空ではなく海に尽きる

エリー.ファー

空ではなく海に尽きる

 もう、戦わなくていいそうだ。

 そんなこと言われても、困るのだけれど、もう、戦いは終わったそうだ。

 戦争は完結した。

 戦争という物語は最終話になったそうだ。

 逃げも隠れもしないという凡そ、まともではない建前をすべて消し去って、私はこのまま日本に帰国することになりそうだ。

 別に誰も殺さなかったし、別に何もしなかったけれど、これで日本に帰れるそうだ。

 良かった。

「良かった。良かった。これで、おら、母ちゃんのとこにけえれるだ。」

「良かったなぁ、良かったなぁ。これで生き残れたなぁ。」

「戦争が終わってくれてよかった。本当に良かった。」

「負けはしたけど、これで帰れるなら、ありがたいことはないよ。いやぁ、本当に良かった。」

「友達をたくさんなくしちまったけどな。」

「あぁ、もう、心がすり減っちまって跡形もない。早く日本の土を踏んで、心を取り戻したい。」

 そう。

 そんな感じなんだ。

 私には分からない。

 確かに、戦争は悲惨だったし、それはそれは多くの人が亡くなって、おそらく親戚の何人かも、家族の何人かも亡くなったとは思う。

 けれど。

 泣くほどか。

 よく分からない。

 戦争というものの悲惨さをアピールしすぎて、皆、冷静になれていないんじゃないのか。そもそも、戦争とかそういうものの前に、多かれ少なかれ、こういう側面は人生にあったと思う。それがただ、目の前で起きる光景になったことと、期間が短くなったということに過ぎない。

 それに。

 これで本当に戦争が終わるのか。

 皆、安心しすぎなんじゃないのか。

 だって、戦争は殺し合いであって、それ以上のものではない。そこに、色々なものを自分たちで乗せすぎている。愛とか正義とか、愛国心とか、そういうのを勝手に自分の中で作り出して、もしくは言われて作り出して戦うのは結構だけれど、その線に乗って考えるなら、こんなアバウトな形で戦争なんて終われるのか。

 戦って、死ね。

 死んでも、戦え。

 勝つまで戦え。

 戦え、勝てるまで。

 そう言われて命を燃やしてきたわけで、この熱を今更簡単には消すことができなくて、さまよう人もいるんじゃないのか。

 人が人を殺す、ということの興奮を忘れられない人もいるんじゃないのか。

 戦争というイベントの発生によって結果として、平和な時だったら明らかに変人扱いだった人間が、英雄になっているんじゃないのか。

 それらを。

 どう。

 どうやって。

 片づけたり、処理したり、納得させるつもりなんだ。

 戦争というキーワードに乗せられて、踊って、泣いて、苦しんで。その結果、戦争というもの自体を趣味や、娯楽のレベルにまで格下げした方が、凡そまともに平和を得ることができるんじゃないのか。

 最適化された手段は、もう、分かっているのに、倫理や道徳が邪魔しているんじゃないのか。

 戦争だから、反対しよう。

 戦争だから、悲惨であろう。

 戦争だから、悲しもう。

 思考停止の上に乗った戦争反対という言葉の真意に気づいているのに、何故、誰もそのことを言わないのか。

「お前も、嬉しいだろう、帰れて。」

 私は苦笑する。

「あぁ。そうだな。」

 そのうち、世界は本当に平和になり、戦争など跡形もなくなる。

 第六次世界大戦から数十年が経っても、いまだに私はあの時の感情を覚えている。

 戦争には反対だ。

 しかし。

 しかし、なのだ。

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