限定解除
レイコはモデルのように無駄のない足取りで歩を進めてきた。
そして目から口から流す液体がその量を増す。
流れ落ちた液体は気化するように広がり、足元でスモークを炊いたように地面を覆い隠した。
兵達は動揺して銃を構えるが、百目鬼は声を上げて静まらせる。
百目鬼の合図でアンテナのような物を積んだ車両が、ブラウン管のような音を立てて起動する。
電磁兵装? と躍斗は自分に使われるはずであったであろう兵器を見る。
電極のような物が青白く発光し出した。得体の知れない物には電磁波が効く……と学んだのか、だがそれは正解だ。
躍斗は軍隊の動向を見守るが、上空に黒い雲が渦巻いているのに気が付く。
雷雲にしては位置が低すぎる。
その色と雰囲気は、レイコが流しているドロドロが蒸発して上空に溜まったかのようだ。
それは、まるでブラックホール。
その穴から、突然にゅっと何かが出て来た。
夜空に響き渡る汽笛と共に出て来たそれは、巨大な鉄の塊、タンカーだ。
地面に大きな影を落として伸びてくるそれを、躍斗も軍隊も呆然と眺めていた。
そしてタンカーは、滝に突っ込んだかのように船首を下に向ける。当たり前だが空は船が航行する場所ではない。
物理法則に、重力に従って落下を始めた鉄の塊は、その先端をホバリングしていたヘリにぶち当てた。
ガチャンとガラスが割れるような音を立ててひしゃげ、支柱を失ったローターが四方に飛び、やや遅れてヘリが火を噴く。
そのままヘリを押し下げながら、タンカーは地面に落下。布陣を敷く戦車部隊を押し潰した。
さすがに石油は積んでいなかったようだが、辺りは一瞬で火の海になる。
車両はほぼ全て壊滅し、混乱の中を兵士が消火作業に奔走する。そして全裸のゾンビを前にしていた兵士はレイコに向けて銃弾を発射した。
だがその弾は、直前で止まるでもなく全てレイコの体を突き抜ける。
そしてレイコの足元に溜まったドロドロが盛り上がると、そこから鎧の騎士を乗せた馬が飛び出した。
馬は前足を持ち上げて
兵士は発砲したが、馬に着せた鎧は弾丸を弾き、突進を止めるには至らない。
騎士は馬上槍をしっかりと構えた。
雄叫びを上げて銃を撃つ兵士は、防弾チョッキごと胸を貫かれ、その体を持ち上げられる。
騎士はそのまま走り、兵士を装甲車に突き立てると勝どきのように馬を嘶いななかせて、塵のように消えた。
夢でも見ているかのように唖然とする兵士達に構わず、ドロドロから次々と敵が現れる。
和風の鎧に身を包んだ武士。弓を射る兵。三八式歩兵銃を持った兵隊。
倒しても倒しても次から次へと現れる狭間の兵と近代兵器を持った軍隊との戦争が始まった。
都合の悪い物を叩き潰す、絶対的な力。世界と言う強大な力の前に、軍隊というちっぽけな力はいとも簡単に
レイコが布陣を通り過ぎる頃、辺りは静けさを取り戻していた。
そしてレイコの姿はそのまま狭間へと消える。
自分を殺しに来たのではないのか? と思ったが、躍斗は狭間の力で身を守っただけだ。
当然躍斗も標的の中に含まれていただろう。水無月は躍斗と同盟を結んだ為に、同一として排除されたのだ。
躍斗はしがみ付いて震えている少女に気が付く。真遊海もくっついていた為に無事だった。
真遊海の手を外して周囲を窺う。
部隊は全滅だが生存者はいるようだ。真遊海が救援を呼ぶだろうが、応急処置くらいはしてやるか、と歩き出す。
がばっと地面が盛り上がり、大柄の男が姿を現す。
血と泥で汚れているが、顔に深い傷を負った男は百目鬼。
得体の知れない相手に、戦いに参加せず土に潜って隠れていたようだ。
「なんだ? あれは。お前の仲間か?」
「あんたらよりは同類かもしれないが、仲間じゃない。僕もアイツに狙われている」
百目鬼は押し殺すように笑う。
「いいねぇ。是非ほしい。何としてもお前を手に入れたくなったぜ」
スキンヘッドのおっさんに言われても嬉しくない、と構わず歩き出そうとする。
「おっと動くなよ。お前は危険すぎる。妹に爆弾でも埋めこまねぇと安心できねぇな」
と手に握ったリモコンスイッチを見せ、ぐっと指に力を込める。
その瞬間、バチッと脳に電撃が走ったような感覚と共に、時間が止まったように遅くなった。
躍斗は走りながら悟る。
時間を遅められる長さと効果には限界がある。
その能力を向上できないかと精進を試みていたが、ずっとうまくいかなかった。
どれだけ集中しようと力を入れようと時間を遅くできる精度には限界があるし、時間も短い。
この力はそういうものなんだろうと思い始めた所だったが、周囲にレイコによる狭間の気配が充満しているせいか、今はより広い範囲で空間を感じ取る事ができる。
躍斗の能力によって空間が、時空が歪んでいるのが感じ取れた。
必要だったのは『広さ』。
躍斗のこの能力は世界の時間を遅くしているわけでも、自分が速く動いているわけでもなかった。
躍斗を中心に、時空間を歪ませるものだ。
躍斗のいる場所の時間が止まっても世界の時間は変わらない。たとえるなら十キロ先では平常に時間が進んでいる。そして五キロ先では半分の時間が進んでいるのだ。
時間を長く止めれば止めるほど歪みが大きくなる。その射程がそのまま限界時間。
能力を解除すれば歪みは次第に元に戻る。
要は平常より時間が早く進んでいるのだが、躍斗を含めた全体が進んでいるから違和感を感じない。
そして歪みが元に戻るまで次の能力は使えない。
それが能力のタイムラグ。
そして速く動けるわけではないとは言っても全くではない。
意識だけの加速とは違い、体が重くなるように抵抗があるだけで、それに強引に力を加える事で若干速く動く事は出来る。
外から見れば少しばかり素早い動きに見えるだろう。
それは世界の理を侵した動きが出来ないという制限なのだと躍斗は思っている。
だが今はそこら中に狭間の気配が漂っている。
狭間の中で物体を通り抜けられたように、今ならその壁をぶち破る事が出来るのではないか。
そう思った時、鎖から解き放たれたように躍斗の体は軽くなった。
ここでなら壁を通り抜ける事も出来るだろう。
躍斗はそのまま百目鬼に走り寄り、腕を掴む。
指がスイッチにかかっている為、リモコンだけをもぎ取るのは難しい。下手をするとスイッチを押してしまう。
どうしたらいいのか分からなかったが、このボタンが押されればキュオが死ぬというのが脳裏をよぎり、ほとんど無意識に腕を『もぐ』ように引いた。
そしてあっさりと腕は『取れた』。
百目鬼も、躍斗も唖然とその取れた腕を眺める。
断面もなければ血も出ない。
人形の腕が取れたように、3DモデリングされたCGから腕のパーツだけを切り離したように、腕は躍斗の手の中にあった。
「……へ、へっ。残念。さっきの騒ぎの時に、もうスイッチは押しちまったぜ」
カッ、と躍斗は目の前が真っ白になったように感じた。
頭に血が上ったのではない。むしろ逆だ。
冷めたのだ。
冷めて冷めて、冷め過ぎて、凍り付いたように思考が止まった。
そして時間も完全に止まる。
まるで写真のネガのように視界から色が消える。
モノクロとも違う。透けて見えるというか、目で見ているのではなく『空間そのものを認識している』ように周り全体を感じ取れた。
音も聞こえない。
躍斗は百目鬼に突進する。
キュオはどこだ? と聞いても時間の無駄だ。もっとも躍斗の体感的には時間も止まっているが……。
百目鬼の頭に向かって腕を突き出し、その手が顔にめり込む。
パンチが突き刺さったのではない。
躍斗の手は脳を直接掴むように頭を突き抜けて入り込んだ。
そして百目鬼の頭は膨張するように膨れ上がって割れる、というか開く。
目玉が飛び出し、頭蓋骨が割れ、展開するように開いてプラモデルの組み立て設計図のようになった。
剥き出しになった脳から記憶を取り出せないかと、よく分からない機械をいじるようにガチャガチャといじり回し、時折叩く。
記憶はダメだ。どこをどういじればいいのかさっぱり分からない、と躍斗は脳を左右に割って更に分解する。
理科室に置いてある標本のように、シュールではあるがグロい感じはしなかった。
脳を物理的に分解したのではない。
これはあくまでイメージ、百目鬼と言う物体オブジェクトを侵食するんだという事を念頭に置く。
百目鬼の体がガクガクと痙攣し、気をつけ、ファイティングポーズ、ガード、走る、という行動を取り始める。
モデリングツールでモーションのテスト再生をしているように、その場で色々な行動を取る動きはかなりコミカルだ。
躍斗は自分が『挙動』に関する部分に触れたらしいと悟る。
その中から『話す』という挙動を実行させた。
百目鬼の口がペラペラと動き、意味不明な事を口走り始める。
都合よくキュオの居場所を吐くだろうか、と思ったが問いかけるとあっさり話し始めた。
地名、最寄り駅、緯度経度、現在位置からの相対方向と距離。あらゆるパターンでキュオのいる位置を繰り返し喋り続ける。
場所だけ言われてもさっぱりだ、と躍斗は百目鬼の『位置情報』を探り当て、喋り続けている場所とリンクさせ、百目鬼の位置情報を書き換えた。
百目鬼の位置情報はキュオの居る邸宅に変わる。
それと領域を繋げている躍斗の体も移動――つまり一瞬でキュオの居場所へ『ワープ』した。
部屋の中に倒れているキュオの姿を見つける。
「キュオ!」
喋り続ける百目鬼の頭を放り出してキュオに駆け寄った。
助け起こすが、その体は……。
「あ……ぐ」
キュオの体から手を離し、拳を握り締めて歯軋りする。
「なんで……なんでこんな」
キュオをそっと寝かせ、両の手の平を見る。
“僕のせいなのか? 僕がキュオを狭間から抜き出したから? 力を使ったから? 魔王になろうとしたからか?”
ニコも、キュオも、何の罪もない人が
“僕は魔王。神でも正義の味方でもない。だが、魔王が人を助けてはいけないという道理もない。僕は自分の信念に基づいて行動するだけだ。キュオは僕にとって大事な存在だ。妹として? 違う。今分かった。僕は……”
拳をこれ以上ないというほどに握り締める。
“世界を敵に回す事など、はなから覚悟の上だ”
躍斗は何もない空中に手を突き出した。
その手は空間に開いた穴に突っ込んだように途中で見えなくなる。
「キュオ!」
腕を引き出すと、手には少女の腕、それに続いて体……、ふわふわの髪をした、十六才くらいの女の子が『狭間』から抜き出された。
「キュオ?」
少女は呼びかけに応えるように呻くと、目を開ける。
「躍斗ー? なんか小さくなった?」
深い眠りから覚めたようにキュオは朦朧としながら答える。
「あれ? もしかして、戻ってる?」
キュオは自分の体を確認し、躍斗に抱き付いてくる。
小さい方のキュオは粒子のように
同じ人間は同時に存在できないから片方は消える。
世界の安定の為には生き返った方が消えなくてはならないのだろうが、キュオは躍斗がしっかりと握り、その存在を確かなものにしていた。
突然地響きと共に家全体が揺れる。
壁にヒビが入り、外に面した大きなガラスが割れた。
「地震!?」
脅えてしがみ付くキュオに優しく語り掛ける。
「大丈夫だよ」
躍斗には分かっている。
死んだ者を生き返らせるなんて事はあってはならない。世界は今までとは比べられない規模の事故を起こしてでも、キュオとそれを起こした躍斗を抹消するだろう。
だが、キュオは守ってみせる、と固く誓う。
守りきれば躍斗の妹として戸籍が作られたように、その内帳尻が合うはずだ。
目の前が炎に包まれる。地震でガス爆発でも起こしたか。
躍斗はキュオを抱えて、ゆっくりと部屋に広がる炎を避けて外へ出る。
外へ出た所で、邸宅は大爆発を起こし、窓という窓から炎と黒煙を噴き出して残ったガラスも吹き飛んだ。
熱い……。
キュオがしがみ付くと地面に亀裂が走る。地面が割れてクレパスの如く口を開けた。
足の下に地面はなくなってしまったが、躍斗の体が奈落の底に落ちる事はない。
自身の位置情報をその場に固定したからだ。
物体の落下は位置情報に対して重力ベクトルを加算する事で起こる。
人の意識から外れて姿を消す技の応用だ。位置情報を重力ベクトルから外せば躍斗の体は落下しない。
地震で地面が激しく波打つので位置情報を操作し、体を上空へ浮かび上がらせる。重力ベクトルの加算を減算に変えればいい。天地が逆転する事をイメージするだけだ。
足の下では大地に亀裂が広がり、その上にある物の原型を壊していく。雲行きが怪しくなり、空には暗雲が立ち込め始めた。
パッと空に閃光が走ると、頭上に光の線が現れる。
落雷か、と躍斗は頭上を見る。
確かに自分を倒すには効果的な攻撃だ。だが時間を止めてしまえば無意味となる。
止めている間に、躍斗は重力ベクトルの向きを横方向に変えて稲妻の軸線上から逃れた。
落雷は直角には曲がらない。
だが何度も時間を止められない。雷雲から逃れなくては。
世界は本格的に躍斗を消すつもりだ。かなり焦っていると見える。
だが今の躍斗にはレーザー光線も当たらない。
止まった時間の中でも物は見えている。それは光は変わらず動いているからだ。だから光を収束させて目標を焼き殺すレーザーは一見効きそうだが、そんな事はない。
なぜなら『レーザー光線』という現象になった時点で、それは『オブジェクト』になるからだ。
落雷も同じ。それには『
躍斗の『時間を止める』という能力は実の所『
今の躍斗にはその構造が見えている。
できない事などない。キュオは……、守り切ってみせる、と意思を固める。
躍斗は安全な地を探して、黒い雲が立ち込めた空を飛翔した。
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