押しかけ女房
「卵とハムしかないですけど……」
キッチンから、彼女の声がした。家に何もないとか、そんなこと、全く考えが及ばなかった。気を利かせて、道中でレストランでも入れば良かったか。それとも、今からどこかに出かければいいのか。ああ、もう、何もかもが面倒くさい。
「冷凍庫に、ご飯があります」
テレビから視線を外さないまま、投げやりにそう言う。と、彼女は返事すらせずに、冷凍庫を開けた。
かちゃり、かちゃりと音がする。
やがて、とん、――とんとんと、包丁を使う音に変わる。無遠慮にぐいぐいと、部屋まで押しかけて来たくせに、言われるままに文句ひとつ言わず、ご飯の支度をしている。まるで、押しかけ女房だ。
ちん、とレンジが鳴った。
「あっついっ」
温まりすぎた冷凍ご飯を取り出すのに、彼女が難儀をしている。思わず表情が緩んでしまって、なんだか意地になって、笑みを押し殺す。
彼女の素性を知れない以上、心を許してはいけない気がする。
命を狙われている――かもしれない、か。からかっているのか、それとも真剣に言っているのか。意地を張ってばかりじゃなくて、こっちからも問いたださないといけないな。
フライパンとおたまが、擦れる音。じゅうじゅうという音ともに、香ばしい匂いが台所から香って来る。焼き飯を作っているらしい。というか、卵とハムとごはんしかなかったら、どうあがいても焼き飯しかできないか。
「できました」
ほどなくして、彼女が焼き飯を盛り付けた皿を二つ、テーブルの上に置いて、ソファーに座る僕に呼びかけた。
「……ありがとうございます」
立ち上がり、彼女に礼を言った。いつまでも不機嫌にしていたところで仕方がない。やはり、何が何でも、聞いておかなければ。
「味の加減とか、お口に合えばいいんですが」
しおらしいところを見ると、こちらを引っ掻き回すようなことはしないか。
テーブルについて、目線の高さが合ったところで、彼女の瞳を覗き込む。ちらり、と彼女の瞳が逃げた。
「えっと……、どうしたんですか?」
「真剣に答えて欲しいんです。どうして、帰れないんですか」
「……、追われているかもしれない」
相変わらず、――かもしれない、と結ぶ不確定な返答。
「かもしれないって、確証はないんですか」
「あったら、警察に言っています。確証が持てないような状態で、あまり事を大きくするのは、嫌なんです」
「じゃあ、せめてなんでそう思うのか、教えてくれませんか」
口を歪めて、瞳がたじろぐ。言葉に詰まるような素振り。
「それは……、言えません」
あくまで隠すつもりか。
「でしたら、僕も考えがあります。泊っていいのは、今日だけです。明日には、帰ってください」
しゅん、と彼女が頭を垂れた。
事情はどうであれ、それを明かさないと言うのなら、長居をさせるわけには行かない。命を狙われているかもしれない、だって? 冗談じゃない、こっちにも生活というものがあるんだ。
「……分かりました。明日には、出ていきます」
素っ気ない、いただきますを言い合ったあと、彼女のつくった焼き飯をいただく。醤油と塩コショウで味を調えた、ところどころおこげがある仕上がりだ。ざくざくと、おこげを噛むと醤油の香りが、口の中に広がった。
「えっと、美味しいですか」
「はい」
まあ、可もなく、不可もなくといったところ。「よかったです」と微笑む彼女。素直な時は、素直で。その笑みは、どこかいじらしい。
けれど、所詮、僕らは他人だ。他人なんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます