微かな変化5

 この世界に生まれ変わった私に、親友と呼べる存在はいなかった。男爵家にいた頃も修道院で過ごしていた時も、無意識に親しい友人を作らないようにしていたのだ。今ならそれは、前世の記憶のせいだとわかる。


 まだ日本人だった頃――

 入院中の私は、優しい人達を苦しませた。多くの大切な人が、私の前では悲しい顔を見せない。

 病室に来てくれた親友は「早く教室で会おうね」と明るく笑う。けれどその親友が化粧室でこっそり泣いていたのを、私は知っている。見舞いの本やコミックは、ほとんど読んだ形跡がなかった。友達が私の好みに合わせて、わざわざ買ってくれたものだろう。駄作が紛れ込んでいたのはショックだったけど、選んでくれた友人を責めるつもりはない。


「必ず治る」と言った母の顔には、涙の跡があった。父も莫大な治療費のために仕事を増やし、懸命に働いてくれて。奇跡が起きない限り、回復の見込みはないと自分でも薄々感じていた。だけど最後まで、諦めたくなかったのだ。そのせいで周りにも、大変な思いをさせてしまった。

 結局私は、彼らに何も返せていない。


 この世界でも私は、小さな頃にロディとの別れを経験し、親を相次いで失っている。喪失の悲しみにおびえ、気づかないうちに他人と深く関わることを避けていたみたい。修道院を逃げ出す時、誰にも告げなかったのはそのせいだ。だけど……


「いったいどうしちゃったの? そんなに泣くなんて」

「う、嬉しくて」


 一人はやっぱり寂しかった。こんな私を親友だと認めてくれる存在は、かなり貴重だ。カリーナの憧れの人を独占しておきながら図々しいと、自分でも思う。でも彼女は、そのことでは怒っていないと言っていた。


「嬉しい? 親友が?」


 明るく優しく気立ての良い彼女に認められ、嬉しくないはずがない。

 さすがに恥ずかしく、私は両手で目をおおう。しばらくそうしていても、涙は止まらない。固く閉じたまぶたからしずくが溢れ、指の隙間を通ってこぼれ落ちた。こらえたはずの嗚咽おえつが、唇を震わせる。

 

「……あら」


 カリーナが呟き、かすかに笑う。彼女はそのまま背後から、私を優しく抱き締めた。腕に力を込めて包んで……って、なんだか身体が硬くない!?


 私は驚き顔を上げる。

 振り向くと、紺色の髪が頬にかかった。後ろにいたのはカリーナではなく、金色の瞳の彼だ。


 ――ど、どうしてロディがここに!?


「良かったわね、シルヴィエラ。黙っておいてあげるから、どうぞごゆっくり」

「いえ、あの……ちょっと待って、カリーナ!」


 手を伸ばして引き留めるが、彼女は戸口でいたずらっぽく笑うと、扉を閉めて立ち去った。




 豪華な部屋に、ロディと二人きり。私がいきなり彼を襲うことはないと思うけれど、ラノベ的には非常に危険な立ち位置だ。寝室は隣にあるので、移動しなければ大丈夫……かな?


「どうしたの、シルフィ。そんなに僕が嫌だった?」


 耳元で響くかすれた声は、昔のロディにはほど遠い。回された腕も男の人そのものだ。

 だからだろうか? 胸が不自然なくらいにドキドキするし、そんな自分の反応が怖い。さっきは慌てて逃げたけど、彼自身を嫌ったわけではなかった。ロディの言葉を首を振って否定しながら、私は考える。


 ――違う。嫌なのはラノベ通りの展開になることと、彼に頼る自分だ!

 

 私はロディに好きな人がいると知っている。彼女のために、彼は私に恋人のフリを頼んできたのだ。それなのに――


 それなのに――……何?


 思わず息を呑む。

 こんなはずではなかった。彼はただの幼なじみで、弟みたいなものでしょう? 


 惚れっぽいのはラノベのヒロインで、私じゃない……私は協力を頼んだだけ。義兄に会いたくなくて、レパードの勧めに従い、ここに来た。今もまた、恋人のフリに甘えてローランドに守られている。


「ああ――」


 絶望に駆られ、激しく震えた。

 いつの間にか私は、シルヴィエラと同じ行動をしている!


 もちろん身体の関係はないが、やっていることは一緒だ。義兄は運良くパスできたが、このまま側にいたら私は第二王子を押し倒し、第一王子に乗り換えるかもしれない……それだけは絶対にダメ。ロディを守らなきゃ。

 私は彼のたくましい腕に、自分の両手を添えた。

 

「……離して」

「離さない。やっと見つけたんだ」


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