舌戦の行方

◇◇◇


 しかし後日、デイヴィッドはホテル『ラ・メラート』の従業員から先日アウラが喫茶室に男性を伴って現れたことと、彼女がその男性と口論になり、しまいには瞳に涙を浮かべていたことを聞かされた。


 従業員、いや、喫茶室を任されている店長は念のため、ということでデイヴィッドに知らせてくれたのだ。


 デイヴィッドはこの報告に衝撃を受けた。

 アウラが自分に隠し事をしたことと、彼女が泣いていたということについて。

 あの日はプロイセ家の従僕がアウラに言付けを持ってきたとファーカー夫人は言っていた。


 それを聞いたデイヴィッドはクラリスを思い浮かべたのだが、真実は彼女の兄であるクレイだったということか。

 彼はアウラに執心している。その彼がアウラを呼び出した。内容については簡単に想像がつく。

 デイヴィッドはどうにも消化できないもやもやを胸の内に抱えたままシモーネの住まいを訪れた。


 彼女はとっくにメンブラート邸から出ていっていて、現在ではダガスランドでも高級住宅街とされる区画の一軒家に住んでいる。

 この数年でアウラが少女から淑女に成長したように、シモーネの生活もずいぶんと様変わりをしたのだ。


 デイヴィッドを招き入れたシモーネはあからさまに嫌な顔をした。

 女優としての確かな地位を確立しようと、結婚しようと彼女はデイヴィッドのことが気に食わないらしい。


「それで、わざわざ何の用かしら」


 一応応接間に通してくれ、コーヒーを出してくれるくらいには彼女は常識人だ。

 顔には早く帰れと書かれているけれど。


「先日、アウラが遅くまでお邪魔をしていたようで。お世話になりましたとご挨拶です」

 デイヴィッドはにこやかに切り出した。

「ああ、そのこと。別に遅くまで、って時間でもないわよ。夕食に誘ったのに、家で用意されているからって帰ったもの」


 シモーネは気のない返事をする。

 彼女にとってはまだ宵も宵すぎる時間だったのだろう。


「僕は随分と心配しましたけれどね」

「ああそう。相変わらず過保護ね」

「当たり前です。アウラとあなたは違いますし」

 シモーネの眉がぴくりと持ち上がった。


「あっそ。それで、一体何の用なの? あんたがわざわざうちに尋ねてくるなんて。本題にさっさと入ったら?」

 シモーネは冷たいコーヒーに口をつけて尊大に言い放った。


「そんな偉そうな態度でよく旦那さんに愛想を尽かされませんね」

「いちいちうるさいわね。嫌味言いに来たら追い出すわよ」


 デイヴィッドは少しだけ切り出しにくい話題の前にとりあえず食前酒代わりにシモーネをつつくことにしただけのことだ。


「いえ。心配しているんです。あなた、女優といっても色物ですし」

「ほんっと失礼な男ね! 幅広い演技ができる大人の女優って言われているんだから!」

「いえ、それに騙されて旦那さん捕まえるんだから大したものですよ。銀行家の旦那さんなんて大物捕まえましたね。僕はあなたはてっきり独身を貫き通すものだと思っていたので」

「あら、とことん惚れさせてこっちの優位な条件で結婚してくれるって言うんだからいいじゃない」


 シモーネは口を弧のように持ち上げた。

 二十代中頃になり、妖艶な色気が加わったその笑みは多くの人を魅了する。

 悲しいかなデイヴィッドにはさっぱりその良さがわからないのだが。


「あなたがわたしをつつくってことは、アウラの涙の原因を知りたいけど、素直に切り出せないってところかしら」


 しびれを切らしたシモーネの方からさくっと核心をついてきた。

 デイヴィッドはこれまでの人を食ったような笑顔を捨て去り、真顔になる。


「ええそうです。話が早くて助かります」

「あなた、あの子からなにも言われていないんでしょう。なら、どうしてわたしが話すとでも思ったの?」


 対してシモーネは意地の悪い笑顔を浮かべる。

 この状況を面白がっているのだ。

 デイヴィッドだって別に詮索をしたいわけではない。

 それなのに消化しきれない感情が胸の奥から顔をのぞかせるのだ。


「彼女、あなたのところに行く直前に男と会っていましたよね。ホテル『ラ・メラート』で」

「なに、告げ口させているの?」

 シモーネの声が一段低くなる。


「いえ、喫茶室の店長が親切心から教えてくれただけです。それに、アウラだってなにかあったとき、僕に報告が行くようにあの場所を選んだのでしょう」

「それでも、目をつむってあげることも優しさ、というか保護者だと思うわよ。父親に過干渉されるのは年頃の女の子にとっては煩わしいだけでしょう」

 シモーネは笑みを浮かべたままだ。


「僕は彼女の父親ではありません。確かに後見人ですが、出会ったときから彼女はしっかりした子でした」

 デイヴィッドは強い声で否定した。

「ふうん。じゃああんたは一体なんなのよ、彼女の」


「……ただの後見人です」


 結局ここに立ち戻ってしまう。

 彼女を監督する立場だから、アウラが泣いていたら気になるし、もしも理不尽な目にあったというのなら自分が彼女に代わって相手に一泡吹かせてやりたい。


「彼女が会っていたのはプロイセ家の長男で間違いないのですか?」

「それ聞いてどうするの?」

「話の内容によっては僕から直々に彼に話をするだけです」

「アウラが望んだの?」


 デイヴィッドは言葉を詰まらせる。

 彼女は何もなかったように振舞っている。

 シモーネは二の句を継げなくなったデイヴィッドを眺めて、楽しそうに口元を歪ませる。本当に彼女は正確が悪いと思う。


「あの子はもう大人よ。アウラが何もしないのならあなたがでしゃばることでもないんじゃない? あの子も別に変な目に合ったわけでもなかったんだし」

「やはり彼女から聞いているんじゃないですか」

「まあね。ここまではわたしからのサービス。これ以上は駄目。女同士のおしゃべりの内容をおいそれと男に話すわけがないでしょう」

 シモーネとアウラの友情はデイヴィッドが考えている以上に深いもののようだ。


「わたしが何かを言いたいのは、むしろあんたによ」

「僕に?」

「そう。あんたの中のアウラっていったい何なの?」


 シモーネの言葉がデイヴィッドに突き刺さる。思いのほか、胸の奥の無防備なところにぐっさりと食い込んだ。


「最初はオルフェリアの代わりに女の子拾って、こいついよいよ馬鹿になったか、って感じだったけど。あんたちゃんとアウラのこと面倒見ていたじゃない。寄宿学校にまでやってさ。で、あの子はあんたが後見人務めたとは思えないくらいいい子に育った。って、半分以上は寄宿学校のおかげか。で、今後、あんたはあの子を嫁にやるなり考えているのかってことよ」

「もちろんです。僕は彼女の後見人ですから」


 アウラは美しく成長した。

 デイヴィッドの元に届く夜会の招待状にも、アウラを伴うことを願う文言が多く書かれている。

 学校を卒業してしばらくは家でのんびり過ごすといいなどと言ったものの、時間は等しく流れている。


「ふうん……」

 シモーネのデイヴィッドを見つめるまなざしが少しだけ冷ややかなものになる。

「もちろん、相手の素性はしっかりと調べたうえで許可をすることになりますが」

「へえ、あんたはそれでいいの?」

「もちろん。僕とアウラは家族のようなものですから。彼女がどこかへ嫁いだとしても、彼女の帰る家はここだよ、と言って送り出すつもりです」

 デイヴィッドは流暢に言葉を紡いでいく。


「ふうん……。そういえばオルフェリアはこっちがイラってくるほど夫婦円満仲良しさんでやっているわよ。そろそろ二人目が欲しい、なんて手紙で書いて寄越してくるくらい」


 シモーネは気の無い風に話題を突如として変えた。

 彼女は定期的にオルフェリアと手紙を交わしているらしい。あれほど気の合わなかった二人なのに、一体なにがどうなって友人関係を続けているのか。

 女の友情がときたま分からなくなる。


「ああそうですか」

 デイヴィッドは適当に返事をした。

 あの二人ははた目から見ても仲良しだったのだから今更だ。

「なんだ。面白くない。もっと悔しそうな顔すると思ったのに」

 シモーネが舌打ちをする。


 デイヴィッドがまだオルフェリアのことを引きずっていると思ったら大間違いだ。

 相変わらず性格の悪い女である。


「当たり前です。一体何年前の話ですか」

「そうよね。あのお嬢様が今じゃあ一児の母なんだから。旦那似の息子が可愛くて仕方ないみたい。ちゃんと旦那ともよろしくしているそうよ」


 シモーネはこの話題を続けたいらしい。

 オルフェリアの近況報告に、さりげなく夫婦仲の良さを付け加える。

 デイヴィッドはそれをただの事実として受け止めるだけだし、懐かしい相手の元気な様子に心を和ませるだけだ。

 冷静に自分の心理を分析をして、デイヴィッドは心の中で息をつく。


「それはファレンスト氏にざまあみろって言ってやりたいですね。母親なんてそんなものですよ」

 デイヴィッドはいつもの笑顔を顔に張り付かせる。

「そうねえ。アウラも何年後かには同じようになっているかもね。夫婦円満仲良く、子供でも生んで」


 シモーネがにっこりと笑う。

 デイヴィッドはアウラが母親になった状況をありありと想像してしまった。

 誰かの赤ん坊を抱いているアウラ。彼女が優しい瞳で赤ん坊の顔を覗き込んでいる。

 デイヴィッドは砂を飲み込んだような顔になってしまった。


「あら、どうしてそういう変な顔をするのかしら。アウラには幸せになってほしいんでしょう?」


 シモーネは心底愉快そうに笑った。

 デイヴィッドは心の余裕がなくなって立ち上がる。


「あなたと話していると胸が悪くなります」


 思いのほか長居をしてしまった。

 彼女にからかわれ続けるのは面白くないし、苛立ちが増すだけである。


「あらあ、こんな話題でいいのならいつでも乗ってあげるわよ」

 機嫌の良くなったシモーネは自ら玄関ホールまで付いてきてデイヴィッドを見送った。


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