父の元教え子
◇◇◇
特にこれといってすることのないアウラはクラリスたち友人とお茶会を開いたり、貸本屋で借りてきた本を読んだり、メンブラート邸でピアノを弾いたりして過ごしている。
アウラとしては寄宿学校を卒業したのだから働きに出たいのだが、実際にこれを言ったらデイヴィッドに却下されてしまった。
喧嘩になったのだが、彼は頑として譲らず、またクラリスからも『アウラが働いちゃうとお茶友達がいなくなってつまらないわ』と言われてしまって現在動けないでいる。クラリスの場合、働く必要のない階級だからいいのだけれど、アウラとしてはやっぱり拾ってもらったという負い目がある。
それを言うと、『あら孤児院からお金持ちに引き取られた子を何人か知っているけれど、彼らはみんなその生活になじんでいるわよ』と真顔で返された。
子供のいない夫婦が孤児院から養子をもらうのはごく当たり前のことで、そういう子供たちは引き取られた先の階級の生活になじんでいく。
そういうものなのかもしれないが、なんとなく落ち着かないのだ。それにデイヴィッドと過ごしていると、自分の恋心が彼に漏れてしまうのではないかという心配もある。
彼にいまだに自分がデイヴィッドに未練たらたらなのを知られるわけにはいかない。
デイヴィッドから事務所に来てほしいと言付けを受けたのはそうやってのんびり過ごしていたとある日のことだった。
アウラが事務所を訪れるとデイヴィッドが出迎えてくれた。
「どうしたの、急に」
寄宿学校を卒業したのにデイヴィッドは過保護なきらいがあり、アウラに極力一人で中心部へ出歩かないよう言い含めている。
「あなたに紹介したい人がいるんですよ」
彼の言葉にアウラの心臓が大きく騒いだ。
(なにその意味深な台詞……もしかしてデイヴィッド)
家族も同然の人が紹介したい人と言うって言うことは要するにそう言うことである。
デイヴィッドもついに一人の女性に決めてしまったということだろうか。
アウラは口をぱくぱくとさせた。
なにか、なにか言わないと。
「それって……どんな人?」
ようやくそれだけを絞り出す。
「あなたの御父上の元教え子という方で、実はバスティがあなたの身の上を聞いた後、御父上の知り合いがロームにいないか探してくれていましてね。それで、見つけたのが彼なんですけど」
「え……」
思わず呆けた声を出してしまった。
(なんだ……デイヴィッドの話じゃなかったのね)
その場に座り込みたくなる。この一瞬で十年分くらいの寿命が縮まった気がする。
アウラの心情などまるで構わないといった風にデイヴィッドは応接間へとアウラを案内した。
扉を開いた先にいたのは銀色の髪をした男性だった。
男性はすぐに立ち上がる。
「はじめましてエウラお嬢さん。僕はベレー・アショフと言います。クノーヘンハウバー教授にはずいぶんとお世話になりました」
デイヴィッドよりも少し年下だろうか。アウラよりも薄い銀色の髪に、青味がかった紫色の瞳をしている。
懐かしい同郷の血を持つ人物。
「彼はバスティからの手紙も持ってきていましてね。昨日船が付いてさっそくここを尋ねたそうです」
積もる話もあるでしょうから、僕はこれで、とデイヴィッドはお茶一式を持ってきて早々に立ち去った。
まさかダガスランドで父の元教え子に会うことができるとは。
「エウラお嬢さんは覚えていないかもしれませんが、一度だけ教授のお宅にお招きいただいたことがありまして」
「あら、そうなの?」
アウラはベレーと向き合う形で椅子に座る。笑うと目じりの皺が少しだけ深くなる。
少しデイヴィッドに似ているかもしれない。
「ええ。教授は目に入れても痛くないくらいにお嬢さんを可愛がっていましたよ」
父の話をされると胸の奥がむずがゆくなる。
「ええと、そのお嬢さんっていうのはやめましょう? わたしこっちではアウラって呼ばれているの。だからただのアウラでいいわ」
「ありがとうございます。ずいぶんとこちらの生活になじんでおられるようですね」
「たまたま引き取ってくれたデイヴィッドがいい人だったのよ」
「きっと教授のお導きでしょう。……まさかあんなことになるなんて」
ベレーが過去を思い起こすこといい、部屋の中にしんみりとした空気が漂う。
民衆の動乱は小さな火種が徐々に大きくなり、ある日突然火を噴いた。
世間で起こっていることなんて対岸のことのように思っていたアウラにもたらされたのは父の死という知らせ。
その日からアウラの人生は大きく変わった。
あの動乱が無ければアウラは今頃リューベルンの一都市で生活を送っていただろう。
「あなたは、あれからどうしていたの?」
「僕はロルテームに身を寄せまして。そこで家庭教師などをして食いつないでいたんですが、ロルテームではなかなか生活が安定しなかったのでどうするか考えていたんです。そうしたら昔の仲間がこっちの職を紹介してくれまして」
「お仕事?」
ベレーは頷いた。
なんでも、リューベルンからの避難民が大挙として押し寄せるロルテームでは年々ロルテーム永住権の取得審査が厳しくなっていっているらしい。特にリューベルン人はかなり審査が厳重になるとのことだ。とはいえ同じ連邦内で火種の少ない国へ戻るのも心情的に気分が乗らない、とベレーは考え新大陸へ活路を見出した。
彼は独り身でそういう意味では身軽だったからだ。
「教授の元教え子の中には、連邦内の別の国に移住した者もいますがね。アウスバーグ王国は一応安定していますから」
しかし、アウスバーグにも多くの人間が移住をして職を得るのも簡単でない。
「そうなの」
これまでベレーはアウラとロルテーム語で会話をしていて、その発音も単語選びも流暢だ。
アルメート共和国でも、北の方ではまだ教師の数が足りていないらしい。特にディルディーア大陸の立派な大学で学んだ優秀な教師が。
ダガスランドに大学はあるものの地方都市だとまだ少ないらしく、国として発展していくために開拓した地方に大学をつくっていく方針で、そこでならベレーも活躍ができるのでは、と踏んでいるようだ。
「じゃあこれから北の都市へ行くのね」
せっかく父を知る人物と再会したのに、あっという間にお別れらしい。
「ああでも、少しの間はダガスランドに逗留する予定です」
「この辺のホテルに?」
「知人の紹介で下宿屋を借りまして。まだ共和国がどんなところかわからないので少しここにとどまって様子を見ようかと。といってもここに骨をうずめる覚悟で来たんですけどね。思いのほか、気が張っていたみたいで」
ベレーは大きく苦笑した。
「船の生活は何かと不自由だものね」
アウラは一度だけ乗った大型船での生活を思い出しながら口にした。
「もしよければ、また会ってくださいませんか?」
「わたしでよければ。ダガスランドを案内するわ。そのかわり、またお父様のお話を聞かせて」
アウラはにこりと笑った。
同郷の、それも父を知る人物とはもう少しゆっくりと話をしたいと
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