オルフェリアという女性
◇◇◇
もちろんアウラの中ではまったくもって消化不良だ。
けれど覚えていないデイヴィッドに何かをしてほしいわけではない。謝罪もいらない。だって、アウラは特に嫌ではなかったから。最初こそ固まってしまったけれど、デイヴィッドが相手なら別に嫌悪することではない。実際にあの日の夕方に帰ってきたデイヴィッドにアウラは抱き着いてみた。結果は良好。まったく嫌な気持ちにはならなかった。
消化不良の原因は彼が口にしたオーリィという名前について。
アウラはこういうとき誰に聞けばいいのかわかっている。
「で、私のところに来たってわけ?」
「うん」
シモーネは面倒そうな声を出したが、一応部屋の中へ招き入れてくれた。
ピアノの練習の後のことだ。
最近になってアウラにはロルテーム語の家庭教師もつくようになった。
デイヴィッド曰く、普段の話し相手が自分とシモーネだけではアウラのロルテーム語能力が著しく偏るからです、とのことだった。
妙に鬼気迫った顔でずいと迫られたのでアウラはうっかり首を縦に振ってしまった。
「あのね、オーリィって誰のことか教えてほしいの」
シモーネは飲みかけていたカップから口を離した。
「誰から聞いたの?」
「デイヴィッド」
「じゃあ彼に問いただせば?」
「だって、デイヴィッド寝ぼけていたもの」
眉根を寄せたシモーネにアウラは先日の出来事を話して聞かせた。
話を進めていくとシモーネの眉間にどんどん皺が寄っていった。
「なるほど……。どうしようもないわね、あの男」
それが彼女の第一声だった。
「それで、オーリィってシモーネも知っている人? あの人、好きですって言った」
「聞いてどうするの?」
「わからない。でも、知らないのはいや。わたし、デイヴィッドのことなら何でも知りたい」
アウラは真摯に言い募った。
嘘じゃない。人には知られたくないことがあることくらいわかっている。
アウラだって、父を失ってからのことでまだデイヴィッドに話せていないことはたくさんある。
「あんた、デイヴィットのこと好きなの?」
アウラは考えた。
彼が帰ってくるのを出迎えるのが好き。デイヴィッドのただいまを聞くと心が温かくなるし、おかえりなさいと返した後、彼が少し嬉しそうに目を細めるとアウラも嬉しくなる。
一緒にご飯を食べるときのたわいもない会話や、アウラの好きな食べ物を自分の皿から分けてくれるときの彼の声音。
そういう小さなことがアウラにはたまらなく大切なことに思える。
「うん。わたし、彼のこと好きよ」
「わたしが前に言った言葉覚えている?」
「だって、好きになっちゃったんだもん」
アウラは素直に認めた。
深入りなら十分にしたし、たぶんシモーネの忠告は正しかった。
彼のような大人はアウラには手に負えないのも分かっている。
「あーあ、デイヴィーも酷い男よね。こんな純粋な女の子拾うんだもの。今からでも遅くないからやめておきなさい」
「無理。だって、止められない」
アウラは即答した。
認めてしまえば好きという感情はあっさりとアウラの心の中に居場所を作った。
「苦労するわよ」
「今現在しているって自覚ならある」
「それは結構なことね」
「だから、本題。オーリィって誰?」
シモーネはカップに口をつける。
そして観念したように立ち上がる。
「おいで」
アウラも続いた。
屋根裏部屋から階下へと降りていく。
シモーネが立ち止まったのはメンブラート家のお嬢様の部屋の前だった。
アウラはぎくりとした。
「察しの通り、オーリィはバステライド様の娘よ。彼の三女でオルフェリア・レイマ・メンブラートっていうの」
かつてのこの部屋の持ち主。
デイヴィッドは言っていた。彼女がこっちにもどってくることはない、と。
「わたし彼女のドレス使っていた」
「悪趣味なことすると思ったわよ。好きだった女のドレス着せて。しかも、同じ瞳の色をしたあんたに」
「同じ色?」
「そう。オルフェリアはあんたと同じ紫色の目をしていた」
開き直ったのかシモーネは色々なことをアウラに教えてくれた。
彼女がこちらへ連れてこられた理由と、彼女には婚約者がいたこと。それからデイヴィッドがオルフェリアに横恋慕をしていたこと。
恋人と別れさせられたオルフェリアはバステライドと一緒にダガスランドへとやってきた。前から彼女に懸想していたデイヴィッドはオルフェリアを口説いていた。
けれど結局はダガスランドまで追いかけてきた元婚約者の手を取った。
「最初にオルフェリアの残したものを取りに来たときはわたしが部屋の中まで入ってね。適当に見繕ったの。行き倒れた女の子を介抱して、彼女用の着替えが必要だとかなんとか言われて」
デイヴィッドがどこからか調達してきた室内着や日常着。
「ま、最初は必要に駆られてというか、再利用って意味もあったんだろうけど。あんたってばあの子と同じ目の色しているし」
「わたし、オルフェリアに似ているの?」
「うーん、正直言うと顔はオルフェリアの方がきれい。人形みたいにね、きれいな顔をしている子なのよ。あの子くらいにきれいな子、わたし前の劇団で一人知っているくらい」
シモーネははっきりと言ってくれた。
自分よりもきれいな女の子。
この部屋に住んでいたデイヴィッドの想い人。
「デイヴィッドはまだオルフェリアのことが好きなのかな」
「寝ぼけて言ったんでしょ」
「うん」
アウラは鉛球でも飲み込んだかのように体が重くなるのを自覚した。寝ぼけていたからこその本心なのだ、きっと。
「最初っから最後まであの子がデイヴィッドを相手にすることなんてなかったわよ」
「どうして? デイヴィッド優しいのに」
アウラは思わず反論した。
「あんたにとってはいいことでしょうが。それとデイヴィーのどの辺が優しいの?」
シモーネは心底理解できないといった口調だ。
「え、全部」
「すり込みってこわいわー」
オルフェリアがここに住んでいた痕跡は主に彼女の残していったドレスや宝飾品だけで、それも全部バステライドが勝手に作らせたものだけという話だった。
全部あの子がそでを通したってわけでもないはずよ、とシモーネは付け足していたけれどアウラにとって重要なのはそういうことではない。
問題は彼がまだオルフェリアを好きかどうかということ。
あんな風に寝ぼけ眼で名前を呼ぶだなんて。
まだそんなにも彼女に心を預けているのだろうか。
アウラは彼女と同じ目の色だったから彼に拾われた。そのことがショックだった。
彼にとってはアウラはオルフェリアの身代わりなのだろうか。
手に入らない女性の代わりにアウラを手元に置くことにしたのだろうか。だったら、早く手を付けてしまえばいいのに。
他の女性は抱くのに、アウラには一切手を出さないなんてそんなのあんまりだ。
アウラは暗雲たる気持ちで帰路についた。
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