたという世界最古級の土器があり、しかも[煮炊きの跡]があるので、[世界で一番最初に調理した民族]と言われています。
人種は、国境を隔てて住み分けることができていたけれど、そこに宗教とイデオロギーの違いが加わったら、争いの種は尽きない。その二つは説得が効かないのだから、議論してものごとを決めるには、別のルールを工夫しなくては叶わぬ。
9. 蜂と虻
今年の夏は、ブルーベリーの周りに蜂が多かった。それも恐ろしいスズメバチが・・・
蜘蛛は巣を張ってこれを捕えるようだが、生身の人間様はそうはいかない。
「虻蜂取らず」というのは、欲をかくと損をするということで、2兎追うものは1兎をも得ずというのと同じような意味でつかわれます。
ところで、ハチとアブの違いを知っているかというと、知らない人が多い。
ハチはアブに比べて腰の部分(胸部と腹部との間)が細くてスマートな感じがします。
頭を見ると、ハチの触覚はアブより長いのですが、複眼はアブの方が大きくて目立ちます。他には、ハチは4枚翅なのに対して、アブの翅は2枚しかありません。 何よりも違うのは、アブのお尻には針がないので刺されることはありません。
しかし、中には血を吸うアブもいます。ウシバエなどに血を吸われると、かなり後後まで痒い。アブの特徴を見ていきますと、アブはハエと同じ特徴を持っていることが分かります。アブは、ハエの仲間なのです。
近寄らなければ痛い思いも痒い思いもしないで済むのかも知れませんが、こちらが近づかなくても、あちらがやってくる。
黄色スズメバチなどという外来種が増えているというから、駆除に頭を悩ます。
ついでに、蝶と蛾の違い。
綺麗なのが蝶で汚いのが蛾というわけではありません。
同じ鱗翅目の蛾にとってみれば、いい迷惑で差別だ、というかもしれません。
もともと蝶と蛾の境などあるわけがないのですが、我々人間が形態・生態的に分類しただけのものだということになります。
日本では蝶と蛾をはっきり分けていますが、フランスやドイツなどのように1つの仲間として扱っているところもあります。
その大昔、蛾(鱗翅目)という夜行性の昆虫が誕生し、繁栄を続けてきました。その進化の過程で昼に活動するものが出現し、子孫繁栄のためなどに視覚的要素が必要となってきた結果、競うようにあでやかな姿に変ってきたのだと考えられているようです。
一口で言うと、蛾の1部が違った進化を遂げ、蝶とよばれるものになった。
ただ、留まり方には差があります。蝶は羽を立ててとまるし、蛾は羽を広げてとまる。
捕虫網を持ち、美しい蝶々を追って野原を駆け回ったのを思い出します。
子供を可愛がることを「ちやほやする」と表現することがありますが、これは「蝶よ花よ」から来ている言葉なのだとか。
10.北方四島
北方四島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)
択捉島の霧の ヒトカップ湾(単冠湾)から、真珠湾攻撃のための機動部隊が出撃したことは、歴史としての記憶にあるし、日本人がそこで生活をしていたのだということも知っている。
終戦ということで矛を納めたあとに、日露不可侵条約を一方的に破ったロシアによって占拠された諸島であるとの認識でいる。まかり間違えば、北海道も占領されかねなかった。
しかし、戦後70年も経過してしまうと、返還を要求しても困難なことになっている。
実効支配が長くなれば、そこに住むロシア人が増える。
やむなく逃げざるをえなかった日本の旧島民にとっては堪らないことだと思うが、ロシア側は領土問題は存在しないと主張する。
実効支配されてしまうと、竹島だって簡単には返ってこないことになる。
まさか戦争をして実力で奪い返すわけにもいかないから、面倒なことこの上ない。
まだまだ時間がかかるのかも知れないが、諦めるわけにはいかない問題である。
11.本当のところはどうなんだろう?
錯綜するニュースを見ていても素人が判断しにくいが、重大な影響がありそうだとは感じる。ニュースが丁寧であるとは言い難い。
GDPが世界第2位だといわれてはいても、その中身としては、外国からの投資によるものが40パーセントを超えているのは異常であろう。
近年、外に揉め事を抱えたりしているし、宣伝しているほど国内事情が芳しくないと見極めをつけた外国資本が引き上げを図り始めているともいう。
そうなったら、いかに大国を標榜しても、経済を維持するのは難しくなるに決まっている。
内需にシフトしようにも、失業率が20パーセントを超えているのではないかとも噂されるから、簡単ではあるまい。所得格差も異常であるという。
国民の収入も、実情は上海ですら月に4万円くらいだと聞くに及びため息が出る。
一部の富裕層を除けば購買力があるとは思えないから、個人消費が伸びるのは期待薄ということになる。
爆買いに来ている中国人のニュースを見ていたから景気がいいのかと思っていたが、どうも一部の人たちだけにできることらしい。
中国の人口は13億人、実際には14億人から15億人はいるだろうというから、普通に考えれば膨大な市場であることは事実であると思う。
しかし、経済格差があり過ぎたり不動産バブルが崩壊したり、過剰生産に対処できなかったりして、伏せられてはいるが暴動が頻発しているということも漏れ伝わってくる。
世情が安定することなくして、構造を変えて経済が発展することは期待できない。
国際協調をはかって乗り越えなくてはならない状況下にあるとしたら、反日などやっている場合ではないのではないだろうか。
日本にはまだまだ中国と仲良くしていこうと考える人は多い。
資本も技術もあるが、いまいち信用ができないから真剣に対話できない、ということを言う人が多いのは事実であろう。
K国のように、やりすぎで反感の方が先に立ってしまい、スムーズにことが運ばなくなってきているような状況になる前に、何とか考えられないものなのだろうか?
世界は平和な方が良いが、どちらか一方が思っているだけでは進まない。
12.民度が違う
地震が多いこともあって、東日本大震災に関連したことを調べてみることが多くなった。
日本の報道では殆ど目にすることがなかったが、諸外国人の見た日本人の姿というのを見ることが多い。
壊滅的な被害に会った後でも、暴動や略奪など一切起こさず、互いに助け合い自発的にルールを守りながら対応することを、他国に例をみない感動的な事例だと表現していることが多い。
援助にきてくれた人たちに対する感謝の気持ちの表し方も、外国からの救援隊員に逆に感謝されていることも書かれている。
困難な時に救援に駆けつけてくれた人々の活動に感謝する住民の姿の報道は、殆どなかったのではないのか?
殆どというより皆無だったのが、K国関連のニュース。
「震災お祝い申し上げます」というのはネットで見た記憶があるが、ヨーロッパに留学しているK国学生たちが、狂喜して喜ぶ姿を目撃した外国人たちが、余りの酷さに酷評しているものもいくつか見かけた。
どんな教育を施せば、他人の不幸を躍り上がって喜べる民度に育て上げられるのだろう?
歴史の真実を知ったら、アイデンティティの壊滅を起こす危惧さえありそうである。
自分の都合上かどうか解らないが、悪いのは全部他人、他人の不幸は蜜の味という精神構造では、人としての幸せにはつながらないであろうに・・・
経済的にも国際的にも重大な危機にあるのに、国難を乗り越える現実的な対応を図ることより、小学生まで狩りだしてデモに励んでいるのは、なんともやりきれない。
「怪しからん罪」というのがあるらしいが、感情的に流され過ぎていないだろうか?
まあ、そんなのもこんなのもどうでもよい。「心が美しい民族」と世界から評価される国としては、反面教師として学べばよいのかも知れない。日本人に生まれて良かった。
13.無宗教なのではない
いわゆる神や仏と言われるものに向かい合ったとき、どうするか?
柏手を打ったり、十字を切ったり、手を合わせて合唱したりするのが一般的な作法として思い浮かぶが、日本人は八百万の神としての自然神に対するとき、山や海や樹や岩に、静かに頭を垂れるのである。
巫祝(ふしゅく)という言葉がある。意味は神につかえる者のこと、というくらいにしか辞書には出ていないが、敬うべき大いなるものだと感じたときの日本人は、誰に言われなくても頭を下げるのである。
このことを、国民を代表して常時なされているのが、天皇陛下なのだと感じる。
日本人は無宗教だと言われているのに、モラルの高さやマナーを守ることにおいては、諸外国人が一様に称賛するところである。
しかし、日本人が無宗教なのだとは思わない。
神道にしろ仏教にしろキリスト教にしろ一宗一派にとらわれないだけのことで、敬う神というのは心の中に持っているのではなかろうか。
それぞれの神の良いところを昇華して、意識していなくてもいつも共に居る。
極め付けが「お天道様が見ている」という言葉に代表される概念のように思う。
誰が見ていなくても、自らを律することに意識の高さを感じる。
自分の外に神が居るのではなく、自らの内に神性が宿っているということを悟っているのでないとこうはいかない。
長い歴史の中で培われ身に染み付いた能力なのであろうが、目先の損得や競争ばかりに明け暮れて、「人様に迷惑をかけるんじゃないよ」という基本的なことさえ教えなくなった親が増えてしまっては、この先が思いやられてならない。
自分の中に神様がいるのだという意識が持てるようにすることは大事だと思う。
14.明言した方が良い
普通に考えて、殴っても反撃される恐れのない相手は、場合によっては殴られて終わりになる。
反撃する能力があっても、反撃はしないと明言していれば同じことになる。
こちらがどう思っているかには関係なく、相手の都合まかせになるという危険を持つ。
しかし、攻撃されたら確実に反撃できる能力を有し、こちらから攻撃することは無いが、侵犯してくれば抑止力としては十分な能力が整備されており、応分の対応をすることを明言すれば、その危惧は極端に少なくなる。
互いの為になる。
自分の身は自分で守るというのは、生物の第一次的な出発点であるのではないのか?
それは自分以外の誰かがやれば良いのだとするのは、自己逃避というより無責任の誹りを免れることはできまい。
守ということに気概を示してくれている人たちを軽んずるのは、もっと無責任だと感じてしまう。
そういう人達の口癖は、法理だというが、法を守って自分が滅びてしまうのでは、本末転倒であろう。
滅びたいことを選ぶ人は、それこそ皆無に近い筈である。イデオロギーの道連れにしないで欲しい。
日本は攻めるのではなく近海を守れば良いのだから、対応はしやすい。
他国が日本を攻めるためには空母が必要となるが、空母は有ればよいというわけではない。空母を運用するのは難しい。
空母を擁する機動部隊を持ち、実際にそれを運用できたのは米国・日本・イギリスくらいのもので、実績的には米国と日本であるから、海洋国である特質を持っていることからの経験差は大きい。
次に、靖国の問題であるが、我が国は死ねばみな仏や神になるという文化を持つ。敵も味方もなく死者に対しては尊崇の念をもって祀る。
よくA級戦犯を合祀しているから怪しからんと、日本人の中にも言う人がいるが、A級・B級・C級というのは罪刑上の重さのことではない。ましてや「永久」に許されないと勘違いするなどはもっての外のことである。
開戦前の上層部は、米国と日本のGDP差が10倍であり、石油に至っては270倍もの差があることを知らなかったわけではない。物量に圧倒的な差があることから、なんとか戦争にならないように努力していたことがわかる。
そういう判断根拠を知らなかった国民が、日清・日露の勝利に味をしめ、開戦を煽らなかったとは言えまい。新聞もそれをした。
一部の人たちのせいにして頬被りするのはいただけない。
軍人は、腰抜けと言われることを恐れる。乾坤一擲、なんとか緒戦に勝利し、早期の講和を図ろうとして失敗に及んだのだということに思える。
確かに無理筋には違いないだろうが、座して死を待つわけにもいかなかったというのが、普通に見たときの感想である。
憎ければ、墓を暴いてまで恥辱を与えるという特亜3国の文化とは違うのである。
尊い命の代償を、のちの平和のために祀るのが、自然の気持ちなのだと思うことを、一致して世界に知らして欲しいものである。
靖国参拝イコール歴史の否定、軍国主義を復活して戦争、などとの言は、虚言妄言としか思えない。
15.野良猫たち
訪ねた家の庭先に 野良猫がやってくる。その総数8匹は、いずれもれっきとしたノラであるが、どこかで飼われていたのが可哀そうにも捨てられたのか、どれも人懐こい。
人恋しいのか、窓を開けると集まってきて顔をのぞかせる。
飼えるものなら飼ってあげたいが、諸般の事情が許さない。
勝手に名前をつけた。性格が良くおっとりしていて、貰い手がつくなら一番だろうと思える猫は、ナンバーワン。隣の奥さんはマロと呼んでいるという。
外に出ると、やたらに体を摺り寄せてくる茶虎は、モカ。
額だけ三毛なのは、額三毛。ユキヒョウ柄のは、ユキヒョウ。
車の下に潜ったり、陽だまりで日向ぼっこをする姿も可愛い。猫は生まれて1週間、人に触れることなく過ごすと、人に懐くことなく野良猫として生きることになるらしい。
ペットとして飼い始めたら、捨てない覚悟を持たないと、後味もわるかろう。
16.歴史というものは事実だけが伝わるわけでもない
どっかの国のように、自分に都合よくあることないこと言い立てて、1000年も恨むということではない。
日本は、今までいろいろあったけれど、いろいろやり合ったけれどこの先は仲良くしていきましょうね、ということで仕切り直しできる民度というものがある。
ただ、事実関係だけは歴史として把握しておきましょうね、という意見は多い。
それによって政治問題を惹起しようとする意図を持ってのことではないように感じる。
しかし、この部分に触れると、何でもかんでも日本が悪い事をしたからだ、ということにしたい人が日本人の中にも大勢いて、感情的に躍起になって議論を封じ込めようとする場面をよく目にする。
争うことが目的ではない側が、一歩引いて、まだそれを話題にする時期ではないということで収めている。
戦争が良いか悪いかと言ったら、悪いに決まっている。
だが、それでも戦争には一定の制限はあって、例えば非戦闘員への無差別攻撃は禁じるルールは現に存在していた。
勝ち負けだけを争えば、勝つためには何でもありということになりがちだし、時に常軌を逸した作戦も実行されるのは事実であろう。
勝った側が裁かれることはないが、負ければ一方的に悪者にされるのが常であるのは仕方がない。
戦争になれば正義が勝つのではなく、強い方が勝つ。
広島・長崎への原爆投下や東京大空襲などは、明らかに軍事施設への攻撃ではなく、非戦闘員を虐殺することが目的であったと思われる。
空襲警報で防空壕に避難していることを想定し、一旦は千葉沖まで通り過ぎ、人々が防空壕から出てくる頃を見計らって引き返して爆撃したという。焼夷弾を多量に落とした。
そもそも戦争になったら、人間ではできないようなことを考えて、それを実行してしまう狂気を伴って不思議はない。
日本が悪いから、戦争を終結させるためにやむを得ない処置だったと学校では習った。
これに限らず、勝った側の戦争犯罪は沢山あったようだが、それを白日の下に晒して謝罪しろなどという人は、日本にはまず居なかろう。
居たとしても、少なくとも、K国のように国レベルで言うことはない。
国際紛争には、自衛権と報復権があることが国際常識である。
憲法に交戦権が認められないと書かれていても、流石にこれを否定する政党はない。
ABCDラインによる封鎖は、宣戦布告に近いものであったし、日中における戦いに参戦していた義勇航空隊フライング・タイガースは、撃墜する日本機1機につき、500ドルの契約で雇われたアメリカ軍の「正規兵」であった。
後に敵将マッカーサーが米議会で証言した通り、日本は安全保障上の自衛戦争を戦ったのだともいえる。
もっと怖い話もある。
核保有国は、いずれも先制攻撃に核を使わないと言っている。
そうなると、報復権の行使ということで核を使うことができるのは、世界で日本だけということになる。
「日本は核を持っていないじゃないか」というのは当たらない。その気になればいつでも核を持つことができるのだというのが、これまた世界の常識となっている。
日本から戦争を起こすことは、まず皆無といってよいと思われる。
それだけに、法をきちんと整備して、普通の国になることを考える時期にあると思う。
それが世界の安定に資することになると思われてならない。
17.和製熟語
思考は言語によってなされる。疑いようのない事実である。
明治維新以来、先進文化を取り入れるために、西欧の言葉を日本語に翻訳し、それによりできた熟語の数は相当数にのぼる。
翻訳できたということは、そういう概念が存在していたということにもなる。
それによってできた日本製の熟語は、漢字圏で使われるようにもなり、中国ではそれなしに現代の日常の会話は成り立たないと認めている。
日本は、漢字であれ英語であれ、優れたものは有り難く受け入れ、より馴染むものに改革してきたことで得られたものは大きい。
ただパクルだけで、基礎研究に重きを置かなかったら、常に人後を拝するのみに終わる。
漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字を駆使し、思考を重ねて鉱工業、機械、薬学その他、近代文明を発展させることができたのだと思う。
日本語は、習得することが難しい言語だと言われるが、それならばなおのこと大事にしていかなくてはならないのだと思う。
18.きっかけ
それが何であろうと、ふと我に返ってみれば、流石にこの年ともなると普段のお馬鹿はどこぞへ押しやられてピカピカの本性があらわれることがある。
衣の下の鎧は響きが悪いが、能ある鷹の隠されていた爪のようなもの。ぜんざいぜんざい。
感情というのは、通常は受動的なもの。
自分以外の何かによって感じさせられているに過ぎない。受け取るだけの人は、本当は決して豊になれない。
意識の世界でフィルターがかかると、何もかもを可能にしてしまう潜在意識の世界に望む姿を刻むことができないから、それを現実の世界に達成することも出来ないのだとか。
ただ「自分にはできるんだ!」という根拠の無い自信があれば、根拠がないからこそ本物の自信となって、魔法のランプは働きの場ができる。わっかるかな~?
19.すすぐ
昨夕は、石神井の里にも雪が降り積もりました。
暗い庭に、チラチラと舞う牡丹雪が、こもれ灯に幻想的でした。
濯ぐというのは、水で汚れを洗うことを言いますが、雪ぐというと恥ということになる。、どんなあたりから出たのでしょうね。
口を石で漱いだ人もいるようですが、歯が欠けなかったのかね~?
22年2月22日22時22分22秒に、この記事を書きました。
20.チックタック
オジイサンたちと一緒に、恒例の初詣に、今年は熱田神宮に行って参りました。
新幹線の待ち合わせ場所に行くと、2番目に若いオジイサンが「もうみんな大分進んでるから、今年も乗り遅れてしまったり違うところで待ってたりするのがきっと出るよ」な~んて憎まれ口を早速きいて笑わせてくれました。
進んでるというのは、ボケのこと。(全員現役だけどネ)
案の定一人乗り遅れて、家に電話連絡すると、もう着いている筈の時間に出ているとのこと。
「じゃあ、前のときと同じで、目的地で合流できるからいいよね」と言いつつも、年が年だけに皆が心配しました。
「もうみんな人間が練れて丸くなっているから、遅れた人のこと怒らないよね」と一人が言うと、「丸くなったっていうか、どうでもよくなったんだよね」と他の一人がまぜ返して、皆みょうに納得しました。
結局、夕刻になって宿泊ホテルに到着したら、彼は1時間ほど早く到着していて、「一体どうやって来たの?」ということになりました。
聞いてみると、途中で一回も会わなかったけれど、われわれの観光スケジュールにあった場所は全部廻ってきたみたいだし・・・
21.トイレ
友人達と連れ立ってコンサートに行った。
開演間際になったので「おれ、ちょっとトイレに行ってくるわ」と席を立ち、帰ってきて「ここのトイレ遠いよ」というと、中の一人が「おれ、トイレ近いんだよ」と応えたので大笑いになった。
場所と頻度の違いなんだけどね。
22.とかく男というものは
口が裂けても忘れていたなんてことは言えませんでしたが、結婚35周年の日だと帰宅するなり言われました。
しつらえられた夕餉と、宇宙に行ってきた日本酒だというのに金箔を浮かべて、倅もまだ帰国(出国?)前なので、家族3人一緒で祝いましてござるよ。
いろんな人が一所懸命支えてくれて今日があるのは確かなのですが、なにかきっかけになるものがないと、なかなか振り返ってみることができないでいます。
男というのは、記念日というのを覚えていることができない。
ここな罰当りめが!だって?
いえいえ、普段口には出さずともちゃんと有難いと思ってますってば。
つい先日、義理の弟夫妻と食事をしたときにも話題になったのですが、ホント何にもないところから出発して、よく頑張ってくれました。
まだひとふん張りもふた踏ん張りもしないと、いろんな方々に恩返しもできません。まあ、一生働くことになってるのかもね。
或酎にならんようにきょおつけて、がんばることにいたしましょう。
23.どっちかって?
スペルは、a Dutchoven ですから、多分“チ”が正しいんではないかと思います。
野外料理をするのに重宝しています。
どっちなんだろうって迷うのって、他にもたくさんあるんだよね。コミニュケかコミュニケか、リクレーションかレクレーションかとか・・・。
そうそう、ドッジボールかドッチボールかなんてのもある。
まあどっちでもいいんだけど、このオーブンというか鍋は、ひとつあると甲羅駈?行楽のお供に便利です。
但し、火を焚く場所は選ぶ必要があります。昔、仲間内のお花見で、山の上に陣取り鍋料理を作っていたら、物凄い形相のおばちゃんが怒鳴りこんできたっけ。
携帯燃料であったし、火を扱うマナーは心得たリーダーの下だったんだから、そんな顔しなくたってよかったんだけどね。彼女、正義の味方だったのかなあ~
幸楽(らーめんや)には、オニババがつきものなのです。(わたおに)
24.ネコヤナギ
身体には寒くても、春が近いのか、木々が芽ぐんできました。
散歩先の石神井公園の三宝寺池の岸辺に猫柳が膨らんでいました。春を感じさせてくれます。
この寒空に、人懐こい猫が沢山いましたが、もともとは飼われていたのであろうから、野良と違って近寄っても逃げるということがない。
別段、猫をかぶっているからではなく、育ちがよいのです。
それを捨てて行くとは、どんな事情があるのか知らないが、そんなことをするのなら「最初から飼うんじゃない!」
猫とオンナは、呼ばないときにやってくる。
追えば逃げるのは、運や青い鳥と一緒なのであります。
このあたりのことがわかるようになると、人間がかなりできてきたといえる?
全ては外ではなく、内にある。わっかるかな~?(まねきねこだっく)
25.はて、何故でせふ
なぜ?って言われても、ものにはわけがあるのでございます。
なぜか自宅のPCが外に繋がりにくくなり、不安定ながら機嫌のよさそうなときに書き込みをしていたのですが、だましだましにも限度がきて、昨日からはアプリケーションが全部開かなくなってしまいました。
脂汗を流しながら、あ~でもないこ~でもないやっているのですが、どうにも手に余るから、修理に出すか買い替えるしかないと思っていたら、いつの間にか直っていました。
そうかと思えば、会社のPCは、メールの発信ができなくなって、迷惑メール対策でブロバイダーがやったらしいんだけど、こちらは迷惑メールを沢山受信することはあっても、送信したことはないぜよ。プンプン!、それを回復したばかり。
いずれにしても、年明けは挨拶廻りで会社に居なかったし、家はそんなわけで、
なに?カミさんのPCを使えばいいじゃないかって?
なにを恐ろしいことおっしゃいます。
鰆を噛むと鱈になる、じゃなかった、触らぬ神になんとやらと申しますでしょうが・・・
26.ひとぐざり
この、「ぐざる」っていうのも、適当なことばに置き換えがしにくい信州弁の一つです。
子供が“ぐずる”というのに近いのですが、大人が理由をもって文句を言うようなときに使います。
きのふTVを見ていたら、「歯をたべる」っていうナレーションをしていた。何事かと思ったら、ヒグマがイタドリの葉を食べるのだということを説明していたのでした。
そのほかにも、「川が升でいっぱいになるって」言うから、上流から流すのかと思ったら、遡上してくる鱒でいっぱいになるということでありました。
ぐざって行かなくちゃならないなんてことは、かんべんしてくれ!
プロは、よくベンキョウするように。
「酒手は取らぬ」っていうから、そんな上手い話があるのかと思ったら、避けては通らぬということであった。
そんなわけで(どんなわけだって?)、今日は天気の戯さを逆手にとってイッパイやるということになっています。
足元が定かなうちに、歩度歩度にして帰ることになるとは思うけど。
27.マスク
花粉が鳶牛(トビカーウ)じゃなかった飛び交う季節と相成りました。
オマケに黄砂まで加わってるんだと。
和歌に詠まれる「霾ぐもり(よなぐもり)」というのは、春に黄砂によって、曇ったような状態になった空模様のことをいいます。
“七草なずな唐土の鳥が”の唐土の鳥は、鳥インフルエンザを運んできたことを指しているのではなかろうか、と思っています。
風流に、ムメの句なんぞ詠んでられないのでおじゃる。
こっち拭かば 匂い移せよ倦めの鼻 有る痔無しとて 腫れナ忘れ阻(亭主現金で留守通い・・・なんのこっちゃ?)
28.まったく~
仲裁は時の氏神とはもうしますが、親でもないし頼まれてるわけでもないんだけど、台所?とはいえ同情したり慰めたり励ますのには、エネルギーがいるんですぜ。
イワンでもいいことまでいっちゃって、馬鹿みたいなもんです。(台所じゃなくって、勝手でした)
まあ、機嫌がなおって笑ってるってことにでもなれば、何よりのことですが。
ふと我に返ってみれば気づくピカピカの本性ってのに、もっと自信を持つ方が誰にとってもいいに決まっている。
私だって感情の塊(誰ですか勘定の塊なんて言ってるのは?)みたいなもんですから、心が泡立つことも多いのですが、そんな時は「何かを気づけ!」と something great なものが言っているのかも知れません。
気づいて、その感情が好ましい行動に移せれば、それは潜在意識に沈んで、良い結果を齎すことになるようです。
29.豆まき
一昨日は節分でした。
近隣からマメマキの声は、聞かれなくなって久しい。
神社などで、袋の中に商品の当選券が入ったものを撒くのを拾いに行く人は多いらしいけれど・・・
私も、昨年までは「鬼は外、福は内!」ということでやっていたが、つらつらかんがみるに、追い払われた鬼は一体どこに行くのだろうか、ということに思いが至りました。
どこか他所に行ってしまって、そこで何をしようが自分さえよけりゃいいってことでもあるまいし、鬼にだって言い分はあるだろうしということで、今年からは「鬼は改心」と言うことにした。
かくして、文化は発展的に伝承されるのです。
30.ミモザ
花屋さんの店頭に、溢れんばかりの黄色い盛り上がりをみせて、ミモザの花が並んでいました。
春、暖かくなって桜の花が咲くころの花だと思っていましたので、花は足で見にいくという説を曲げて、買い求めました。
マメ科アカシア属のこの花は、花言葉が豊な感受性・真実の愛などということになっていて、サイ(ふだん角は見えません)が好きな花の一つです。
オーストラリアが原産ですが、倅がザルツブルグに留学していた頃、サイはちょいちょい訪ねていて目にすることが多かったようです。
たまには、サイのご機嫌伺いをしておくのもよかろうということばかりではなく、花が周りにあるのはなかなか良いものです。
31.もうす(まおす)
先日降った雪の白からの話の延長です。
「告白っていうのは、腹黒く隠しておかないで真っ白になるように告げることなのか?」と聞かれたから、それはチト違うんじゃないかと答えた。
「白す」は、そもそも「もうす」と読む。
小学校の社会科の時間に摂政関白という言葉が出てきて、これは政治を摂る(とる)ことを関り(あずかり)白す(もうす)、という意味だと教わった。
白うは、言う・云う・謂うの謙譲語。
手紙の結びに「敬白(うやまってもうす)」とか、祝詞(のりと)などでも恐み恐みも白す(まおす)というように使われるから、古い?人は知っているだろうけれど若い人には馴染みが薄いのかも知れません。
「告白する」ということを、コクルっていうらしいけれど、ガチ変じゃネ?
32.よそゆき
男の顔は自分でつくるという通り、友人のページをクリックしたところ、普段見たこともないようないい顔で写ってました。
いよっ!イイオトコ!(なんか出るかな~?)
なんか出るって言えば、オンミョウ(陰陽)をわける丑三つ時っていうのは聞くけれど、建礼門院平徳子さまの雅びたフミにある丑二つというのは知りませんでした。
むかしの人は、普段からこのように教養あふれる文を書いていたんですから、和歌を詠むのがうまいのは、蓋し当然というわけでおじゃりまする。
33.何か居る
昼食からの帰り道、後ろに大層賑やかに話す女子高生の二人連れがいました。
こら~!学校はどうしたんじゃ!
話の内容だって、余計なお世話かもしれませんが、他聞を憚ったほうがいいんじゃありませんか?ってことばかり。
聞き耳を立てているわけではないが、大声だから聞こえてしまう。
そのうちに突然けたたましい声で「何か居る~!!」と指さし叫んで、二人で大笑いを始めた。
何か居るっていったら、大抵は恐ろしいものか気持ち悪いものかであって、喜んで笑うようなものじゃぁあるまいに・・・
で、何が居たのかというと、向こうから彼女たちの友達が歩いてきたのでありました。
すれ違うときの挨拶は、片手を挙げてお互いが「よっ!」「よっ!」でした。
カモと~りごんべいさん てっぽうかついで よっよっ・・・って歌がありましたっけ。
34.加持祈祷
病膏肓に入ると、生半可な治療ではなおらない。
であるからして、はやめはやめに手当てしましょうね。
字とかくところを痔とかいたが、痔には経験がある。
今をさること30数年前、会社を立ち上げたばかりでとにかく忙しくて、朝は6時前から夜は11時すぎまで、年中無休で現場を飛び回っていたころのことです。
現場では踏ん張る仕事が多かったから、流石に疲れがたまったのか、ある日ナ変に違和感を覚え、痛みの余り歩くことさえままならない状態になった。
そこを見せるのは恥ずかしかったが、恥を忍んで医者に行くと、「お~お~立派に出ちゃってますな~。すぐ切っちゃいましょう。」ってんで、ひとごとだと思って、その場でいとも簡単に処置してくれた。
お陰さまで嘘のように楽になって、助かった。
放っておいて癖になると大変なんだとか。それこそ、加持祈祷しても直らないなんてことになるんだと・・・。
この先生、かなりダジャレ好きな先生で、にやにやしてるから気がついたんだけど、どうも加痔亀頭とかけて言ってたらしい。
さて、どこまでが本当で、ドコからがウソのお話しでありましょうか。
35.海苔
海苔は日本人の食卓から外せない。焼きのりも佃煮も美味しい。
しかし、海苔を食べてそれが消化できるのは、日本人だけなのだという。他民族は、食べてもそのまま排泄されてしまうらしい。
ゾベリア・ガラクタニボランという海洋性バクテリアが、アマノリ属の海草に含まれる多糖類を分解する酵素を持っていることが発見され、日本人がノリを消化できる理由がわかったのだという。
日本で最初の法律書である大宝律令(701年)には、朝廷への租税として約30種類の海藻類が挙げられていて、その中でも海苔は高級品だったと言われています。
当時は庶民には高値の花で、上流階級である貴族のご馳走だったようです。
江戸時代中期になると、四角い板海苔が登場し、色々な具を芯にしてご飯を巻く海苔巻きが現在のファーストフードのような感覚で流行した。
海外でも海苔を食べる国はあるが、日本と比べると歴史は浅い。
日本以外の国は海苔を焼いて食べる。腸内にバクテリアがいないため海苔の栄養分を吸収できない。
韓国にも「韓国海苔」があり、例によって起源説を唱え、日本の海苔なにするものぞと息巻くが、実はああいう「板海苔」の製法と味を付けた海苔を食べる食文化や海苔の養殖技術は、日韓併合後に日本から伝わった技術と食文化なようです。実際に韓国で商品として流通していた海苔は、ほぼすべてが日本品種だったそうです。韓国で開発された品種が出てきたのは、なんと2012年、つい最近のことだという。
まあどうでもよいが、日本の文化ということになると、何にでも敵愾心を燃やし、韓国起源説を唱えるが、やめておいた方が良い。
仮に百歩譲って起源が韓国に有ったとしても、それを文化として発展させることができなかった民辱を追認するに等しい。
大抵のものは、証拠を提示して手厳しく反論されて終わる。
そろそろ桜の咲く季節であるが、ソメイヨシノは済州島に自生していたものだと、いまだ懲りずに毎年花の時季になると主張する。
ソメイヨシノは江戸時代に人工的に作られた品種であり、自然界には存在していなかった。
DNAにより完全に論破されているのだが、愚かにもそれを理解できず、毎年躍起になって彼らは話題にするが、世界諸国からは相手にもされない。
花見の風流は、日本から世界各地に広まった。
なにごとぞ 花見る客のナガガタナ
36.鴨の川原
グレープシードオイルで料理とは、また結構な趣向でございます。
鼻も引っ掛けないじゃなかった「花一輪のお祝いも無かった」とカミさんにいわれても、決して言葉を返しちゃいけません。それはもう花(端)から勝負にはなりません。
ならぬ堪忍するが堪忍。ただひたすら料理に専念していて下さい。
サイの破壊力は、そりゃ凄まじいものなんですから。
それはそれは血腥い血痕記念日になりかねませんぜ。
鴨の川原に千鳥が騒ぐ またも血の雨涙雨・・・
昔から良くいうじゃありませんか。“負けるが価値?”ってね。
(友人が、結婚記念日を忘れていて・・・との話へのコメントから)
孔雀はナガモノが好物だということになってますが、ナガモノ(蛇)が嫌いだという人は多い。
だからと言って、110番しちゃあいけません。
上記の友人が怒って話していたところのゴキブリ嫌いなその不埒者は、私が裁判官だったらもう見る聞くなしに即、死刑にしちまいます。
保健所に電話したのならまだしも、天下万民の安寧を守るにお忙しい警察官を、ゴキブリごときで呼びつけるとは一体何事ぞ。
市中引き回しの上、石こ詰めノコ引き、股裂き逆さ磔、獄門さらし首じゃ。
嚢中にタマナシ、脳中にミソなし、農中に暇なしなんじゃ。
37.漢字辞典
雑誌の拾い読みで、今日は勉強しました。
「戦」の字を“そよぐ”と訓へし先人よ 開戦前の風項(くび)に鋭し(矢部雅之)
これを作家の関川夏央氏が辞書をひきながら読み方の解説をしている文章を読んでです。
私は、戦を“そよぐ”なんて読んだことはなかったし、項を“くび”なんて読んだこともなかった。
せいぜいが、訓示からの類推から、訓を“おしえ”とは読めるくらいでした。
ではお立会い。「鋭し」はなんと読むか?
思えばいと疾し この年月・・・(仰げば尊し) と同じ読み方で、
“とし”と読むのだそうです。
これで歌の口調がよくなって、“ほっと”するわけです。
38.竿頭(かんとう)
竿の頭だからといって、あらぬことを想像いたしませぬように。いささか高尚なる境地なのでござりまする。
百尺竿頭 如何進歩(いかがほをすすめん)・・・。
百尺もの高さの竿の先に立ったら、どのように動いたらよいのだろうか。
これはなまじっかの修行じゃわからん。
精力剤の話になって、なにかの酢漬けが効くということになった。
丸焼きのほうがうまいって言う説もあるが、あたしゃ共食いになっちまうから、どちらもそればっかりはお許しくだされ。
聞くとことによると、夫精や兎裸のを粉末にして淫(飲)すると、滅法効くと閨妍者が騙ってたといふが、ほ~んとかね~?
(オットセイやトラのナニを粉末にして飲むと、たいそう効くと経験者が語って・・・)
しっかしね~。私といへども慮るところこれあり、汝を疑うところまでは遠慮しもうしあげたといふに、さすが完熟までいっちまうあたりジッチャマの面目躍如、頭がさがります。
こないだ花は半開酒はほろよいなんてことが書かれていましたが、やっぱり行くところまで行って、そこから更に歩を進めるっていうんじゃなくてはネ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、な~んてね。
39.感心したジョシ
女子だか女大人だかは好きですが、そのジョシではありません。
女子に関する固有名詞はさわりがあるかも知れないので、書きません。(洛陽の女児は顔色を惜しみ ゆくゆく落花に遭いて 長嘆息す・・・年々再々)
助詞のお話しです。ですから、感心ではなく関心です。
てのひら「に」はかるのは「量る」で、てのひら「で」はかるのは「測る、計る」、なんだとか。
しからば、こころ「に」はかるのはなんでありましょう。
計る・図る・企る・測る・量る・諮る・謀る、なんでもありのように思えます。
格助詞?「に」は、ものの場所や動きの到達点または空間の位置を表す(ほかにもあったっけ?)のだったと思いますが、「で」は、朱弾(手段HAND RED)でしたかね?
赤球が出ちゃまずいかもしれませんが・・・
40.気を付けないと
朝TVを見ていたら、口うるさいコメントをする某評論家が「百年風を待つ」なんてことを言っていた。
ちょっと待ってくれ。
それは「百年河清を待つ」っていうんじゃないのかね。(黄河の水は、待っていてもなかなか清らかにはならない。)
で、チャンネルを変えたら、今度はクイズ番組などでなかなか博識ぶりを披露してくれる人が「殺生与奪の権」なんてことを言っていました。
多分、「生殺(せいさい)与奪の権」のことを言っているのだと思うけれど、パロって言っているようにはみえなかった。
コメントをする立場の人は、なかなか難しいの~。
41.巨タツ
そんなに大きくなくって炬燵だってば。
掘り炬燵 母の手握って 叱られる (彼女のとまちがえたんだとさ)
棒やはヨイコだ寝んねしな~。なんていってた頃が懐かしいむきばかりだと思うから、誤解を解くために、蛤の採り方について特に補足説明をしておきます。
膝くらいまでの深さの海でハ・マ・グ・リをとるときには、倒れないように棒を立てて杖代わりにし(棒は無くてもいいんだけど)、足を砂地にグリグリともみ込むようにして貝を探ります。
そのとき、足に貝の形で触るものは中身の無い所謂貝殻で、ゴツゴツと足裏に当るのが生きた貝というわけ。
すなわち立っているのです。(棒も貝も立っているのがよいのです。)
42.驚鴛(キョウエン)
鷲・鷹・隼・鳶・禿鷹・梟
鳩・燕・雀・四十雀・山雀・雉・葦きり、きりがないからこの辺にするが、世界中から鳥が集まって競演することになりました。
名づけて「鳥のオリンピック」
なに?そりゃ“トリノ オリンピック”のことなんじゃないかって?
だって、アナウンサーの声が鳥のオリンピックって聞こえるもん。
というのが、前回のオリンピックの時のことでした。
東南アジアには、ありがたい人が多い。今度鎌倉にいったら、ぜひその顕彰碑を訪ねようと思います。
その頃の産経抄に載っていた記事。
米国の大学などがBBCの依頼で行った33カ国4万人に対する世論調査によると、世界に好影響を与えていると一番に評価された国は日本だった。
この調査では、31の国で肯定評価が否定評価を上回り、うち20カ国では肯定派が過半数を占めたのだといい、日本肯定派が一番多かったのがインドネシア(85%)、次いでフィリピンの(79%)なのだとか。
43.古池や
夕立や カワズにとびこむ 百貨店・・・というのは落語。
古池や カワズ飛び込む 水の音
さて、カワズは何匹池に飛び込んだのでありましょうか。というのを真面目に議論する人たちがいるのだとか。
う~ん、一匹だとばかりおもってたけど・・・。
「ことびき」というのはカエルのことなんだという。知らなかった。
山川草木、万物に神が宿るとし、その霊力を感じていたご先祖さまは、実はすごいのだと思う。
すべてのものに神を見て敬い、自らのなかにもその神性があると無意識ではあっても感じているから、すべては一体のものととらえて他にもやさしくできるということかも。
44.読めたらエライ
「る守」「用い」「楽き」
ずっと前の産経新聞の談話室に載ってた投稿。小学二年生の漢字ドリルだそうです。
習ってない漢字は使わないからだというんですが、かえって難しいんじゃないの?
「るもり」じゃなんだかわからないし、「もちい」じゃないと言うし、「たのしき」なんても読んじゃあいけません。
「ルス」「ヨウイ」「ガッキ」と読むんだそうです。
ナッサケネー。こんなことをしてるから、国語力の低下は目を覆うばかりになっちまうんじゃ。
なめたらあかんぜよ。こんなくらいの漢字は、小一だって熟語で苦もなく覚える。
鷲等だって、もとい儂等(こんなくらいでも一発で変換しない)なんて、もっと難しいのを読み書きできていたんだから、いまのオマセさんたちにできない筈ないではないか。
45.宥める(なだめる)
とちることっていうのは、誰にでもあります。
折角なになにしたノニ・・・・というときには、ショックも大きい。
この“ノニ”っていうのが、心に与える影響力は大きいから、精神衛生上宥め方をうまくやらないとあとあとまで残るから油断がなりません。
私が大先輩方のお世話役で団体の会長ということになっていたとき、某大手旅行会社に依頼して企画した国内旅行の際のことです。
地方の有名美術館を訪ねるスケジュールを組んだのですが、行ってみたら休館日。おいおいそりゃ~ないよ。会長の面目まるっつぶれ。
しかしながら、そこは酸いも甘いも噛み分けた海千山千おっと失礼、経験豊富なお歴々は、旅行者の手落ちとはいへ、不手際を詫びる私に、「いいよいいよ、そういうことあるよ。また来ればいいよ。」と口々に言ってくれて、他の楽しみを見つけたのでした。
そんなことの後でも、上野に会社のある私をして、月曜日に上野美術館の前まで行き、門が閉まっているんでスゴスゴ帰るということがあります。
でも“ノニ”と言う風には思わないようにしています。きっと何か気づかせようという力が働いたんだと・・・。そしてホントに何か大事なことに気づくのであります。
46.平和から遠のく
米朝首脳会談が実現し、平和裏に事が治まれば良いと思いはするが、日本としては手放しで喜んでばかりはいられない。
拉致問題はどうなる?
北朝鮮の作戦通りに進んでいるのではないのかという疑念が、どうしても払拭できない。
反日中国寄りのパククネ大統領が倒され、もっと強烈な反日親北の大統領が選ばれたこと自体、北朝鮮の戦略の流れに乗ってしまっていたのではないのかと思える。
熱に浮かされたように前政権を倒した運動の背後にあったのは、北の思惑を呈した団体であったと言われている。
ムンジェイン大統領は就任するやいなや、国家情報院の解体を言っている。
この情報機関が監視していたのは、国の体制を崩しかねない共産主義活動家であり、軍や政府にその組織に属する者が入り込まないようにしていたのではないのか?
南北統一は、同一民族が一緒になるということでいえば良いことのように思える。
安全保障と外交を1本化することで、当面は政治体制はそのままにするということらしいが、一方的に思い込んでいるだけに過ぎないようにみえる。
韓国財閥も、南の技術力と北の安い労働力が加われば、もっと利益が出せるのではないかと北に言いくるめられてその気になってしまっているようだが、そんなわけにはいくまい。
国民も北の軍事力があれば、にっくき日本に対抗できると喜んでいるらしいが、韓国が統一国家を主導できると思いあがっていたら大きな間違いであろう。
選挙による民主主義国家になることなどは想像もできないし、言論の自由なぞ望むべくもない事態に陥るであろうことすら予測できないとしたら、愚かすぎる。
北の核が韓国に向けられることはないと言われて大喜びしているが、北の巧妙な戦略を見抜けるほどの国民ではないということは確かであろう。
日本の西側に接する隣国は、軍事力をちらつかせる共産主義国家ばかりだということになりかねないと覚悟しなくてはならない。
47.ちょっと見見分けがつかない字
「祟り」とは、神仏や怨霊(おんりょう)などによって災厄をこうむること。
罰(ばち)・科(とが)・障りと同義的に用いられることもある。
「山の神の祟り」などのように、自らの 行為の報いとして受ける災難。
「悪口を言うと、後の祟りが恐ろしい」などのようにも使われる。
しかし、「祟」という字は、「出」と「示」からなり、もともとは神が出てきて、雷や洪水など何らかの現象を起こすことで、人間に祭るように示すということを意味している。突然大きな災害をもたらすということはなく、小さな変化を起こすことで、気づきを促がしているのであるが、いつまでも気づかないでいると、わからせるために大きな変化を起こすということかも知れない。
似た漢字に崇めるという字がある。
崇めるとは、崇高という字が示す如く、けだかく尊いこと。また、そのさま、と辞書にはあるが、美的概念も加わるようである。
「崇」は、そもそもが高い山の意味。「祟」とは文字の成り立ちが違う。
48.あどけない子が
1月下旬、赤坂の日枝神社に新年会を兼ねて昇殿参拝するという仲間うちの集まりがあって出かけました。
集合時間にはまだ間があったので境内を巡っていると、ウイークデイということもあって参拝客はまばらであったが、まだヨチヨチ歩きの子がニコニコ機嫌よく歩いていました。
優しく見守っていた母親に尋ねると、一歳半だという。
実に愛らしい男の子であった。
手を差し伸べて此方に近寄って来ようとする足元には消え残った雪があって危ないので、こちらが側に行って、しばらく一緒に遊んだ。お祖父ちゃんと孫のような風情。
神前でのお払いが済んで、みんなでコーヒーでも飲もうということでレストランコーナーに行ったところ、先ほどの母子もそこにいました。
幼子ながら此方を覚えているらしく手をのばしてきたので、そのモミジのような手と握手しました。母親も嬉しそうにそれを見ていました。
普段から可愛がって育てられている子はすぐに判る。
育ちが良いから、周りの人からもかわいがられ、それは良い循環となって益々可愛がられることに繋がる。人に好かれるということは大事です。
49.天之御中主
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は、日本神話の神。
天地開闢(てんちかいびゃく)に関わった五柱の別天津神(ことあまつかみ)の一柱。
『古事記』では、天地開闢の際に高天原に最初に出現した神であるとしている。
その後高御産巣日神(たかみむすび)、神産巣日神(かみむすび)が現れ、すぐに姿を隠したとしている。この三柱の神を造化三神といい、性別のない「独神」(ひとりがみ)ということになっている。
天照大御神よりずっと前の神様ということになる。
創造神としては、国や民族によりヤハウエ・アッラー・ブラフマー・デミウルゴス・大日如来などが思い浮かぶが、壮大な神話と共にある。
日本で一番最初に名前が出てくる「天之御中主」の名前くらいは憶えていた方が良い。
名前をお呼びするだけで、助けてくれるのだと説く人も居る。
50.エルサルバドル
紛争を乗り越えて、隣国同士が友好関係を結ぶに至ったことに、日本が大きく関わっている。嬉しい記事を読みました。
(ジャイカの記事からです。)
エルサルバドルとホンジュラスの国境に架かる「日本・中米友好橋(エル・アマティージョ橋)」というのがある。橋の入り口には「日本と中南米の友好橋」と書かれている。
これは、日本の無償資金協力により建設されたもので、長さは約170メートル。両国間の国境にかかるこの橋は、パナマ運河に代わる物流の新たなルートとして注目されているだけでなく、今後2ヵ国が友好的な関係を築く願いが込められています。
1960年代、両国間には国境問題に加え、エルサルバドル政府が工業化の推進と大土地所有制を維持するため、貧しい農民をホンジュラスへ移民させたことから関係が悪化していきました。
そうした中、1969年のFIFAワールドカップメキシコ大会出場をかけたプレーオフが発端で、エルサルバドル・ホンジュラス戦争(100時間戦争、またはサッカー戦争とも呼ばれる)が起こりました。この戦争は米州機構の調停により停戦しましたが、ホンジュラスから農民たちが追い返されてきたり、ゲリラ連合組織「ファラブンド・マルチ民族解放戦線(FMLN)」が台頭したりと、エルサルバドルの情勢は不安定になりました。やがて、エルサルバドルは貧困と内戦に苦しむ時代を迎えます。
停戦となってから両国間で平和条約が締結されるまで、10年の歳月を必要としたうえに、懸案となっていた国境線が確定、合意されたのは2006年のことでした。
現在、エルサルバドルのラ・ウニオン港からホンジュラスのコルテス港まで、太平洋と大西洋を陸路で結ぶルートである「ドライ・カナル」が整備され、国境にかかる橋は、パナマ運河に代わる物流の新たなルートとして注目されています。
橋の竣工式には、エルサルバドルのサカ大統領、ホンジュラスのセラヤ大統領および外務大臣、事業に関わった両国の公共事業大臣、中米統合機構事務局長、地元市長、在エルサルバドル、ホンジュラス両国の日本大使が参加。さらには近隣国のグアテマラ外務大臣も参加し、40度近い猛暑にもかかわらず、報道関係者を含めた数百人もの観客が集まりました。
スピーチでは、ホンジュラス、エルサルバドル両国の大統領、グアテマラ外務大臣の3者が、日本の協力への厚い謝辞を述べるとともに、他の中米諸国が今日の世界経済危機に対応していくためには、政治、経済、社会とさまざまな面での連携が必要であると強調しました。
戦争勃発から40年、日本の協力でできた「日本・中米友好橋」が、中米地域の安定や発展、平和の架け橋となるよう、JICAは今後も支援していきます。
ホンジュラス事務所
こういうニュースを見ると、日本も諸外国に役立つ貢献をしているのだと、嬉しくなる。
エッセイ「普通に考えてみると(三)」 @SyakujiiOusin
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