母の指輪とアウラの言葉
新しい年を祝うとき、アウラはいつも両親と一緒だった。
今年、二人はアウラの側にはいない。
その代りに隣にはデイヴィッドがいる。
アウラとデイヴィッドはホテル『ラ・メラート』へとやってきていた。
今日は一年の感謝を込めた従業員の慰労会の日。
デイヴィッドは不在のオーナーの代わりに少しだけ顔を出すとのことでアウラも同行することになった。
「そう言えばアウラとこうして街を散策することなんてあまりなかったですね。年暮れには贈り物を贈り合う習慣があるでしょう。なにか欲しいものはありますか?」
慰労会の時間まで余裕があったため、現在二人はホテル界隈を冷やかしながら歩いている。
マグアレア通りからすこし外れた小さな通りだけれど、品質のよいものを置いた店が点在している。
「デイヴィッドからはたくさんもらっているから……とくにほしいものはない」
住むところと食べるものを与えてくれるだけでアウラは満足だ。
「そう言われるとつまらないですね。もっと保護者らしいことをさせてください」
保護者という言葉になぜだか胸の奥がざわついた。
「じゃ、じゃあわたしもあなたになにかあげる」
アウラは名案とばかりに言葉を弾ませる。
「アウラからですか? うーん、何がいいのかな」
予期せぬ言葉だったらしくデイヴィッドは珍しく考え込んでいる。
「子供は子供らしく大人から与えられておけばいいんですよ」
ははは~、と気の抜けた笑い声と共にそんな言葉が返ってきた。
「わたし、もう十四よ。子供じゃないし」
「僕からみたら立派な子供ですよ。昔家庭教師をしていた時の生徒よりも子供ですし」
「そんなことしていたの?」
初耳だった。
「ええ、バスティの命令で潜入工作をしていたときに」
「潜入工作? バステライド様って実業家ってきいた」
「ま、大人の世界には色々とあるんですよ」
「ふうん?」
はぐらかされてしまった。
「そのときの生徒って女の子?」
「ええまあ。男の子もいましたけど」
「ふうん」
二人はそのまま通りを歩いていく。
時折デイヴィッドはアウラを見ているようでもっと遠くのものを見つめているようなことがある。
それは彼がかつて家庭教師をしていたからなのだろうか。
そういう視線に気づくとアウラは彼をこちら側へ引き戻したくなると同時に声を掛けられなくなる。
歩いているとアウラはある一軒の店の軒先で足を止めた。
見覚えのある指輪が飾られていた。
「どうしました?」
「ううん。なんでもない」
「嘘はいけませんね、アウラ」
デイヴィッドはさっさと店の扉を開けて、中へと入ってしまった。
アウラはデイヴィッドを追いかける形で店内へと足を踏み入れる。
「それで、アウラは何を見つめていたんです? あそこには指輪ばかり飾られてしましたけど」
「いらっしゃいませ。あちらのコーナーでなにか気になるものでも?」
「べ、別になんにも」
アウラはしらばっくれた。
「それでしたら今すぐにマグアレア通りに戻って買い物することにしましょうか。あなたのドレスと靴と帽子と……」
「緑色の石のついた指輪!」
デイヴィッドが物騒なことを言い始めたのでアウラは被せるように叫んだ。
彼の給料でそんなに大量にものを買わせるのはしのびない。
「緑色の指輪ですか」
店主はカウンターからでてきて、窓際へと進んだ。
「ええと、どれですかな」
仕方なくアウラは店主に目当てのものを教えた。
店主はそれを取ってくれてアウラへ渡した。
「それがどうしたんです?」
「これ……お母様の指輪と似ていて」
アウラはぽつんとつぶやいた。
「ああそれですか。裏に刻印がされているんですよ」
アウラは慌てて指輪の裏を見た。
そこには贈り相手の名前の頭文字が書かれていた。
「お母様の名前と同じ頭文字……」
アウラはじっくりと指輪を眺めた。アウラが覚えている意匠とそっくりな形をしている。
船旅の最中に亡くなった母の遺品。
遺体を船の中へ置いておくわけにはいかないと、母は水葬と称して海へ流された。
「それがどうしてここに?」
デイヴィッドがつぶやいた。
アウラは唇をかみしめた。
「それを売りに来たのは婦人でしたよ。ええと、髪の色はお嬢さんよりも濃い灰色だったかな」
おそらくおばだろう。
彼女はアウラの荷物の中から目ざとく金目のものを見つけては取り上げたから。
曰く世話代とのことだった。
母の遺品だから返してほしいと何度も懇願したのにそのたびにうるさいとあしらわれた。
それがいつの間にか売られていた。
アウラは悔しくて目から涙が浮かんできたが唇をかみしめて必死に耐えた。
この店は質屋ということだ。
「そうですか。では店主、それをください」
デイヴィッドは店主に話しかけた。
「毎度ありがとうございます」
店主はデイヴィッドに猫なで声を出す。
デイヴィッドは財布を取り出して店主の提示した金額を払った。
どんなに困窮しても最後まで母はこの指輪を手放すことがなかった。
最後の最後、亡くなる直前に母は荷物の中に指輪が入っているからあなたが持っていなさいとアウラに教えた。
「でも、デイヴィッド」
アウラはたまらずに叫んだ。
デイヴィッドは目元をやわらげたままアウラを見つめた。
代金を受け取った店主はうやうやしくデイヴィッドに頭を下げて、彼はその仕草に片手をあげて応えてから店の扉を再び開けた。
一人で勝手に出て行ってしまうからアウラは慌てて追いかける。
「デイヴィッド、どうして」
追いついたアウラはデイヴィッドを問い詰める。
「どうしてって、あなたの大事な物なんでしょう?」
「そ、そうだけど」
「だったらありがとうって言って受け取っておいてください。あなたへの贈り物です」
柔和な目元が細められていて、さらに優しい顔になっている。
アウラの胸が締め付けられた。
彼は、いつもアウラに与えてくれるばかりだ。
「でもわたし……なにも返せない」
「そうですか? アウラに毎日出迎えてもらえるの、結構楽しみにしているんですよ」
「で、でも……」
それって別にわたしじゃなくても、と思う言葉をアウラは飲み込んだ。
「しっかりしまっておいてください」
デイヴィッドの言葉を受けてアウラは買い戻してもらった指輪を外套の内側のポケットにしまった。
彼にはアウラがダガスランドにやってきた経緯をかいつまんで話してある。
父が大学教授をしていたから、デイヴィッドはその話をもとにしてアウラとデイヴィッドの共通点を作り上げた。
彼は昔歴史研究者だったそうで、その関係でリューベルンにも行ったことがあるそうだ。
「わたし……そうだわ。わたしあなたに体をあげる」
アウラは名案とばかりに言い切った。
アウラだってもう十四歳で、体だって大人のそれになってきている。
彼女の言葉にデイヴィッドがぎょっと目を剥いた。
「アウラ何を言っているんです? ていうか、意味わかってます?」
こんな風に動揺した彼を見るのは初めてで、ほんの少しだけ嬉しくなった。
「意味ならちゃんと知っている。だから言ったの。わたしがあげられるもの、それくらいしかないから」
アウラの言葉を聞いたデイヴィッドは立ち止まってアウラの方を向いた。
そして少しだけ強い力でアウラの頭の上に手を置いた。
「そういうことは金輪際絶対に口に出してはいけません。世の中には変な男もたくさんいるんです。自分を安売りする発言は絶対に駄目です」
「どうして? だってデイヴィッドはお腹空いていたら女の人食べちゃうんでしょう。どうしてわたしは駄目なの?」
「なんとなく出所がわかりました。シモーネですね」
「あっ……」
アウラは慌てて両手で口を押えた。
結局デイヴィッドはそれ以上何も言うこともなく、ホテルへと戻ることになった。
なんとなく気まずいまま慰労会に参加をしたアウラはホテルの支配人らに紹介をされた。
あの時の少女だということは知られているので白々しいなとは思ったけれど、支配人らは特に言及するでもなくデイヴィッドの作り上げた話に神妙に頷いているだけだった。
銀色の髪を丁寧に梳かしてリボンを付けたアウラはどこからどうみても良いところのお嬢さんで、従業員らは彼女に好奇の視線をしばし寄越した。
居心地が悪いなと感じるとさりげなくデイヴィッドが近くへ戻ってきてくれて不躾な視線から庇ってくれた。
彼が親しくしているところを見せつけて、牽制してくれているのだ。
そういう気遣いが面映ゆくてアウラはデイヴィッドの顔を直視できなくなる。
家に帰ってからもデイヴィッドは何事もなかったかのように振舞った。
結局アウラの提案は無かったことにされたのだ。
それはよかったのかもしれない。
彼の口調が案外に厳しくて、アウラはあのときびっくりしたから。
それに、本当に彼がその気になったらアウラは受け入れることができたのかも今となっては分からない。
だったらどうして自分をあげるなんて言ったのか。よくわからないけれど、あのときは本気でそれが一番だと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます