ちょっと羨ましいかも
寺の境内から出て、JR天王寺駅へ。近鉄阿部野橋駅前の交差点を渡ってわざと遠回りをする。行きでもそうしたけれど。
いつものライブ会場――歩道橋の下――に来たけれど、やはり彼女はいない。
以前なら、風邪でもひいたのか、別の仕事が入ったのかと思っていたかな。でも、今日は違う事情だろう。……僕に会いたくないということか。たどり着いた結論に肩を落とす。
しばらくの間、待つ必要もないのに待ちぼうけを喰らい、ぼうっと立ち尽くす。
脳死状態で画面の上で指をさ迷わせ、溜めていたゲームのポイントを融かした。
かつ――かつ、とハイヒールの足音が聞こえてくる。まっすぐこっちに近づいてくる。道でも聞かれるのか、と顔を上げたところ、目線が合った。
「美郷……」
思ってもみなかった再会だった。
「なんでこんなところにいるんだ?」
「会いに来たから」
偶然ではなく、作為的だと。道理はわかるが、意図は読めない。改めてふったくせに、今さら何を。つぐんだ口の中で奥歯がぎりり、と音を立てた。
「前までなら、もう少しくらい嬉しそうな顔していたじゃない」
そうかな、と返すところを、「そうだな」と返した。
「ねえ、久しぶりにさ。どっかで飲まない?」
目を細めてとろん、とした目付き。美郷は、僕をデートに誘うときは決まってその表情を浮かべた。
僕は断った。ちょうど別れる前にも、彼女の誘いを無下にあしらうことが多かったなと思い出しながら。
「そう――じゃあ、忠告しておくけれど。あの女はやめておいた方がいいよ」
思わず、「はぁあ?」と声が出そうになった。――けれど、美郷の言葉を否定できない面はある。彼女は、法律の上では人を殺していないけれど、宗教団体の名簿に名前を連ねていたし。今は、音信不通。もう一度会ったところで、あの――束の間の慣れ合いに戻れるのかどうか、分からない。
『私のことなんて、知らない方が良いんです』
今になって、彼女の言葉が説得性を帯びて来た。あれ――でも、待てよ。美郷がそのことを知っているっておかしくないか?
「なんで、おまえが木戸さんのこと知ってるんだよ」
「あなたに探偵をつけていた」
「はぁあ?」
今度は口から出てしまった。あまりにも予想がつかなかったことだったし。美郷の意図がまるで分からなかったから。
「なんでおまえそんなこと――」
「私は、コータに幸せになってほしいから」
幸せ、美郷の唇がそう動くのを見ると、嫌悪感が襲ってきた。なんで、こいつは二度も改めてふっておいて――
「どうして僕に執着するんだよ」
「好きだから。でも、当てつけね。コータって手に入れるまでは、すごく執着してくれるのに、手に入れてからは、まるで興味がないみたいになるよね。置物か、単なるコレクションか。いいや、それよりも下かも」
にたり、と笑みを浮かべる美郷からは、愛憎の匂いがした。
美郷は、僕を憎むことが愛とでも思っているのか。僕が、彼女のことを詮索して知ることが、愛だと思うように。
沈黙の中で、交差点の喧騒が主張を強めた。
「じゃあ、私行くね」
芝居がかった動きで右手をひらひらと泳がせた。僕が引き留めるのを期待してでもいるのか。
癪だとは思ったが、呼び止めた。
「なに?」
口調こそ不機嫌だが、口元が緩んでいる。
「おまえは木戸さんの何を知っているんだ?」
「もう美郷って呼ばないんだね」
「質問に答えろよ」
「……すべて。あの女が、子供をおろしたことも、宗教団体の広告塔として利用されていたことも知っている。ここまでは、コータも知っているでしょ?」
僕がインターネットで調べて得た情報も、彼女の恋人と身分を詐称して得た情報も、美郷は既に持っていた。
「あの女を追いかけても、安寧なんてないよ。それをコータも分かっていて、どうしてあんな女に執着するの? それともまた、手に入れるまでのゲームなの?」
試されている、そう思った。執拗に突っかかって来る美郷のことは、嫌いだ。けれど、僕に過ちがないわけではない。
「僕は、木戸さんのことを守りたいと思ったから。たとえ、木戸さんが、どんな人間でも――それは変わらないっ」
決心したつもりでも唇は震えていた。嘲笑なのか、ゆらり、と美郷が笑う。
「へえ、かっこ良くなったじゃん。――ちょっと羨ましいかも」
歌うように呟いて、行き交う人の波に泡沫が溶けるように、美郷は行方をくらませた。今度は、引き留める間すら与えてくれなかったな。
青に染まりゆく夕空の下、だらりと垂れさがったまんまの手を、僕は静かに握りしめた。
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