魔王の試練

「ここか?」

 躍斗は連中のアジトらしい廃ビルの前に立つ。

 勝手に使っているのではないかとも思ったが、建物は水無月――真遊海の家の所有らしい。

 三階建くらいのオフィスビルだが、敷地は広い。コンクリート製で造りは頑丈そうだ。

 前にはバイクが並んでいるが、連中はいない。

 街から外れているので周りにも人はいない。騒いでも問題ないから溜り場としては都合がよさそうだ。

 見張りもいないのかとも思うが、悪の組織なわけでもない。本当にここに犬がいるのかという問いに真遊海は絶対だと答える。

 ここの最上階の奥の部屋に監禁されている。仲間だったから行動パターンは分かっていると言う。

「中には大勢いるよ。普段から敵チームの襲撃に備えて武器を携帯した連中がうろついてるから気をつけて」

 そんな所へ送り出そうというのかという顔をするが、躍斗にとっては障害ではない。

「じゃあ、ちょっと行ってくる」

 と何でもないように入り口に向かって歩き出し、ドアを開けて中に入る。

 ロビーのように開けた部屋には数人の子分がいた、が躍斗に気が付く者はいない。

 ずっと見ていた真遊海には見えていただろうが、躍斗は既に姿を消している。

 どこの誰が弱かっただの下らない雑談をしている連中の間を抜けて階段を登る。

 二階、三階と道中何人か徘徊しているが、誰の目に止まる事もなく奥の部屋の前に辿り着いた。

 ここだと分かったのはここしかないからだ。他の部屋は開け放たれていてゴミが散乱している。

 電気がきていないのか、明かりは点いていない。奥の方は暗い。

 ドアを開けると犬の吠える声が漏れ出した。確かにいるようだが中は真っ暗だ。

 何も見えないのでドアを開けたまま中に入る。そのうち目が慣れるだろうと思っていると突然ドアが閉まった。

 開いているのに気付いて連中が閉めたのか? と思っているとガチャガチャと鍵の締まる音が聞こえる。

 何か変だ、と警戒していると人の気配。

 そして空気を切る音を感じて身をすくめる。

 そして頭に殴られたかのような衝撃。

「誰かと思ったらお前か。わざわざ自分から来てくれるとはな」

 チーマーのリーダー格、テツヤの声だ。

 姿が見えるのか? と周囲を警戒する。

「新しく買った暗視ゴーグルで遊んでたら、たまたまやって来るなんてな。丁度いい、お前は隠れるのが得意だったな。どうだ相手に見えて自分に見えない気分は」

 たまたま暗視ゴーグルをしていたら? 随分都合のいい偶然だな。それともこれも世界の起こした『事故』なんだろうか、と悠長に考えている場合でもない。

 足に衝撃を受けて倒れた。

 鉄パイプではない。暴動鎮圧に使うような、もう少し安全性の高い武器。要するにゴムを巻いた鉄パイプだ。

 殺さずにいたぶり、痛めつけるのが目的の物だろう。

 二撃、三撃と衝撃が襲う。暗視ゴーグルと言ってた。ゴーグルごしにも躍斗の姿は見られている。

 そしてこちらからは見えない。簡単だと思っていたが、突然窮地に立たされた。

 だがこの程度の試練、乗り越えられないようでは魔王になるなど夢のまた夢。

 躍斗は心を落ち着けて神経を研ぎ澄ませる。

 ブンと空気が鳴り、時間遅延を発動。地面を転がってその場から逃れる。

「お、やるな。だがいつまで続くかな?」

 テツヤの言う通り。時間遅延は遅くなる時間の中を速く動けるわけではない。

 自分の動きも遅くなる。

 意識だけが加速しているのとも違う。手足を押さえられたような、重い液体の中にいるように動きが遅くなってしまうのだ。

 まるで物理法則を超えた動きを世界が許さないように。

 実際には無駄のない動きで躱す事ができるだけで、見えない攻撃にはあまり効果が無い。

 無意識にでも危険に反応するので助かるが、効果時間が短い上に立て続けには使えない。この闇の中、そう何度も避けられない。

 犬が時折泣き声を上げるために音も聞こえにくい。いや、音に頼ってはダメだ。かと言って気配を察知するような芸もない。

 躍斗にできるのは気配を消す事だけだ。

 しかし気配を消せるのなら、感じ取る事はできないのだろうか。暗闇で相手と五分、夜目が利く相手なら不利になるなんて魔王はいない。

 このくらいでやられていては話にならない。

 躍斗は地面に手を付き、心を落ち着ける。

 周囲を窺うのではない。狭間で自身の当たり判定を無くした時のように、領域を感じ取るんだ。

 ここではまだ当たり判定を無くす事はできないが、感じ取る事はできるはずだ。

 そんな事を考えていると顔面に衝撃。

 鼻血が出たかもしれない。かなり痛いが、心を乱すなと自分自身を叱咤する。

 躍斗という存在を包み込む領域。

 この部屋という領域。

 そしてすぐ近くにも同じように領域を持った物体オブジェクト、それが動いているのを感じ取った。

 時間がゆっくりと動く。

 領域全体、直方体しか感じ取れないが、相手が攻撃していると分かれば、大体の姿勢は予想できる。

 武器を持っている分領域が広い。だがゆっくりと動く四角い箱の重心を見れば、正中線……体の真ん中を縦に通る線は分かる。

 その線の上部、頭があるであろう位置に手を伸ばし、手に触れた機械を掴んで剥ぎ取る。

「うおっ!」

 相手が驚きの声を上げ、突然の闇に狼狽して滅茶苦茶に武器を振り回しているのが分かった。

 躍斗は暗視ゴーグルを覗く。

 ノイズ混じりのモノクロ映像で、テツヤが棒状の武器を振り回しているのが見えた。

 だが安い双眼鏡を通して見るように視界は悪い。視野が狭くて、特に遠近感が分かりにくい。

 なるほど、手加減していたのではなく距離をうまく掴めていなかったのか、と納得する。

「おい!! お前ら! 開けろ!」

 テツヤの叫ぶ声とガチャガチャという鍵の音がする。

 躍斗はケージを持ち上げてドアに向かった。

 ドアが開くとテツヤは飛び出し、直ぐにドアを閉めさせた。

 彼らは躍斗を閉じ込めたつもりだったが、当人はドアが開いて直ぐに外へ出ている。

 躍斗は暗視ゴーグルを投げ捨て、中に居るから絶対出すなと言い合うチーマー達を放って階下へ向かった。

 やられた分お返ししてやりたい気持ちもあったが、目的は犬の救出だ。

 それに彼らのおかげでまた少し成長できたとも言えるし、今日は勘弁してやろうとそのまま外へ出る。

 表で待っていた真遊海の元へと向かい犬の入ったケージを差し出した。

「チーズ! よかった~」

 とケージを覗き込んでいるが、一向に受け取ろうとしないので地面に置く。

 しかし結構やられた、と体に付いた埃を掃う。血も出ただろうか。

「ありがとう、大丈夫だった?」

 とハンカチで顔を拭いてくれる。

 大丈夫だ、とだけ言ってそっけなく立ち去る。

 無愛想すぎるかとも思ったが、少し疲れたのでゆっくり休みたい気持ちだった。

 背後から礼を言う真遊海に振り向かず、手を振ってその場を後にした。

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