毒蛇の中で

 激しく回転するローターの爆音の中、躍斗は固いシートの上に座っていた。

 そして狭い『機内』にはヘルメットを被り、アーミー服を着た男達が密集して顔を突き合わせている。

 そのほぼ真ん中に学生服を着た少年が混ざっているのだ。

 男達の注目を集める事は当然と言えた。


 ……真遊海がテロリストに拉致された。

 百目鬼が、キュオの携帯に連絡してきたのは昨夜の事だ。

 真遊海が躍斗に近づく為にキュオに買い与えた携帯。

 いつの間に……、というかキュオもよく知らない人から物をもらうな、とか色々と言いたい事はあったが事態はそれ所ではない。

 真遊海は躍斗の力に気付いて近づいて来た。

 だが水無月の私設軍隊は、その力を自分達で利用しようとした。

 躍斗の力を試し、支配下に置こうとし、従わないなら危険分子として抹殺。事実そうなる所だったのを真遊海によって救われたのだ。

 真遊海は自分が家に協力する事を条件に躍斗を解放した。

 そしてテロリストとの交渉役という危険な任務を担って捕まってしまった。

 街を無差別に破壊すると宣言してきたテロリストは、交渉役に水無月の人間を指定してきたと言う。

 その時点で人質になる事は予想できる。

 水無月は、水無月家の人間でありながら、まだ若く、さして重要人物でない真遊海を差し出したのだ。

 テロリストは真遊海を人質に、私設軍隊の基地を一つ明け渡せと要求してきた。今その基地の近くに陣を張っているらしい。

 無差別攻撃も止み、場合によっては真遊海を殺された報復に一斉攻撃もできる。

 そして便宜上、形だけの救出部隊が編成される事になった。それに協力しろと言う。当然断る事もできると傷の男は付け加える。

 躍斗でも、この男――百目鬼が部隊の損失を抑えたいが為に利用しようとしている事は分かる。

 真遊海の一件で躍斗が断り難い事を予見しての事だ。

 正直それに乗せられるのは癪だったが、実際真遊海に借りがあるとなると無下にもできない。

 それに確かに躍斗ならば適任だ。何の被害も出さずに事態を収拾できるかもしれない。


 搭乗の際に渡されたヘッドホンから作戦の指揮者である百目鬼の声が流れる。

 専門用語は理解できないが、要するに真遊海の救出作戦だ。

 相手は本物のテロリスト。武装した相手との実戦だ。

 女の子一人とは言え水無月の令嬢、貸しを作っておくと今後の待遇が大きく変わる、と道徳観念よりも利害的な事を語る。

 最後にこれは訓練ではない、と付け加えた。

「それで主任。本作戦は救出っすか? それともおもりっすか?」

 一人がニヤニヤ笑いで躍斗を見ながら言う。

 この私設軍隊という奴は表向きは真っ当な会社を装っているようで、階級は全て会社の役職名のようだ。

 ただここには百目鬼しか役のある者はいない。他は平、要はただの兵隊だ。

 日本人でない者もいるが、本物の傭兵というよりはミリタリーオタクの集まりという気がしてならない。

 百目鬼は「こいつの事は追々分かる」と大した説明をしない。

 これから向かうテロリストのベースキャンプも、あちこちから兵器を買いあさった寄せ集めの部隊だ。

 敵の持っているのと同型機で潜入する作戦だ。

 もちろん、そのまま向かっては対空ミサイルで撃ち落とされるだけだ。

 まさにその為に躍斗が呼ばれた。

 躍斗の能力でこの機体そのものをステルス化してすぐ近くに降りる。

 着陸してしまえば寄せ集め部隊のヘリが一機増えていた所で気が付く者は少ない。

 不審に思ったとしても、誰が外から見つからずに飛んで来たと思うだろうか。

 問題はこんなに大きな物を丸ごと消せるのだろうかという事だが、緑の小さな老人なら「大きさは関係無い」と言うだろう。

 実際大きさは関係無い。

 躍斗のこの能力は物体が持つ『枠』に影響している。躍斗の意識が包み込める分なら大丈夫だと何度か試して分かっていた。

 建物や町全体となるとどこまでがその『枠』なのか? という問題があるが、空中を飛ぶヘリならばその把握に苦労は無い。

 もっとも中に人が大勢いるので気が散らないようにしなくてはならない。

 百目鬼が作戦開始を告げ、兵隊達も静かになる。

 詳しい場所までは躍斗も教えられていないが、移動時間から言っても国外、どこかの島だろう。外もよく見えない位置に座らされている。

 情報ではテロリスト達はレーダー等は持っていない。朝方の為、暗視装置も使っていないはずだがデジタル処理された双眼鏡で見ていないとも限らない。

 何よりこんな大きな物、人数を消した事はない。本当にできるのかどうか確信はなかったが、失敗すれば死ぬだけだ。

 躍斗の意識が本気モードに切り替わる。

 兵達にも緊張が走るが、景色は直ぐに地上の物へと変わった。

「ひょ~っ、マジかよ」

 兵達も小さく呟きを漏らす。

 ヘリの離着陸が全く人の印象に残らないという事はないだろうが、同じ型のヘリが発着する事自体に不自然は無いので不審がられないのだろう。躍斗の力はあくまで『気にならなくなる』だけなのだ。

 元々テロリスト達は数が少ない。哨戒している者も少ないと思われる。

 ヘリを降りるのはパイロットを除いた五人。うち二人は躍斗と百目鬼。

 少数精鋭だと言っていただけあって私兵達も迅速に行動する。

 打ち合わせ通り躍斗を囲って陣形を組み、安全帯のように腰からロープを伸ばして躍斗のベルトに繋いだ。

 動くのには不便だがこれで全員姿が見えないはずだ、と隊列を組んでテロリストのキャンプを歩く。

 ここは廃墟というか、元々は家屋があったようだが今は打ち捨てられた町のようだ。

 石造りというより、漆喰を塗り固めただけのような古い造りでそのほとんどは半壊。

 ドアも窓もなく吹き晒し状態だ。

 建物のほとんどは天井がその意味を成していない。夜は屋内でもプラネタリウムのように星が観賞できるだろう。

 焚き火を囲ってたむろするテロリスト達の間を普通に歩いて進む。

 なるほど相手は本当に寄せ集められた民兵のようだ。統率というものはなく、皆思い思いの行動を取っている。

 だがそのほとんどが躍斗と同じくらいか、それよりも小さい。女の子もいる。

 皆警戒を解かず、周囲に向けて銃を構えている。訓練された兵士ではない為、緊張感の調節を知らないのだろう。

 場所さえ分かれば躍斗だけで行く方が確実なのだが、前に百目鬼たち相手に不覚を取っている身では彼らの申し出を断れない。

 百目鬼の先導で、真遊海が監禁されているという建物までやってきた。衛星写真でそこまでは突き止めているという事だ。

 ここまで見つからず簡単に……と兵達は感嘆の声を漏らす。

 比較的形が残り、ドアや窓もはまっている建物に近づいた。

 この中に真遊海が捕まっているのか、と一団はドアを開けて中に入る。

 中には数人のテロリストが銃を構え、真ん中には真遊海らしい女の子がうな垂れていた。

 テロリストの一人が声明ビデオを撮っているのか、カメラを構えて真遊海に向けている。

 このまま気付かれずに連れ出すのは無理だ。何か作戦を考えないと……、と見ていると真遊海が顔を上げる。

 その顔は半分が真っ赤に腫れ上がっていた。こめかみや口の端からも僅かに血の跡がある。

 躍斗は一瞬、頭の中が真っ白になるのを感じた。

 しまった、と思ったが、不覚はその一瞬で十分だった。

 テロリスト達の怒声が飛び、銃声が轟く。躍斗の前にいた兵士が銃弾を受けて倒れ、テロリスト数人も同様に倒れる。

 躍斗は遅くなる時間の中、真遊海に向かって走った。

 緊急の際には外れるようにしてある安全帯を引き千切り、真遊海をさらうようにして奥の部屋へと駆け込む。

 時間が平常を取り戻す頃、ようやく作戦が失敗した事を理解する。

 真遊海の姿を見て平静を欠いてしまった為に、部隊の兵士達が犠牲になった。

 見た目少年で、武装もしていない躍斗が狙い撃ちされる事はなかったが、咄嗟にコリジョンロックも出来ず危険だった事に変わりはない。

「僕のせいで……」

 いや、彼らも兵士。危険は承知の上だし、そもそも不確定な躍斗の力を作戦に組み込んだのも彼らなのだ。

 高校生の少年が気負ってどうなるものでもない。

「や、躍斗?」

 何が起こったのか分からなかった真遊海も、躍斗が救いに来て、そして窮地に陥った事を理解する。

「そんな事より、酷い事されたのか?」

 躍斗は真遊海の顔に触れようとするが、痛ましくてその手が止まる。

「ああ、これ? これはメイクよ。声明をする為のね」

 とハンカチで顔を拭う。

 そうか……と少し安心し、なら後は落ち着いてここから出るだけだと状況を確認する。

 この部屋には他に出口は無い。入って来た所から出る以外にないが、そこにはテロリスト達がいる。

 部屋から僅かに顔を出して窺うが、テロリストの一人が気付いて発砲してきた。

 やはり姿が消えていない。いきなり銃撃戦に巻き込まれた為に完全に動転してしまっている。

 当たり判定による防御ならできるだろうか? レンダーシャドウにも協力してもらえば何とか突破できるか? と作戦を練っていると真遊海が躍斗の袖を引いた。

「私は、帰らないわよ」

 耳を疑う躍斗に構わず真遊海は何語かを叫び、両手を挙げてテロリスト達に身を晒す。

 真遊海に促され、仕方なく躍斗も姿を見せた。



 躍斗と真遊海は半壊した建物の中に入れられる。

 建物はあちこちが壊れていて一部空も見えている。その中に縛られる事もなく、敷いた藁の上に座らされた。

 見張りが外に立っているがあまり監禁されているという雰囲気はない。普通に考えれば見つからずにここを出る事はできないのだから、子供相手にそこまで警戒する必要はないのかもしれない。

 しばらくするとヘリが飛び去っていった。

 見張りが何やら揉めるように話しているので、彼らの仲間ではないのだろう。躍斗を運んできたヘリだ。

 作戦時間を過ぎても戻らない為、失敗したものとして帰還したのだと思う。

 逃げる事は難しくない。今なら姿を消してここから立ち去るのは至極簡単だ。

 もっとも逃げるにはまず真遊海を説得しなくてはならないが……。

 どうしたものかと思案していると布を頭に巻いた小さな女の子が入ってきた。服も布を裂いて体に巻いているだけの露出の多い格好だ。

 それにしても小さい。

 五、六才くらいだろうか……。この子もテロリスト? と見ていると、その子はライフルを肩にかけて、てくてくと歩いてくる。

 映画で見た事のあるアサルトライフル、AK‐47だ。

 子供に撃つ事なんてできるとは思えない。それを完全に持て余して歩く様子は見ようによっては可愛らしいが、リアルに薄汚れた黒い鉄の塊は、爆弾を抱えた子供のように見る者をぞっとさせる。

 その子はペットボトルとパンを一つ地面に置く。二人で分けろという事か。それとも躍斗の分は考慮されていないのか。

 真遊海が礼を言うようにその子と話すが、躍斗には分からない。

「しかし、こんな子が……。銃を奪われたらどうするんだ?」

「銃一つでここを突破できないでしょ」

「でも、この子を人質にする事はできる」

「彼らは死ぬ事を恐れていない。人質なんて無駄よ」

 それに自分達を信用してくれているんだと言う。それにしては瑣末さまつな食事だ。

「これは彼らが食べている物と同じよ」

 真遊海は硬い表情で言うとペットボトルを開け、ハンカチに水を染み込ませると女の子の顔を拭き始める。

 水は貴重なんじゃ……、と見ていると真遊海は「女の子だもの」と悲しそうに笑う。

「あ、ごめんなさいね。あなたの水でもあるのに」

 いや別にいいよ、と真遊海に飲むよう勧める。

 真遊海の美しかった髪もぼさぼさ、唇も乾いてカサカサ、服も汚れ放題だ。お嬢様はそんな姿を見せたくないだろうに。

 真遊海は女の子の手を取り、ごめんねと俯く。

 真遊海はここに来て初めて彼らの事を知ったらしい。

 彼らは水無月によって住む所も家族も奪われた者達。この女の子――ニコも外国で油田が見つかった土地に住んでいた者の一人だ。国は土地を売り渡したが、流浪の民だったニコ達には何の権利もない。

 放浪の末に土地を取り戻す為に武器を取って決起。戦いを挑んだが正義の名の元に殲滅された。

 だが彼らに武器を与えてそそのかしたのも水無月だ。

 なけなしの財産を全て奪い安い武器を与え、テロリストとして殲滅する事で国からも報奨金をもらう。

 水無月はそうやって大きくなっていった。

 真遊海は自分もそれに加担していた事を嘆き、彼らに同情した。自分がここにいる間は彼らも安全だ。

 だがそれも時間の問題。

 水無月家は真遊海の命に何の価値も見出していない。若い娘を誘拐して武力交渉するテロリストの賞金額が上がるのを待っているだけだ。

 折り合いが付き次第ここは殲滅される。彼らと運命を共にすると言う真遊海をややうんざりしたように諌める。

「そんな事して何になるんだ? 君は今、自分に酔っているだけだ」

 気の毒な子を見て、自分にも何かができると一時的に勘違いしているだけだ。

 真遊海が一緒に死んだ所で、彼らは何も救われないし、世の中は何も変わらない。

「その場の感情に流されて同情するなんて偽善もいいとこだ。やらない善よりやる偽善か? 誰かが使った立派な言葉をなぞってるだけの奴は善じゃない。それはただの『偽』。ニセモノだ」

 真遊海は何も言わずに寂しそうに微笑む。

 そんな事は分かっているのだろう。それでも何かをしていたいのだ。今まで彼らの犠牲の上に裕福に育ってきた自分が許せないのかもしれない。

 何も知らずにぬくぬくと生きてきた自分に罰を科しているつもりなのかもしれない。

 お嬢様がどれだけ続けられるのか見物みものだ。すぐに現実を思い知って、ここから連れ出してくれと言い出すだろう。

 それまで付き合ってやるか――、と躍斗はそれ以上何も言わなかった。

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