少女へのほどこし


 男たちの陰から姿を現したのは汚れたドレスを身にまとった銀色の髪をした痩せた少女だった。


「女というより、まだ子供ですよね」

 デイヴィッドは従業員の男をじろりと横目に見た。

「い、いやあ……」


 言外に、いい趣味していますねぇと言われた男は顔を真っ赤にして硬直した。

 取り囲まれていた少女はまだ十代も半ば頃だろう、あどけなさが残る顔つきをしている。


 くすんだ銀色の髪に濃い紫色の瞳をした少女だった。


「それで、勝手に敷地内へ引き込んだのか」


 支配人が咎めるような声を出せば従業員の男たちは「すみませんでしたぁぁぁ」と散り散りに逃げ出してしまった。

 重役の内何人かがため息をついた。


「まったく……。デイヴィッド様、お見苦しいところを見せてしまいました。あいつらにはよくよく言って聞かせます」

「ええ、そうですね。駄目ですよ、年端もいかない少女を威圧したら、と言っておいてください」


 デイヴィッドは平素と変わらないふにゃりとした笑顔のまま支配人たちを見据える。

 支配人たちは笑顔の裏の感情を推しはかろうとしているのかしばらくのあいだ沈黙していたが、あきらめたのか今度は矛先を件の少女へと変えた。


「それで、おまえさんはいつまでここにいるつもりだ。我がホテルではしかるべき紹介状のない者は雇わない主義でね」

 一人の男がついっと前へ躍り出る。


「あ、あの。わたし、なんでもします。お客様の前には出ません。荷物運びでも、掃除でも料理の下ごしらえでもごみ捨てでもなんでもします。ですから、ここで雇ってください」


 少女は一気に話した。

 大の男たちに注目されていると少なからず緊張で声が一部裏返ったりするものだが、彼女は少し早口ではあったがしっかりと発音した。


「おまえ、今の話を聞いていなかったのか。紹介状のない人間は雇わないと言ったんだ」

「紹介……状?」

「紹介状も知らないのか。まったく。おまえみたいな薄汚れた子供など雇うものか。さっさと出ていけ」

 男たちは少女を敷地内から追い出そうとする。


「で、でも!」

 少女は尚も言い募ろうとする。


 誰か味方になってくれる人間はいないか、とこの場にいる男たちに視線を走らせる。

 一瞬だけ、紫色の瞳と目が合った。


 内心の緊張と恐怖が少しだけ瞳の中を泳いでいた。揺らぐ心を現したかのような、危うい紫色の瞳。

 デイヴィッドはつい、彼女と重ねてしまった。自分の心を奪ったバステライドの三番目の娘、オルフェリアと。


 知らずに足を一歩踏み出していた。


「まあまあ。皆さん寄ってたかって駄目ですよ。すっかり怖がっているじゃないですか」


 デイヴィッドは庇うように彼女の隣に立つ。支配人らと対面するように立つと彼らは一斉にデイヴィッドの視線から逃れようと顔を動かした。


「シャーレン殿」

「いえ、そんなつもりは……」

 支配人以下男たちはばつが悪そうにもごもごと口の中で言い訳を口にする。


 デイヴィッドは少女に近づいた。

 少女は傍らに立つデイヴィッドの顔を注視する。この場で一番若いのに、発言力を持った男。彼女の目にもデイヴィッドが一番力を持っていることが明らかなのだ。


「それで、お嬢さん。今住んでいる場所は?」

「そ、それは……」

 少女は言いよどむ。

「なんだ家なしか」

 誰かが吐き捨てた。


 少女は何かを言おうとしたが、結局何も言わなかった。おそらくは図星なのだろう。


「ごめんね、僕は一応偉い立場ですが。素性の分からない子を雇うわけにはいかないんですよ。今日のところはこれで勘弁してもらえないでしょうか。これだけあればしばらく雨露はしのげます」


 デイヴィッドは上着の内側から財布を取り出して大した確認もせずに中身を取り出して少女の手のひらに載せた。


 手に取った硬貨は銀貨が十数枚。

 少女は己の手のひらに収まった銀貨に目を見張り、それからデイヴィッドを仰ぎ見た。


「あ、そうだ。これもあげます。甘くておいしいですよ」


 デイヴィッドは財布を取り出すときに一緒に手に当たったキャラメルを取り出して追加で少女の手のひらにのせた。

 いつも持ち歩いているものだ。


「違う……。わたし、お金が欲しいんじゃありません! わたし、仕事さがしてる……です。お金、使ったら終わり。仕事しないとわたし、稼ぐ、できない……です」


 少女は言葉を選びながらデイヴィッドに自分の思いを伝えようとする。

 急にたどたどしくなったロルテーム語に、デイヴィッドは目の前の少女はまだこちらにきて日が浅いのではないかと思った。

 最初の言葉はおそらく頭の中で何度も練習したのだろう。


「きみ、かしこいですね」

 そう言ってデイヴィッドはもう一度お財布の中から硬貨を取り出した。今度は金貨だ。

 少女の手のひらに追加で乗せてやる。


「これだけあれば小さな下宿ならふた月は借りれます。ちゃんと身なりを整えて、身綺麗にすればどこか働き口が見つかるでしょう」

 デイヴィッドはにこやかな口調で彼女に伝え、一緒に裏口から外へ出る。


「シャーレン殿」

「ああ、今日はもうこれで解散でいいです。この辺も治安が悪くなってきているんですかね。今後はあまりこういうことのないように」

 デイヴィッドは言いたいことだけ言ったあと少女をうながして大通りの方へと回った。


「違う。わたし、こんなこと頼んでない」


 少女は不服気だがデイヴィッドは取り合わない。

 ある者が無い者に施しを与える。

 ただそれだけ。手の中に納まる硬貨を使えば少女は向こう半年くらいなら働かずに暮らせるはずだ。贅沢をしなければ、の話だが。


「じゃあ僕は用事があるのでこれで」


 デイヴィッドは少女の主張に耳を傾けることなく大通りで待たせてあった馬車に乗り込んだ。

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