浜百合の道行き

良崎歓

浜百合の道行き

 俺は今、仙人峠を越えている。座敷童と一緒に。

「ね、紘(ヒロ)、『けいじどうしゃ』というのはずいぶん早いんだ?」

 煽ってくる後続車を振り返りながら、幼い声が無邪気に言った。声は幼いが、俺の何倍も生きているやつだ。これは無垢を装った皮肉だと、俺は知っている。

 いくら大学の先輩から格安で譲ってもらったとはいえ、愛車を馬鹿にするなんて。ましてや、その誰も乗せたことがなかった助手席に最初に座っておいて、何ということを。

「この車は俺の血と汗と涙の結晶だぞ。バイト代いくらぶっこんだと思ってんだよ」

「五千円くらい? このゲーム機よりは安い?」

「お前たまにぶっ飛ばしたくなるときあるわ」

「できないくせに」

 くつくつと笑う声。俺はぐっと言葉に詰まった。図星だったからだ。


◆◆◆


 時代錯誤な家に生まれてしまったのが俺の過ちだ。

 物心ついたときには、この生意気な――いや、ちょっと口の悪いあやかし、座敷童のお守り役を仰せつかってしまっていた。わけもわからずこの家に連れてこられ、真っ先に奥の和室に通された。これまでは大叔父しか足を踏み入れることを許されなかったという部屋の真ん中に、そいつは正座していた。

 白い着物の、おかっぱの女の子。歳は、俺のみっつ上の姉と同じくらい、

 しかし、その見た目には似つかわしくない大人びた表情で、彼女はかすかに微笑んだ。 

「今度は、ずいぶん小さいのが来たのう」

「お前だって小さいじゃないか」

 そう言い返した記憶はある。自分と同じくらいの背丈の子にそんなことを言われて、小さいなりに男のプライドが――いや、まあ、とにかく、ムッとしたのだ。

「お前、だれだ」

「オレは花(はな)」

「ふん、名前のわりに、しおれてんだな」

「なんです?」

「なんだよ」

 はじめての会話は、そんな諍いだったと記憶している。

 ところが彼女と会話が成り立つと、見守っていた家じゅうがどおっと湧いた。俺と彼女のために赤飯が炊かれ、たちまち豪勢な祝いの席が設けられた。俺のこころは騒ぎの中で放り出され、十数年経った今でももやっとした感情だけが取り残されている。


 なんでも、うちには時代ごとに一人だけ、彼女と言葉を交わせる人間が生まれるのだという。

 先代は、俺の大叔父。それが亡くなったのと同じ頃に生まれたのが俺だった。

 継いだつもりは全くなかったのだが、跡継ぎだ何だともてはやされ、この『本家』に連れてこられて今に至る。

 花は『座敷童(ざしきわらし)』で、大昔からこの家に居着いているらしい。座敷童が住めばその家の繁栄が約束されるのだそうで、確かに本家は古くから地元の地主であり、名士であった。

 俺も、何の苦労もなく、順風満帆に育った――と、当事者の俺以外は思っているだろう。両親とは離れて住んでいたけれど、かなりの頻度で本家に来てくれたし、関係は至って良好。本家のバックアップで望みの大学へ通えている。頼ってばかりは嫌だからバイトして車を買うんだと言えば、口を出さずに見守ってくれる。

 不満があるとしたら、花の子守りだけだ。


 バイト代で買った某携帯ゲームを手渡すと、花は目を輝かせた。

 充電コードを繋ぎ、電源を入れるのと同時くらいに、「ソフトは?」と要求される。

「花、これがいいな」

 花は、退屈だろうと思って俺が部屋に置いていた某雑誌の付録、やたらファンシーな妖怪の絵が描かれたメダルを頭の上に掲げていた。仕方ないので妖怪を集めてバトルするゲームをダウンロードしてやっていると、雑誌から顔を上げた花が、「ねえ、紘?」と呼びかけてきた。猫なで声の疑問系は、何か頼みたいときの口調。嫌な予感がしながらも、俺は一応尋ねてみる。

「何だ?」

「すれ違い通信しないと、激レア妖怪はゲットできないみたい」

 話を聞けば、同じゲームを持ったものどうしが近くをすれ違うことでしか手に入れられない妖怪がいるらしかった。しかし、俺にはそれを許可することはできない。

「諦めろ」

「……出てくよ?」

「それはダメ。お前だって、分かってんだろ」

 眉を寄せて、花は言う。

「そんなら、通信ができるところへ連れてって」

 この家を出て、人が沢山いるところへゆく。花はそう言うが、それは簡単にできることではなかった。

 花の存在が家の存亡に関わる。座敷童とはそういうものだ。座敷童が出て行って滅びた家の話を、俺は小さい頃から聞かされていた。だから、家に棲まうことに飽きぬよう、話し相手が必要なのだと。いざという時に、座敷童の足枷になるようなヒト――大叔父や、俺のような者が。

 それに、花は家に憑くあやかしだ。依り代となる家からあまりに長く離れれば、花の存在自体が危うくなる。だから、連れて行け、という花の言葉には、命がけの決意がこめられているはずなのだ。

 残念ながら、俺は『こんな家など滅びてしまえ』と言える立場にない。これまでの暮らし、これからの人生を考えれば、現状を維持することが得策。その点だけを見れば、本家の考えと俺の意志は重なるのだ。

 険しい顔をしていたであろう俺に心配を掛けまいとしてか、花は存外軽い調子で言った。

「楽しんだら、ちゃんと戻ってくる。だから、おねがい」

「おねがいって何」

「紘以外の誰が連れて行ってくれる?」

「……ソウデスヨネー」

 こうして、俺は脱走の片棒を担ぐことになったのだ。


◆◆◆


 真夏だというのに、やませが吹いて半袖では涼しいくらいの日だった。けれど、冷房の効きが悪い車の窓を開け、風を入れるのにはちょうどいい。

 峠を越えてしばらく行くと、潮の匂いが鼻をくすぐり、隣町に着いたのだと知れた。鉄とラグビーと、はまゆりの町だ。市場を横目に見ながら駅前を通り抜け、橋を渡り、目的地は、数年前にできた大型ショッピングセンター。

「着いたぞ」

 俺の言葉に、花は目を丸くして辺りを見回す。これが海の匂い、あの鳥がウミネコで、車も人もずいぶんいるな、とかなんとか。びっくりするのも当たり前で、花があの和室を出たのは、おそらくは我が家にやって来た、遠い遠い昔以来。その頃の景色とは、まったく異なる世界なのだろう。

 驚いているのは、俺だって同じだ。ここに限らず、先の震災から海沿いの風景はどこもかしこもめまぐるしく変わりゆく。あのとき泥とがれきに覆われた街にも、新しい道路や建物がどんどんできてゆく。このショッピングセンターも、その一つだ。


 花の真っ白い着物が目を惹くのか、俺たち二人は客の注目の的になっていた。俺はその視線に耐えられず、子供服は、と呟きながら館内のフロアガイドをながめた。すぐに、花の手を引いてエレベーターに乗る。

「まず服を買ってやる。それ、目立ちすぎだわ」

「なに、この箱」

「エレベーター」

「えれべえたあ」

「そ。上の階まで自動で連れてってくれる機械。『3』押して」

「わあ、光ったよ?」

 人差し指でこわごわボタンを押した花が、鬼の首でも取ったような顔でこちらを見てくる。たかがエレベーターでドヤ顔かよ、と思いながらも、花には何もかもが生まれて初めてなのだ。そんなものかな、と思い直す。

「すれ違い通信は?」

「着替えたら、思う存分うろうろしろ」

「はーい」

 聞き分けのいいこどもを演じるあやかしが、満面の笑みで、片手を挙げてよい返事をしてみせた。

 俺は、一瞬だけ、これが花の本当の顔かもしれない、と思ってしまった。しかし、これで意外と老獪なところもあるから、装うのが上手いだけなのだろうけれど。

 花を子供服売場に放つと、彼女はパステルピンクのキャラもののTシャツにフリルが三層になったスカート、黒いレギンス、それにピンクのポシェットを手に戻ってきた。どうやら、変身して戦う、伝説の少女戦士のつもりらしかった。ポシェットに変身アイテムではなくゲーム機を入れて肩に掛けてやると、花は高らかに宣言した。

「ようし、うろうろしよう、紘」

 俺と花はショッピングセンターの隅々まで歩き回った。花はエレベーターが気に入ったらしく何度も乗った上、エスカレーターも面白がって、何往復もした。アイスをおごらされ、プリクラを撮らされ、色鉛筆とぬりえを買わされた。

 すれ違い通信の人数がどうにか上限に達した頃には、夕方になっていた。俺が、そろそろ帰るぞ、と言い出す前に、花は「戻る」とぽつりと呟いた。


◆◆◆


 帰りも仙人峠道路で山を越える。

 花は車に乗ってから一言もしゃべらなかった。俺の愛車は相変わらずひどく唸りながら坂を登っていたが、花はもうそれをからかうことはなかった。座敷童の皮をかぶり、いつも通りの花に戻ったのだと、俺は思った。

 長いトンネルに入ると同時にCDが二周目に入ったので、俺は音量を下げた。

「花、今日はどうだった」

 俺の呼びかけは、花には届いていないようだった。花はトンネルの壁を眺めていて、運転席の俺からはその顔は見えない。いや、これまでずっと、花の本当の表情なんて、俺は知らなかった。知れば知るほど離れがたくなると分かっていたから、知ろうとする自分を制していた。

「楽しかったか」

 花が突然、運転席の俺に勢いよく振り向いた。

「たのしかった。きっと、花の一生でいちばん、たのしかった。絶対に忘れないから!」

 花は、どうにか笑顔を作って、そう叫んだ。うっすら涙を浮かべているようにも見えたけれど、俺は運転に忙しくて気づかないふりをした。

 道行きの終わりが、近づいていた。


 唯一の話し相手である大叔父を失ってから誰とも交流なく、何年もひとりでいた花。俺が初めて見た花、家の奥の和室に一人きりで座っていた彼女は、闇の底から光を見上げるような顔をしていた。姉と同じくらいの年端もいかぬ女の子が、絶望を湛え、座敷に押し込められている様子は、まさに萎れた花のようだった。

 あやかしのくせに、たった数十年しか生きることができない人間なんかに情をかけるから、そんなことになるのだ。

 俺は、失って落ち込まれるなんて御免だ。だから、現状維持がいい。あの日のこころも、取り戻さなくたっていい。曖昧に、過去に置いてきたままで。つかず離れずいい加減に子守りをして、死んだら花の中からきれいにいなくなる、それが理想だ。俺のことなんか忘れて、なんてことない顔で新たな子守り役を迎える花の姿。それを目指してきたはずだった。

 なのに花は、『絶対忘れない』と、そう言った。

 すべて、台無しじゃないか。

 いや、台無しにしたのは、俺だ。一日だけの駆け落ちをしよう、なんて思ったのが、間違いだった。

 たった数十年しか一緒にいられないくせに、それでも花と共に生きたいと願ってしまった。もうずっとずっと前から花をあいしていたのだと、俺だって本当は絶対に忘れられたくないのだと、気づいてしまったのだ。


「そんな顔で笑うなよ。お前、また、あの座敷に入れられるんだぞ?」

「紘?」

 花は驚いたように俺の名を呼んだ。

 それもそうだろう。俺は泣いていた。花の前では決して本音を見せないようにしてきた俺が、だ。それでも暗いトンネルの中、花からはこのみっともない横顔がよく見えないだけ、まだましだろうか。

「さっき、服を選びに行った花が戻ってこなければいいと、何度祈ったか。店の中を歩き回ってたとき、もう自由にどこへでも行っていいぞって、何度言おうとしたか。俺は自分で花を突き放すことなんてできないから、お前が家を捨ててどこかに行ってくれたらいいなって、そんな卑怯なことばかり考えてた。……でも結局、祈っただけで言えなかった。花に俺と家にいて欲しいから、言えなかった!」

 花は、今度こそ目を丸くして俺を見つめていた。その物言いたげな視線を上手に躱す言葉を、俺は持たない。だから、トンネルを抜ける前に、一言だけ。

「俺も、一生でいちばん、楽しかった。忘れようとしたって忘れられねえよ、幸せすぎて」

 トンネルを抜けても、辺りはまだ夕陽が残っていた。花は、涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃの俺の顔を見て、「ひどい顔して」とこぼした。

「うるさい。汚い、から、見るな」

「汚くない。紘が花を想って流してくれた涙が汚いなんてことは、ないよ」

 大人びた口調で、花はまるで諭すように言った。助手席から、花が俺を見上げているのが分かる。ひくひくとしゃくりあげている俺の腿に、小さな手がちょこんと乗せられた。ぽんぽんと、軽く二度、励ますように叩かれる。

「紘は馬鹿だから、難しく考えすぎる。花も紘もあの家にいなかったら、出会うことさえなかった。花は紘と出会えて、紘が好きだから、死ぬまで一緒にいる。それだけなのに」

「……は?」

 一瞬、頭の中が真っ白になった。ゆらりと車が揺れて、慌てて運転に意識を集中する。

「花、お前、いま」

「二度は言わない」

「もう一回。……もう一回、聞きたい。聞かせてよ」

 返事の代わりに、俺の腿がきゅっとつねられた。ちくりと可愛らしい痛みを感じるということは、どうやら夢ではない。花の手は、つめたいやませの夕暮れにも関わらず、熱い。

 ちらりと横目で盗み見た花は、優しく微笑んでいる。トンネルを抜けたって、一日きりの脱走が終わったって、愛おしい座敷童との日々は続くらしい。それならせめて花の笑顔を枯らさぬよう、死ぬまで子守りを全うしてやろうと、俺はハンドルを握る手に力をこめた。

 俺たちの家は、もうすぐそこだ。

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