赤い潅木の少女

 ここんとこ外出が多かったので、たまには家でゆっくりしようと思っていた躍斗だったが、その珍しい訪問者は突然やって来た。

 チーマーもあれからめっきり大人しいし、キュオもずっとほったらかしだったので、今日くらいは兄妹水入らずだと思っていたのだが。

 仕方なく軽快なチャイム音のした玄関に、のそのそと向かう。

 親は勤めに出て留守だ。来客とは考え難い、という事は何かのセールスだろう。

 居留守でも使ってやるか、とドアの穴を覗き込んですぐにドアから勢いよく離れ、今見たものを疑う。

 躍斗は恐る恐るもう一度覗き込んだ。

 ドアの前で体を揺らしながら開くのを待っているのは、躍斗とそれほど変わらない歳の女の子、真遊海だ。

 なぜ!? 家はおろか名前も教えていないのに、と眉根を寄せて考え込んだ。

 居るんでしょ、分かってるのよ――と言わんばかりにチャイムが立て続けに鳴る。

 狭間でレイコがドアを抜けてきたのを思い出して後退りした。

「居るんでしょー! 躍斗ーっ、開けてよー」

 とドアを叩く。……名前まで。しかも呼び捨て、と半ば恐怖に近い感情が襲った。

 女の子が玄関で騒いでいたと近所で噂になっても迷惑だ。観念してドアを少し開け、片目だけ覗かせると、躍斗を確認して安心したのか屈託ない笑顔を見せた。

「来ちゃった。ねぇ、入れてよ」

 一人か? と周囲を窺うが、仲間が待ち伏せしている様子もない。

「何の用だ?」

「この間のお礼」

 と言ってバスケットを見せる。受け取ったらとっとと帰ってくれるなら受け取るが……、と怪しんでいると、

「お茶入れるから、台所貸して」

 露骨に「なんでそうなるんだ」という顔をする。

 真遊海はバスケットを開けて中を見せる。わざわざ手作りのケーキを持って来たと言うのに追い返すのも忍びない気はする。

 家の前にリムジンも停めてないし、ここで押し問答するものでもないだろうと、躍斗は観念してドアを開けた。

「あ。そのペンダント、してくれてるんだね」

「ま、まあな」

 何となく着けたままだった。

 玄関で帰るように言うつもりだったが、女の子の来訪を断った経験のない躍斗はどう切り出していいか分からず、されるがままに通してしまった。

 思ったより礼儀正しく上がってくる真遊海に、親は留守だとだけ伝える。

「誰~?」

 と中々戻ってこない躍斗の様子を見に来たであろうキュオと出くわす。

「あら? 妹さん? 可愛いわね」

 露骨に不審者を見る反応のキュオに部屋に戻っているように言う。実際躍斗自身よく知らないんだから不審者には違いない。

 お湯と食器の場所を教えるとテキパキと用意を始めた。意外に手際がいい。

 皿に移したケーキとお茶を部屋へ持って上がる。

「ささっ、どうぞ。お礼なんだから遠慮しないで」

 お前は少し遠慮しろ、と思うが正直こんな可愛い子が家を訪ねてくるのは悪い気はしない。

 だがどうも疑い深い性格の為か、裏切られる事の方が多い為か、素直には舞い上がれない。

 実際お礼だと言っているのだから、礼が済めばそれまでかもしれないし、チーマーのように躍斗を手駒として利用しようとしているのかもしれない。

 どちらにせよ躍斗に気の利いた対応をするのは無理な話だった。

 キュオも警戒心を剥き出しにしていたが、ケーキを口に入れると表情が一変する。

 それを見て躍斗も食べてみた。

 確かにうまい。

 本当にこの子が作ったのだろうか、と素直に驚いた。

「はい、ルイボスティーは美容と健康にいいんだよ」

 とキュオにもカップを勧める。

「ここまで歩いてきたのか?」

 お嬢様はリムジンがないと移動できないものと思っていたが、という意味で聞いてみる。

「少し離れた所に停めてあるよ」

「近所迷惑を考慮するなんて、お嬢様にしてはよくできたな」

「ううん。道路狭くて入らなかった」

 そうですか、とほとんど聞き取れないような声で呟く。

「どうやってここが分かった?」

「特別な力を持っているのはあなただけじゃないって事よ。安心して、あいつらには教えてない」

 金の力という意味だろうか、とやや嫌悪感を示す。

「しかしあんな連中とつるんでるなんて、お嬢様ってのはよほど窮屈なのか?」

 真遊海は一瞬きょとんとしたが、

「ああ……。あの連中は単なる予行練習よ」

 水無月は世界有数の財閥で、国内はおろか諸外国にも影響力がある。家系も広く水無月の姓は多いものの、そのほとんどは養子縁組。

 真遊海はその家系の娘だけあって小遣いには困らないが、本家から真遊海までの血筋を記した家計図を書くのにはトイレットペーパーの方が都合がいいくらいだ。

 人材の育成にも精力的な為、子供には目を掛けるが成人すればただの人。

 その為首脳会議に名を連ねるようになる為には、それまでに当人の力量を示さなくてはならない。

 天才的な才を持って当たる者もいるが、大抵は統率力、指導力などを示して取り入る。

「しかし、あの連中は金に釣られてるだけだろう? 統率してると言えるのか?」

 この前も簡単に裏切られたばかりだったはずだ。

「さすがね。そうよ。あんなの諜報員の代わりに囲ってただけ」

 正式な調査員を雇うより効率がいいと言う。さすがにおいえも街の少年チームを金で懐柔したぐらいで統率力を認めない。

「危険な目にも遭いかけたんだ。少しは分かったんじゃないか?」

 真遊海は少し照れたような仕草をする。

「だから、あなたにボディガードやってもらえないかなーって」

 そういう事か。あなたを一目見た時から……とか言われるよりはよほど信用できるが、正直言うと少しがっくりくる。

「ちゃんと給金も出すよ?」

 ポシェットから封筒を出し、中身をチラッと見せる。百万円くらいの束だ。

「金を見せびらかすな。別に困っていない。君が汗水垂らして稼いだ金じゃないだろう?」

 もっぱら躍斗の興味は能力の開発だ。

 世界も躍斗を抹消する為に躍起になっている。

 今はそれをかわせるだけの力を付けなくてはならない。

 金など、その気になればいつでもいくらでも簡単に持ち出せると分かってしまえば、意外と興味は失せてしまうものだ。

 真遊海は一瞬固まったが、封筒を仕舞って胸を反らす。

「オーケー合格よ。今のはあなたを試しただけ。はした金になびくような男じゃなくて安心したわ」

 本当かよ。ウソっぽいな、という顔で真遊海を見る。案外負けず嫌いな子なのかもしれない。

「それに僕と一緒にいる方が危険だぞ?」

「あらカッコイイ台詞ね。あなたにも敵がいるのかしら」

「まあな。あんな連中が可愛く見える」

 何しろ世界そのものが敵なのだ。だからこんな娘の身を守るほどの余裕は無い。

「その金でちゃんとしたボディガードを雇うんだな。またあの連中に狙われるぞ」

「そんなの大丈夫よ。私が何の準備も無しにあんな連中の中にいると思う?」

 と言ってポシェットに付いている熊のマスコットを見せる。

 一見するとマスコットに見えて、ボタンを押すと警報が鳴るという防犯グッズのようだ。

「人のいない所じゃ意味ないだろ」

 この前のライブハウスのような場所では役に立たない。

「これはスタンガンよ。市販の物じゃない、ちょっと危険な代物よ」

 と言って外し、顔の横で揺らしてみせる。

「そうだ。これ一個あげる。一回しか使えないから予備もあるし。あなたにも敵がいるんでしょ?」

 いや、そんな物もらっても、自分の相手には通用しない……と思うが真遊海は強引に置く。

 そして真遊海は「考えといて」と帰り仕度を始めた。

「よかった。思ったより普通の男の子で」

 余計な御世話だ、という顔で見送ったが、さっさと行ってしまう。

 来る時も突然だったが、帰るのもあっと言う間だった。

「……な、何なのあの人?」

 ケーキを与えられてから、ずっと黙って食べていたキュオが我に返ったように言う。

 本来のキュオと同年代の女の子なのだ。

 確かに真遊海は同姓から好かれるタイプには見えない。

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