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 無駄に怪我人まで出した馬鹿騒ぎから三日が経ち、健牛幻樹を殺した犯人が逮捕された。捕まった男は健牛のファンではなく、田舎ヤクザもクビになってフラフラしているような、三十手前のチンピラだった。

 事の発端はビジネス絡みのトラブル。健牛はこのチンピラからしょっぱい違法ドラッグを買っていて、今回は五度目の売買が予定されていた。

 金払いのいい上客を前々から怪しんでいたチンピラは、先日ようやく健牛の正体を突きとめることに成功した。当然、脅迫で値を吊りあげようとする。世間にバラされたくなかったら、金をもっとよこせ。ベタだが大抵は上手くいく脅しだ。

 しかしそうはならなかった。何を言われても、健牛は「定価」以上の代金を出す意思は見せなかった。

 なぜか、などとは考えるまでもない。要するに、チンピラは無茶苦茶ナメられていたのだ。

 ポケットからナイフを出しても健牛の態度は変わらない。いや、流石にナイフには恐れを抱いたかもしれないが、少なくともそれを顔には出さなかった。チンピラはどんどん惨めになった。

「そうまでして金が欲しいの? 分かんないな、俺、困ったことがないからさ」

 笑った──取調室で、刑事に動機を訊かれたチンピラは、そう答えたという。

 タバコを長い指で挟んで、火をつけて……煙を、何かの絵みたいに、綺麗に吐いて……あいつは……あいつは俺の方なんて、見ようともせずに──

「不細工は大変だね」

 笑ったんだ、と。



 本当にご迷惑をおかけしました、と言った安林有代の姿は、どこにでもいる普通のおばちゃんのそれだった。人の良さそうな顔をした夫と並んで、丁寧に頭を下げている。

 いえいえそんな、顔を上げてください、なんて恐縮は練馬に任せて、俺は招き入れられた安林家のリビングの様子を観察する。

 来客用のしゃれたカップ。猫の写真のカレンダー。FAX付きの電話の横に、メモ用紙と台座付きのボールペン。ペット禁止であろう部屋の隅では、円く平たい自動掃除機が大人しく眠っている。

 平均よりは少し裕福な、いたって普通の家庭だ。

 その印象は、ここまでに訪れた他の自首者たちの家庭と合致する。自動掃除機は有ったり無かったりだが。

 事件について、もう既にテレビ等の報道で知っているであろう説明を一応して、安林有代にだめ押しの確認をする。

「では、あなたは健牛幻樹を殺していないということで、間違いありませんね」

「はい。一切関わっておりません。本当に申しわけありませんでした」

 なら結構、と言って、夫が淹れてくれたコーヒーを啜る。うまい。

 その夫はというと、何やら心配そうに俺をじっと見ている。促すと、妻は何かの罪に問われるのでしょうか、と訊ねてきた。俺が公務執行妨害云々と脅したのを本人から聞いているのかもしれない。

 今回は厳重注意で済ませましょう、と答えると、夫は涙声を震わせて、ありがとうございます、ありがとうございます、と言った。それを見て、妻の方もポロポロと泣いている。

 練馬も何やら涙ぐんでいるようだが、俺はそこまで素直にはなれず、頭を掻く。

 罪を問わないのは、別に優しさなんかじゃない。今回の件に関して書く書類を、これ以上増やしたくないだけだ。



 十七人の自首の理由は、いまだによく分かっていない。誰もまともな答えを持っていないことは判ったので、もうそれを訊くことすらしなくなった。

 曖昧な夢の記憶を探るかのように話されても、そんな供述の使い道は警察にはない。

 健牛がチンピラから買ったドラッグをライブでバラ撒いてくれたりでもしていたら話は早かったのだが、そんな分かりやすい事実も存在しない。そもそも十七人のうちの何人かは、健牛のライブに行ったことすらなかった。

 更に言えば、健牛の体からも安いクスリに侵された痕がしっかり出ているという。長生きは望めなかっただろうし、死なないにしても、アイドルとしての寿命はそう長くはなかったようだ。

「ある意味いいタイミングで死んだってわけよ」

 いやに馴れ馴れしい態度で、一課の刑事が教えてきた。今回のドタバタの慰労代わりだという。

「それにな、ここだけの話、あんな傷じゃ普通死にまでは至らない。東京だったら女でももっと大きなナイフを使ってる。それくらいチャチな凶器だった。

 あれなら自分で救急車を呼ぶことだってできたはずだ。だからってことで、他人を使った自殺だと見てる奴までいるんだぜ」

 とにかく鼻につく話しかただった。こちらの溜息は、どうやら電波に乗らなかったらしい。

「もっとも、救急車を呼んだ場合ドラッグの事はバレるから、それで諦めたという可能性も大いにあるけどな。

 俺はどっちかというとこっち派。抵抗の跡が薄いから自殺──なんて、まるで文筆家の妄想だろ?」

 こんなふうに聞いてもないことをベラベラと喋ったあげく、ま、こっちはこっちでよく分からんことになってはいるってことよ、などとぼやくので、お互いお疲れさまですな、とだけ答えて電話を切った。

 知らねえよ。刑事が揃って仲良くディベートか。こっちは大事な後輩が利き手の骨折ってんだぞ。

 まあ、自分で机殴って折ったんだから、自業自得ではあるけども。



「なんかみんな憑き物がとれたみたいな顔してて、よかったですよねえ」

 署に帰る車のなかで、練馬は呑気な感想を漏らす。

「憑き物ねぇ……」

 俺は窓の外を眺めながら息を吐く。またオカルトか、とぼんやり思う。

 加曽が取り調べした霊媒師の家を訪問したのは今朝早くだった。霊媒師というのは嘘で実際には売れないタロット占い師だというので、俺たちが見たものについては尋ねなかった。

 当たり前のように嘘つきやがって。警察をなんだと思ってるんだ。

 その嘘つき占い師は、しかし加曽のことを本当に心配していた。聞けば、取り調べの途中から顔色が真っ青になって、見ている方が怖かったほどだったらしい。

 そんなに心配ならそのカードで占ったらどうだと思いはしたが、できない理由を説明されても面倒なので素直に答えてやった。

 加曽はあの次の日、休みをとった。そしてまた次の日、ケロッとした顔で帰ってきた。曰く「寺で坊さんと話したら治った」らしい。というわけで、もう既に良き公僕として職務に励んでいる。

 あら、信じやすい方なのね、と言って、占い師は笑った。

 あの時、顔が引きつっていなかったという自信が、俺にはない。

「時に、練馬くんよ」

「は、はい! なんでしょう……」

 思い出してしまった不愉快な気持ちを俺はしっかり圧し殺したはずだが、練馬はなぜかおずおずと答える。少しはババア連中の豪胆さを見習ったほうがいい。

「聞くところによると、お前、健牛幻樹のファンだったらしいな」

「えっ! あ、や、そんな、ことは……」

 あと、嘘のつきかたもな。

「ライブに行ったこともあるほどのファンだったらしいな」

「……はい。すみません」

 なぜ謝る。男が男のアイドルを好こうが、そんなもんは当人の勝手だ。

 そんなことも分からないほど前時代的なオッサンに、俺は見られてるんだろうか。だとしたら、それはとてもショックだった。

 目をやった先の歩道で小学生がやわらかな列を為して下校している。そのうちの一人がふざけた風でもなく敬礼してきたので、こちらも敬礼を返す。

「キッカケは彼女と一緒に見させられたライブのDVDで……あ、その彼女とは、もう別れたんですけど……なんかこう……確かに人間なのに、絶対光ってるみたいなかんじで……すごくて……」

 運転席で始まってしまった無用な供述に、俺は本題を突っ込んで無理矢理止める。

「ア・フロッグ・ノウズ・ザ・シー・オブ・ラブ」

「え、なんですか?」

 キョトンとした練馬の表情。それだけでもなんとなく察せられたが、一応確認のために続ける。

「愛の罰を受けたカエルの歌だよ。健牛の曲にそういうのがあるって聞いたんだが、知ってるか?」

 ええと、と練馬は数秒考えて、答えた。

「いや、初耳ですね……。一応CD化してる曲なら、全部聴いたことあるはずなんですけど……」

「そうか」

 すみません、と練馬がまた謝るので、俺は、いや、いい、と言って窓外を見上げる。鳥が一羽飛んでいた気がしたが、瞬きの間にどこかへ消えた。

 空は薄く千切れた白雲に覆われて、晴れているのに、太陽がどこにも見えなかった。



 署に戻って自販機にコインを入れていると、横に置かれた豚の貯金箱と目が合った。不幸にも骨折した上に、市民への暴言と備品の破損を咎められて減給処分を食らった哀れな豆子へのカンパ豚だ。

 上の人間に見つかるとマズいからということで、少し影になるところに隠されているのだが、署長がこっそり万札を二、三枚入れていたことを俺は知っている。色々やってしまった以上処罰は避けられなかったが、一方で相当に同情されてもいるのだ。

 俺も一万円やったし、他の奴らも結構な金をこの豚に食わせている。減給分の埋め合わせくらいは余裕で敵うだろう。

 牛乳を買った釣りが細かく出たので、俺はまた豚に餌をやる。

「この豚もすっかり重たくなりましたねえ」

「盗むなよ?」

「しませんよ、そんな罰当たりな」

 笑っている練馬だが、この豚が紙幣も食っていることはおそらく知らない。相変わらずの呑気な顔で「にしても」と言って辺りを見回す。

「あんなに騒がしかったのが嘘みたいですよね」

 あれから、事件らしい事件は起きていない。酔っぱらいや不良ですら大人しくしていて気味が悪いくらいだ。

 会議室も当然使われていない。そもそも滅多に使わない部屋なのだ。この調子だと、壊れた机の補充もいつになるやら。

「ああ、本当にな」

 牛乳の甘味に、ほっと息をつく。

 我らが田舎町にふさわしい、ぬるい平和が戻ってきた。もうあんな騒ぎは……まあ、しばらくはごめんだ。

 紙パックを潰してゴミ箱に放ると、薄汚れた布切れが視界に入る。あの日、太田小福が富士川苗の介抱に使っていたハンカチだ。要らなくなって捨てていったらしい。

 面積いっぱい、デカデカとプリントされたいけすかない顔に、ひとりごちる。

「おい。てめえのファンの血だぞ、それ」

 キラキラ笑ってんじゃねえよ、馬鹿野郎。

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しっちゃかめっちゃかと愛のピース 玉手箱つづら @tamatebako_tsudura

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