初夏の公園
◇◇◇
デイヴィッドにオルフェリアのことを聞けないまま季節だけが過ぎて行った。
デイヴィッドに拾われてから初めての春が来て、もうすぐ夏。
デイヴィッドとの生活は表面上は穏やかなままだった。
彼は冬の間に庭師を呼び、荒れ放題だった庭を整えてくれた。
可憐なピンク色の花を咲かす薔薇の品種を中心に様々な花や低木を植え、春の盛りには沢山の花をつけた。
毎日ちゃんとロルテーム語を勉強したおかげでアウラの語彙力は随分と豊富になった。
「ねえ、デイヴィッド。お花がとってもきれいよ」
アウラは公園の花壇に顔を寄せて香りをかいだ。
アウラとデイヴィッドはダガスランド中心部から少し離れた公園へ散歩に来ていた。西大陸風の幾何学模様に植えられた低木やバラ園。公園の中央には大きな池もある。
「ええ、ええ。僕としてはあなたがちゃんと女性らしい口調になってくれたことが嬉しいですよ。シモーネ口調になったらどうしようかと本気で心配していましたから」
「もう、わたしそんなにも口調かわっていないわ」
アウラは後ろに立っているデイヴィッドの方を振り返る。
「ずいぶんと柔らかくなりましたよ」
「デイヴィッドはこっちのほうが好き?」
「それはもう当然」
にこりと笑った彼を目にすればアウラも自然と笑顔になる。
暖かくなってくるとデイヴィッドはアウラをよく外へ連れて行ってくれるようになった。アルメート共和国や大陸の地図を持ってきてくれて自分たちが今住んでいるところや、国境線など丁寧に教えてくれた。
デイヴィッドは鉄道会社に投資もしているようで、花の香りでむせ返る五月に一度乗せてくれた。ダガスランド郊外へ続く列車は、西へ北へと線路を日々伸ばしているらしい。
アウラが細かいことを気にしなければ二人の生活は穏やかだった。
細かいことの一つが、時折彼から香ってくる香水の香りで。
アウラはたくさんのことを聞きたいのにいまだに聞けずじまいだ。
毎日花やお菓子を買って帰ってきてくれるデイヴィッド。
彼の贈ってくれたりぼんを着けてお出かけすれば彼は目を細めて似合っていますよ、と言ってくれる。
これ以上気持ちを傾けるな、というシモーネの忠告は聞けそうもない。
アウラはデイヴィッドに恋をしている。彼と過ごしているうちに恋心が大きくなっていっている自覚もある。
きっと彼はアウラのこの気持ちになど気づいてもいないだろう。
「あなたにも友達が必要ですよね」
デイヴィッドは脈絡もなくそんなことを言いだす。
「シモーネがいるわ」
アウラの答えにデイヴィッドが苦い薬を飲んだような顔をした。
「あれは……あなたに余計なことばかり教えるのでよい友人とは言えません。僕が言いたいのは、アウラと同じ年頃の友達が必要ですねということです」
「同じ年頃……」
デイヴィッドと暮らす前、まだリューベルンにいたころは同じ年頃の友達が何人かいた。
アウラはあたりを見渡した。時折アウラと同じ年頃の少女とすれ違う。外出着を身にまとい笑顔を浮かべた同世代の女の子。
「ええそうです。僕にはそういう知り合いがいないもので。ですから色々と話を聞いたりしていたんです」
何の話だろう。
デイヴィッドは一人で結論付けてからアウラに話すことがよくある。
アウラは立ち上がり、彼の隣へ移動をする。
二人はそのまま歩き出した。
彼的に、世間話の一環なのかもしれない。
デイヴィッドが先を続けようと口を開きかけたとき、目の前を歩いてきた女性が大きな声を出した。
「あらあ、デイヴィーじゃない。ひさしぶりだわ」
黒い髪をした妙齢の女性である。
体にぴったりと沿うドレスを着ているおかげで豊満な体つきがはっきりと見てとれる。
「ええと……久しぶりですね」
デイヴィッドは笑顔を張り付かせた。
「あら、わたしの名前忘れちゃったの? 最近はお店にあんまり顔をだしてくれないものね」
女はずかずかとこちらへ近づいてくる。
アウラはデイヴィッドの腕の部分の布をきゅっと掴んだ。
「今日はおひとりですか?」
「これから待ち合わせよ。天気の良い日だから公園で会いましょう、なんて。健全もいいところだわ」
女はそう言って肩をすくめた。
「健全、いいことじゃないですか」
デイヴィッドは相変わらず余所行きの声を出している。
アウラは二人を交互に観察する。
女はデイヴィッドの肩に手を置く。
アウラはむっとした。なんだか嫌な感じがしたからだ。
それに、彼女の使っている香水……。
近づいてきた女から漂ってきた甘い香りにアウラはいち早く気が付いた。
「そういうあなたも……、妹さんにしては似ていないわね」
女は今気が付いたという風にアウラの方に視線を合わせる。
一歩下がるのも悔しくてアウラはしっかりと視線を受け止めた。
「いいえ。この子は僕が後見人を務めている令嬢ですよ」
「エウラ・クノーヘンハウバーです」
「普段はアウラって呼んでいるんですよ」
デイヴィッドが言い添えた。
「そうなの可愛いお嬢さんね。あなたデイヴィーのこと大好きなのね」
少しだけ身をかがめ余裕の笑顔をみせる女の態度は完全にアウラを下に見ていた。
アウラはむっとした。
「ええ、大好きよ。デイヴィッドは優しいもの」
「そんな風に褒められると照れますね」
そこは照れるところじゃない、とアウラは心の中で突っ込みを入れた。女も半眼でデイヴィッドを見つめている。
「最近店に顔を出してくれないのも彼女のせいってわけね」
「べつにそれとこれは関係ないですよ」
「そういうことにしておくわ。また、いらして、デイヴィー。色々とおもてなししちゃうわよ」
女はデイヴィッドの顔のすぐ近くで片目をつむってから立ち去った。
本当に待ち合わせをしているようで、機嫌よく歩いていく。
「お店……?」
「ええと、とあるクラブで歌を歌っているんですよ、彼女。時折お客さんから誘われてああして一緒に散策したりご飯を食べたりしているんだそうです」
アウラのつぶやきにデイヴィッドがかいつまんだ説明をする。
「……そうなの。デイヴィッドも誘ったことあるの?」
「僕はないですよ」
デイヴィッドは即座に否定した。
けれど、誘われたことならあるのだろう。だって、いつかの夜デイヴィッドは彼女のつけていた香水と同じものを身にまとわせて帰ってきた。それにあの距離感。
女の勘だった。けれどそういう勘はよく当たるのだ。アウラに経験はないけれど、それでも察した。
「デイヴィッドはああいう女性が好きなのね。大人で胸の大きな」
アウラは自身の胸に視線を落とした。
まだ十四歳だから発展する余地はあると思う。
「アウラ、いやに絡みますね」
「別に……」
アウラは少しだけ頬を膨らませた。
「ああそうだ。アイスクリームでも食べに行きましょうか。この先の売店で売っているんですよ」
デイヴィッドは気を取り直したように明るい声を出してアウラを促した。
アウラはとりあえずデイヴィッドに付いて行った。
目の前にアイスクリームを差し出されても胸に刺さったとげは抜けそうもない。
アイスクリームくらいで懐柔しようなんて。とか思ってしまうくらいにはささくれだっていた。
さっきからぐるぐると胸の中で回っている嫌な感情。初めて見た。デイヴィッドと仲良しさんだという女性を。
あの女性は、完全にアウラのことを子ども扱いしていた。それがどうしようもなく悔しかった。同じ舞台に上がることすら彼女の中ではありえないのかもしれない。
「デイヴィッドはあの人と……一緒に眠ったことがあるのね」
気が付いたらぽつりとつぶやいていた。
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