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 富士川苗は他の連中に比べてだいぶ大人しかった。黒い髪を真っ直ぐに伸ばした女子大生で、喪服を着て出頭してきた。

 彼女の取り調べが一番難儀だったかもしれない。富士川は、物腰こそ柔らかかったが、受け答えがとにかく曖昧で、何を答えるにも「たぶん」が枕についてきた。

「たぶん私が健牛さんを殺したんだと思います」

「なるほど。動機はあるんですか?」

「たぶん、あります。けど上手く言えません……」

「健牛幻樹を愛していたんですか?」

「……いえ、憎んでいました。でも、どうなんだろう……愛して……愛、して……」

「あーいいですよ、わからなければそれで。」

 なんでそんなことも判らないんだ。溜息ばかりつきすぎて、もういちいち構えなくても口の隙間からしゅるるると抜けていくようになってしまった。

 結局、富士川から確かなことは何一つ聞き出せず、取り調べが終わる際、当人もこんな風にもらした。

「不思議です。ここに来て、お巡りさんとお話しして、私、かえって分からなくなっちゃったみたい」

 


 調書から目を上げると、豆子がまた新しい水を自販機で買っていた。今度のは頭に当てずに普通に飲んでいる。

 それをぼうっと眺める俺の視線に気付いて、疲れきった顔でヘラァと笑う。

「岸本さーん、私警察入って初めて、圧力ってやつ受けちゃいましたー」

「そうか、負けるなよ」

「無理ですよぉ、嘉志麻睦月は絶対逮捕できませーん。……なのに、本人がね、捕まりたがるんですよぉ……こんなの、私にどうしろっていうんですか……」

 ドカッと、精一杯の八つ当たりのように椅子に座る。そしてヤケ酒の所作で水を一気にあおる。

 豆子の名前は遠藤なにがしという。名前は忘れたがナントカ子だ。

 数年前、新人としてうちの署に配属された際「遠いに藤で遠藤です!エンドウ豆のエンドウではありません!」と元気に自己紹介したのだが、「エンドウ豆のエンドウ」が皆の心に残りすぎて、そのままあだ名が豆子になった。

「ぷはぁ!」

「うるせえぞ豆子ぉ」

 なにがぷぱぁだ。

「つーか、部長はどうした」

「部長なら調書置いてどこか行っちゃいましたよ。別件の捜査が入ったから、って」

「はあ!?」

 今日はこんな馬鹿騒ぎを起こしているが、ここは本来片田舎の平和な町だ。急に外さなければいけなくなるほどの別件などあろうはずもない。部長のすっとぼけた顔が目に浮かぶ。

「岸本くんと加曽くんにゴメンネ~って言っといて~、だそうですよ」

 豆子は目をつむり、口をすぼめ、わざと小憎たらしく伝言する。その手のなかで部長が担当した四人のぶんの調書がひらひらと踊る。

 ふざけやがってクソ部長。謝るくらいなら──

「謝るくらいなら殺さなきゃいいでしょうが!」

 会議室の中から、つんざくような叫び声と何かが倒れる音がした。

 会議室には取り調べを終えた十七名を待たせている。もちろん逮捕なんてしない。休憩を終えたらもう来ないよう厳重に言い含めて家に返すつもりだった。

 叫び声から数秒遅れて、中から練馬が駆け出してくる。

「す、すいません! 容疑者のおばさんが、容疑者のおばあちゃんとケンカし始めちゃいまして! 今付き添いのご家族が間に入ってますが、おばさんすごく興奮していて!」

 容疑者などあの部屋の中にはいないがそれは置くとして、「おばあちゃん」はおそらく太田小福だろう。すると付き添いというのはあの哀れな息子だろうか。

 取り調べ中ずっとぷるぷる震えていた老婆の姿を思い出して、小さく舌打ちをする。まったく……なんだか知らんがあんな老婆相手に、ああも叫ぶかね。

「豆子、止めてきてやれ」

「えっ私!? 岸本さん行ってくださいよ!」

「婆さんに絡んでるのはババアなんだろ。男じゃちょっと押さえるだけでセクハラだのなんだの言われかねん」

「うわーズルだズルだ! はいはいはいわかりました! もーわかりましたよ! やればいいんでしょ!」

 豆子は頭をぐしゃぐしゃ掻きながら会議室へ向かっていき、練馬がそのあとを小走りで追う。

 牛乳を飲みきって紙パックを潰す。豆子、珍しく本気で怒ってたな……。背中を伸ばして、座ったまま体を左右にひねる。仕方ない、俺も行くか、と立ち上がったところに、背中から声がかかる。

「岸本……お前、オカルトとか信じるか……?」

 加曽だった。取り調べを担当した四人目だ。休憩に入ってからずっとトイレに籠っていたが、知らぬ間に戻っていたらしい。

 加曽はしかし、ひと目見て判るほどに顔色が悪かった。目はぼとりと虚ろで、唇には青みが差している。

「おい、大丈夫かよ」

「俺の取り調べた女にさ……霊媒師だかなんだかをやってる奴がいたんだ……。健牛を殺して、今は自分の守護霊にしたって言うんだよ……」

「……無茶苦茶だな」

 なんで自分を殺した奴を守護するんだよ。ゲームのモンスターじゃねえんだぞ。

 加曽は少し笑うが、声色は依然沈んでいる。

「だよなあ……ツッコミどころだらけなんだけどさ……。流石というか、職人芸というか……たぶん話しかたが上手いんだな……。俺、ちょっと引き込まれちゃって……そしたら見えちゃったんだわ……」

「……何が」

「怨霊……健牛幻樹の怨霊だよ。あれは絶対守護霊なんかじゃない……。あの女のこと、今にも殺しそうな顔で睨んでて……あの女、それが見えてないんだ! あれが見えてて、平静でいられるわけがない!」

「落ち着け。加曽、お前疲れてんだよ。怨霊なんていたら警察は──」

「俺に付いてきちゃったんだよ!」

 ほとんど悲鳴だった。見ると、加曽の目は虚空の一点をひたすらに見つめている。

「ババアに憑いてればよかったのに! なんで俺に付いてくるんだよ!」

「おい、加曽!」

「お前を殺したのは俺じゃない! なんで俺なんだよ!」

「加曽! 大丈夫だ! 落ち着け!」

 加曽の両肩を押さえ、視界に無理矢理入り、目を合わせる。

「お前の言う通り、お前は殺してない。だったら恨まれる筋合いだってないはずだ。怨霊だか幽霊だか知らんが、お前のことは睨んじゃいないだろ?」

 オカルトを信じているか?という質問に今さら答えるならノーだが、しかしこれはもう話を合わせて説得してしまうしかないだろう。そしてどうにか安心させて、一旦どこかで休ませてしまうしかない。加曽の肩に置いた手に、知らず力がこもる。

 霊媒師? だったら出てきて仕事しろ、クソッ。

「どうなんだ、睨んでるのか。違うよな。ボーッとつっ立ってるだけだろ。だってお前とそいつは無関係なんだから」

「……見えない」

「ああ、俺が邪魔か。なら今どくから見てみろ」

「そうじゃない! ババアについてたときは睨んでるのがあんなにハッキリ見えたのに、もう見えないんだ! 頭んなかに霧がかかったみたいに、顔だけが見えない! あいつは俺を見てるのに、その顔が見えないんだ!」

 加曽の頬を平手で軽くはたく。加曽の視線がふわぁと宙に泳ぐ。もう一度はたく。「おお」と呟いて、虚ろなりに落ち着いた目になる。

 俺はポケットから食べそびれた昼飯を出して、加曽の手に押しつける。

「塩むすびだ。塩が入ってるから幽霊に効く。それ食って精つけろ。そんで仮眠室にでも行って少し寝てこい」

 加曽は分かったような分からないような、キョトンとした顔で「おん」と言って、塩むすびを食べ、それからフラフラと仮眠室のほうへ歩いていった。

 一息つくと、背にした会議室からまた、さっきよりも大きな音が響く。練馬が俺を呼ぶ声もする。

 今度はなんだよ、と振り向いたところで、そいつと目が合う。顔だけが読み取りできなかったかのように欠けた、健牛幻樹の幽霊。見えないが、俺のことを確かに見ていて、たぶん笑っている。

 なるほど、こういうかんじか、とひとり頷く。何にともなく舌打ちをする。拳骨をつくって、こめかみの辺りを二、三度叩く。

 塩むすび、やるんじゃなかった。

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