ホテル『ラ・メート』にて

 日も落ちかけた頃合いにデイヴィッドはとあるホテルへと赴いた。

 ダガスランドでもとりわけ大きな通りであるマグアレア通りに面したホテル『ラ・メラート』。


「これはこれは、シャーレン殿。来るなら来ると一報をいただければもっとスムーズにご案内をできたものを」

「いやあ、急に立ち寄りたくなってしまいましてね」


 デイヴィッドに揉み手で腰を低くした五十代の男は『ラ・メラート』の雇われ支配人。

 元はフラデニアのホテルで長く働いていた男で、バステライドが売りに出されていたホテルを買い取った際、ルーヴェから引き抜いてきたのだ。


 家族共々ダガスランドに移住し、現在はホテル一切の取り仕切りを任されている。

 彼がデイヴィッド相手に下手に出るのは、デイヴィッドがバステライド直属の部下であるからだ。


 支配人とバステライドを取り持つのが彼の仕事なのである。

 そして今日デイヴィッドがホテルを訪れたのも視察が目的だった。

 デイヴィッドは平素のへらっとした毒っけのない笑みを顔に張り付かせてホテル内を適当に散策する。


 支配人以下数名の役職持ちの男たちがデイヴィッドの後ろに付き従う。

 彼らはデイヴィッドが抜き打ち検査をしに来たことを正確に理解している。

 それでも一応毎回彼らはデイヴィッドに言うのだ。『一報をくれれば丁重におもてなしできるものを』と。

 そんなことをしては抜き打ち検査の意味がないではないか。


(ま、一応従業員の教育も行き届いているみたいですし掃除もちゃんと行われているようですしね)


 デイヴィッドは邪気のない笑みを浮かべたまま気の向くままに歩き回る。

 客は羽振りの良い金持ちばかり。

 西大陸張りのサービスと居心地の良さと前面に押し出し、主にディルディーア大陸からの旅行者をターゲットにしたホテルだ。


 従業員を監督する立場の者はほぼ全員がフラデニアやロルテームから引き抜いてきた。

 西大陸人の、ダガスランドのホテルはきれいだけれどそれだけ、という不満を解決するべくバステライドが作り上げたホテルである。(結局西大陸の人々はアルメート共和国を歴史もなにもない寄せ集めの国だとみなしているのだ)


「いやあ、皆さんしっかり仕事に励んでおられてうれしいですね」

「そうでございましょう。皆、誇りをもって働いております。特に接客係のしつけは厳しく行っておりますからね。西大陸からのお客様がたの満足度も高いですよ」


 支配人は誇らしげに胸を張る。

 そこらへんのホテルとは格が違うのだ、と言いたげだ。


「そうですね。皆さんそれぞれ故郷では名のあるホテルでびしばし腕を磨いておられましたからね」

 デイヴィッドはとりあえず支配人を持ち上げておいた。

「さあ、視察はこれくらいにしてあとは奥で打ち合わせでも」


 支配人の言葉をさくっと無視をしたデイヴィッドはそのまま従業員専用区画まで足を延ばして興味の向くままにさまざまな扉を開けていった。


 視察というのはこういう適当さが物を言うのだ。

 こいつはどの扉をあけるか分からないから、見えないところまできちんとしておこうと思わせないとだめなのである。


 デイヴィッドはそのまま裏口から裏庭へと出た。

 宿泊客の使わない従業員や出入りの業者が使う専用の区画だ。

 こういう気の抜けがちな場所の視察もデイヴィッドは定期的に行っている。

 昔バステライドに『きみの視察って小姑並みにねちっこいよね。ほんと』と言われたことがある。


 ホテルの裏庭には男が数人いた。

 休憩中だろうか、煙草を吹かしている人がいるのか煙が流れてくる。

 彼らはデイヴィッドに気が付く様子もない。

 男たちの声が聞こえてきた。その声は嘲笑を帯びている。


「なんでしょうね」

 デイヴィッドは好奇心の赴くまま男たちに近づいた。

 男たちは何かを取り囲んでいた。


「なあ、ちょっとくらいいいじゃあないか。仕事欲しいんだろう?」

 デイヴィッドはおやっと片眉をぴくりと持ち上げた。

「おまえさんみたいな女、下働きもできやしねえよ。だったら俺たちとちょっと遊んでくれたらもっといい金払ってやるからさ」


 話しぶりからして相手は女のようだ。デイヴィッドはふうむと顎に手をやる。

 それを見て慌てたのは支配人らの方だった。


「きみたち、何をしているのかね」


 デイヴィッドよりも先に支配人が先に口を開いた。

 突然聞こえた上役の声に驚いた男性従業員たちはいっせいにこちらに振り返ってぴしりと固まった。

 何しろいつの間にかホテルの幹部らが背後で仁王立ちしていたのだ。


「それで、おまえたちは休憩中とはいえ敷地内で何をしていたんだ?」


 支配人はもう一度問うた。

 男たちは目に見えて動揺し、それから一人が声を上擦らせながら言い訳を始めた。


「そ、それが。この女が仕事を探しているとそこの裏門から声をかけてきましてですね。今しがた丁重にお断りを申し上げていたのでございますよ」

 緊張のし過ぎか丁寧語なのか遜っているのか分からない不可思議なロルテーム語を話す始末だ。

 従業員らはさっと体をずらした。

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