探し物
高橋 紫苑
探し物
五月中旬。年々気温が上がり、五月でも暑いと感じるようになった。
これから更に暑くなることを考えると憂鬱な気分になる。
そんなある日の朝。いつものように、俺は大学の講義を受けるために自転車で大学へと向かっていた。その通学路の途中にトラックが一台ギリギリ通れる程の狭い道がある。そこで気になるものが目に映った。
猫である。
猫がいること自体は特に気にならない。むしろ、この地域では猫はよく見かけるため珍しいことではない。見た目も黒と白が入り混じっている黒白猫で、どこにでもいる種類だ。
しかし、俺は気になった。なぜなら、その猫は道の端に座り、じっとどこかを見つめているからだ。猫の見ている方向を俺もちらっと見たが特に何もない。田んぼが続いているだけだ。その猫を見ていた時間はその猫の横を通り過ぎるまでの約五秒の間だけだったが、何故かとても印象に残った。
今日の講義が全て終わった。一年生は必修の授業が多く、自分で決めて取れる講義が少ない。それによって、一日ぎっしり講義が入っている日が出来てしまった。それがちょうど今日である。疲れた身体を引きずって自転車に乗った時、ふと朝の猫を思い出した。まだあの猫はいるのだろうか。すっかりあの黒白猫に興味を持った俺は疲れていることを忘れて、いつもより少しだけ早く自転車を漕いであの道へ向かう。
しかし、その猫はもういなかった。よく考えてみれば当然だ。猫だってさすがに朝からずっとここにいるわけがない。俺は自分にそう言い聞かせるが、予想以上にあの猫と会うことを期待していたらしく、その日は気分が落ち込んだ。
翌朝、例の道に昨日と同じ黒白猫が昨日と同じ姿勢でまたどこかを見つめていた。あの猫にはもう会えないかもしれないとがっかりしていたため、正直驚いた。
よく猫を見ると、どこかを見つめているというよりも何かを待っているように見えた。一体何を待っているのか。この猫の行動を追ってみたい衝動に駆られたが、講義の時間が迫っていたので諦めた。講義は今までまだ一度もサボったことがないので、ここで講義をサボるわけにはいかなかった。未練がましく、ゆっくりと自転車で猫の横を通り過ぎる。しかし、元々今日の講義はそこまできつくないことと、また猫に会えたことが俺の気分を高揚させていた。また明日の朝会えるかもしれない。そんな期待を抱き、気持ちを切り替えて自転車のペダルを力強く漕いだ。
「よっ、平田! ご機嫌だな!」
大学の食堂にて一人でから揚げ定食を食べていると、俺の目の前にサバの味噌煮定食と共に来た奴がいた。
「藤本か。まあ、ちょっと楽しみなことができてな。加えて、今日の講義はきつくないから気分が良い」
「ほぉ? もしかして……やっと好きな人ができたか?」
「全然違う。お前はなぜ毎回すぐに色恋沙汰につなげようとする」
「お前からそういう話全然聞かないから心配でよ。実は女ではなく男が……」
「断じて違う! 俺に変な設定つけようとするな!」
俺の目の前でサバの味噌煮定食を食べながら俺に変な設定をつけようとしてくるこの男の名前は藤本寛太。俺が高校の時にできた親友だ。藤本には悪いが、藤本は俺と同じでイケメンではない。しかし、俺と違うところがある。それは服や髪などのファッションに気を遣っているところだ。服は高校の時からオシャレだったが、大学に入って髪を茶髪に染め、高校の時以上に髪型をカッコ良くしてきた。そのおかげか、さっきまで俺一人の時には全くなかった女子の視線が、藤本が来た後からチラチラとこちらに向けられる。くそ、少しうらやま……
「女子からの視線が羨ましいか?」
「そ、そんなわけないだろ!」
まるで俺の心を読んだかのようなタイミングである。見た目でもコミュ力でも俺では藤本には敵わないことを痛感させられる。
「そういえば、お前の名前って健司だよな」
「ああ、そうだけど。今さらどうした?」
「確か、『けんじ』って名前の男は同性を好きになる率が高かったような……」
なんと。そんなこと初めて知った。それでは本当に誤解されてしまうかもしれないじゃないか。俺に名前をつけた親を恨むぞ。
「なーんてね! うっそぴょーん!」
前言撤回。こいつを怨み殺す。
「それよりも、楽しみなことって何だ?」
こいつから話を逸らしておいて急に戻ってきやがった。いつものことだからいちいち気にしないが。
「実はお気に入りの猫を見つけてな。明日も会えるかもしれないから、それを楽しみにしている」
「なんだと……とうとう人外が対象に……!」
「いい加減にしろ。話が進まないまま昼休みが終わる」
「それもそうだな」
前言撤回。やっぱりいちいち気になるので後で一発殴る。
「なんでその猫がお気に入りに? 珍しい種類だとか?」
「いや、普通に黒白の猫だ。ただ、通学路の同じ場所で二日連続会った。しかも、その猫何かを待っているような雰囲気でな。それで気になった」
「何かを待っている……? 飼い主とかか?」
「そこまではわからねぇよ。俺には猫の気持ちはわからない」
「そりゃあそうか。まあ、何はともあれ、久しぶりに明るいお前を見れてよかったぜ。大学に入ってからのお前はなんとなく暗かったからな。猫で元気になったならよかった、よかった! 猫に感謝しなくちゃな!」
いつの間にかサバの味噌煮定食を食べ終わっていた藤本はそう言い残し去っていった。
藤本は、一見遊んでばかりいて、人をすぐにからかってくるようなろくでもない人のような行動をするが、根は優しくて真面目なやつだ。俺はあからさまに暗い雰囲気を出していたわけでもないのに、そこに気づいて気にかけてくれた。口では絶対言わないが、俺は心の中でいつも感謝している。
「って、時間やばい! 講義に遅刻する!」
俺は慌ててから揚げ定食を食べ、なんとか遅刻せずに講義に出ることができた。
あいつが話を逸らしたのが原因だろう。
……やっぱり後で一発殴ろう。
感謝はしているが、それとこれは話が別だ。
今日はサークル活動がある日だ。しかし、こんな気分が良い日にサークル活動に出たくなかった。最近、サークル内は嫌な雰囲気で正直近づきたくない。
それよりも、早くあの道を通りたかった。昨日猫はいなかったので今日もいない可能性が高いが、それでも少し期待する気持ちは抑えきれない。
「いないか……」
やはり猫はいなかった。予想はできていたが、期待していたため落胆が大きかった。だが、明日の朝には会えると信じて俺は颯爽と家へ帰った。
その日の夜、俺は遠足が楽しみで寝られない小学生のように、明日の朝が楽しみでなかなか寝付けなかった。どうしてここまで俺はあの猫に夢中なのか。自分でもわからなかったが、この気持ちはきっと失わなくていいものだろう。藤本が言っていたようにあの猫に感謝する必要がある。明日会えたら心の中で感謝することを決めた。
翌朝。例の道に猫はいなかった。会えることをとても期待していたので昨日以上のショックが襲ってくる。よくよく考えれば猫が二日連続いたのはただの偶然だったのかもしれない。もしくは、待っていたものが来たのかもしれない。どちらにしろ、あの猫にもう会えないかもしれないという事実が俺を憂鬱な気分にさせる。
その日の講義が全て終わり、俺は自転車置き場へと向かっていた。相変わらず例の猫に会えないショックは抱えたままだった。これでは、また藤本に暗いぞと言われてしまう。何か楽しいことでも見つけて気分を変えよう。
俺がそんなことを決めた時だった。
目の前に気になる女の人がいた。彼女は俺と同じぐらいの年齢だろう。長い黒髪と白いワンピースが妙に合っていた。周りをキョロキョロと見ていて何がしたいのかはわからないが、この大学の人ではないような気がした。大学内で見かけたことさえないことも関係あるだろうが、大学は案外広いので見かけたことがない学生なんて何人もいるだろう。よって、ほとんどただの直感である。
気になったからと言って話しかけるわけがない。いつもの俺ならば。
しかし、なぜかその日の俺は彼女に声をかけていた。
「あの、何かお困りですか……?」
俺が問うと、彼女は驚いて俺の方へと振り返る。
「えっ、あっ、す、すみませ~ん!」
そして全速力で逃げた。
まあ、知らない人から急に声かけられたら逃げたいよな。特に、女の人が男に話しかけられたらまず疑うのはナンパだろうし……
「やらかした……」
その日は気分を変えることなどできず、ずっと落ち込んでいたということは言うまでもないだろう。
翌朝、朝食を食べながら俺は昨日の女の人のことを考えていた。確かに彼女は可愛かったが、気になったのは可愛かったからではない。ただ、なんとなく気になって印象に残っているだけだ。もしかしたら、長い黒髪と白いワンピースがあの猫を思わせるからか。それが一番納得いく理由のはずだが、俺は違和感を覚えた。しかし、そこをあまり気にすると昨日の暗い気持ちを思い出してまた憂鬱になるだけである。俺は違和感を朝食と共に飲み込んだ。
俺は過度な期待をせずにあの道を通ることにした。昨日あの猫はいなかったのだ。今日いる可能性は少ないだろう。
しかし、人生とは予想外の出来事がいくつも起こるものだ。俺はその光景を見てそんな言葉が浮かんだ。
昨日の女の人が、あの猫がいた場所と同じ場所に立っている。加えて、彼女はあの猫が見ていた方向と同じ方向を見ていた。デザインは少し違うが、昨日とほとんど同じ白いワンピースを身に着けている。どんな顔をしているのかはよく見えないが、何だかすぐにでも儚く散ってしまいそうな雰囲気だ。普通の道に人が一人いるだけ。しかし、とても幻想的な光景だった。
俺はその光景を一生覚えているだろう。そう思わせるほどのものだった。
「何を見ているの……?」
昨日のことなどすっかり忘れ、俺は思わず彼女に声をかけていた。
しまった、これじゃまるでストーカーみたいじゃないか。また逃げられてしまうだろう。
だが、人生とは予想外の出来事がいくつも起こるものだ。俺は今日の出来事を語るだけでこの言葉を証明できるだろう。
なんと、彼女は逃げずに俺の目をじっと見つめてきたのだ。昨日のように慌てている様子もなく、俺がどんな人間なのかを探るように。
時間にしたら数秒。しかし、俺には長く感じた。
彼女は一度目を閉じ、深呼吸をした。そして、何かを決心したような顔をしてまたも予想外の出来事を起こしてくる。
「あの、人探しをしています。よかったら手伝ってくれませんか?」
驚いた。昨日お困りですかと尋ねたのは俺だが、見ず知らずの俺に頼みごとをしてくるとは思わなかった。しかも人探し。人探しとなると自分のとてもプライバシーな部分に関わるだろう。この人はそれだけ切羽詰まっていて、追い詰められているのかもしれない。
「誰を探しているの?」
「それは……」
彼女は答えづらそうに顔を伏せてしまった。
当然だ。知らない人にプライバシーは知られたくないだろう。自分でさっき考えてたばかりじゃないか。
「答えたくないなら答えなくても大丈夫。その人の外見とか、他人が見て分かるような特徴を教えてくれれば探すのを手伝うよ」
「あ、ありがとうございます!」
彼女は安堵を含んだ明るい笑顔でお礼を言った。
「それで、特徴ですよね。特徴は……若くて綺麗な女の人です!」
「…………」
「…………」
「えっ? それだけ?」
「えーと、はい、それだけです……。髪型や髪の色は変えているかもしれないので参考にならないかなと思いまして……」
この人は天然なのだろうか。それとも実は俺がおかしいのだろうか。若くて綺麗な女の人だけでも参考にはならないし、探したくても探せないだろう。
俺の唖然とした顔を見て、彼女は慌てて何かを考え込んだ。おそらく他に何かなかったか思い出しているのだろう。
「あっ! そういえば、いつもイルカのネックレスをしていました!」
「それを今は外しているという可能性はない?」
「ないと思います! とても大切なものらしくて、肌身離さずつけていましたから!」
とりあえず、最低限の情報は揃った。いつもイルカのネックレスをしている若くて綺麗な女性。これだけの情報で探すのは大変だがやってみるしかないだろう。
若い女性ということは、この人の妹か姉だろうか。しかし、家族なのに連絡を取れないのはおかしい。何か特殊な事情があるのだろうか。どちらにせよ、彼女のプライバシーに関わることだ。俺はこれ以上詮索しないことを決めた。
「とりあえず、連絡先を交換しよう」
「えーと……」
俺の言葉に彼女は困ったような顔を示した。
これは俺と連絡先を交換するのは嫌だということだろうか。しかし、こればかりはどうしようもない。連絡を取る手段がなければ、仮に探し人を見つけても連絡できないのだから。
「実は私、その、ケータイ、を持っていなくて……」
二度あることは三度ある。有名なこの言葉を体験した瞬間だった。彼女は俺の予想外の事実を伝えてきた。
彼女は俺と年齢はそう変わらないだろう。大学生なのか、社会人なのかはわからないが、どちらにしてもケータイは必要になるはずだ。彼女にはまだ謎が色々あるが、世の中にはそういう人もいるだろうと俺は納得することにした。
しかし、そうなると連絡方法が問題になる。
「それじゃあ、連絡はどう取ればいい?」
「そうですね……あなたと昨日会った大学にある図書館の一階が誰でも使えるフリースペースでしたよね。私はこれから毎日十二時ごろにそこに行くので、用事がある時は十二時ごろにそこに来てください」
「わかった」
緊急の連絡がある場合は対応できなくなってしまうが、連絡手段をつくれただけでも良かった。
「あっ、そろそろ行かないと講義に間に合わない! じゃあまた後で!」
「すみません! 最後に一つだけいいですか?」
「いいよ。何?」
「お名前を教えてもらってもいいでしょうか?」
そういえばまだお互いの名前も知らなかった。俺はバカだ。彼女の探し人が誰なのか、なぜケータイを持っていないか。それらを考えるよりも先に、彼女の名前とか基本的なことを知らなければならないだろ。
「俺の名前は平田健司。君の名前は?」
「私の名前はミカです。これからよろしくお願いします。」
ミカ。それが彼女の名前。どういう漢字を書くかはわからないが、それは後で機会がある時に聞けばいいだろう。
「こちらこそ、よろしく。それじゃあ、今度こそ行くよ」
「はい!」
今度こそ大学へ向かう俺を彼女は明るい笑顔で見送ってくれた。今日は良い一日になる予感がした。いや、もうなっている、が正しいのか。
その日の十二時。俺は大学の図書館の一階にいた。彼女、ミカに一つ確認し忘れていたことがあったからだ。そこまで大きい図書館ではないので、すぐにミカを見つけることができた。
「早速、確認したいことがあって来た」
「はい、何でしょう?」
「まず、俺の他にも協力者っているの?」
「いえ、平田さんだけです」
「他の人にもミカのことを伝えて、協力者を増やすのは大丈夫?」
「はい、大丈夫です! むしろ、人は多い方が助かります! ただ、伝えるのは平田くんが信頼している人だけにしてください」
二人だけではさすがに見つかる気がしなかったので、協力者を増やす許可をもらえてよかった。ミカが元々は一人で探そうとしていたのだとしたら、さすがに無謀すぎると今更ながら感じた。やはり、かなり追い詰められていたのだろう。
「わかった。それじゃあ、早速増やしに行ってくる」
俺はミカにそれだけ告げて、すぐにある所へと向かった。
俺が来たのは散歩愛好会というサークルの部室だ。俺はこのサークルに所属している。だからといって特別散歩が好きというわけでもない。他のメンバーもそんなもので、活動内容も少なくサークル内の目的も特にない、ただ遊ぶためのサークルだ。
「平田か。昨日部会に来なかったけど何かあったのか?」
部室の中に入ると目的の人物がそこにいた。
名前は天井陸。体型はガリガリに痩せ細っていて、いつも黒ぶちの眼鏡をかけている。髪は伸ばしっぱなしで、いつもボサボサしている。そのため、一見すると陰湿なやつとしか見られない。考え方が歪んでいる部分もあるのである意味間違ってはいないが、基本良いやつなので心配はない。
「まあ、色々あってな。それよりも、次の講義一緒だろ? 一緒に教室向かおうぜ」
「まだ早くないか?」
「話したいことがあるから、早めに行っておきたい」
「りょーかい」
天井はのんびりとした声を出しながらバッグを持ち、俺と一緒に部室を出た。
「そのミカっていう人に頼まれて、人探しをすることになった、と?」
俺は教室に着いてすぐにミカの人探しのことを伝えた。
「そういうことだ。できれば、お前にも手伝ってもらいたい。町でさっき言ったような人を見かけたら俺に伝えてくれるだけでいい。どうだ?」
「まあ、それだけだったら別にいいが……イルカのネックレスをした若くて綺麗な女性っていうだけじゃ探すの難しくないか?」
「やっぱりそうだよな……」
「地道に探したら見つかるかもしれないが、どれぐらい時間がかかるか」
そんなことはわかっている。しかし、ミカの手助けをしたかった。不思議とそんな気持ちが湧いてくるのだ。
「もしかして、平田……そのミカって人のことが好きなのか?」
「それは違う」
恋とは違う。それは断言できた。これはそういう感情ではない。
「何だよ、違うのか。お前から全くそういう話聞かないから心配だ」
「天井、俺はお前からも聞いたことがない」
「俺はそもそも恋愛に興味ないからな。今のところ、一生独身でいるつもりだしな」
俺はジト目で反論したが、天井にいとも簡単に返されてしまった。
その返しに、反論できなかった。俺は恋愛に興味がないわけではないからだ。異性のことにそれなりに興味はあるし、カップルを見かければ俺も彼女がいたらなと羨ましくなる。異性との出会いがないわけでもない。講義を一緒に受けたり、サークルで一緒に遊んだりする人たちの中にちゃんと異性はいる。
ただ、わからないのだ。特定の人に夢中になったり、ドキドキするということが。小学校の時に好きな人はいたが、今考えるとあれは恋ではなかった。好きな人がいるのは当たり前みたいな雰囲気だったので、使命感とでもいうべきものから好きになっただけだ。
この悩みが解消されない限り、俺は恋愛をしないまま終わるだろう。
それにしても、藤本だけでなく天井にも心配されるとは。心配されている内容は違ったが。俺ってそんなに心配されるような人間だったのか。もう少ししっかりしないといけないのかもしれないな……。
俺は藤本に連絡を取り、講義が全て終わった後に会うことにした。
「よっ、待たせたな」
「本当に待ったぞ。約束の時間から三十分も過ぎてる」
「悪い、同じサークルの人たちに捕まっててな。もっと早く抜け出せてればよかったが、なかなかあいつらも巧妙で……」
「長くなりそうだからそこで止めておけ」
「くっ、ばれたか!」
事前に藤本の長話を中断させ、藤本にもミカの人探しのことを伝えた。伝えると、藤本はあることを俺に訊く。
「もしかして、平田……そのミカっていう人のことすグフォッ!?」
最後まで言われる前に腹パンを入れておく。
「昼にも同じこと言われたから予想済みだ。言っておくが、違うからな」
「そうか、残念だ……」
「それで、協力してくれるのか?」
「ああ、喜んで協力させてもらうぜ! 平田の恋路を!」
もう一発腹パンを入れておく。
何はともあれ、藤本にも協力してもらえることになった。
こうして協力者が増え、本格的に人探しが始まった。
数日後。俺が大学構内を歩いていると、ミカがベンチに座っているところを見つけた。
「こんなところでどうした?」
「あっ、平田さん。ちょっと疲れたので休憩していました」
「それなら図書館一階のところで休憩すればいいのに……」
今日は暑いので外に座っていては余計体力を奪われそうだ。
「私はここの学生ではないですし、あそこは一人で座るようなところではなさそうなので一人で一つのテーブルを占領しているのは何だか悪くて……」
「だったら休憩する時は喫茶店とかで休めば? ちょうどここの近くにあるよ」
「私、持っているお金がそもそも少なくて……節約しないといけません」
「それなら俺が奢るから、一緒に喫茶店に行かないか?」
この暑い中、さすがに外のベンチに座らせたままなのは気が引けた。
「そんな、悪いですよ!」
「気にしないで。ほら、行こう」
「わ、わかりました」
「ごゆっくりどうぞ」
俺とミカの席にアイスティーを二つ置いて、店員は離れていく。
「………………」
「………………」
しかし、店員がいなくなってもお互い何も言葉を発しない。誘ったのはいいものの、何を話していいのか正直わからなかった。いきなりプライバシーに関わることを訊くわけにもいかない。どうしたものか。
俺はとりあえずアイスティーを一口飲んだ。それと同時にミカが口を開く。
「迷っています」
「え?」
「本当に探していいのかどうか」
それはどういうことだろう。その人を探すために見ず知らずの俺にもわざわざ協力を頼むぐらいだ。どうしてもその人を見つけ出したいはずだ。
「私が探している人と私が離れ離れになったのは突然でした。いえ、正確には前触れはありました。だけど、私はそれが見えないふりをしていました。その人はつらい状況だったのに何もしてあげずに。だから迷っています。そんな私がその人に会ったところで、その人は私のことを拒絶するのではないかと。私に探してほしくなかったと……」
彼女にとってその探し人はとても大切な人なのだろう。そのことが探し人のことを話す雰囲気から分かる。だからこそ迷っているのだろう。探すことが本当にその人のためになるのか。これ以上関わらない方がその人のためになるのではないか。
「それはありえないだろ」
しかし、俺はその可能性を否定する。
「なぜですか……?」
「ミカがその人のことを大切だと思っているのが今すごく伝わってきた。俺にこんなに簡単にわかるなら、その人なら一層そのことが分かっているはずだ。だから、ミカを拒絶することなんてありえない」
俺はミカの探し人のことを何も知らない。その人がミカにどう接して、どう思っていたのかも当然知らない。もしかしたら、ミカが言った可能性もありえるのかもしれない。しかし、あえて俺は完全に否定する。綺麗事を言う。時に不安は人を押しつぶしてしまうから。それはダメだ。
少なくとも、今は、
「色々なことにあがきながら探そう」
「あがきながら探す……」
ミカはその言葉を自分で口に出して、飲み込んだようだ。そして、何かを決心したような顔をする。
「そうですよね! 今はあがいて、あがいて、探すしかないですよね! あれこれ考えるのは見つけて、会ってから!」
ミカの中でもう迷いは消えたようだ。こんな俺でも少しは役に立てたようだ。
そこで俺はふと思い出した。ミカが図書館一階のテーブルを使うことを遠慮していたことを。ミカは昼休みに毎回気まずい思いをしているのかもしれない。だったら、俺がやることは一つだ。
「平日の昼は、できるだけ毎日図書館の一階に行くようにするよ」
「えっ、突然何の話ですか?」
「一人であそこにいると気まずいって言ってたの思い出したから。俺も一緒にいれば気まずくないだろ?」
「そんな、わざわざ悪いですよ! 私のわがままで協力してもらっているのに……」
「あまりそういうこと気にしないでくれ。俺がそうしたいからそうしているだけだ」
俺は明日から行くことを少し強引に約束した。その後は、少し雑談をしてから喫茶店を出て別れた。
時は流れ、六月になった。梅雨の時期で雨が降る日々が続く。
ミカの人探しはあまり進まなかったが、一方で俺とミカは友達になっていた。平日の昼はほぼ毎日図書館で会い、外のどんよりとした空とは反対に、楽しく明るい時間を過ごしていた。最初はミカのためにしていたことだったが、最近はむしろ俺自身のためになっている。平日の昼にミカと会えるのが俺の楽しみになっていた。
しかし、良いことが起これば悪いことも起きるのが人生だ。
俺にとって憂鬱なことが一つあった。
俺と他数人の部員が散歩愛好会の部室にいた。俺は部室にある面白い雑学本を読むためにいたのだが、他の人たちは何やら誰かの愚痴を言っているらしかった。俺が嫌いな雰囲気だった。人の悪いところしか見ず、どうにかしてその人のことを蹴落とそうとする雰囲気。エスカレートすると、憶測だけでその人のことを悪く言い始める。
とにかく、俺はそこに関わることがないように意識を本に集中させていた。
しかし、突然俺に話が振られた。
「ねぇ、平田くんも聞いて!」
「お、おう……」
あまり気は進まなかったが聞かないと後々面倒くさそうなので聞くことにする。
「うちのサークルの戸塚先輩いるでしょ? 体つきは良い方の男の先輩。あの先輩、女遊びがひどいらしいの。数人の女の人と同時に付き合ったりとか普通にするらしいよ」
それは確かにひどい話だ。その先輩と付き合う女性にとっては冗談ではないだろう。
「それで、最近私あの先輩からいやらしい目で見られてて……」
「そうそう! 瀬戸ちゃんを見る先輩の目ヤバイよね!」
「俺も、戸塚先輩は瀬戸を狙ってるなと前から思ってたぜ!」
なるほど。そういうことか。女遊びがひどい戸塚先輩に狙われてる瀬戸が自分に賛同してくれる人たちと戸塚先輩を蹴落としていたのか。これだけ聞くと、確かに狙われてる瀬戸はどうにかして戸塚先輩から遠ざかる必要はあるだろう。
「そもそも、あの先輩最初から何か怪しかったよね~」
「確かに! やっと正体を現したって感じ!」
「化けの皮がはがれたってことだな……よし、いざって時は俺が守ってやるからな!」
その後も瀬戸とその仲間たちは戸塚先輩のことを言い続けていたが、俺は会話に参加しなかった。こいつらの目的が戸塚先輩を共通の敵にして結束し、あわよくばそれぞれの思惑も成功させようということであるのがわかったからだ。
瀬戸は自分の仲間をつくること。取り巻きの女たちは権力が強い瀬戸に媚を売っておき、後に利用すること。男たちの方は、瀬戸に近づいてあわよくば親しい関係になること。
加えて、情報の真偽をちゃんと確かめているのかどうかさえ怪しい。根拠のない噂を信じ込み、その場の感情に流されているように見える。その勢いに任せて、他人を追い詰めようとしている光景は正直見ていられない。
気持ち悪かった。人が醜いことは前々からわかっている。それを認識しなければこの世の中生きていけない。しかし、目の前で改めて見ると醜さを強く感じてしまい、気持ち悪かった。これ以上は見ていられない。
俺はタイミングを見計らって早々に部室から出た。
「なるほど、今うちのサークルはそんなことになっているのか」
俺は講義が入っていない時間に天井と会っていた。サークルの今の人間関係と、今後戸塚先輩がどのようになるのかの予想を伝えた。
「確かに戸塚先輩は徹底的に追い詰められそうだな、お前の予想通り。だが、それは普通だろ。散々女で遊んできたなら、その報いだろ?」
「それが本当ならな。もしその話自体が嘘なら……」
「なら、平田、お前は調べるのか? それが本当かどうかを。戸塚先輩を助けるために」
「それは……」
「助ける気がないなら何も言うな。ただの偽善者に成り下がるぞ」
天井の言うとおりだ。俺は戸塚先輩を助ける気はない。なぜなら、ここまで事が進んでいると助けようとする俺にどんな災難が降りかかってくるのかわからない。
人間の中には自分が思っていた通りに事が進まないと無理やり自分にとって良い方向に事を進めようとする人間がいる。俺は瀬戸がそのタイプだと今までのことから確信していた。俺が戸塚先輩のことを助けようとしたら、今度は俺を戸塚先輩と一緒に蹴落とそうとするだろう。
そして、そもそも戸塚先輩の女遊びがひどいことが本当か嘘なのかがわからない。ありえない話ではないため、どっちなのかがわからない。戸塚先輩のことをもっとよく知っていれば何かしらの確信が持てたかもしれないが、残念ながら俺は全く知らない。
「天井は、何も感じないのか?」
「お前よりは感じていないだろうな。俺は自己中だからな。相手がなんと言おうと自分が思ったことが第一で、自分がしたいことを自由にする」
天井は自分のことをこんな風に言うが、こいつは自己中とは違う。自分の中に確固たる意思を持っていて、誰かによって揺らぐことがないのだ。風船のようにふらふらと浮かんでどこか遠くへ行ってしまうような意思しか持っていない俺にとってはそれが羨ましい。
数日後。散歩愛好会の部会がある日だった。天井は俺から状況を聞いていたので、休んでいた。今日の部会に出ても何も有意義なことはなさそうなのだから当たり前だ。俺も休みたかった。しかし、出ることにした。一応最後まで見届けるために。変な正義感を抱いた偽善者である自分を罰すために。
結果から言うと、表面上は何も起こらなかった。ただ、瀬戸たちがなんとなく戸塚先輩を敬遠してる雰囲気に全員気づいた。それが気になった人は瀬戸たちに事情を訊く。事情がわかった人たちは瀬戸の仲間になる。こうして、外堀から徐々に戸塚先輩が攻められることになるのは明白だった。
俺は何も関わらないようにし、様子を見届けるだけだった。
翌日の昼休み。俺はいつも通りミカと会っていた。いや、正確にはいつも通りではないが。俺はサークルのことで、精神的に疲労していた。それがミカにばれないように話している。
話が一段落したところで、昼休みがもう終わりそうだった。
「じゃあ、そろそろ講義に行くよ」
「あっ、最後にいいですか?」
「なに?」
「今日一緒にそこの喫茶店に行きませんか? 今日は私が奢ります!」
「いや、それは……」
「大丈夫です! 私が日雇いバイトで稼いでいることは知っているでしょう?」
実はそうなのだ。ミカは日雇いバイトをすることで金銭面の問題はクリアしていた。
しかし、奢ってもらうのは何だか悪い。
「それでも、なんか悪いし……」
「じゃあ、四時に喫茶店で待ってます!」
断ろうとしたが、ミカはその前に強引に約束を取り付けてしまった。ミカがなぜ急にあの喫茶店に行こうと言ったのかはわからないが、四時に俺も行くしかないだろう。
俺とミカは二人ともまたアイスティーを頼み、向かい合って座っていた。
「それで、平田くんはどうしましたか?」
「どうしたのって、何が?」
「数日前から様子がおかしかったですけど、今日は特におかしかったので何かあったのかなと思いまして……」
ミカにはとっくに見抜かれていたようだ。
どうせばれてしまったので、サークルであった出来事を正直に全て話した。
「それは私も嫌な気分になります。やり方が姑息ですし、自分が優位に立とうっていう魂胆が丸見えなところがまた嫌ですね」
ミカは俺に賛同してくれた。しかし、俺の気分は全くスッキリしなかった。
「気分は全然晴れてなさそうですね」
そのこともミカにはすぐに見抜かれてしまった。ミカは天然な部分があるが、こういうことには鋭いのだろう。
「俺はどうすればいいかわからない。俺に何もできないことはわかっているのに、どうにかしたいという偽善者の考えだけ浮かんで……もう何も分からない」
「あがくしかないじゃないですか」
「えっ……?」
「私が迷っているときに平田くんが言ってくれたことじゃないですか。あがきながら探そうって。いいじゃないですか、偽善者でも何でも。その人のために、自分のためにあがいて何か行動できれば。その行動が悪い結果につながってしまったとしても、それは無意味ではないはずです。その失敗が次につながるかもしれませんし、もっと別の意味があるかもしれません。私はそう思います」
正直、ミカが言っていることは綺麗事だろう。だが、この世の中には綺麗事が必要なのもまた事実。それなら……俺はミカの言葉を信じよう。
「ありがとう。本当につらいのはミカの方なのに、逆に励ましてもらって悪いな」
人探しが進まないミカはつらいはずなのに、俺のことをちゃんと見抜いて、考えてくれる。そんなミカには感謝しても感謝しきれない。
「俺、あがいてみる。どこまでやれるかはわからないけど」
「私に協力できることがあったら言ってください」
「気持ちだけ受け取っておくよ。ミカは人探しの方があるだろ」
「確かにそうですけど……」
「大丈夫、俺だけでも何とかなる」
こうして、俺もミカと同様にあがくことにした。
翌日、俺は藤本と会っていた。あがくといっても、今回の場合、一番いい方法は情報操作だろう。ミカには俺だけでも大丈夫と言ったが、確実性を高めるなら顔が広い藤本の協力は必要不可欠だ。俺は藤本に全て話し、相談した。そのおかげで、俺がやるべきことは更に明確になった。
一通り相談が終わると、藤本が突拍子もないことを言い出す。
「前々から少し思ってたけど、そのミカっていう人、実はお前が前に見た不思議な黒白猫が人間になった姿じゃないのか?」
「はぁ?」
さすがにそれはないだろう。そんな非現実的なことがあるわけがない。
「だってよく考えてみろ。お前が最初に彼女に会った場所が黒白猫がいた場所と同じっていうのが偶然にしては出来すぎだろ?」
確かにそれは俺も考えた。なぜミカはあんなところにいたのか。あの猫と同じ場所なのか。
「それに、いつも白いワンピースを着ているとなると、黒髪と白いワンピースで黒白猫っぽくないか?」
「それこそ偶然だろ。白いワンピースをいつも着ているからって別におかしくはない」
「それも偶然か? いくらなんでも重なりすぎじゃないか?」
「それは……」
「それに、野生の猫とすぐに打ち解けていたらしいじゃないか。それって同じ猫だからすぐに打ち解けることができたと考えられるだろ?」
確かにそんなことがあった。大学内に住み着いている猫は人間慣れしておらず、すぐに逃げることで有名なのに、なぜかミカが近づいても逃げないのだ。
今までそんなこと考えてこなかったが、そう言われるとミカは本当は猫だとしてもおかしくない事実ばかりかもしれない。
「探している若い女性は飼い主。人間の暮らしに精通しているのはその飼い主の暮らしを覚えていたから。それに、出会って間もないぐらいに会話をしていたとき、彼女が知らないことが多かったっていうのも元は猫だったという感じがしないか?」
本当に材料が揃ってきてしまった。知らないことが多いのは天然だからと納得していたが、そうではなかったのかもしれない。考えてみると、ミカが今どこに住みながら人探しをしているのかも知らない。ミカにはまだまだ謎は多い。
「まあ、もしミカが実は猫だったなんて非現実的なことがあったとしてもだ。そんなこと関係ない。俺は今まで通りミカに協力するだけだ」
結局、ミカが何であろうと関係ないのだ。分かったとしても今までと何も変わらないのだから。
また時は流れ、七月上旬になった。気温は日が過ぎるのと比例して上がり続けた。夏がやってきたと感じる。サークルのことだが、予想以上に情報操作は上手くいき、嫌な雰囲気はサークル内から消えていた。しかし、相変わらず人探しに進展はなかった。ミカは毎日時間をつくって必死に探しているというのに手がかりもなしだ。さすがにミカにも俺にも焦りが募る。
そこで二人で話し合った結果、何か今までと違う方法で探す必要があるという結論が出た。具体的には、町の中をくまなく探そうとしていた今までの方法ではなく、人がたくさん集まりそうな場所へ行って探してみようという方法だ。
「次の休日に試すとして、どこに探しに行く?」
「そこが問題ですよね。う~ん……あっ、駅!」
「駅なら俺が前に試した」
「そういえばそうでした……」
駅は人が頻繁に出入りする場所なので何週間も前にもう試している。休日の数日間ずっと張り込んだが……結果は言わなくても分かるだろう。
「あ~! 何も思いつかなくてイライラします! 最近更に暑くなって、それだけでもイライラするのに!」
暑さ……? そうか、それがあった!
「場所の候補、思いついたぞ!」
夏特有の、肌を照りつける日差し。もちろん、気温は高い。今日は俺たちにとっては絶好の日和だった。
なぜなら、俺たちはプールに来ているからだ。
暑い夏なのだから、プールに多くの人が来るだろうということで、近くにある市民プールに来ていた。予想通り、多くの人がプールを楽しんでいた。
しかし、一つ予想外の問題があった。
「ほら、ミカ、行こうぜ」
「平田くんだけで行ってきてください。私はここで探すので」
今俺たちは休憩所にいる。ミカはなぜかそこから動こうとしない。
「……もしかして泳げないのか?」
「お、泳げないとかじゃないです! なんていうか、そもそもプールが苦手というか……」
ミカは恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら、顔をうつむかせてしまった。
それなら俺がプールを提案したときに何か言ってくれればよかったのに。ミカが身に着けている水着はいかにも買ったばかりという感じだ。水着だけ買ってプールに入らないのはもったいないだろうに。
ミカがプールに入るのを嫌がる様子を見てると、藤本の話の影響なのだろうが、なんだか猫みたいだと感じる。そうだ、せっかくならやってみようか。
「ほらほら、怖くないから入ってみようぜ?」
「で、でも……」
「プールに入ってくれたらミカが好きな海鮮類が入ったシーフード焼きそば奢ってやるぞ」
「うっ、食べ物で釣るとは卑怯です……!」
「そんなこと言いながら目はすごく輝いてるぞ」
「そ、そんなことはありません!」
いっそ猫だと思って接してみる。これがせっかくならやってみたかったことだ。楽しまなくちゃ損な場合では、普通に接するよりも少しふざけて接した方が楽しいものだ。それに、ミカの好物はわかっていたので、それで釣れるだろうと予測した。
結果、予測的中。
ミカは渋々な感じでプールに向かう俺の後を追っているつもりらしいが、シーフード焼きそばを目を輝かせて期待しているのを隠しきれていなかった。
まずは、老若男女誰でも入れるような流れるプールに俺が入る。
「ほらゆっくりでいいから入ってみて」
「は、はい……」
ミカは恐る、恐るプールに入っていく。そして、やがて完全にプールに入る。
「どう?」
「と、とりあえず平気です」
「それじゃあ、だんだん慣れていこう。目的は人探しだし、プールの中を歩きながら探すと同時に慣れていけばいいかな」
「わかりました!」
こうして、人探しとミカの修行が始まった。
最初はどうなることかと不安だった部分もあったが、最終的に俺とミカはプールで十分楽しんだ。ミカは慣れてくると積極的にプールで色々と遊んでいた。約束通り、シーフード焼きそばを俺は奢った。それを食べるミカの様子はとても幸せそうで、見てるこちらが思わず微笑んでしまうほどだった。
人探しは途中である事に気づいてほとんど諦めていた。ある事とは、プールでネックレスはできないということである。一番のヒントになるネックレスを身につけていないと、プールに探し人がいたとしてもわかるのはミカしかいない。ミカに頑張って探してもらったが、案の定見つからなかった。
俺とミカは市民プールの建物の入り口で合流した。今まで何も進展がなかったわけだからそう簡単に見つけられるとは思っていないが、やはり落ち込みはする。二人揃ってため息をついた。
その瞬間、俺の携帯電話に電話がかかってきた。相手は藤本だ。
「もしもし、どうした?」
「いいか、よく聞け。もしかしたら、例の探し人見つかったかもしれない!」
ここから、事態は一気に進展することになる。
藤本の話の内容を簡潔にまとめるとしよう。藤本の友達の一人が結婚式場でバイトをしているそうだ。六月にあった結婚式の中で、その友達の印象に深く残った人がいた。その人は新婦の友達だった。若くて綺麗な女性で、首にイルカのネックレスをしていたそうだ。ここまで言えばわかるのではないだろうか。そう、その女性はミカの探し人である可能性が高い。藤本の友達はミカの探し人のことは何も知らなかったが、たまたま藤本にその話をしたらしかった。藤本はその友達からできる限りその女性の情報を入手し、俺に電話をしてくれた。ミカにその場ですぐに情報を伝えると、ミカは急いでその女性が住んでいるであろう辺りへ向かった。俺も手伝おうか迷ったが、やめた。ミカはずっと探し人について知られたくなかったみたいだった。今ここで俺が手伝ったら、俺は知ってしまうだろう。ミカが探し人を見つけることを祈るしかなかった。
翌朝。例の道に、あの時と同じ場所、同じ姿勢でミカが立っていた。
「平田くんと平田くんの友達のおかげで無事に見つけることができました。ありがとうございます」
ミカは深く頭を下げ、感謝を示した。無事に見つけたことがわかり、俺は安心した。
「いや、俺は結局何もしてないよ。見つけることができたのは藤本の友達のおかげだ」
「いえ、そんなことないです。平田くんは約二ヶ月の間私の支えでした。私に声をかけてくれたり、私の迷いをなくしてくれたり……平田くんと出会わなければ私はとっくに諦めていたかもしれません」
それなら、俺もそうだ。ミカは俺の心の支えだった。ミカと過ごす時間は無性に楽しかったし、サークルでのこともミカがいたから俺は行動できた。
「だけど、多分もう会えないでしょう。私は探していた人と一緒に住む場所を移すことになりました。そもそも、もうすぐで移すつもりだったらしいのでギリギリセーフだったみたいです」
ミカの雰囲気からなんとなくは察していた。しかし、いざ実際に言われると寂しいものがある。それなら、俺もきちんと伝えなくてはいけない。ミカから学んだことやミカへの感謝の気持ちを。
「俺、ミカと過ごす中で学んだことがある。それは、つらいことや悲しいことがあって色々と悩むことがあっても、決してくじけないであがくこと。ミカはそれを実践してみせた。そして、探し人を見つけた。諦めなかったからできたことだ。俺って、悩みに悩みまくるくせに何もせずに、しかもいつも諦観がつきまとう。ミカが迷っているとき、あんな偉そうなこと言ったけど、本当は俺あんなこと言える資格ない。あがいていなかったのは俺の方だった。ミカがそれに気づかせてくれた。だから、ミカには感謝してもしきれない。本当にありがとな」
「いいえ、平田くんなら私に出会わなくてもきっといつか気づけていましたよ。だって、平田くんは優しくて、強い人だから」
俺は不覚にも泣きそうになった。いつもなら、どうせお世辞だろうと流しているが、今回は本音で言ってくれてることが伝わったからだ。
最後だとわかると、何でもいいから話をしてそのときを長引かせたくなる。しかし、そうもいかなかった。
「私、引越しの準備があるので、そろそろ行きますね」
「そっか」
「じゃあね、平田くん」
「ああ、じゃあな」
最後は案外あっけない。そんなものだ。いつもと変わらない言葉で俺たちは別れた。
ミカの後ろ姿を見ながら考える。俺はミカに恋をしていたのだろうかと。しかし、答えは否だった。想い人とは違う、また別の何か……そう、友達、いや、俺の探し人だったのだ。俺も探していたのかもしれない。自分の何かを変えてくれる人を。俺はそれがミカだった。誰しもがそうなのだろう。いつも何かを探し、苦悩する。その果てに何かを見つけるのだろう。何を見つけるかはその人次第。人生とはその繰り返しなのではないだろうか。きっと俺もまた次に探すべきものがある。
しかし、俺は忘れないだろう。たったの二ヶ月、されど濃密だったミカと過ごした時間。その時を一生忘れないだろう。
時は流れ、二年が経った。藤本は本格的に弁護士になるための勉強をしていた。藤本は表面上はあんなやつだが、内面は真面目なやつなので弁護士を目指していると言われても驚かなかった。きっとあいつならなれるだろう。
天井には、なんと彼女ができた。あんなに興味ないと言っていたが、急に恋をしてしまったらしい。人に何が起こるかはわからないものだ。
俺は特に変化らしい変化はない。強いて言うならば、普段の生活が楽しくなった。二年前のあの時以来、人との接し方が変わったからだろう。人に対しての諦観からきていた疑心を捨て、まずは信じてぶつかる。もちろん、物理的にじゃないからな。そこから始めていくことで見つかることが多くあった。その中でも、待つだけではなく、探しにいくことが必要だということを最も痛感させられた。そのおかげで俺はこの二年で成長できた。自信をもってそう言える。
ある日の朝。灰色一色の猫があの狭い道にいた。何かを待っているのだろうか。その姿は二年前の黒白猫、ミカ、そして俺の姿に重なるものがあった。
この猫に伝えたい。待っているだけではダメだと。探しにいかなければいけないと。
俺はそのまま通り過ぎず、その猫に声をかけた。
探し物 高橋 紫苑 @detre-shion
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