夏の舞踏会2

◇◇◇


 アウラは壁際でクラリスたちと飲み物を片手にのんびり会場内を観察していた。

 すでに楽隊は何曲もの演目を演奏しており、会場内にはどこかまったりとした空気が流れている。

 現にクラリスは花よりも食べ物、といった具合に母親と一緒に隣室に設えられた軽食コーナーを一巡してきた。


「お嬢さん、次の曲お相手願いますか?」

 アウラの元に一人の青年がやってきた。

 金髪の青年はデイヴィッドよりもいくらか年下だろうか。


「申し訳ございませんわ。慣れないヒールで踊ったせいか、少し足が痛みますの」

 アウラは瞳を伏せて今日何度目かの断りの文句を口にした。


「そうですか……。それでしたら無理を言うのも憚られますね。次は、どちらの夜会に出席されますか?」

「ええと……」

 アウラはたじろいだ。

 今回の男は打たれ強い。


「まだ決めていません」

 アウラはきっぱりと言ってやる。

「そ、そうですか……」


 男性は少し面食らったように瞬きをして、それから今度は名前を尋ねてきた。

 もう、面倒なんだからと思っていたら隣のクラリスが助け船を出してくれて、二人はそそくさとその場から立ち去った。

 男女の駆け引きなんてアウラには難関なのだった。


「あーあぁ、デイヴィッドさんは何をしているのかしら」


 クラリスの文句の矛先は養い子を放置して撞球室へ行ってしまったデイヴィッドへと向かった。


「彼、ダンスが苦手なのよ」

「それはさっきも聞いたわ。けれど、アウラのことを見張っておいてもいいじゃない。あなた、さっきから声かけられまくっているのに」

「クラリスが側にいるから安心だと思っているんでしょう。それに……わたしはただの養い子だもん。恋人じゃないもの……」


 最後は自虐で付け加えてみたのだが、思いのほかダメージが大きかった。

 デイヴィッドとは最初の二曲を踊ったきりだ。

 その後彼は何人かの友人知人にアウラを紹介して回って、それからはクラリスの両親にアウラを託して、仕事の話があるからと撞球室へ籠ってしまったのだ。

 男性同士、積もる話もあるというわけだ。


「泣かない、泣かない」

「泣いてないもん」


 アウラはぷいっと別の方向を向いた。

 親友はそんなアウラの様子などお構いなしで「あ、この料理おいしそう」などと目を輝かせている。


「ああ、クラリスここにいたの。あなた、もう少し男性へ興味を向けなさい」

 娘を探しにやってきた彼女の母は男性より食な娘に苦情を言う。

「お母様だってさっきまでわたしと一緒になってご飯盛り盛り食べていたじゃない」


「わたしはいいのよ。それしか楽しみがないじゃない。あなたは違うでしょう」

「ええ~、面倒だもの」


 クラリスは本心丸出しの声音である。

 プロイセ夫人はため息を盛大に吐いた。

 寄宿学校を卒業した娘に課せられるのはよい結婚。夜会で将来有望な男性を見繕い、彼らの目に留まり、話をし、それから交際へと発展させる。


 良い結婚は家の繁栄のためでもある。

 工場をいくつか経営しているプロイセ家の元には良縁も多数舞い込んでいるだろうに、本人にまるでやる気がない。


「それよりも、いまはあなたの騎士役をしていないと。アウラってばモテモテねえ」

「そんなことないわよ」


 現にクラリスだってさっきから何度かダンスの誘いを受け、ほぼすべてを断っている。

 二人は冷たいシャーベットに手を伸ばし、火照った体を冷やし、チーズケーキやチョコレートケーキを食べていく。

 二人が甘いもので癒されていると、クレイが近づいてきた。


「こんなところにいた」

「お兄様」

 クラリスが嫌そうな声を出す。

 兄は妹のげんなりとした声音に気づくはずもなくアウラに視線を合わせる。


「アウラ、一緒に踊ろうぜ」


 彼はアウラを誘いに来たのだ。

 今になってやってきたのは、彼にも義務というものがあり、最初の数曲を取引先の令嬢と踊り、その後も付き合いのある男性から紹介を受けた女性の相手をしなければならなかったからだ。


「わたし今日は疲れたの。だからまた今度ね」

「今度っていつだよ」

「さあ……」

 遠回しな拒絶も彼は意に介さない。


「おまえどうせそうやってうやむやにしちまう気だろう」

 さすがにばれている。

 寄宿学校時代、クラリスの里帰りに付いて行ったこと数回。彼とも既知の間柄なのだ。


「お兄様ったら。強引な誘いは淑女から嫌われる元なのよ」

「ふんっ。俺はそういう行儀のよい紳士マナーってやつは嫌いだね」

「お兄様最低」

 クレイはわざと粗野に振舞いたがるところがある。


「大体おまえ、さっきから全然ダンスフロアで見てないし。結構な時間休んだんだから、一曲くらい平気だろ」


 アウラは小さく息を吐いた。

 一曲くらいなら仕方ない。


「じゃあ一曲だけなら」

「よし」


 クレイは破顔した。

 子供のような笑顔である。

 アウラはクレイにエスコートされて大広間へと戻った。


 次の曲を待つ間彼はぴったりとアウラに寄り添い、アウラは適切な距離を保つのに苦心を強いられた。

 悪い人ではないのだが、強引なところがあるし、アウラの意見を決めつけようするところがある。


 そして多分、彼はアウラに好意を抱いている。

 気を持たせないように苦労しているアウラなどまるで気にした様子もなく、彼は上機嫌でアウラの手を取った。


 そろそろ次の曲が始まる。

 曲が始まり、少しして余裕がでてくるとクレイが話しかけてきた。


「なあ、今度二人でどこか行こうぜ。観劇でもいいし。演奏会もやっているだろう」

「みんなと一緒ならいいけれど……」


 アウラは控えめに答える。

 二人きりは嫌。


「みんなって?」

「クラリスや、他の友人も一緒ってこと」

 アウラは何人かの友人やクレイの知人の名前を挙げた。

「そんなんいつもと変わらないだろう。俺はお前と二人がいいんだ」

「わたしは……」


 どうやって断ればいいのだろう。

 婉曲に断っているつもりなのに、彼には通じない。


「安易に二人きりで出かけるべきではないって寄宿学校でも習ったわ」

「ちっ。またその説教か。俺はそういう格式ばったことが大嫌いだ」

「男性がみんな紳士でなくなったら女性は安心して外を歩けないわ」

「そうしたら俺がおまえを守ってやるよ」

 クレイは何が面白いのか自信たっぷりに笑った。


「あなたは紳士だというの?」

「基本はね。けど、紳士に徹していたらいつまでたっても進展しないだろう?」

「わたしは友人関係で満足しているもの」


 二人は立ち止まる。

 ちょうど曲が終わったのだ。

 アウラはクレイとつないだ手を放そうとしたが、彼が離してくれなかった。


「一曲だけという話よ」

 アウラは抗議する。

「まだ話が終わっていないだろう」


 このままもたもたしていたらすぐに次の曲が始まってしまう。アウラは逡巡する。

 こういうところがクレイの嫌なところなのだ。

 強引に自分のペースにしてしまおうというところが。


「プロイセ氏、うちのアウラをそろそろ返してくれませんか?」


 アウラの元へやってきた救世主の声に彼女は心から安堵した。

 いつの間にかデイヴィッドが戻ってきていた。

 クレイはアウラとデイヴィッドを交互に見やる。一瞬彼女の手を握る彼の力が緩んだ隙を見逃さずにアウラは彼の手から自身のそれをそっと引き抜いて、デイヴィッドの方へ歩いて行った。


「クレイ、ごめんなさい。一曲だけという約束だったしわたし初めての舞踏会で今日はもう疲れているの。これでお暇するわ」

 アウラはそれだけ言ってデイヴィッドの方へ早歩きで近寄った。


「アウラ」

 クレイはアウラを呼び戻そうとする。

「またね。今度はクラリスも一緒に」


 アウラは最後に念押しをして大広間から立ち去る。

 デイヴィッドと大広間から出ると、外ではクラリスが待っていてくれた。

 おそらく彼女の機転によるものだろう。

 やっぱり持つべきものは親友である。視線で感謝を伝えると、彼女は正確に読み取ってくれて「また今度ね」と声には出さずに言ってくれた。


 デイヴィッドもクラリスに会釈をして、彼と一緒に会場を後にする。


「すみませんでした。つい話し込んでしまいまして」

 帰りの馬車の中でデイヴィッドはそう謝った。

「ううん。別にいいのよ」

「初めての舞踏会はいかがでしたか?」

「あなたの踊りが下手ではなかったということが分かったわ」

「お褒めにあずかり光栄です」


 デイヴィッドはふにゃりと笑み崩れた。

 実は大人になってからだいぶ練習したんです、と明かしてくれた。


「でも苦手なものは苦手なので」


 そう念押しすることも忘れない。

 アウラは馬車の揺れに身をゆだね、最終的にはうつらうつらと船を漕いだ。

 初めての舞踏会、目に映るものが新鮮で大人の世界はまだまだアウラには手一杯だけれど、それでもデイヴィッドと踊れたことは嬉しかった。

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