1.女騎士とジャージ
「とりあえずリファ、まずはその鎧を脱げ」
「なぬ?」
主従契約的なものを交わしてからわずか三秒で命令を受けたリファは素っ頓狂な声を上げた。
「ここで生活していくにあたって、そんなもんは不釣り合いだ。代わりに俺のジャージ貸してやるからそれに着替――」
「な、なななな何を言ってるか貴様ぁ!
「次 俺 の
「ぴぃっ!?」
ドスを利かせた声でバカ女騎士を黙らせると、俺はベッドの下にある行李からジャージを引っ張り出して彼女に投げつけた。
「な、なんなのだこれは……」
「ジャージだ。男女共通の最も簡素にしてシンプルな衣服だよ」
「じゃ、じゃーじ……」
リファは受け取ったそれを広げてみてまじまじと見つめる。
どうってことはない、そのへんのデパートで買った安物のジャージ。ここで生活をしていく以上まず改めてもらうべきは服装だからな。
ちなみに。
今彼女の出で立ちは、胸と腰、および両の腕脚に金属製らしき薄めのアーマーを装備。腹部には長めのコルセットを着用。鎧の下には白いタートルネックのタンクトップと長めのスパッツのようなものを着込んでいる。
決して重装備というわけではなさそうだが、まぁ騎士といえばこんなもんなんだろう。
ワイヤードの衣服文化がどんなものかは知らないが、そんな突飛なものを着るようなところでもなさそうだし、衣服に関してはすぐに順応できそうかな?
「なんだか、随分と無骨な衣装だな」
「さっきも言ったろ。最もシンプルな衣装だって。グダグダ言わずにさっさと着ろ。俺は向こう行ってるから、終わったら呼んでくれ」
そう言って、一旦リビングの外に出ていこうとした時、リファの声が俺を引き留めた。
「ま、待ってくれマスター!」
「ん?」
なんだ? まさか一人じゃ着替えられないとか言うんじゃないだろうな。まぁそれはないか、お姫様とかお嬢様とかならまだしも……。
リファはしばらくジャージと俺を交互に見つめながらおずおずと言った。
「こ、このじゃーじとやらは……一体何を使って作られているのだ?」
「な、何って……?」
「いやな、この触り心地……私が知っているものとは違う素材で作られてるみたいで……羊毛でもないし、麻でもないし……」
あぁそっか。異世界にはやっぱ合成繊維なんてものはないだろうからな。
「ポリエステルだよ。合成繊維ていう、この世界の化学技術によって作られた素材だ」
「ぽ、ぽりえすてる? ……よくわからんが、この世界独自の物質でできているということか」
リファは小首をかしげながらも、ジャージの袖を引っ張ったり縫い目を凝視したりして観察している。よっぽど珍しい衣服らしいな。
「ところで、そのポリエステルとやらで作られた衣装は、どの身分の者が着ていい服なのだ?」
「へ?」
「いや、マスターの所持品なら問題ないとは思うのだが、一応な。もしこれが王族や貴族にのみ着用が許されるものであれば、受け取ることは出来ないからな」
申し訳なさそうにリファは言うが、俺には今ひとつピンとこなかった。
どうやらジャージの材質を聞いてきたことには何か異世界の身分制度に関係しているのか?
「ワイヤードでは、身分ごとに着られる服が決められているってわけ?」
「あ、ああ。ワイヤードには大きく三つの身分がある。王族と貴族、私のような騎士を含めた軍の人間、そして一般庶民および奴隷だ」
「ほぉ」
「その身分に応じて、衣装を作る際の材質にも違いがある。例えば絹は最上級の素材として、王族と貴族が着用する衣服にのみ使用が許可されている」
「ふーん……それで?」
俺は相槌を打ちながら続きを促す。
「次に私達騎士が着る衣装には、基本的に麻が用いられる。だが、軍の中で序列が高い者は綿を素材にしたのを着てもいいことになっているんだ」
そこでリファは鎧の下のタンクトップの生地をつまんだ。
「これも綿製だ。もっとも全部ではないがな。麻も多少混じっている」
「で、一般庶民は麻のみを着られるってか?」
「麻もそうだが、羊毛のように動物の毛を編んだ物もよく使われるな。私はあまり着たことはないが……」
「なるほど、そうやって素材によって身分の違いを表してるってわけね」
「うむ。ワイヤードの衣服がなす最大の意義だ」
得意げに語るリファに俺は肩をすくめつつ、
「ま、安心しろよ。ジャージは王族専用の服じゃないし、誰だけが着ていいなんて決まりもない」
「そ、そうなのか!? ならよいが……。まぁとにかくかたじけない。恩に着る、マスター」
「はいどうも」
俺はぶっきらぼうに返して今度こそ部屋を後にした。
数分後。
「終わったか?」
一応ノックをしてリビングに戻ると、そこには鎧を脱ぎ捨てて質素なジャージに着替えたリファがもじもじしながら立っていた。
ジャージ姿の女騎士。
もはや騎士要素など皆無だが、なかなか様にはなっている。
「ど、どうだろうかマスター? 変じゃないか」
「変っちゃ変だけど、気になるほどではないな。お前はどうなんだよ。初めての異世界の服の着心地は?」
「ん。悪くはないが……どうも肌触りが落ち着かないというか……」
俺は彼女が脱ぎ捨てたタンクトップとスパッツを拾いながら言う。
「なぁリファ、そういう合成繊維が生み出されたのはなんでかわかるか?」
いきなりそんな事を訊かれた彼女は小首をかしげながらしばらく考え込んだ。
「? 全体的に素材が不足しているから……ではないのか?」
「いいや、この世界にも絹や綿、羊毛だって溢れるほど流通している。でもそれでできた服はどれも万全じゃなかった」
「……というと?」
「例えば絹製の服。それは破れやすいという欠点を持っていた。違うか」
「確かに、帝国のご令嬢が、ドレスがすぐ破けてしまうという愚痴を耳にしたことがある。それに、貴族の方達からは衣服の注文のスパンが比較的短いと洋裁店の者も言っていたし……」
「そう。それは長持ちしにくいってことだ。そこでそういったデメリットを解消するべく開発されたのが合成繊維ってわけさ」
リファは心底興味深そうな様子で俺の話に聞き入っている。
「ポリエステル製の最大のメリットはその耐久性だ。さっきお前も引っ張ってみただろ? でもびくともしない」
「確かに」
「あとは吸湿性の低さだ。濡れてしまっても短時間で乾いちゃうんだよ。その分汗も吸いにくいけど、そのへんは下にシャツかなんか着てカバーするってわけ」
「なんと! そのような利点もあるのか」
「極めつけに、とても安価で入手できる。俺みたいな学生でも気軽に買えるくらいにな」
「安価? こんなに便利なのにか!?」
丸い目をして改めて自分の着ているジャージを見つめるリファ。
「むしろこんな便利なものこそ、それ相応のものが着るべきだと思うのだが……」
「……」
どうやら彼女はまだ帝国独自の価値観から抜け出せていないらしい。無理もないことだが。
身分制がなくなった歴史をここで語ってもすぐには納得出来ないだろう。俺自身、うまく説明できるかどうかわからんし。
「リファ、この世界ではな。服は自分の権力を誇示するためだけのものじゃないんだ」
「?」
「例えばお前が着ていた鎧。あれは何のために装備してる?」
「それはもちろん、戦闘に備えるためだろう。普段着のまま戦場に赴くバカが居るか」
「そう、それだよリファ。普段着と鎧、私生活と戦場。状況に応じて服装を切り替えてるだろ? それと同じで俺達は色んな服を用途に応じて着てるってわけさ」
俺はクローゼットのハンガーから半袖のシャツを取り出して彼女の前で広げてみせる。
「これは木綿製のシャツだ。お前のタンクトップと同じな」
「それも、マスターが手が出せるようなものなのか」
「ああ。こういう服はジャージと違って非常に通気性がいい。それに汗をすぐに吸ってくれるから暑い日に外出するときには便利だ。反面、濡れたり汚れたりすると原状復帰は難しいんだけどな」
「な、なるごど。どの服にも一長一短があるのだな……」
「その通り。身分ていうか、自分を表現するっていう役目ももちろんそうなんだけど、服を着る意味はそれ以外にももっとあると思うんだ。体温調整だったり、人体防護だったり。そしてそれを必要とするのであれば誰でもその服を着られる自由がある。それがこの世界の衣服文化ってやつなのさ」
「階級より、利便性を重んじている、というわけなのだな……」
リファはそうつぶやいてゆっくりと頷く。
「礼を言うぞマスター。色々と勉強になった。この世界の文化は奥が深く、俄然興味が湧いてきたぞ」
「そりゃよかった」
「ところで先程の衣装文化に当てはめると、このジャージは一体どういう時に着るものなのだ?」
「ん? まぁ基本的には運動の時かなぁ。もっとも、今のお前にはここで着る部屋着として使ってもらおうかと思って渡した。それに――」
「それに?」
「部屋着としてのジャージってのは、男女ともにダサい服の代名詞だから」
「んなっ!」
聞くなりリファは顔を真っ赤に染めた。
「ダサいとはなんだ! さっきから人をダサいだの馬鹿だの罵って! 私がそんなにアホっぽく見えるからこれを着させようという腹か!?」
「怒んなよ。元々の持ち主は俺だぜ。それはいわゆる初期装備ってことで。もう少ししたら、ちゃんとした女物の服買ってやるから」
「……ほんとか?」
「ほんとほんと。お前結構美人なんだから、きっと何着ても似合うと思うぞ」
「び、美人って……いや、そんなこと初めて言われたぞ……照れるな」
ちょっろ。
俺は心の中で嘲笑った。
でも、騎士という職業柄と、身分による着用服の制限。
ワイヤードはおよそ「お洒落」という概念はほぼないに等しいのかもしれない。
ならこの世界で思いっきり、「着飾る」ということを学んでいくのもまたいいだろう。
「じゃ、しばらくはそのジャージで過ごしてくれ。このタンクトップとスパッツは洗っとくよ。リファは鎧をそのクローゼットに放り込んでおいて」
「え? あ、ああ。わかった」
リファが頷いて、傍らのアーマーを拾おうとした瞬間。
ストン、と。彼女が履いていたジャージのズボンがずり落ちた。
足首まで完全に、である。
「……」
「……」
空気が死んだ。
俺は黙るしかない。リファは言葉を発せない。
しまった、長く使いすぎててゴムが伸び切ってたか。
ボトムスが脱げて露わになったのは、彼女の柔らかそうで色白なすべすべの脚部と、その付け根にある使い古されたような薄桃色の紐パン――。
「――ッッ!! なぁぁぁぁぁ!」
再び顔を真っ赤にしてリファは近所迷惑なほどの金切り声を上げた。
「マスタぁぁぁぁぁ!! やはりそういう目的でこれを着させたのかぁぁ! 私の下着を見るためにわざとこんな脱げやすい服をぉぉぉぉ!!」
「はっはっはー、すまんすまーん」
俺は笑いながら彼女の突き出してくる高速手刀を受け流す。
さてと、替えのゴムを探すか。
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