夏の舞踏会
◇◇◇
夏に季節に行われる舞踏会はダガスランド社交界の中でも特別なものである。
アルメート共和国の政治を取り仕切るアルメート議会の最高権力者、共和国議長夫人主催のそれは、ディルディーア大陸における王家主催のそれと同じような意味合いを持つものだからだ。
多忙な夫に代わり舞踏会を取り仕切るのは議長夫人。
議長夫妻の前で挨拶をすることでダガスランド社交界にデビューを果たす。この儀式に参加することを共和国の年頃の少女たちは夢見るのだ。
西大陸のなかでもここまで厳格なデビューを行う国は珍しいが(地位の高い貴族の子供たちは幼いころから王家の人間とも親しいことが多いからだ)、何事も西大陸の上流層を真似したい彼らにとってみれば重要な儀式なのだ。
デイヴィッドはもちろんアウラのための夜会用ドレスを用意しておいてくれていた。
アウラはファーカー夫人にドレスを着付けてもらい、髪の毛をしっかりと結ってもらった。挨拶の練習は寄宿学校で散々練習させられた。
だから大丈夫だと思う。
アウラとしては自分に招待状が届くこともないだろうな、と思っていたのだがデイヴィッドはダガスランド上流社会に顔が利くのか、招待状が送られてきていた。
アウラが部屋の姿見で全身くまなく確認をしているとファーカー夫人が急かしてきた。
支度に時間がかかってしまい、そろそろ出発しないといけない頃合いだ。
階下では支度を整えたデイヴィッドが待っている。
「ごめんなさい。遅くなっちゃって」
アウラは階段の手すりの隙間からデイヴィッドに声をかけた。
「いいえ。大丈夫ですよ。まだ時間はありますから」
デイヴィッドはいつものように柔らかな口調で応じてくれた。
アウラは急いで階段を下りる。
階段に敷かれた絨毯がヒールの音を消してくれる。
アウラはデイヴィッドの真正面にやってきた。彼はアウラを眺めたまま微動だにしない。
今日のアウラは銀色の髪が映えるように、青紫色のドレスを身にまとっている。ドレスの襟ぐりにはふんだんにレエスがあしらわれ、ふんわりと胸元を覆っている。肩口までしかない袖の代わりに二の腕まである長い手袋で腕を隠し、まとめた髪の毛には薔薇を刺してある。
こんな風に髪の毛を頭の上で全部まとめるのは初めてのことで、首の後ろがすーすーして落ち着かない。
ついでに、何も言ってくれないデイヴィッドのことも気になってしまう。
あまりにも背伸びしすぎで笑いをこらえているのだろうか。
ちょっと切ない。
「えっと……似合わない?」
アウラは恐る恐る切り出した。
落第点を宣告される前に自分から切り出してしまおう作戦である。
アウラの問いかけに、デイヴィッドははっとしたようにアウラに焦点を合わせた。
「い、いえ。月並みな言葉になってしまい申し訳ないのですが、言わせてください。とてもよくお似合いです。きれいですよ、アウラ」
デイヴィッドはすぐに笑顔を作ってアウラを褒めてくれた。
「ほ、ほんとうに?」
「ええ。もちろんです。あなたが大人になったんだなあと感慨にふけってしまい、感想が遅くなりました」
デイヴィッドは申し訳なさそうに頭に手をやった。
今日の彼は前髪を後ろへなでつけ、艶のある夜会用のコートを身にまとっている。
いつもとは違う彼の装いにアウラは今更ながらにドキドキしてきた。
初めての舞踏会で、好きな人がエスコートしてくれるなんて。これはものすごいことなのかもしれない。
「さあさ、旦那様にお嬢様。馬車を待たせておいでですよ」
階段の上に現れたファーカー夫人に急かされて二人は慌てて出発をした。
馬車に揺られている間、デイヴィッドは硬い表情をしたアウラの緊張をほぐそうとしたのか話しかけてきた。
「実は僕、あまりダンスが得意ではないんですよ」
「え、そうなの?」
初耳である。
「ええ。必要ないと思っていたから子供の頃は練習すらしていませんでしたし。学生の頃もあんまり……。大人になって必要に駆られて、って具合なので今でも苦手なんです」
デイヴィッドは苦笑した。
「デイヴィッドは何でもできると思っていたわ」
「学問とか、頭を使うことは得意なんですけどねえ。運動はあんまり。ということで今日は僕のダンスの腕前を目の当たりにして落胆しないで頂けるとありがたいです」
「しないわよ。わたしだって、まだ全然慣れていないもの」
最初のダンスはデイヴィッドと一緒に。
その約束は取り付けてあるけれど、この分だとそれ以降の演目は無理そうだ。
彼はなんだかんだと言って逃げそうである。
アウラとしてはデイヴィッドがどんなふうに育ってきたのか気になるところだけれど、彼はあまり自分の過去を話したがらない。聞いてもはぐらかされるだけだ。
そのあとは他愛もない世間話をしながら馬車の時間を過ごした。
馬車が舞踏会の会場付近へ到着をすると、中からでも外の熱気が伝わってきた。
多くの馬車が辺りを行き交い、角灯の明かりで眩しいくらいだ。
馬車寄せに停まった馬車の中から、デイヴィッドの手を借りて降り立ち、そのまま中へと吸い込まれていく。
デイヴィッドは特に気後れした様子もなく、アウラを伴い進んでいく。
その後アウラは一度デイヴィッドと別れて、議長夫妻へのお目見えを控えた令嬢たち専用の控室へと案内をされた。
クラリスや数人の友人と再会をし、念入りに身なりを再確認し、寄宿学校で散々練習した手順通りにお目見えの作法を行った。
アウラももちろん緊張はしたけれど、なんとか自分の役目を終えることができてほっとした。それはクラリスも同じだったようで、「ああ、緊張した」と二人手を取り合って安どのため息を漏らした。
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