十三 つちうるおうてむしあつし

  つちうるおうてむしあつし


「昨日はどうでしたか?」

 朝、顔を見るなり、葵さんはそう云った。

「もう、全部わかってはるんでしょ?」

 僕は少し気難しいそぶりを見せた。

 自分でも子供じみていると思う。仕事上の過失に逆ギレして報告を怠る。社会人としてあるまじきことだ。

「わかりませんよ。でも、光琉くんがうれしいのか、悲しいのか、それはなんとなくわかりますけどね」

 社務所のカギをあけると、葵さんはそう云って中に入って行った。

 葵さんはやさしい。なんでも自由にやらせてくれる。どうやらその優しさに、僕は、甘えていると云えそうだ。

 台風は朝には関西を抜け、東海にさしかかり、北陸、関東へ向かっていた。各地で被害が広がっているという。さらに、昨晩は九州の霧島山で小規模な噴火があった。台風が通り過ぎたところは今度は火山だ。


 ひととおり掃除をすまし、ちゃぶ台をはさんでいつものミーティングをはじめた。

「いったいこの数日なにをしてたか、詳しくお話します」

 葵さんはけして自分から聞きはしない。実際何一つ聞かれはしなかった。しかし、社のものを持ち出して使用し、それがバレた以上、詳しく話さなくてはなるまい。

 すべて葵さんの思惑通りなんだろうか。

 葵さんは、キチンと正座をし、両手を一つにして膝にのせる。緋色の袴がふわりと広がり、お雛様のようだ。

「幼なじみの女の子がいて、そん子が二年前からこの時期になると、全身が痛いという症状を出すようになったんです。それで、何とかしようと、神器を持ち出してしまいました」

 僕は早口にそう云って頭を下げた。報告というよりは云い訳に近かった。

「きちんとお伝えしておきますが、この神器は神様同様です。無断で持ち出すなど、言語道断です。以後はないようにしてください」

 葵さんは不動明王のような眼をして厳しい口調でそう云った。

「はい」

 僕はもう一度頭を深く下げた。

「それでは、詳しく話してくれますか?」

 葵さんはもういつものように笑顔になっていた。

 僕は、澪ちゃんから聞いたことを事細かに全部話した。メモを取っていたのでもれなく伝えられたと思う。

「なるほど……」

 葵さんは右手を顎につけて、ちゃぶ台にひろげられた薄いピンクに白い花柄のメモを見ながら考え込んだ。

「とにかく、その渡辺さんから正式に依頼がないことには、私たちは動くことができませんから、そのように説得してください」

 僕は俯いたまま聞いた。

「なんでわかったんですか?」

 葵さんはいつものように笑った。

「私もね、覚えたての頃、内緒で友達んところいったり、知り合いのところいったりしてたんです。試したくなるのと、困っている人を見ると、なんとかできるんじゃないかって思っちゃうんですよね。もう十五年も前の話ですけど」

 葵さんにも、そういう時があったのか。それはとても新鮮で、不思議な感覚だった。葵さんは最初からなんでもできていたようなイメージがある。

「なんとかしたいって気持ちはだいじですよ」

 僕のしたことは、許されることではない。大きな事故につながって、それこそ澪ちゃんが自殺でもしようものなら大変なことになる。これは『除霊』の話だが、中途半端に行えば、行方不明になったり、家族で心中したり、そういった事故につながる事件もたくさんあるのだ。それが『催眠療法』であっても、安易に行えば危険であることは間違いないだろう。

 そうでなくても、葵さんには、もっと僕を叱る権利があるはずだ。今はなにを云っても聞く耳を持たない。葵さんには、そのこともよくわかっているのかも知れない。

 確かに僕は、甘ったれた態度で落ち込んだ風を装っていた。

 本人にそのつもりはないのだろうが、『落ち込む』とは、人の気を引くことに他ならない。こんなに辛いんだとアピールすることで、周りの同情を引くのだ。そこには、『気を引きたい人』の存在があるはずだが、それが誰だか僕には意識がなかった。しかし、現に葵さんに気を使わせていることを考えれば、それもおのずとわかってくる。

 僕は、葵さんの気を引きたいらしい。残りの仕事をこなしながら、ゆくりなくそんなことを考えていると、自分の腑甲斐なさに情けなくなる気持ちは増すばかりだった。


 夕方、ファミレスの奥の喫煙席で、伊藤に呼び出された僕は、伊藤の吐く煙をよけることもせず、力なくうつむいていた。

「どや、なんかわかったんか」

 伊藤はぶっきらぼうになんの遠慮もなくそう吐き捨てた。

「あれからはなにも……」

 台風は速度を上げて見事に列島に沿って北上していった。そんな進路をとる台風を僕は見たことがない。今頃は青森から北海道のあたりだろう。

「ほんまか。俺が集めた情報とちゃうな」

 伊藤は身を乗り出して僕をじっと睨んだ。僕はうつむいたまま黙っている。頭の中はそれどころではなくて、ずっと澪ちゃんのことを考えていた。あれから澪ちゃんはどうなっているだろう。僕には、連絡する勇気が全くなかった。澪ちゃんからもメールが来ない。昼過ぎに、おっちゃんから、鬱に入ったのでしばらくは連絡がないだろうというメールが来た。

 正直、もう関わりたくないとまで思った。やっぱり、人とは深く関わらない方が身のためなんだと。

 そして、ここでもふさぎ込んで疲れ切った様子を見せることで伊藤の気を引き、あわよくば「今日はもう帰るか?」とでも云わせ、すぐにでも自分を解放してほしいと思っていた。ところが伊藤の口から出た言葉には、そんな配慮はまるでなかった。

「葵が昔祈祷した客に提訴されたって聞いたで」

 僕は思わず顔を上げていた。伊藤は僕の眼をむいたのを見て大笑いした。

「嘘やがな。そやけど、葵はどんな手口でインチキ祈祷をするんや?」

 僕はしばらく声も出せず、開いた口もふさぐことすらできなかった。

「なんや、最初に書類に印鑑突かせるらしいな」

 伊藤はタバコを親の仇のように灰皿に押しつぶす。

「ほんで? ほら、教えてくれや」

 僕は席を立った。

「どこ行くんや。ほら、報酬や」

 伊藤は全く動じずに、以前より分厚くなった茶封筒を投げるようにテーブルに置いた。

「いりません」

 僕は立ち去ろうとする。そもそも簡単な口約束だけで契約を交わしたわけじゃない。

「待てや」

 今度は定形外の大きな封筒をテーブルに放った。重みがあり、さっきより音をたてた。

「二年前の修復工事の資料や」

 僕には伊藤の意図が読めずにいた。今更そんなものを持ち出していったいどうするつもりだろう。

「葵の過去を知る貴重な資料や。おまえも興味はあるやろ」

 伊藤のその言葉は、確かに僕の興味を存分にひいた。二年前、葵さんはあの修復作業には関わっていないと聞いている。

「まぁ座れや」

 伊藤に促され、仕方のない風を装って席に戻った。

「とりあえず見てみぃ」

 云われるままに封筒を手に取ると、伊藤が今度はそれを制した。

「そのまえに、インチキの手口を教えてくれるか。心配すんな。悪いようにはせん」

 僕は伊藤を信用してはいなかった。信用していれば、バイトをやめたりはしなかっただろう。葵さんのところの紹介を受けたのは、純粋に霊能師の仕事に興味があったことと、伊藤から渡される報酬に惹かれたからだった。

 それでも、葵さんの過去を知りたいという欲求は思った以上に僕を動かそうとする。

「二年前の修復工事と、葵さんに何の関係があるんですか。その頃、加茂神社は人が駐在していなかったし、葵さんはボランティアには参加していないはずです」

 僕はこれまでとは違い、強い口調でそう云った。

「それが、葵はボランティアに参加しとったんや。どや、興味あるやろが」

 伊藤は灰を落としていないタバコを人差し指と中指に挟んだまま、明後日の方向を見て話す。僕は灰が落ちないかとやきもきした。伊藤の話に引き込まれないよう、わざとほかのことを考えようとしていたせいもある。だが、それも徒労に終わる。どうごまかしても、葵さんがボランティアに参加していたという話を無視はできない。

「何を知りたいんです?」

 僕は伊藤に負けた。

「葵の手口や。インチキやのに今までクレームがあった話はない。俺が調べた限りでは、だいたい予後も良好や。いったいどんな手口でお祓いもどきをやってるのかが知りたいんや」

 伊藤は早口でそう云いながら、やっと灰を灰皿に落とし、冷め切ったコーヒーをすすった。

「…… 催眠療法だそうです」

 僕は絞り出すようにそうつぶやき、伊藤はそれですべてを察したようだった。

「なるほど! 催眠療法ってあの前世療法とか退行催眠とかあんなんか」

 力なく僕がうなずくのを見て、伊藤は話を続ける。

「幽霊が自分に憑依したと思い込ませてしゃべらすんか」

 もう一つ僕は頭を落とす。

「理屈はわかるが、ほんまにうまいこといくんか?」

 伊藤の懸念はもっともだ。現場で見たものにしかわからないだろうと思う。僕は黙っていたが、僕が嘘をついていないのがわかったのか、伊藤は立ち上がった。

「インチキ霊能師のインチキ祈祷と、過失によって紛失された勾玉がもとで起こる大災害。ええ記事かけそうやろ?」

 伊藤はそのまま出て行った。僕の前には、伊藤が残した報酬の茶封筒と、二年前の記録が残った。

 記録を見た僕は愕然とした。

 

 勇気さんは、市の管理する施設を借りて、月に二回、居合剣術の道場を開いていた。

 久しぶりに僕は道場へ足を運んだ。勇気さんと話をしたいのと、身体を動かしたいのとが重なった。

 小さな体育館は、バスケットゴールが備え付けられ、バレーのネットなんかも張れるようになっていて、市民なら予約さえすれば低料金で使うことができる。

 そこに、袴姿の老若男女が二十名ほどいて、思いおもいに木刀を振っている。

 ファミレスからまっすぐによった僕は、木刀だけを借りて、Tシャツのまま素振りをはじめた。

 二年も来なかったので知らない顔ばかりだ。体育館の隅で私服のまま木刀を振る僕を、見学者かなにかだと思っているのだろう。それもなにやら気分がよくなかった。この道場は、もともと父がはじめたものだ。

 鬱積したヘドロのようなものを吐き出すつもりで力一杯木刀を振る。これは、もっともよくない例だ。木刀を振るときは、無心でなくてはいけない。ちょうど瞑想するような境地で、心穏やかに振らなければならない。

 がむしゃらに木刀を振る姿は、余計に素人に見えたに違いない。まして、五分も振れば息があがる。

「見学ですか?」

 勇気さんは、知っていてそう聞いてきた。

「違いますよ!」

 僕はなるべく他に聞こえない声で云った。木刀を置いて板間に正座し、呼吸を調えてゆっくり眼を閉じた。

 失敗続きだ。己惚れて葵さんの足を引っ張り、隠す癖が澪ちゃんを悪化させ、曖昧な態度が伊藤に利用されることをよしとした。

 人と関わるということを、うまくこなせていない理由が、己惚れや、悪い癖や、曖昧な態度や、つまるところ自分を良く見せたいという欲であると、痛いほど思い知らされていた。


「自分にできることを、一つひとつこなす。無理する必要も、強がる必要もない」

 勇気さんが云った。

 ちょうど、心の中の自分も、同じことを云った。

 もう一度木刀を手に取る。

 左手に持ち、右膝を立て、抜刀するつもりで真一文字に木刀を振る。両手に持ち直して上から振り下ろす。木刀を鞘へ収めるように左手に戻し、立てた膝を正座に戻す。

「基本の型一つでも、素人か玄人かはっきりわかるもんやなぁ」

 勇気さんはそう茶化す。

 自分にできることをこなす。自分にできないことを無理にやろうとしても、できないものはできない。

 自分にはどこまでできるのか。それを見過てば、苦しみが生じる。

 己惚れて、できることを多めに見積もれば失敗して苦しみ、落ち込んで、あるいはサボりぐせから少なめに見積もれば、成長を妨げる。

「まあ、できひんことに挑戦してこそやねんけどなぁ」

 勇気さんはそう云って向こうへ行ってしまった。 

 確かに、その言葉の持つ意味も十分に理解できる。挑戦すれば、失敗しようとも、苦しみを生もうとも、得るものは多い。

 ただ、まずは自分にできることを確実にこなすことからはじめないと。

 外は湿気ていて蒸し暑い。これからくる猛暑を嫌というほど予感させたが、僕の迷いは消えた。


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