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 応接室に入ると、そのおばちゃんは怒りをあらわにした目で俺を見た。

「安林有代さん、ですね」

「取り調べ室じゃないんですか」

 はあ、それで怒ってるのか。理由は分かったが意味が分からない。こっちのほうがいい部屋だろうが。

「いやあすいません、今日取り調べ室埋まっちゃってるんですよ」

 アンタのお仲間でな。おばちゃんが何か言い返す前に畳み掛ける。

「安林さん、アナタは二十六日の夜に、えーと、何て読むんだこれ」

健牛すこぶる幻樹げんきですっ!」

 それは芸名だろクソババア。そんな名前捜査資料に載ってたまるか。

「その健牛さんをナイフで刺したと、そういうことでよろしいですか?」

「はい。私が幻樹を刺し殺しました」

 声色に違和感があって安林の目を見る。俺の後ろにあるなにか巨大なものを見ているかのような、据わった目。素人の演技とは思いがたい、真に迫るものを感じる。

「その時間とか覚えてます?」

「いえ。私、無我夢中で彼を刺したので……前後の記憶がないんです」

「一応死亡推定時刻は大体深夜二時から四時くらいと出ています。この時間、いやその前後でもいいですが、どこで何をしていたか、覚えている限りでいいのでお聞かせ願えますか?」

「幻樹を刺し殺していました。それ以外の記憶はありません」

 タバコが吸いたい、と思う。ここではもちろん吸えないが、そもそも禁煙中で手持ちもなかった。

 味の無い空気を吸って、吐く。

「安林さん、アナタはあの晩D市の居酒屋で友人たちと飲んでいた。同窓会だったそうですね。お友達に聞きました、みんなで終電で帰ったと」

「覚えていません」

「思い出してください。アナタは終電で帰って、自宅で寝たんです。ご家族の証言は残念ながらアリバイにはなりませんが、今回は幸運にもマンションのカメラにしっかり映像が残っていました。これ安林さんですよね。この画像が一時六分のものです」

 プリントアウトしたカメラの画像を見せる。気持ちよく酔って幸せそうに笑っている安林有代の姿が写っている。

「この後の映像もチェックしましたけどね、安林さんが映るのはこれっきり、もうお昼まで出てきません」

「カメラの死角から出ていったのでしょう。そして自転車で犯行現場まで行きました」

「あり得ると思います? 簡単に自転車で行けるような距離じゃないですよ」

「考えづらいことは分かっています。でも私が幻樹を殺した以上、そうとしか考えられない」

 埒が明かない。結論ありきの究極系だ。まるで言い続けることで真実になると期待しているかのようだった。

「今ならまだ厳重注意で済みますよ。仮に安林さんが健牛さんを刺したというのが嘘だとしたら、これ以上は公務執行妨害も視野に入れることになります」

「どうぞ。そんなもの、殺人より重い罪とは思いません」

「わかりました。では別室でお待ちください」

 お連れしておいて、と記録係をしていた練馬に頼んで席を立つと、安林は大声で俺に怒鳴った。

「逮捕しないんですか!」

「逮捕ってそんなすぐにはできないんですよ。現行犯でもないんでね」

 そもそもアンタは容疑者ですらないから関係ないがな。この事件の本当の担当は捜査一課だ。それなのにアンタらが地元の警察署に回されてきたのは、このなかに真犯人はいないと思われているからだ。アンタらは殺人事件の関係者としてではなく、地元の困ったさんとしてここにいる。

「私が幻樹をこの手で殺しました!」

 蓋をするように部屋を出て、勘弁してくれ、と頭を抱える。

 こんなのが、あと十六人もいるのか……。

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