寝ぼけたデイヴィッド

◇◇◇


 朝起きたアウラは階下へと降りて行った。


「デイヴィッドは?」


 ファーカー夫人に問えば、「旦那様は夜分遅くにお戻りになりましたけれど、まだ眠っておられるようですよ」と帰ってきた。


 昨日は待っていたのにアウラの起きている時間には結局帰って来なかった。

 夜は冷えるから眠ってくださいとファーカー夫人に諭されてしぶしぶ寝台へともぐった。


 アウラに与えられた仕事のうちの一つ。

 それは彼におかえりなさいということで、アウラがデイヴィッドに与えることのできる言葉の一つ。仕事を取り上げないでほしい。


 アウラは二階へと舞い戻った。

 昨日も女性と一緒だったのだろうか。

 自問してからアウラは自分で答えを導き出す。たぶんそういうことなのだ。


 アウラは気持ちが沈むのを自覚した。

 自分は駄目でよその誰かはいいなんて、意味がわからない。


 アウラはデイヴィッドの寝室の扉をそおっと開けた。

 デイヴィッドはまだ夢の中ということか。

 もう少し寝かせてあげた方がいいのかな、それとも起こしたほうがいい?


 今日もきっと仕事だろう。

 だったら起こしたほうがいいかもしれない。


 アウラは寝台の傍らに立ってデイヴィッドを覗き込んだ。


「ねえ、デイヴィッド起きて。朝、朝」


 アウラは声をかけた。

 デイヴィッドはうんともすんとも言わない。眠りこけたままだ。

 今度は体を揺することにする。

 屈んで彼の体に近づくと、ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐった。


 心臓がどきりとした。


(やっぱり女性といっしょんだったんだ)


 嫌なことには目をつむることにしてアウラはデイヴィッドの肩を揺すった。

「デイヴィッド起きて。お仕事でしょう。朝食ファーカー夫人が用意したし、もう準備できている」

 彼の耳元で長い台詞を吐けば彼はくぐもった声を出した。


「起きた?」

「うーん……」

 デイヴィッドは薄眼を開いた。

 アウラは嬉しくなって彼の顔を覗き込んだ。


「……オーリィ?」


 彼が女の名前をつぶやいた次の瞬間。

 デイヴィッドはおもむろに腕を伸ばしてきてアウラを引き寄せた。


「あ……」

 アウラはデイヴィッドの胸の上に倒れこむ。


 デイヴィッドはもう片方の腕をアウラの背中に回した。

 寝ぼけているのだろう、そのままアウラの首筋に顔をうずめてきた。

 アウラは緊張して動けなくなる。


 いつかの状況が頭の中に渦巻いた。

 違う、彼はおばの息子じゃない。デイヴィッドはただ寝ぼけているだけ。

 アウラは必死に自分に言い聞かせる。


「オーリィ……好き……です」


 彼の吐息交じりの言葉を耳が拾ったとき。アウラの心臓が凍り付いた。

 嫌だ、と思った。アウラを抱きしめているのに、別の女の名前を彼はつぶやいた。

 動きを止めたのは一瞬で、すぐにアウラは強い力でもがいた。


「やっ……」

 アウラはどうにかしてデイヴィッドの腕から逃れた。


「デイヴィッドの馬鹿!」


 アウラは思い切り叫んでそのまま部屋を飛び出した。


◇◇◇



 なにかまずいことをしてしまった気がするとデイヴィッドは一応自覚をしている。

 なにしろ朝一番に聞こえた声が「デイヴィッドの馬鹿」である。

 寝ぼけたデイヴィッドがアウラに何かをしたに違いない。というかそうに決まっている。


 酒を飲んで眠りこけた男の部屋に勝手に入ってきたアウラもアウラだと思うが、ここは全面的に自分が悪かったと謝るところだろう。

 デイヴィッドは帰りの馬車の中で何度も帰宅後のシミュレーションを脳内で繰り広げた。


 結局朝はそれどころじゃなかったのだ。

 完全に寝坊だったデイヴィッドは身支度を整えるや否や家から飛び出した。


 そういえば今日は銀行家と会合の予定が入っていた。

 まずいまずい、あやうく遅れるところだったと行きの馬車の中で安堵のため息を吐いて、それからアウラのことを思い出したくらいだ。


 デイヴィッドは憂鬱な気持ちで自宅の扉を開いた。


「おかえりなさい」


 アウラは今日もきちんと出迎えてくれた。

 背中に垂らしたままの銀色の髪は、同じ年頃の少女らに比べると少し短い。

 長い移動生活の最中邪魔だから少し切ったと言っていた。

 丁寧に梳かされた髪は玄関広間の明かりを反射して光り輝いている。頬には赤みが戻っており、出会った頃よりもだいぶふっくらと健康的になった。


「……ただ、いま」


 中紅花色の室内着には裾に花模様が刺繍されている。オルフェリアほどではないが、アウラも整った顔立ちをしている。

 というか、メンブラート家の娘たちは皆それぞれ世間の基準よりもだいぶきれいな顔造りなのだが。


 アウラはじっとデイヴィッドを見つめて、それから何を思ったのか突然にデイヴィッドに抱き着いてきた。


「えっ……と。アウラ?」


 さすがに意味が分からなくてデイヴィッドはアウラの名前を呼んだ。

 アウラは応えない。

 そのままじっと両腕をデイヴィッドの背中に回したままだ。


「アウラ何をしているんです?」

 二回目の問いかけでアウラはあデイヴィッドから離れた。

「実験」

 彼女の口からでた返事はデイヴィッドの予想を超えたものだった。


「意味が分かりませんが」

「分からなくていいことだから」

「はあ」

 生返事をするしかない。


(さすがに十四歳の考えることにはついていけませんね。これが年を取るってやつですか)


 デイヴィッドは今年二十七になる。

 目の前の少女とはだいぶ年が離れている。


「今日は早かったのね」

「え、ええまあ」

 微妙にあてこすられているらしい。

「ええと、アウラ。今朝のこと謝らせてください。寝ぼけていたとはいえ、僕はあなたに失礼なことをしたのでしょう?」


 デイヴィッドは自分の用事を済ませることにした。謝らないことにはどうにもすっきりしない。

 デイヴィッドの謝罪の言葉を聞いたアウラはしばしのあいだ黙り込む。


「デイヴィッド、もしかして……覚えていない?」

「面目有りません」


 デイヴィッドは項垂れた。

 実はなんにも覚えていない。

 馬鹿と言われた前のことは記憶にないのだ。だから相当酷いことをやらかしたのだろう。


「そう。ならいい。別にそこまで酷いことじゃなかったし」

「そこまでって、それ聞かされるとあのときの自分を殴りたくなるので、とりあえずアウラ、一発僕を殴ってください」

「どうして?」


「寝ぼけていたとはいえ、あなたが馬鹿と言うくらいには最低なことをしたのでしょう?」

 アウラは首を横にした。

「わたしはあなたを殴らない。この件はこれで終わり。わかったら上着を脱いできて。夕飯できている」


「あ、はい……」

 結局主導権を握られたままこの会話は強制的に終了となった。


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