気付きたくない心

◇◇◇


 仕事に精を出していてもアウラが頭の中にちらつくようになった。

 無邪気に自分を慕ってくれる少女。

 彼女がまだ十四歳の頃、彼女の想いを拒絶したのは自分なのに。


 ふとした時に襲われる寂寥にデイヴィッドは打ちのめされる日々を送っていた。


 デイヴィッドはとある投資家の主催する夜会へと赴いていた。

 夏もそろそろ盛りを終えようとする頃合いだ。

 アウラも一緒である。


 デイヴィッドがどうしますかと水を向けたら、たまには出ようかなと、という返事が返ってきた。


 デイヴィッドは少しだけ心を沈ませた。

 夜会へ出席をするかはアウラの自由な権利のはずなのに、彼女を男たちから隠しておきたいと思っている自分に気が付いたからだ。相反した気持ちが心の奥底に渦巻いていて、自覚をした途端にそれが喉元までせりあがってきそうになった。


 いったい最近の自分はなんなのだ。

 行きの馬車の中で、彼女は隣に座るデイヴィッドがアウラをことさら意識しているとは夢にも思っていないだろう。

 アウラは最近あった出来事を楽しそうに語っていた。友人たちとハイキングに出かけてきたのだ。


 デイヴィッドとしては、会話の中に登場した何人かの男性の名前が気になって仕方なかった。その中にはきっとアウラが目当ての男もいるだろうに。

 ずっと大切にしてきた少女がまぶしくて仕方なく、夜会の最中もついアウラを目で追ってしまう始末だった。


 ずっと子供のままならよかったのに。

 デイヴィッドはそんな風に考えてしまう。そうしたら、まだ彼女はデイヴィッドの元から離れていかない。


 デイヴィッドはせっかくの夜会だというのに、碌に投資家仲間と話もしないままふらふらと会場をさまよった。


 アウラは何人かの男性とダンスを踊り、そしてクレイと話し込んでいる。

 デイヴィッドはつい二人を凝視してしまう。二人の間に何かあったことは間違いないのだ。


 それなのに、どうしてアウラはクレイと話せるのか。

 デイヴィッドは自分の顔が険しくなったことに気づかないまま会場内を大股で歩いて行った。


◇◇◇


 久しぶりの夜会ということでアウラは少しだけはしゃいでしまった。デイヴィッドに誘われてうれしいのもあったからだ。

 なのに今は仏頂面をしている。


「どうしてあなたはまだわたしにかまうの?」

 隣には同じように眉間にしわを寄せたクレイがいる。

「俺とは友人なんだろう? だったらかまわないじゃないか」

「構うわよ」


 一度醜態を晒した相手という気安さもありアウラは取り繕うこともなくクレイに接していた。なんだかんだ本音を知られているので話していて楽だったりする。本心を隠した男女の駆け引きは苦手だ。

 そういう相手と踊っていささかつかれていたのである。


「何にも知らない男がおまえと踊るのが気に食わないんでね。しばらく俺が盾になってやるって言っているんだ」

「余計なお世話よ」


 アウラとクレイは大広間の壁際でひそひそと話をしていた。

 楽隊が奏でる音楽に乗って、広間の中心では男女が軽やかにステップを踏んでいる。


「てっきりクラリスも来ると思ったのに」

「あいつもおまえと同じく変わり者だからな。ま、おまえが来るって知っていたら出席したかもしれないが」

「そう? あーぁ~、クラリスに手紙書いておけばよかったなぁ」

 アウラは肩を落とした。

「旦那探しは面倒なだけらしい」

「クラリスだったら縁談もたくさんありそうだものね」


 自分から探しに行かなくてもプロイセ工場会と縁続きになりたいという男性はいくらでもいるだろう。


「おまえだって、その……」

 クレイが言いにくそうにした。

「わたしのことは平気。自分でも考えているもの」


 クレイに顔を向けると、彼はまだアウラに未練を残していそうな瞳をしていたが、それをどうにか押しとどめようとするように口を引き結ぶ。


「わたし、喉が渇いたから向こうの部屋に行くわ。誰かいるでしょうからあなた、ついてこなくていいわよ」


 アウラは居心地が悪くなって逃げることにした。

 振った相手とよい友情なんてそう簡単に築く事なんてできないのだ。

 アウラはさくさくと歩いていく。

 クレイはアウラに続こうとしたけれど、アウラは一度だけ振り返って視線で拒絶をする。


 クレイはもう追ってはこなかった。しつこくされたらどうしようかと思っていたから内心ほっとする。

 アウラは隣室に用意された飲み物台を物色する。お酒よりも果実水のほうが飲みたい。何にしようかなと吟味をしていると、知らない男性から声をかけられた。次の曲の相手を請われたが、足が痛くてと断る。


 アウラはあまり自分の顔に頓着がないけれど、どうやら自分は目立つ部類に入っているらしい。たぶん典型的なリューベニア民族の風貌というのもあるのだろう。

 金髪碧眼が人気なように、銀色に紫眼というのも巷ではもてはやされるらしい。

 特に今、ダガスランドを騒がしている人気の女優がそれはもう絵にかいたリューベニア人なのだ。彼女に憧れを抱く男性が手っ取り早く身近にいる同じ髪眼をしたアウラに興味を持っているのだろうとアウラは踏んでいる。


 夜会が始まって三時間くらい経過した頃合い。

 デイヴィッドは有意義な時間を過ごせただろうか。


 そろそろデイヴィッドを探しに行こうかなと考えていると、彼の方がアウラを探しにやってきた。

 アウラはデイヴィッドを見つけて笑顔になる。

「デイヴィッド」

 アウラの呼び声に、彼は少しだけ顔を柔和にさせて近寄ってきた。


「アウラ、疲れていませんか? そろそろお暇しましょうか」

「あまり踊っていないから平気。あなたは、もういいの?」

 アウラとしてはデイヴィッドがちゃんと楽しめたのならそれでよい。

「ええ。大丈夫です」


 アウラはにっこり笑った。

 デイヴィッドに帰り支度を促されて、アウラは飲みかけのグラスを給仕に手渡した。

 二人は主催者へ帰宅の旨を伝え、屋敷を後にする。二人で馬車に乗り込んで少し経ったとき。


「プロイセ氏と何を話していたんです?」


 彼の方から話しかけてきた。

 少しだけ、言いにくそうだった。


「え、普通に世間話をしていただけよ」

 アウラは努めて明るい声を出した。

「世間話って……」


 デイヴィッドは何かを言いたそうに、けれど何を続けていいのか分からないみたいでそのまま口を閉ざした。

 馬車の中に沈黙が落ちる。

 アウラとしてはクレイとの間のことをデイヴィッドに伝える気はない。

 それを言うと自分の気持ちも暴露しないといけないから。

 車輪の音が馬車の中に響く。

 アウラは馬車の揺れに身を任した。


 舞踏会後の疲労感からつい眠りそうになるが、移動距離はそんなにもないのですぐに自宅へ着くだろう。アウラはどうにか起きていようと意識を集中させた。

 結局彼と会話もないまま自宅へとたどり着いた。

 アウラはそのまま自室へ戻ろうとしたのだが、デイヴィッドの方から再び話しかけてきた。


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