新しい環境で


◇◇◇


 ダガスランドから列車で北西に進むこと約五時間。リーズエンドの街はダガスランドよりもずいぶんと小さいが、小さいながらも活気にあふれた良い街だ。


 アルメート共和国の地方都市のひとつである。

 街から離れれば広大な畑が広がっている。

 ダガスランドよりも北に位置するからか、冬が早い気がする。


「先生、寒い?」


 手を繋いだ少女がこちらを見上げる。

 北国生まれのアウラだったがダガスランドの生活にいつの間にか慣れてしまっていたようだ。かの街よりも幾分早く訪れた冬の気候にアウラは身を震わせる。


「ううん、大丈夫よ」


 アウラはにっこりと笑った。

 午後の散歩の時間である。家庭教師先の家はリーズランドの名士の家で、彼女ともう一人弟の面倒を見るのがアウラの仕事だ。


 といっても弟はまだ年端もいかないので乳母の出番の方が多く、アウラは彼と文字遊びをするくらいだ。

 アウラの仕事のメインはお嬢様であるマノンにロルテーム語の作文とピアノと、フランデール語を教えることだ。


「散歩をしていると体がぽかぽかしてくるのよ」


 マノンは金茶色のくせっ毛を揺らしながら得意そうな声を出した。

 おしゃまな生徒は現在十一歳。

 新米なアウラのことを年の離れたお姉さんくらいにしか思っていないのか、少し生意気なところもあるが、やっと慣れてくれたのか最近は少し甘えてくるようにもなった。


「そうね。もう少し歩きましょうか。どこに行きたい?」

「そうねえ……街のお菓子屋さんがいいわ」

「おやつの時間はもう終わったでしょう」


 ちゃっかり発言をするマノンにアウラは目を吊り上げる。

 子供とお菓子は切っても切れない仲なのか、マノンも甘いものが大好きだ。

 アウラの厳しい口調にマノンは唇を尖らせたが、結局はおとなしく散歩だけで満足をしてくれた。


 小一時間外を歩くと体がぽかぽかと温まってきて、けれどやっぱり風が冷たくて帰ったら暖かな飲みものが飲みたいなと思った。

 二人は手を繋いだままマノンの住まう邸へと帰る。


 街の中心部から北側へ少し行くと、リーズエンドの街でも割と裕福な人間たちの住まう区画になる。

 小さな街である。アウラが世話になっているモールビル家の新しい家庭教師の顔と名前は既に街の人間に知られている。


 邸に戻ると客人がいた。

 モールビル家をたびたび訪れる男はデイヴィッドと同じか少し年上の男性である。


「こ、こんにちは。クノーヘンハウバー嬢」

「ごきげんよう」


 彼はわざわざ客間から出てきてアウラに挨拶をしてくる。

 マノンは途端に機嫌が悪くなる。

 アウラの目の前についっと出て、アウラのスカートを掴む。


「わたしたち、今帰ってきたところで喉が渇いているの。もういいかしら」


 つんとした声を出して、まっすぐに彼を見上げるマノンはアウラからしても不機嫌丸出した。


「マノン、お客様にはちゃんと挨拶をしないと駄目よ」


 アウラは注意をした。

 マノンは面白くなさそうにアウラを見上げる。


「い、いえ。いいんです。僕の方こそ帰ってきたばかりのあなたたちに気を使わせてしまいまして」

 人のいい彼は慌てて手を振った。

「だったらもういいわよね。アウラ、早く上に行きましょう」


 マノンはアウラを急かす。アウラは彼女に急かされるまま子供部屋のある二階へと追い立てられた。


 子供部屋に入って、マノンの外套を脱がせてやってからアウラは「マノン、さっきの態度は無いと思うわ」と彼女に言い聞かせる。

 マノンは不満顔だ。


「いいのよ、あの人、わたしからアウラを取り上げようとするんだもの」

 言い方がおかしくてアウラは笑ってしまった。


「別に何もしていないじゃない」

「アウラがそんな風だからヴァイセンが周りをうろつくのよ」


 マノンはアウラの反応にも怒りを示した。マノンの言いたいことはなんとなくわかる。確かにあの、ヴァイセンという男はアウラとなんとか話をしようとしてくるからだ。


 アウラは今大切な時なのだ。

 モールビル家で家庭教師としてキャリアを重ねて、紹介状を書いてもらって次へとつなげる。住み込みの家庭教師は数少ない女性ができる仕事でもある。家を借りるよりも手間もかからないし、お金もためることができる。せっかくデイヴィッドが寄宿学校に入れてくれたのだからアウラは家庭教師としてこれから一人で生きていきたい。

 だから、自分に興味のある男性がいても、気づかないふりをしている。


「わたしは今、お仕事の方が大事なの」

「ほんとうに?」

 マノンの不安げな顔が可愛くてアウラは微笑んだ。


「ほんとう」


 だって、本当に好きな人とは結ばれることは無いから。だからといって適当な相手に心も体も許そうとは思わなかった。


 アウラは自分の中にある未練がましい感情に苦笑を漏らした。

 自分は当分仕事に精を出さないといけないらしい。


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