元カノとのよく分からない関係。
ホームに橙色の車両が入って来る。大阪環状線、大阪の心臓部をぐるぐると回る大動脈だ。先客に占拠された吊り革は諦めて、根元の鉄棒を掴む。通勤ラッシュの人いきれの中は息苦しい。東京に比べれば、かわいいものだけれど。
天王寺で乗り換え。大和路線に乗り換えて、勤め先の工場の最寄り、八尾まで向かう。
久宝寺を過ぎたあたりで一気に景色が青々しくなる。ごみごみした天王寺周辺とは大違いだ。扉が開いて、入って来る空気も違う。
改札を出て十分ほど歩けば、職場だ。
「三島さん、おはようございます」
後輩や上司に挨拶を交わし、ロッカーに入り、作業着に着替える。
一日の仕事の始まりは、朝礼からだ。内容は主に、昨日のラインで起こった出来事の共有。夜間の運転状況、資材の在庫状況、歩留まりや、ヒヤリハットの報告を共有する。
約三十分もの間、立って聞いていれば、眠気も覚める。
「三島くん、ちょっと来てくれないか」
朝礼の後、生産管理の担当の、門脇さんに呼び出された。
工程で言うと、自分の担当している業務の下流に当たる。
「ちょっとこれでは、ラインを動かせないかなあ」
仕事はまず、上手くいかない。担当する部品一つ一つが上手くいっても、その先で躓くことも多い。
「こいつに使えるベンダーが一台しかないんだ。もう少し、曲げの少ない工程にしてくれないか」
設計のやり直しも、最初は凹んだが、もう慣れっこだ。取引先の能率の向上にもつながる改良を加えたつもりだったが、門脇さん曰く、うちの機械の運転状況と、ラインの優先順位を考えて欲しい、と。
「分かりました。早急に設計し直します」
今日の仕事の予定が、がらりと変わった。
工場の二階のオフィスに、今日は籠りっきりになるだろう。
真っ黒な画面に、白い線で描かれた立体を浮かべる。
取引先は、大手食品会社。設計した配管の中を、蛋白質を含む高粘度の液体が、高い流速で流れる。従来の配管では、溶接のこぶや、繋ぎ目部分に蛋白質の凝固物がこびりついて劣化するのが問題だった。
そのため、溶接や繋ぎ目を、なるだけ曲げに変えるつもりでいたが、従来の配管の繋ぎ方に倣うと、曲げの工程が多くなってしまう。
立体を三百六十度、あらゆる角度から眺めて、頭を捻る。これといった進展もないまま、昼になってしまった。
昼休憩、社食が飽きたから外に出よう、と同僚の笠原が誘って来た。
「難しい顔しとんな」
「ちょっと難題だな。これは――」
「頭が凝り固まってんねんて、ラーメンでも食べに行こうや」
「またかよ」
笠原とは、大学のときからの腐れ縁だ。そして、そのときから、超がつくほどのラーメン好きだった。
「またってなんやねん。またって」
「どこの店?」
「この工場の近くに最近出来てんよ」
「へえ、何ラーメン」
「豚骨やけど、ちょっと変わってんねん」
とくに豚骨が好みで、学生のころは、野菜と脂が鬼のように盛られたラーメンを食べさせられたのを覚えている。
「また、あれ系じゃないよな」
今でも、あのラーメンは軽いトラウマだ。
「ちゃうてちゃうて」
どうだか。笠原は調子がいいから、信用はしないことにしている。僕の苦笑いを、笠原はへらへらと笑い飛ばした。
豚骨と聞いていたが、店の内装は落ち着いていて、あの独特の脂ぎった雰囲気はない。靴底に油が貼りつく感触も無く、女性の一人客もちらほらといる。
「ほら、あれ系やないやろ」
あのときの店は、靴底がぺりぺりと音を鳴らすくらいだったから、嫌に記憶に残っている。それと比べると、豚骨ラーメンのお店というのが、怪しいくらいに清潔感のある店だ。メニューを見ると、“特製豚骨”と銘打ってある。
「ここのはな、豚骨いうても野菜や魚介もいっぱい入っとんねん」
最近は、複雑に創意工夫を凝らした自家製スープがいろいろ出てきている、といろいろな店のスープを語り始める。ものすごい熱量だ。情報量が多すぎて、かいつまんで聞いていたが、とりあえず、梅田に笠原のお気に入りの店があるということは分かった。
「お、来た来た」
ごとり、と目の前に丼ぶりが置かれた。
スープはどろりとしていて、レンゲを通して、粘性が伝わってくるほど。相当に脂っこいかと思ったが、口に含むとむしろあっさりとしていた。
「これな、どろっとしてるのは、ほとんど野菜が溶けてるからやねん」
たしかに豚骨の香りとまろやかさは、あるけれど野菜の優しい甘みも強い。削り節の香りもいいアクセントになっている。
「旨いやろ、ここ」
うん。たしかに、美味い。深みがあって、クセになる味わいだ。つるりとした喉越しの玉子麺も相性がいい。箸が止まらなくなる。
「そういや、織川さんとは、どないなってんの?」
半分ほど食べたところで、不意に笠原が訪ねた。
「はあ、別れたって言ったろ。それも半年も前に」
「せやけども。たまに家に来るって言うてたやん。しかも、そん時に限って、嬉しそうに自分から話すくせに」
言われてはっとなる。まるで未練たらたらだ。
「美郷のことは、よく分からない。急に別れようなんて言い出すし。なのに、その後も訪ねて来て。僕がひとり身だってことが分かると、台所借りて料理作ったり」
「最近は、いつ来たん?」
「先週くらいかな。ハンバーグ作ってもらったよ」
本当によく分からない関係だ。彼女曰く、特別でない関係になっただけで、まだ僕のことは好きだとか。なんだそりゃ。バレンタインデーには、「はやく彼女つくりやがれ」なんて書いたチョコが届いたっけ。
「よう分からんけど。より戻されへんの? 話聞いとる限り、ものっそいええこやん。それに、そのこ、まだ三島んこと、好きなんやろ?」
うん。正直、自分にはもったいないくらいだ。
頭身が高くて、ヒールを履いたら同じくらいになる背丈。きりりとした切れ長の瞳で、モデルさんかと思う。穏やかで癇癪も起こさないし、料理も上手い。先週のハンバーグも絶品だった。
美郷は、まだ僕のことを好きだと言うけれど、だからこそ、よりなんて戻せないんだと思う。
「……無理だろ。あいつに、なんて言って振られたか言ったっけ」
「いいや、聞いてへん」
「友達に戻りたいだってよ」
「……なんやそれ」
それは正直、僕にもよく分からない。
思い出すたびに、頭の中がもやもやする。ああ、やっぱり未練たらたらだ。こみ上げる苛立ちをスープと一緒に飲み干したところで、メールが入った。
差出人を見て、驚いた。ちょうど美郷のことで、かき乱されていたときに、当の本人からのメールだ。
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