運命の地
受験戦争、近所付合い、出世競争、年金問題。
様々な『現実』で縛られた世界だが、そんな世界にも対になるものがある。
光がある所に闇があり、表がある所に裏がある。
静と動、陰と陽。
そして躍斗が今居るのは、現実とは正反対の夢と冒険に彩られた世界。
不思議な生き物がお菓子で出来たような建物の街を歩き、小さな子供がはしゃぎ回る。
ここでは大人も皆子供の頃を思い出したように、一緒になって遊ぶのだ。
時にはスリルに満ちた冒険に向かい、時にはメルヘンの世界でまったりと流れ歩く。
ここには嫌な上司もいじめっ子もいない。皆平等で楽しい一時を過ごせる世界なのだ。
ただその夢を得る為には、歴史的偉人の肖像が入った高級紙幣が二枚要るという絶対的現実が前提になる。
ここは遊園地。
東京ディスティニーワンダーランド。
西のユニバーサル・スタジオ・オーサカに対を成す巨大アミューズメントパーク。
海外からも観光客が訪れる世界有数のパラダイスリゾートだ。
躍斗はベンチに腰掛けて、だぼだぼの服を着た女の子が走り寄ってくるのを迎えた。
「躍斗! 三木さんに握手してもらったよ」
「そうか。よかったな」
キュオの格好は街中では異質だが、ここではさして違和感がない。ひらひらの大き目の服を着た小さな女の子は結構可愛い。
ただ常に注意してないと肩や胸が大きく肌蹴てしまう。
躍斗は逐一直しながらキュオをエスコートした。
キュオが突然遊びに行きたいと言い出した時は驚いたが、狭間から出て以来ずっと家に閉じ篭っていたのだ。
当初は危険があるかもしれなかったから家を出ない事は自然だったが、キュオに事故などの危険の予兆は一切ない。
そろそろ退屈していても不思議はなかったのだ。
躍斗は漫画だけ与えていれば満足だろうと考えていたのは迂闊だったと反省した。
冷たいジュースを飲みながら、吹き出す汗も構わずに遊び回る。
キラキラと反射する汗は少し眩しい、と走り回るキュオを目を細めて眺めていた。
「ねぇ、あれ一緒に乗ろうよ~」
キュオが袖を引いて指す先には、いわゆるジェットコースター。
屋外を縦横無尽に飛び回り、回転し、時には逆に進む。スリルがある事では世界何位とか銘打っている。
躍斗は屈み、小さな子に諭すように言う。
「言っただろ。僕の周りには常に危険が伴う。あれが事故を起こしたら大変だろ。大勢の人に迷惑がかかるんだ」
もちろん起こりえない事故は起こらない。
遊園地の管理体制は万全だ。それを疑う余地はない。
だが事故というのはその大半が人災だ。客のクレーム等で止むを得ず手順を簡略化したりする時にその隙は生まれる。人が関わっている以上完璧などあり得ない。
「僕も乗りたいのは山々なんだ。でも仕方ないだろ?」
キュオは、むぅ~と納得いかない顔をするも大人しく引き下がる。
その後もキュオは絶叫系と言える乗り物を見るたび「一応」という感じで声を掛ける。それを躍斗は毎度優しく
「あっ、
と言ってキュオは走り出す。
黒い犬の縫い包みは小さなキュオに握手をして頭を撫でた。
戻ろうとしたキュオは何かに目を留め、躍斗を手招きする。
こういう雰囲気も悪くない、と思いながらポケットに手を入れて小さな妹のもとへと歩いた。
「ねぇ、あれ入ろうよ! あれならいいでしょ?」
キュオの指す方向を見る。
その建物の看板には、ホラー調のデザインで『ウィルスインフェルノ』と書かれていた。
参加者が光線銃を持って屋敷内を歩き、出現する標的を撃つアトラクション。
要はお化け屋敷だ。確かに乗り物には乗らないので事故は起き難い。
「ねぇ、早く行こ!」
と強引に引き摺られながら看板の絵を見る。
そこには半裸のナースが目から口から血を流す姿が描かれていた。
「いや……」
躍斗は足を止め、キュオと目線を合わせるように屈む。
「事故っていうのはどんな形で起こるか分からない。ここは万全を期してだな……」
だがキュオはじと~っとした目で躍斗を見る。
「もしかして躍斗。怖いの苦手?」
「……何を言ってるんだ。僕は狭間から生還した男だぞ」
立ち上がってすまし顔で言うが、キュオは納得した様子を見せない。
「電車でも、今までも何もなかったじゃん」
「あえて無くていい危険に飛び込むなんて、愚か者のする事だ。バンジージャンプなんてその例だ。一体何の意味があるんだあんなもの」
「ある国では一人前の男になる為の通過儀礼なんだよ」
何でそんな事知ってるんだ、と思うもキュオは見た目が小さいだけで中身は躍斗と変わらないんだったなと思い出す。
そう考えると急に「はは~ん」という目で見られる事が恥ずかしくなってきた。
完全に躍斗をヘタレだと思っている目だ。
突然ベチャッと足に何かが当たる。
「あら。ごめんなさ~い」
と母親らしき女性が、躍斗の足にぶつかった子供に走り寄る。
見ると子供の持っていたアイスがズボンに付いていた。
ハンカチで拭き謝る母親に大丈夫ですと告げて立ち去らせる。
「ほら見ろ。何があるか分からないだろ?」
とキュオを見たが、ぷいっと横を向いてしまった。
拭いたとはいえこのままではズボンがベタベタになってしまうな、とキュオをベンチで休ませて、躍斗は近くのトイレを探した。
とりあえず近くの建物に入ってみる。
ここは使われていないアトラクションか? 随分暗い、と思ったがトイレのマークが見えた。
丁度いい、ズボンを下ろさなくてはならないんだ。他の人が来ない方が都合がいいというものだ、と表示に従って建物内を進む。
非常灯の頼りない明かりの中、トイレの洗面所でズボンを洗い、ティッシュで水分を取る。まだ少し濡れているが夏だし、歩いているうちに乾くだろう、とそれを履いた。
落ち着いて出口を探すが見つからない。
どこだ? 来る時にいくつか扉を開けたが、この扉だったかな? と手近なドアを開けてみると小さな光が見えた。
出口か、と光の方に向かって歩いた所で額が何かにぶつかった。
いたた、と手を前に出すと何かある。
躍斗はしばらくパントマイムのように見えない壁に手を付いて理解した。
ガラスがあるんだ。こんな暗い所に……、と避けて通ろうとしてまた頭をぶつけた。
どうなってるんだ、と反対を向いた所に人影を見て悲鳴を上げそうになる。
だがそれは鏡に映った自身の姿だった。
ふうと息を付いて鏡を避けて光の見えた方へ向かおうとしたが、入って来た扉が閉まると光も消える。光は鏡に映っていたものだったようだ。
なんだよそれ……、と思った所で自分のいる場所に思い当たる。
「ここは……」
視界の隅で何かが動いた。
鏡に映った自分ではない。
目指していた光が無くなって返って周りがよく見えるようになり、躍斗の姿は辺り一面に立てられた鏡に映っているが、躍斗は動いていないのだから動くはずはない。
躍斗が迷い込んだのは、ミラーハウス。
改装中か製作中か、中途半端な状態の鏡の家だ。
周りの空気が重くなったように感じ、鏡の中で動くモノはその姿を完全に現す。
暗闇の中でも白く淡い光を放つように浮かび上がったのは、目から赤い液体を流した全裸の美女だった。
幾枚もの鏡が立てられた部屋の中を、レイコは『たった一人』歩いて来る。まるでここが広い一つの部屋であるが如く。
躍斗は一歩下がって後ろの鏡に背中を付く。
レイコを見据え、右に逃げようと移動した所で頭をぶつけた。
ガラスをぺたぺたと触り、移動を試みるが、ゆったり歩いているレイコよりも遅い。
暗い事もあって鏡なのかガラスなのか近くで見なければ分からない。最初に焦って右往左往した為に来た方向も分からなくなった。
これはマズイか? と本気で焦る。
見えない迷路を渡り歩きながらレイコから遠ざかろうとするが、時には近づくルートを選ばなくてはならない。
レイコは障害物に構わず直線で歩き、時折ガラスの面に添ってレイコの像が歪む。
躍斗はぶつかるのも構わず移動の速度を上げた。
レイコとの距離が僅かに開く。レイコは特に迷路を把握した上で追い詰めているわけではないようだった。
ギラリと鏡が閃くと周り中の鏡にレイコの像がズラリと並ぶ。鏡に映る事もできるようだ。
まるで分身の術だ。これじゃどれが本物か……と思った所でガラスに当てた躍斗の手を冷たい手が掴んだ。
そのままレイコの腕がガラスから出て来る。
全部本物か!? と躍斗は手を振り払おうともがいた。
ぬう、とレイコは能面のような顔もガラスから出し、流す液体の量を増す。
黒目はないが、目が合っているような気がした。
「入場料ならちゃんと払ったぞ」
そういう問題でもないとは思うが、世界の理を侵していないという事を一応伝えてみる。
躍斗はもう一方の手を捕まれる前に、腕を捻ってレイコの手を振りほどく。本で読んだ護身術の一種だ。
化け物じみて見えるが力は普通の女性並みだ。躍斗は予想外の弱い力に勢い余って後ろに倒れ込み、肘で鏡に亀裂を入れた。
肘が酷く痛んだが、鏡は砕けるには至らない。やはり壊して直線に移動というのは難しい。
呻きながら体を起こし、亀裂が入った一枚一枚全てに映ったレイコの像にぞくりとする。
躍斗は少し後ずさり、割れた鏡に向かって突進、鏡を蹴って跳躍。ただの鏡なら滑るだけだが、ヒビが入って引っ掛かりのできた表面は足場としての役割を十分に果たした。
立てられたガラスの上部に手を掛けて登る。
ジタバタと手間取りながらも何とか登りきった。
このゾンビは女性の為か、あまり大胆と言うか無様に襲い掛かっては来ない。
強引に引きずり落とそうとすればできたのだろうが、レイコは常にゆったり優雅に行動する。
ゾンビ映画の有名監督も「ゾンビは走るべきではない」と言ったそうだがそれには賛成の気分だった。
非常灯の緑の光を目印に、立てられた板の上を四つん這いに移動したが、時折ふらついて
端に来た所で下に降り、扉まで走ると心なし重く感じる扉を思いっ切り開けた。
日の光が眩しい。
目を細めながらもレイコが追って来ない事を確認する。あのゾンビも太陽の下までは追ってくるまい、と安堵の息を漏らすとキュオの姿が見えた。
「遅~い。何やってたのよ躍斗」
断った分のアトラクションを纏めて味わったんだよ、と膨れっ面のキュオに足を向けた。
湖に反射する花火を見ながらレストランで夕食を食べる。
キュオは喜んでいるようだが、両親なら妹じゃなくてガールフレンドと行けとぼやくだろう。
「ごめんね躍斗。あたしがこんなじゃなきゃ躍斗も楽しいのにね」
キュオはフォークを置き、服の肩の部分を引っ張って言う。
「いや、別に。楽しんでるぞ」
そう言うとキュオは口を尖らせる。楽しそうに見えなかったのだろうか。
多少キュオの元気に疲れたのは事実だが、実際妹を持つ兄はこんな感じなのだろうと思う。
「僕には妹はいなかったからな。十分新鮮だ」
キュオは顔を赤くして、唇を震わせた。
「何よ、それ!」
席を立ち、走って行ってしまう。
何か怒らせるような事を言っただろうか、とキュオを追って外に出ると湖を覗き込むように俯いていた。
「あたしは、元の体に戻りたい……。戻りたいのよ」
と言って嗚咽する。
「いや、でも成長すればいつかは戻るわけだろ? そんなに深刻に考えなくても」
キュオは真っ赤に腫らした目で睨み。手荷物のポーチを投げつける。
「バカ! 躍斗のバカ!」
キュオは「あたしだって」と叫びながらゴミ箱の中の物を手当たり次第に投げつける。
……そうか、キュオはずっと『躍斗』と呼んでいた。家にいる時の『お兄ちゃん』ではなく、と躍斗はキュオの言いたい事を察した。
真遊海に嫉妬していたのだ。
妹としてのキュオも悪くなかったので気が付かなかった。
でも正直自分の娘に「大きくなったらパパのお嫁さんになる」と言われている感覚だ。
実際、戸籍上も妹なのだから色々と問題もある。
キュオは湖に向かって叫ぶ。あまりの声に水面に映る月が揺れたような気がした。
声を上げて泣くキュオをどうしていいか分からずにいると、携帯の着信音が鳴る。
キュオは泣き止み、ポケットから携帯を取り出した。
携帯なんていつの間に!? と脅く間もなくキュオは電話に出る。
その内容は、夢の世界から現実に引き戻す……いや、現実を通り越し、一周してまた有り得ない世界に連れ去られる、普通の高校生とは掛け離れた世界からのものだった。
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