静かな食卓


◇◇◇


「ただいま」


 デイヴィッドはついいつもの習慣で言ったが帰ってくる言葉は無かった。

 ついこの間まで可愛い声で「おかえりなさい、デイヴィッド」と続いたのに。

毎日家に帰るとおかえりなさいと言ってくれる誰かがいる。


 最初にこれを彼女に伝えたときデイヴィッドは内心呆れたものだ。ないものねだりを出会ったばかりの少女に求めるなんて馬鹿げていると。

 おかえりなさいと言ってほしかった少女は彼女の愛おしい人にその言葉を紡いでいるだろうに。


 それでも、毎日アウラからおかえりなさいを聞かされるのは悪くはなかった。

 家に帰ればアウラがいる。

 いつの間にかその生活に慣れてしまっていた。


 玄関で佇むこと数十秒。 

「ああ旦那様。おかえりなさいまし」

 主人の帰宅に気が付いたファーカー夫人が出迎えてくれた。

「ただいま、ファーカー夫人。なにか変わったことは?」


 デイヴィッドは上着を脱ぎながら階段を登る。

 ファーカー夫人も彼の後に続く。

 ついこの間まで後ろをついてくるのはアウラだった。


「特に変わりは。ああそうだ。お嬢様からお手紙が届いておりましたよ。書斎の文箱へ入れてあります」


 デイヴィッドはうなづいた。

 夕食が終わってからゆっくり読むことにしよう。


 アウラが寄宿学校に入ってから十日。

 彼女と暮らし始めて一年も経っていないのに、デイヴィッドは自分の胸にぽっかりと穴が開いたような気分に陥っている。


 気まぐれで拾った少女なはずなのに、デイヴィッドの中にずいぶんと大きな居場所をつくっていたらしい。


 夕食もそこそこにデイヴィッドは書斎にこもりアウラから届いた封筒を開封した。

 花模様の便箋は彼女と買い物で行った雑貨店で買い求めたもの。

 便箋にはびっしりとたくさんの文字が埋め尽くされている。

 デイヴィッドはほほえましくなる。


 寄宿学校の生活はアウラに合っているようだ。最初は不安げに視線をさまよわせ、別れ際に「抱きしめて」なんて言われてびっくりしたが、すぐに「あなたわたしの後見人なんでしょう」と言われて、これからの応援も込めて彼女をしっかりと抱きしめた。


 緊張からかほんの少しだけ紫色の瞳を赤くした少女は、教師に引き立てられて新たな生活の場所となる寄宿舎へと旅立った。

 デイヴィッドは手紙の内容に視線を走らせていく。

 同室のクラリス・プロイセという少女とは気が合うようだ。

 わたしだけ授業内容が遅れているから補修なの。だけど、クラリスたちが部屋で丁寧に教えてくれて助かっているわ、と書かれている。アウラにつけた教師は主にロルテーム語を彼女に教えていた。そのほかの教科もしっかりと勉強させておけばよかったとデイヴィッドは手紙を読みながら後悔する。


 週に何度か届く手紙にはほかにも同級生について書かれていた。

 父親が評議員を務めているバベットは何かにつけて威張っているとか、将来はディルディーア大陸の貴族の花嫁になるのよ、と毎回高らかに宣言をしているとか。


 デイヴィットとしてはアウラが寄宿舎生活を楽しんでくれているようでなによりだ。


 あのとき、アウラがデイヴィッドに恋心を宣言した時ぎくりとした。

 彼女はまだ、たったの十四歳だ。

 だましたといっても言い訳できない。


 彼女を最初に目にしたとき、確かに自分はオルフェリアと重ねた。それはあのときの頼りなげな瞳が彼女と合わさったから。

 拾ったアウラはいい子で健気で、彼女のことは責任をもって面倒を見たいと思った。


 たぶんそれで自分の中の罪悪感を帳消しにしたかったのだ。

 だから彼女が自分に恋をしていると宣言した時は青天の霹靂だった。

 まさかアウラが自分のことをそういう目で見ているとは思ってもみなかった。

 ついでに敏い彼女はあの時公園で一瞬だけ邂逅した女とデイヴィッドがどういう関係であったかも見抜いてしまった。


 このままではいけないと思った。


 折しもアウラに寄宿学校を進めようとしていた矢先の出来事で、これもあってデイヴィッドの中で何が何でも彼女を一度自分の手元から離すことを誓った。

 そもそも話し相手がデイヴィッドとシモーネだけというのは相当に不健康だ。

 しかもシモーネはデイヴィッドの知らないところでアウラに男女の色事をすべて吹き込んだ。(というかこれが一番始末に悪い)


 詰問をすると彼女らしい答えが返ってきた。曰く、どうせいつかは知ることだし、あんたと暮らす以上自衛は大切だ、と。

 なんて失礼な物言いだろう。

 さすがにデイヴィッドだって十三も年下の少女を襲おうと思うほど女に飢えていない。


 狭い世界で暮らしていては駄目なのだ。

 世界にはもっとたくさんの出会いがあるし、男だってたくさんいる。

 彼女は自分を助けてくれた男の親切をただ錯覚しているだけなのだ。

 だからこれでいい。


 一度離れた距離で過ごせば錯覚の恋からだって目が覚めるだろう。

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