堕ちた天使

 日が落ちて夜の帳が降りるというが、文明の明かりの無いこの場所では、本当の意味でその表現がしっくりくる。

 吹き晒しの家屋には、外からの焚き火の明かりが僅かに入ってくるだけだ。

 星が明るいので空は見える。

 都会から見える星とは違う。

 空気が澄んでいるせいか星の数が多い。大地に仰向けになって夜空を見ると宇宙にいるような錯覚に陥るだろう。

 見張りが立っているとは言え、闇に紛れて逃げるのも難しくはなさそうだ。

 そしてこの地に来て半日以上が経過した。

 家にいる時も朝から夕方まで何も食べない事もよくある。だが今日は色々ありすぎた。エネルギーの消費量から言えばかなり多い方だろう。

 要するに、そろそろ躍斗の空腹も限界が近づいていた。

 お嬢さんの方が先に根を上げると踏んでいたのだが、中々どうしてしぶとい……というか意志が強い。

 こういう場合、女の子の方がダイエット慣れしていて有利なのではないか? まるでプロボクサーだ、とじっと動かない真遊海の前にあるパンを見る。

 狭間にいた時ですら食べ物には困らなかったのだ。

 その気になればどうとでもなるのだが、さっき偉そうな事を言った手前、意地を張ってしまう。

 だが真遊海は女の子。躍斗よりも小さく細い。

 エネルギーを消費する筋肉の量が少なく、エネルギーである脂肪が多いのだ。考えてみれば空腹に強くて当然なのかもしれない、と自分に向けて言ってみる。

「じゃあ……僕は頂こうかな。僕の分だけ」

 真遊海は何も言わずパンを渡す。

 嫌味な感じは無く、躍斗だけでも助かってほしいと言わんばかりの表情だ。

 躍斗はパンを半分に割る。これ以上ないというくらい半分に割れた。

 だがそれでもきっちり半分に割る事は不可能だ。どちらかが僅かに大きい。

 躍斗は心持ち大きいと思える方を真遊海の前に置いた。ささやかなプライド、抵抗だ。

 手にしたパンを齧る。

 硬い。パサパサだ。とても不味い。

 空腹時はどんな物でも美味いと言うが、考えてみればまだ半日。飢えているというには程遠い。

 無理矢理喉に押し込み、飲み込もうとするが引っかかってしまう。喉が渇いてパンが張り付いたようだ。

 水で流し込もうと思うが、ペットボトルの水はニコの体を拭いた為に半分近くに減ってしまっていた。

 躍斗は一口だけ含み、パンを飲み込んだ。

 空腹より渇きの方が耐え難い。僅かに入った水分のせいでその事を思い出してしまったようだ。

 だが躍斗はペットボトルのキャップを閉め、真遊海の元へ返す。

「残りは君が使ってくれ。飲む気が無いなら……そうだ、体を拭くといい。風呂にも入ってないだろ?」

 貴重な飲み水を体を拭く事に使うなど馬鹿げているが、これは結局真遊海との我慢比べなのだ。

 躍斗はその気になれば、いつでもここから脱出して助けを求める事ができる。

 水無月も救出には失敗したが、次の手を打っているはすだ。

 ここから出さえすれば簡単に見つけてくれるだろうし、気付かれずに無線を使う事も、テロリストの水を拝借する事もできる。

 問題は真遊海にその気がない事だ。ここで優しさを見せて気が変わってくれればと少しばかり期待しての行動だったのだが……。

 真遊海はペットボトルを受け取ると笑みを返す。

「じゃ……、お言葉に甘えようかしら」

 え!? でもここには別の部屋は無いし。さすがにテロリスト達も部屋を出させてくれないだろう、と思っている間にも真遊海は服を脱ぎ始める。

「お、おい。ちょっと!」

 確かに自分が言い出した事だが、まさか本当にやるとは、と躍斗は慌てて後ろを向く。

「ホント言うとこれだけが辛かったの。ありがとう。……こっち向いても大丈夫よ。暗いんだし」

 真遊海はそう言うが、僅かな光の中に浮かぶシルエットの方が妄想を掻き立てて、余計体に悪い。

 真遊海は後ろを向いて胡坐をかく躍斗に、腕を回すようにしてペットボトルを返す。

 頭のすぐ後ろに一糸纏わぬ真遊海がいるのか……、と躍斗の心臓は高鳴った。

 胡坐をかいていなければ、格好悪い姿勢になっていた事だろう。

「少しだけ残しといた。あなたが飲んで……。服も汚れを落としたから乾くまでもう少しこのままでいさせてね」

 躍斗は無言でペットボトルを受け取る。飲み込む唾もなかった。



 真遊海は躍斗と背中合わせになるように座る。

 背中から伝わってくる感触からは、確かに服を着ていないようだ。

「あなたの目指しているものってなんなの?」

 躍斗は数瞬、何と言ったものか迷ったが、一番最初に決めた言葉を選んだ。

「宇宙の真理に到達する事だ」

「何それ。天文学者にでもなるつもり?」

「近いかもしれないな」

 数学者も、方法は違えど皆同じ物を見ているのかもしれない。

「命ってのは何なのか、生きてるってどういう事なのか、考えた事はないか?」

「あると言えばあるけどね」

 真遊海は少し呆れたような笑いを含んで続ける。

「私はこの世に生きた証を残す事。何を成したのか、それが生きるって事だと思う」

「死んだ後、自分がどうなるのか考えた事はあるかい?」

「死んだらそれまでよ。金持ちも貧乏人も聖人も悪党も死んだら同じ、土に還るだけ」

「土に還った後、魂はどうなるんだ?」

「魂? 急に方向転換するわね」

 真遊海は呆気に取られたように言う。

「根本は同じだよ。この今いる僕は何なのか、意識というものは何なのか、死んだら意識はどうなるんだ?」

 真遊海は少し疲れたように言う。

「無に還るのよ。思考停止してそれでおしまい。死体は肉の塊よ。その先はどこにもないわ」

「否定はしないけどね。宇宙の真理に到達する前に死んだらそうなるんだろう」

 脳が、どうして意識を持つのかはまだ分かっていない。

 実はそんなものはないんだと言う人もいる。

 クローンを作ったり、記憶をバイオチップにコピーして量産すれば同じ人間がたくさんできるかもしれない。

 だけど意識は皆共有してるわけじゃない。結局別の人間だ。

 同じ記憶を持ったクローンを作れば思想が受け継がれて実質的な不老不死? 思想の伝承、そんな事は原始時代からやってきた事だ。

 それじゃ意味がない。今ある意識が続いてこそ意味があるんだ。

 では意識はどうすれば引き継げる? 脳を移植すればいいのか? 左脳だけなら? 脳細胞一部だけなら?

 その疑問に近い答えもある。

 実はここにある脳は受信器官で、本当の自分は別の所にいるというやつだ。

 ちょうどゲームのキャラクターとプレイヤーの関係みたいなものだ。

 本当の自分がいて、人生と言う名のゲームをプレイしている。受信器として機能するたった一つの物に、意識は宿るんだ。

 躍斗は少し今いる状況を忘れて熱弁する。

「へえ、本当の私はどんな姿をしているの?」

「それは……、分からないよ」

「今の私より可愛いかな?」

「いや、それはないんじゃないか?」

「なに? どういう意味?」

「いや、今も美人だから……それ以上はないっていうか」

 真遊海は薄く笑い、背にもたれてくる。

「あなたホントに変わってるのね。面白い」

「そんな事はない。子供の頃、皆一度は考えるんだ。死んだらどうなるのか。死ぬってどういう事なのか。もっと漠然と。ただうまく言葉にできないだけで……。言葉にできるようになる前に大人によって擦り込まれていくんだ。そうしていつの間にか忘れていく。変わっているのは周りだよ。僕は『変わらなかった人間』だ」

「私も……、変わったの?」

「いや……それは知らないが」

「ううん、きっと変わった。今の私は本当の自分じゃないのよ」

 水無月の娘は生まれた時からあるべき形に教育される。ついて来られなければ切り捨てられるだけだから、それはもう洗脳さながらに。

「あなたは私を美人だと言ったけど、水無月の娘は皆こんな感じよ。幼い頃から歯列強制し、整体して美人を造る」

 そして皆同じ出世欲に駆られている。個性など、無いに等しい。

 必死で生きているニコ達に、それを教えてもらったと言う。

「ねえ、躍斗。約束して!」

「それは……、内容によるが」

 こういう時は素直に約束する! と後頭部をぶつけてくる真遊海に、困ったように曖昧に頷く。

「その宇宙の真理に、本当の自分に会う時は、私も連れて行って」

「ええ!?」

 さすがに意表を突かれる。

 その時、下腹に響くような爆発音が轟いた。遠くで炎が上がり、室内が照らされる。

 軍隊の攻撃か!? と窓まで駆け寄り、横にいる裸の少女に気が付く。

「は、早く服着て。やばいかもしれないよ」

 真遊海はしれっと「あ、ごめんなさい」と言って服を着始める。

 攻撃にしてはその後の銃撃音もない。

 様子を窺っていると服を着た真遊海が窓の外を見る。

「ヘリが爆破されたみたい。あなた達が来た時に、何か仕掛けて行ったのね」

 なるほど、追っ手を防ぐ為にヘリに爆弾を仕掛けたのか。

 今頃爆発する所を見ると時限式というより遠隔操作か。

 本来なら追っ手が飛び立とうとヘリを飛ばした所を爆破する方が効果的だ。それを今爆破したという事は……、と遠くに見える炎を眺める。

「銃撃はまだ聞こえないが、これから攻撃が来る可能性が高いぞ」

「そうね。私を見捨てる事が決定したのかも」

 そんな冷静に言う事か? と躍斗は顔を引きつらせる。

 すぐ近くでも爆発が起こる。迫撃砲だ。いよいよ戦争か、と周囲が慌ただしくなる。

 真遊海がテロリストの少年と言葉を交わす。自分が見捨てられ、人質としての役を果たさない事は伝わったようだ。

 もっとも躍斗は平気だし、真遊海もその中に入っている。

 ただこの中には居させたくない。それに、テロリストと一緒に銃を取って戦うわけでもあるまい。

「私に戦争なんてできないわよ。私はただ、先頭に立って一番最初に撃たれるだけ。それが私の役割なの」

 思想としては立派だが、本当にやっては無駄死にだ。ただの自殺じゃないか。

「分かったよ。僕も手伝う」

 お嬢様のペースに乗せられている気もするが、さすがに見て見ぬフリもできない。

 真遊海は躍斗を見て涙を浮かべる。

「勘違いするな。そんなお涙頂戴の話に興味はないんだよ。こんな子供が世界に何人いると思う」

 躍斗は魔王。はなから正義でも善でもない。だが軍隊ぐらい相手にできないようでは魔王は務まらない。

 たまたまいい練習台がいたというだけの話だ。

 真遊海は軽く抱き付いてくる。

「無事に帰れたら……ううん、帰ったら言うわ。だって、絶対に守ってくれるんでしょ?」

 まあな、と真遊海に全員を集めるように指示させる。

 俄かに信じられない話だろうが、彼らも軍隊と全面的に渡り合って勝てるつもりはない。

 こうなった以上玉砕は覚悟しているだろう。だから真遊海が説得して、全員を集めさせるのは難しくなかったようだ。

 もっと時間があれば作戦も練れたが仕方ない。シンプルだがこのまま敵陣まで進んで乗り物を奪う。

 電磁兵装にだけ注意を払い、弾薬を温存すれば持つだろう。

 布を裂いて作った紐で全員を結ぶ。二十人くらいか。

 少し多い。固まっての移動は不自由だが仕方ない。

「気付かれない?」

「いや、カメラぐらい使ってるだろうし、人数が多いから無理だと思った方がいい」

「今更だけど、姿を消すってどういうものなの?」

「武道の達人が気配を消しているのと同じ理屈だよ。僕はそれが天才的にうまいって事かな」

 あながち間違いではないのかもしれない。悟りを開いた武道の達人が、心を落ち着けて狭間を感じ取ったとしても不思議はない。

 だが、躍斗がこれから使うのは、もう一つ上の能力だ。

 躍斗は皆を囲う領域全体を感じ取り、当たり判定コリジョン固定ロックする。

 すぐ近くに砲弾が落ち、破片が飛んできたが直前で止まるとテロリスト達がどよめく。

 奇跡を信じたようで、移動の指示に苦労はなかった。

 真遊海の指す方向に移動を開始する。

 物陰に隠れられてスタンガンを使われたらやっかいなので、なるだけ開けた所を選んで進んだ。

 砲撃が止み、軍用プロテクターに身を包んだ兵隊が現れる。

 当然のように発砲してくるが、全て見えない壁に阻まれた。

 テロリストも始めは焦って撃ち返していたが、本格的に安全だと分かると落ち着いて無駄弾を使わないように迎撃を始めた。

 取り囲まれて進路を防がれないようにすれば問題ない。

 即席の作戦だが相手だって、躍斗が守りについている事は予想外のはずだ。

 大丈夫だ、と思った所でバッと周囲が照らされる。

 サーチライトのようだ。

 大きなライトで空を、地上を照らし、真昼とまではいかないが周囲を明るいものに変える。

 何をするつもりだ? と辺りを見て理解する。

 明かりは躍斗達を照らしたものではなかった。

 この周囲の……布陣した部隊を見せる為のものだ。

 激しいローター音が響き、ヘリコプターが飛翔する。躍斗が乗ってきたような輸送ヘリではない。ミサイルを積んだ攻撃ヘリ。

 そして地面には数台の戦車、装甲車、ミサイル車。そしてその隙間を埋め尽くすほどの歩兵。

 そしてその部隊の前に立っている男は、顔に深い傷を刻んだ……百目鬼。

「よう小僧。迎えに来てやったぜ」

 生きていたという事は、躍斗達どころか自分の部下も見捨てて逃げたという事だ。ぬけぬけと……、と躍斗は敵意を露わにする。

 真遊海がこのまま皆を逃がしてくれるよう進言するがあっさり却下される。元々交渉ができると思っていないが。

 部隊は既に躍斗達を完全に取り囲んでいた。このまま押し固められたらさすがに突破は難しい。

 自分だけ逃げる事は簡単だ。だが今後、躍斗一人で軍隊と戦わなければならない場面があったとしたらどうか。

 この程度の軍事力に屈するようでは、世界の魔王とは言えない。

 同情などではない。これは魔王であるための試練――と躍斗は突破する方法を思案する。

 躍斗の力なら敵の攻撃は防げる。だが相手もコリジョンロックの弱点を知っている。

 数で押し包んでスタンガンや電磁ネットなどの攻撃を仕掛けてくるはずだ。それさえ阻止すればいい。

 隊列人数も多い為、一気に走り抜けられないのが難点だが、それしかない。

 躍斗は真遊海に注意事項を伝え、テロリスト達が銃を構える。

 このままでは突破する前に弾切れだろう。そうなれば近づく敵を追い払う術を失いやられるだけだ。

 躍斗は足元の影を見る。レンダーシャドウに近くの敵から武器を奪わせ、可能なら無力化する。

 周囲のライトのおかげで影もくっきりだ。

 武器を奪いながら移動すれば突破もできるだろう。勝率は五分五分か、もっと低いかもしれないが、できる所までやってやるさ、と移動を開始した。

 だが、それはあっという間の出来事だった。

 すぐ近くで爆発、押し合い、倒れる人。

 テロリスト達は恐慌状態に陥り、隊列が崩壊、防御壁が決壊するのに時間はかからなかった。

 お互いを繋ぐ紐を引きちぎって四方に散る。そして一斉射撃。

 その切っ掛けが地雷の爆発による物だと知るよりも早く、テロリスト達は全滅した。

 躍斗の思考が動き始める頃、立っているのは躍斗と真遊海だけになっていた。

 ニコは? と周囲を見回し、すぐに止めた。

 立っているのは躍斗達だけなのだ。倒れているニコを見つけてどうなると言うんだ。

 躍斗自身は能力によって無傷、寄り添っていた真遊海も無事だ。

「あ……、ああ」

 真遊海は絶望に打ちひしがれるようによろよろと歩き出す。

 効果範囲から出ては……、と思ったが、テロリストが全滅した今、真遊海に危険は無いのだった。

 きついお叱りは受けるかもしれないが、無事生還した事には違いない。

 そうだ、当初の目的通りじゃないか。真遊海さえ無事なら……、と彼女の元に歩み寄る。

 だが静かになった平原に銃声が響き渡る。

 パパッと線が走ると真遊海の体が引きつるように硬直した。

 そしてゆっくりと倒れる。

「真遊海!?」

 よろよろと近づき、目を開けたまま横たわる真遊海の体を抱き上げる。

 温かい。だがシルクのワンピースには真っ赤な血が付いていた。

「なぜ!?」

 不思議と悲しくはなかった。ただ虚無感が襲った。このまま目が覚めて、何もかも夢で終わってくれないものかと他人事のように考えていた。

 何もできなかった。

 超常的な力を手に入れ、できない事はないと思っていた。

 それが、こんなにも無力だったのか、と立ち尽くす。

 言う事を聞かず、勝手な事をして……、自分はこの子の事が好きだったのだろうか? とそんな事を思った。

 実際嫌いではなかった。強い権力を手に入れて世界を牛耳ろうとした所は、躍斗に似ていたのかもしれない。

 だが情に流されてこうなった。

 目を閉じると頬を一筋の涙が伝う。


 パン!


 静まった平原に乾いた音が響いた。

 腹部に軽い衝撃。

 見るとそこには赤い染みが広がっている。

 そして微かに煙りを立ち上らせる小さな拳銃を持った手。

 手、腕、肩、顔と視線を移すと真遊海と目が合った。

「はい。ゲームオーバー」

 真遊海は微笑むように言う。

 茫然と腹部を押さえる躍斗に、

「ペイント弾よ」

 立ち上がり、二連式の小さな拳銃を見せる。

「これもね」

 と血の付いた自分の服も指す。

「あなたの力は凄い。でもあなたは何も守れない。そしてあなたを殺す事も簡単なの」

 真遊海は手に持った拳銃を見せびらかすように振る。

 強大な軍隊でもない、屈強な大人でもない、超常的な怪物でもない。年端もいかない少女の放った小さな弾。

 真遊海は肩を竦めるように芝居がかった手振りで周りを見回す。

「それを分かってほしかったのよ。ついでに目障りな奴らも片付けてね」

 躍斗の思考は停止したままだったが、かろうじて言葉を捻り出す。

「ニコは? ……彼女は君も好きだったんじゃ」

 真遊海は一瞬きょとんとして笑い出す。

「演技に決まってるでしょ。私子供は嫌いなの」

 大人から見れば十分子供であろう真遊海は言う。

「あなたも言ってたじゃない。こんな子供が世界に何人いると思うって。……ホントそうよ。こいつらは潰しても潰しても、ウジ虫みたいに湧いてくる」

 侮蔑を込めた目で周囲を見ながら言い、躍斗に歩み寄って顔を覗き込む。

「ニコは可愛かったわね。それは否定しないわ。でも彼らを救って、何不自由ない暮らしをさせて、あなたくらいに育っても同じ事を言えるかしら? あなたの同級生はどう?」

 躍斗はゆっくりと立ち上がり、呟くように言う。

「そうだな。自分達の為に、下にある命を踏みにじる。消毒と同じだ。自分の快適の為に雑菌を殺すなんて皆普通にやってる事だ」

 真遊海は満足そうに頷く。

「私の演技にあなたが言った言葉……、私感動した。あんなに演技する事が辛かった事はないわ。あなたこそ、私と並んで歩くに相応しい」

「それは遠慮しとく。僕は誰とも歩かない。魔王はたった一人でいい」

 真遊海は子を諭す母のような調子で「どうして?」と聞く。

「この僕をここまでコケにしたんだ。理由として不十分かな?」

 真遊海は少し困った顔をして躍斗の周囲を回る。

「よく『馬鹿にする』って言うわよね。相手を馬鹿にするっていうのは失礼な事だと言うけれど、それって相手が自分と対等かそれ以上の時に初めて成立するんじゃない? 相手が馬鹿な時に『馬鹿にする』のはそのまんまじゃない。『リンゴが赤い』って言ってるのと同じ」

 躍斗自身も以前、同じ事を言って級友を怒らせた事があった。

「青いリンゴだってあるよ。軍隊があるから僕より強いって? 一人で逃げるだけなら難しくは……」

 真遊海が合図をすると、車両が一つ前に出る。

 その前に立つ百目鬼が指示すると、荷台に設置された巨大な液晶モニターがり上がった。

 映し出された映像は、どこかの邸宅の中の様子。

 ずいぶん豪華な家だ。広く、高価そうな家具が揃っているが隠しカメラで撮っているようなアングル。

 その中に人影が一つ。

 小さな女の子か。顔は見えないが、そのふわふわの髪をした子は……、と目を凝らすと、

「キュオ!?」

「妹ちゃんには別荘で寛いでもらってるの。郊外の一軒屋よ。室内プール付き」

 躍斗は真遊海を睨むが、ドスの聞いた声が説明を引き継いだ。

「室内にはガスが充満している。人体には無害だが電導性が強くてな。最大ボルトで一瞬で肺が黒焦げになるぞ」

 躍斗は真遊海に驚愕の視線を送る。

「勘違いしないで。監禁してない。外出は自由だし、何でも揃うよ。ただ分かってもらいたかっただけ。私達を全滅させても、逃げる事に成功しても、指令が下って可哀相な事になる」

 真遊海は、拳を握り締めて怒りを抑える躍斗の首に手を回して語る。

「やり方は強引だけど、私は本当にあなたが好きなの。結婚する。妹ちゃんも、絶対不自由させない」

 人質だなんて考えないでほしい。それだけあなたの力が大きい。それだけ大人達が脅威に思っていると言う事で、それは凄い事。

 水無月家の信用を得る為に、老人達を安心させる為の材料に過ぎない。

 これは婚前契約。ハリウッドスターが、どんなに相手を愛して、信用して結婚しても財産は分与しない契約書を書くのと同じ。

 と真遊海は詩でも読むように流暢に語る。

「男は好きな女のために宝石を与える。男ってそういうもんでしょ? 女ってそういうもんでしょ? でも、何不自由ない暮らしをしてきた私に物を与えられる男はこの世に存在しない。私にない物を与えてくれるのはあなただけ。この世でたった一人、あなただけなの」

 二人で水無月を牛耳ろう。そしていずれは世界を手中に収める。

 都合の悪い物は、絶対的な力で持って叩き潰し、理想の世界を作る。その世界の中心に立ってほしい。魔王として。

 真遊海は躍斗の胸に額を押し付け、「ごめんね。不器用で」と呟いた。


 躍斗は顔を上げて並ぶ近代兵器を見渡す。

 ホバリングする攻撃ヘリ。戦車。ミサイル。重装備に身を包んだ歩兵、その数百人。小さな国なら相手にできそうなほどの軍隊だ。

 真遊海は躍斗を持ち上げたが、それは機嫌を取っているだけだ。腹では強大な力で躍斗を支配下に置いているつもりだろう。

 そしてそれは間違いでもない。躍斗は自分の無力さを思い知った所だ。

 自分の力ではこの軍隊を叩き潰す事はできない。せいぜい逃げ出すのが関の山、それもいつかは見つかる。

 特別な力を得て魔王になると豪語して、ただの少女の策にアッサリ負ける。

 それは魔王に……非情になりきる事が出来なかった、躍斗の甘さなのだろう。


「分かったよ」


 真遊海は表情を明るくして見上げる。

「キュオを死なせるわけにはいかないし。群れを成すのは趣味じゃないが、いつまでもそう言ってられないのかもな」

 真遊海は躍斗に抱きついた。

 結局人は、一人では生きていけないのか……、と思っていると周囲の空気が変わる。

 取り囲んでいた兵隊も同様に「やれやれ」という雰囲気だったがどよめきに変わった。

 そして心なし空気が重くなっている感じがする。

 この感じは……、と首を伸ばしてその方向を見る。

 黒く、重い雰囲気のする方向には文字通り黒く渦巻く雲があった。暗い事もあり、その辺りは完全な闇だ。

 その闇の中から、白い人影が姿を現す。

 長い髪を揺らしながら、モデルのように整ったプロポーションをした全裸の美女。

 その目には瞳がなく、赤黒い液体を流していた。

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