奴を振り切れ

 カーステレオの音量を上げて、気を紛らす。ちょうど、彼女のライブアルバムにさしかかった。最新の音源なのに、オールディーズの雰囲気を醸し出すノイジーな音色が、実に良い。

 なんばの小さなライブハウスで行われた公演。持ち曲が良いのは持ち論だけれどカバー曲の選曲も遊びがあって楽しかったな。奥田民生の曲だとか、ああ、村治佳織のインストラメンタルも良かった。

 そんな心地よい追憶に、彼女本人の態度が割って入る。未だ、事情を明かしてくれない彼女。頼りにされているのか、いないのか、よく分からないな。


『私のことなんて、知らない方が良いんです』


 そう言われたからって、放っておけるかよ。独りごちたそのとき、彼女が降りてきた。


「お待たせしました」


 予想はしていたが、大荷物だ。トランクに後部座席と彼女の荷物を積んでいく。四人で乗ると窮屈なくらいの軽自動車だが、なんとか積むことができた。荷物のなかには、すでに僕の部屋にあるはずの、ギターケースもある。


「ギター二本持ってたのか」

「こっちはフォークギターです。ライブハウスでは、こっちで弾いていることが多いんですよ。お金が無限にあったら、ウクレレと、フラメンコギター。あ、あと、シタールにマンドリンも欲しいですね」


 流石にそこまでのお金、一生のうちで、手には入るかどうか分からないですけどね、と自嘲。

 結局、何も明かしてくれないのか。助手席で、ありがとうね、と微笑みながらシートベルトを締める彼女は、さっき僕を突き放したことを覚えていないかのような素振りだ。


「じゃあ、運転、お願いしちゃいます」


 深入りしたら無事でいられないのかもしれない。けれど、だからって、事情を明かしてくれないことが、僕を守ることなのか。彼女が言っていた、都合のいいことって、こういうことなのか。なぜだか分からないけれど、もやもやする。

 思考に更けるあまり僕は、バックミラーに空虚な視線を送っていた。ねずみ色のバンが停まっていた。


「三島さん、三島さん?」


 呼びかけられて、はっとなる。ようやく現実に引き戻された耳が、カーステレオから流れる大音量の彼女の声を捉えた。慌てて音量を下げる。


「どうしちゃったんですか?」


 いや、何でも。そう濁して、車を走らせた。

 

「私の曲、よく聞いているんですか」

「ライブアルバムとスタジオアルバムが二枚。カバーもカップリングも入っている」

「音源になっているもの全部じゃないですか」


 左折信号、照れ笑う彼女が、目に入る。ハンドルを切る。ちょうど曲が変わったところ、彼女の表情が曇る。僕の口元が緩むのと、ちょうど反対。「You are my religion」は、彼女の曲の中でも傑作なのに。


「この歌は、やっぱり辛いんですか」


 こくり、と頷く彼女。「あなた」と表されている人物から、裏切られたこと。「あなた」に向けられた恨み。自分の愚かしさへの後悔。歌詞に綴られているのは、どれもこれも辛い過去だ。


「失恋を歌った曲ですもんね」

「いえ、失恋ソングじゃないんです」


 まさか、違うとは思わなかった。


「わざと描写を断片的にしたり、言い回しを遠回しにしたりして、そう解釈できるようにしているだけです。歌詞は、親近感のある内容の方が、共感を呼びますから」

「じゃあ、何を歌った曲なんですか」


 再び沈黙が訪れた。歌っている本人に歌詞の意味を尋ねるのは、流石に野暮が過ぎたか。音楽番組では、定番の話題だけれど、嫌がる人もいる。話したがらないことは、とことん話したがらない彼女だ。

 それが、遠ざけられているようでもあって、もどかしいけれど。


 車を走らせること、十分。国道二十五号線に入る交差点、右折レーンに並んでいた。バックミラーにふと目をやると、ねずみ色のバンも並んでいた。彼女のマンションからずっと、後ろをつけて来ている。


「……気味が悪いな」

「何がですか」

「後ろの車だよ、ずっとつけて来ている気がする」


 単に行き先が同じなだけかもしれない。けれど、ハンドルを握る手が、手袋と長袖に覆われている。冬の寒さは過ぎて、大阪は汗ばむほどの暑さだぞ。サングラスにマスク、帽子。人相を悉く隠す風貌が、行き先が同じというだけで、その人を不審者に仕立て上げる。

 日光を嫌う見た目は、日焼けを拒む女性を連想させるけれど、体格からしてきっと男の人だ。そういう違和感も、不審さを強調させる。


「……、怪しい人」


 彼女の声色からも、怯えが読み取れる。


 ここは、探りを入れてやろう。


 信号が、青になった。右折した先左のウィンカーを点灯。カーナビが慌てて経路変更を勧める。だが、バックミラーに視線を送り続ける。

 ちょうど、ワンテンポ遅れて、ねずみ色のバンのウインカーが点灯。いよいよ確信に変わった。


「……、ルートを外しても追って来るな。確実につけて来ている」

「じゃあ、私の――せいですね。三島さん、車を停めてください。私、降りますから。荷物はまた、後日取りに行きます」

「それは、できない」


 シートベルトを外そうとする彼女を、僕は制止した。

 

「停めてください。お願いです。三島さんを、巻き込みたく――」

「それで、どうやって逃げるんだ。他の誰かを巻き込むくらいなら、僕を巻き込んでくれっ。僕は、……木戸さんを守りたい」


 この辺の地理には詳しい。追っ手を振り切ることくらいはできる。

 彼女は、シートベルトにかけた手をゆっくりと解いて、肩を震わせながら頷いた。

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