魔王
世界はもう躍斗達を攻撃しない。
それは躍斗にも分かったのだが、問題が解決していない事は明らかだった。
死んだ人間が生き返る。
それだけなら素晴らしい事のようにも聞こえるが、現実は違う。
不慮の事故で死んだ者、冤罪で死刑になった者、殺されてしまった者。
それらの者が狭間から出て来れば生者に縋り付く事は必至だし、死は善人にだけ訪れるわけではない。
町は混乱の極み、さしずめタウン・オブ・ザ・デッドだ。
それが躍斗のせいである事は容易に理解できた。
救いなのは各々の地で死んだ者が一斉に出てくるわけではない事か。
狭間に情報が残された者だけだ。分かりやすく言うならば生まれ変わった者は出て来ない。
それでも世界が崩壊に向かっている事は確かだろう。
やたらめったら狭間から出て来る為に境界が曖昧になってきたのか、周囲には狭間の気配が霧のように渦巻いている。
不安そうにするキュオに笑顔を向ける。
世界がどうなるのかは分からないが、それでも構わない。
自分にはキュオがいる。それで十分だ、と躍斗は崩壊していく大地の上に浮かびながら、世界の行く末を見守る。
世界の混乱は次第に収まってきた。いや、混乱極った状態になったという方が正しい。
現世と狭間が入り混じり、ここが現世なのか狭間なのかももう分からない。地面もドロドロに溶け、大気もドロドロで満たされる。
段々と辺りにはドロドロしかなくなってきた。
躍斗はキュオを抱いたまま、何も無い、音もしない世界を漂っていた。
死について考えた事はある?
死ぬってどういう事なのか。
昔の人は死んだら天国か地獄へ行き、そして生き返ると考えた。その考え方は否定しない。
要はこことは別の次元があり、人はそこから遣わされ、そこへ帰っていく。
ゲームでいうならキャラクターとプレイヤーの関係だ。
キャラは死んでも一部のパラメータは引き継がれたりするし、プレイヤーは同じなんだから情報は引き継がれる。
それは輪廻転生の理論とも符合する。
「難しい事言うんだね」
肝心なのは、物事は現象があってから理由が付けられると言う事だ。
前世の記憶を持っている者がいて、臨死体験で地獄を見てきた者がいて、離れていても意志の疎通ができる双子がいる。
それはなぜなのか。それを考える所から始まっているんだ。
何もない所から宗教の概念を一から作り出した者がいたのなら、それこそ凄いクリエーターだ。そっちの方が不自然なんだ。
天国も地獄も元になる話があるんだよ。ただそれが伝わっている物と少し違うかもしれないってだけなんだ。
「それで……ここは天国? それとも地獄?」
分からない。その間かもしれないな。
「それが……狭間の世界?」
躍斗は少し考え込む。
全ての生命は海から生まれた。
海は全ての命の源、有機物のスープだった。
全ての物が混ざり合ったドロドロの存在。
そこから生命が誕生していって、残ったのが今の海。
死んで土に、海に還る事で命は循環している。
狭間にいる時、段々生きる気力を失うって言ってたね。あれは、少しずつ狭間に溶けていたからなんじゃないかな。
現世にいても狭間を感じ取る事で、それに近い状態になる人がいるのかもしれない。絶望は死に至る病だと言った人がいるけど。
狭間を感じ取る者はある意味、無に還ろうとしているのかも。
「ねえ、いつかしてくれたあの話。結局、酸素は燃えるのとどう違うの?」
と少し眠そうに聞くキュオに、ちょっと退屈だったかなと笑う。
躍斗は無限に広がる空間を見つめた。
それは定義。酸素と結びついて反応する事を『燃焼』と呼んでいるからだ。
だからそれに当てはまらないものは『燃える』じゃない。酸素は、酸素と結びついて反応しない。
世界も同じ。名前を付けられて、定義を当てはめる事でこの世に存在できるようになる。
昔は『空気』なんて言葉も無かった。空中には何も無かったんだ。
宇宙も同じ。空気が無いだけで何も無いんじゃない。発見されていない物、これから発見される物はまだまだあるんだ。『狭間』もその一つなのかもしれないな。
キュオを見ると目を閉じて寝息を立てていた。
やっぱり退屈させてしまったか、と肩を抱く手を少し緩める。ここは重力という感覚もない。
ゼロという言葉ができて『何も無い』という事象も存在する事を許された。
人は全ての物に名前を付け、型にはめ、定義付ける事で世界を認識してきた。時にはその枠を壊し、違う目で見る事も必要になる。
狭間っていうのはその概念を取っ払った物。これから存在する物も、存在を失った物も、全てがドロドロに……混ぜこぜになった混沌の世界。
全てが存在する母なる空間。
“いっそ僕達二人で新しい世界を創造するか。アダムとイブのように、僕達だけの世界を作ろう。いさかいも、争いも無い穏やかな世界を……”
躍斗は自分の手の平を見つめる。
さっきまでそこにあったはずのものが見えなくなっていた。
“キュオ?”
手の感触を確かめるように握っては開く。だが何も感じない。
まるで初めから全てが夢だったかのように曖昧になっていた。
思い返せば自分が誰かと話していたのか、本当に声に出していたのかも思い出せなかった。
躍斗はたった一人になった世界を見回す。
そして唇を噛んで目を閉じた。
泣く事も無意味だ。泣いても誰も見ていないのだから気にする必要もないのか。
いや、躍斗は始めからずっと泣き続けていたのかもしれない。
ずっと嘆き続けていたのかもしれない。
そして、行き着く所に行き着いた。来るべき所に来た。
これは躍斗の望んだ事。躍斗の理想が寸分違わず叶ったものなのだ。
どのくらいそうしていただろうかという頃、躍斗は背後……視界の隅に長い髪と柔らかい曲線を感じて振り向く。
“キュオ!?”
しかしそこに居たのは長い髪をした瞳のない、全裸の女性。
すぐ後ろに来るまで、レイコの気配を感じなかった。
目から、口の端から赤い液体を流したレイコは躍斗を包み込むように手を回す。
だが躍斗に逃げるつもりはなかった。
これでいい……。最期に美女に抱かれて終わるのも悪くない、と脱力する。
一気にあふれ出た液体は躍斗の顔に降りかかった。
レイコは躍斗と唇を合わせ、その中に液体を流し込んだ。
“これは血ではない。これは……狭間だ”
この空間に漂うドロドロの気配と同じ。
だからレイコが近づいたのが分からなかった。
重く、濃厚な狭間の感覚が体に染み渡り、世界に溶け込むように躍斗の意識は薄れていった。
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