魔性の女12

「……名前? おかしいな、教えるはずないんだけど」

「教えないって、どうして?」


 私が尋ねると、ロディが苦笑する。


「兄に取られるのが嫌だったんだ。その頃兄は、君のお母さんに憧れていたから、可愛い君の名前を知れば、会いに行っただろう」

「それは……」


 ないとも言い切れないのがつらい。淡々としていたけれど、確かに私は第一王子に告白された。


「それならリカルド様が嘘を? 殿下は貴方が、アマリアかアマレーナという方が好きだと口になさったわ」

「アマリアかアマレーナ? 聞いたことのない名だな……――ああ、そうか」


 ロディはあごに手を当てると、ふと思い出したように笑顔を浮かべる。

 ドキリとした私は、次の言葉を緊張しながら待った。


「兄に好きな子がいると話したのは、だいぶ前のことだ。ねえ、シルフィ。幼い君がくれたお菓子のことを覚えてる?」

「お菓子? 貴方がうちにいた時のことかしら。いろんなお菓子を勧めたけれど……」

「違うよ。王都に帰る日、君が僕にくれただろう?」

「……ああ、アマレッティのことね。初めて作ったから変な形で……それが何か?」

「兄はそのことを言っているんだと思う。好きな子がいるかと問われた時、僕は『アマレッティをくれた子』と答えた」

「え? それって……」

「君以外に誰がいる? だが、当時の僕は連れ戻されたことが不服で、ねたようにボソボソしゃべっていた。加えて兄は、甘いものに全く興味がない。恐らく焼き菓子の名前を、人の名だと勘違いしたのだろう」


 ――アマレッティがアマリアかアマレーナに変換されるって、チョコが千代子に聞こえるようなものかな?


 ロディがごまかすはずはない。納得して彼に笑みを向けた私は、ふとあることに気づく。


 ――それなら、彼が大切にしているものの正体って?


 アマレッティ以外に渡した記憶はなく、包み紙は茶色だった。対して目撃証言は白。

 ロディは苦笑し、紺色の髪をかき上げる。その仕草が色っぽく、他はもうどうでもいいような気がしてきた。


「いいよ。気になることがあるなら、なんでも聞いて?」


 彼は鋭い。それなら一応聞いてみようかな。


「ええっと、貴方が大事にして時々眺めているものって何?」


 ロディが驚いたように片方の眉を上げる。


「そんな話まで出回っているのか。隠してないから、別にいいけどね。でも、君を女官にするべきではなかったかな? 僕の悪評を聞いていないといいが」

「まさか! ローランド様は良い評判だけよ」


 第二王子は第一王子よりも有能だと、たびたび耳にした。王城内でのロディの人気は高く、カリーナだけでなくいろんな人が褒めちぎる。ローランド王子の名前が出るたび、私まで誇らしく感じた。


「それは良かった」


 ロディはにっこり笑い、長椅子から立ち上がる。彼は本棚に向かうと、何かを取って戻って来た。それは、片手に収まるくらいの小さな木の箱で、上部と側面に薔薇が浮き彫りにされている。


「君が気になるのは、この中身かな?」

「ええ。でもその箱は……」

「君のお母さんがくれた、からくり箱だ。対になるものを君も所持していると聞いた時は、嬉しかったな」


 そういえば、私はずっとこの箱を見ていない。どこにいったのかしら?


「いいよ、開けてごらん」


 ロディに手渡され、私は記憶を頼りに薔薇の彫刻を動かした。順番を間違えると、ふたが開かない仕掛けになっている。カチッと音がし、箱が開く。


「あ、開いたわ!」


 思わず叫び、隣に腰を下ろしたロディとともに中をのぞき込む。


「あら? これは……」


 箱だけでなく、中にも見覚えがあった。入っていたのは、白というより少し黄色がかったふちがレースの手巾ハンカチだ。広げると、すみには私の頭文字の「S」がピンクの糸で刺繍ししゅうしてある。


「私のだわ! どうしてここにあるの?」


 自分で刺繍したため「S」と読めるが、他の人にはミミズがったように見えるかもしれない。ずいぶん前に失くしたものなのに、なぜロディが持っているのだろう?


「男爵領を去った日、君はこれで僕の涙をぬぐい、アマレッティを渡してくれたね。うっかり持ち帰ったが、手巾ハンカチを口実にすれば、また会えると思ったんだ。その日を夢見て、大事に取っておいた」

「まあ!」


 手巾は記憶にないけれど、ロディのことなら鮮やかによみがえる。馬車の窓から必死に手を振るロディ、大きな目に涙をいっぱい溜める小さな彼は、本当に愛らしかった。

 大きくなった彼と両想いになるなんて、当時の私が聞けば、目を回すかもしれない。


「ふふふ」


 思い出に微笑む私の頬に、ロディが手を添える。目に映るのはあの頃と同じ金色の瞳。けれど、幼さの抜けた精悍せいかんな顔立ちは、立派な成人男性だ。そして、私の愛する人――


「シルフィ、質問は以上かな?」

「ええ。ロディ、答えてくれてありがとう。それと……私を好きでいてくれてありがとう。私も好きよ」


 告げた途端、彼は目を細めて嬉しそうな笑みを浮かべた。そのまま私の耳に唇を寄せ、甘い声で囁く。


「そんなに可愛らしいと、婚約式まで離したくなくなるな。シルヴィエラ、覚悟はいい?」

「覚悟? ええっ!? そんなの、無理に決まっ……」


 抗議しようと開きかけた唇は、ロディにあっけなくふさがれてしまったのだった。

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