水無月の令嬢

 躍斗は馴染みのカフェでコーヒーを飲む。

 営業のサラリーマン、休憩中の女子社員、休みである事もあって学生も多い。

 そんな賑わいの中、少々暑くるしい格好をした連中の会話に耳を傾ける。

 ここ数日は彼らの動向を見るのがささやかな楽しみだ。

 躍斗を探し続けている事は変わらないが、別段行動が制限される事も無い。姿を消したままコーヒーを買う為に列に並んでいても問題はない。

 あくまで人に気にされなくなるだけで、透明になっているわけではないのだ。

 注文をする時だけ能力を解けば普通に行動できる。

 そして躍斗は、彼らの仲間のように同じテーブルについて話を聞いていた。

 ここ数日で分かったのは躍斗と事を起こしたリーダー格の男、テツヤが個人的な恨みで探しているわけではないという事だった。

 もちろん個人的に話はあるのだろうが、大勢駆り出してまで探させているのはあの百万円をポンと出した少女、真遊海だという事が分かった。

 彼女は金持ちのお嬢さんでこの連中をいいように使っている。要はスポンサー。

 真遊海の命令で捜索しているが、手掛かり一つ掴めない事にスポンサーが業を煮やしているというわけだ。

 チーマーの連中にしてみれば、街を警戒して躍斗を家から一歩も出させなければ、家の中で震えている姿を想像する事で満足もできるのだろう。

 しかし真遊海が見つからないなら金は出さないと言い出した為に、彼らは不満を募らせている。

 使われるだけ使われて、金が出ないとなれば彼らの面子も丸潰れだろう。

 一番納得いかないのは「そもそもアイツを引っ立ててどうしようというのだ?」という事のようだ。

 気があるんじゃないですか? と冗談めかして言った子分がテツヤに殴られた。そんな事の為に使われているなど我慢できる事ではないだろう。

 そこで彼らは真遊海と交渉という名目の恐喝をする計画を立てていた。

 本格的な誘拐となれば只事ではないが、何だかんだ言って真遊海の仲間だ。仲間内のいざこざで片付けられる範囲で、あの高飛車な娘に己の無力さを思い知らせてやろうと言うわけだ。

 親の金の力を笠に着てやりたい放題の少女に、皆思う所はあるらしい。

 地下室に監禁して少々脅しをかけ、場合によっては恥ずかしい写真でも撮るかと楽しそうに語っている。

 下種な計画だがこの連中にしては頭を使っている。地下室ならば電波も届かない。

 証拠がないと出て来ないと言うから、子分の中から躍斗と背格好の似ている奴を見繕って同じ髪型と格好をさせた。

 服は学生服なので簡単に手に入る。同じ学校の後輩も居るだろう。

「お、そっくりじゃねぇか。案外いけるぞ」

「全くもって失礼だ。僕はあんな出っ歯じゃない」

 彼らに届かないように呟く。

 捕まってうな垂れているという設定にして顔を伏せさせ、記念写真のように写メを撮る。モロ素人のヤラセ写真。後ろから見ていると笑える光景だ。

 真遊海の携帯に送信すると直ぐに行くと返信があって皆大笑いする。

 皆で近くのライブハウスで罠に掛けるというのでぞろぞろと移動を始めた。

 別にあの少女の事が気になったわけでは無いが、躍斗にもこの珍作戦の行く末は気になった。


 商店街の外れには少し大きめの店舗が並んでいる。

 小さいが歴史のある映画館、リサイクルショップ、青果店と言うには大きく、スーパーと言うには小さな乾物屋。

 この街に住んで長い躍斗も知らない事だったが、その中の楽器屋の地下がライブハウスだったようだ。

 この連中の溜まり場の一つらしい。ここの管理人もチーマーの一員だ。

 あまり広いとは言えない地下室に結構な人数がドヤドヤと入る。もちろん姿を消した躍斗も含まれている。

 二、三十人ほどれる事ができるハコに十数人が入った。ライブを見る為に整列するわけでは無いので結構手狭な感じだ。

 バレ難いように部屋を暗くしろと言っているが目が慣れればそれなりに見える。これで間違えられるなら躍斗的にはショックだというものだ。

 ほどなくして外で待っていた子分が扉を開けて、むさい連中とは対照的な可憐な少女が入ってきた。

 子分はさり気ない風を装いながら防音扉をしっかりと閉める。

 それでアイツはどこ? と問う真遊海に金が先だと持ち掛ける。

 どこの映画だよと吹き出しそうになるのを堪えながらその光景を眺めた。

 真遊海は何の躊躇も無く取り出した封筒を投げる。

 あっさりと金を渡した真遊海に少し拍子抜けしたようだが、金を出されては引き渡さないわけにはいかない。

 子分たちが道を空け、ニセモノの躍斗を見せる。

 真遊海はそれを見て片方の眉を上げた。

「なにそれ。彼はどこよ?」

 それを聞いてチーマー達は笑う。

「何言ってんだ。間違いなくアイツだよ。違うって言うなら証拠を見せてくれ」

「ソイツじゃなくて、送ってきた写真に映ってたでしょ? ソイツの後ろに」

 何の事か分からずチーマー達も顔を見合わせて沈黙する。

 煮え切らないテツヤ達に、真遊海は顔をしかめながら自分の携帯を取り出して見せた。

「ほら! ここ」

 テツヤ達と躍斗は真遊海の差し出す携帯を覗き込む。

 一同は絶句した。確かに、躍斗の扮装をした子分の後ろに、本物の躍斗が映っている。

 どういう事だ? あの時は姿を消していたはず……、と思った所で失敗した事に気が付いた。

“そうだ。自分でも『姿を消す』という言葉を使っていたから忘れていた”

 体を透明にしているのではない。意識から消えているだけだ。


“だから、写真には写るんだ”


 どよどよと動揺するチーマー達の中で、躍斗も動揺していた。

「あーっ!! お前!!」

 と子分の一人が躍斗を指差す。

 しばらく何が起こったのか分からなかったが、見つかった事を理解した。動揺して姿が見えてしまったのだ。

 この密室。姿を見られてから脱出するのは難しい。

 なんで? 何が? と狼狽する子分達の中でテツヤだけは行動した。

「てめぇ!!」

 とこめかみに血管を浮き上がらせて、どこから取り出したのか特殊警棒を抜く。

 何が起こったのか分からない事より、どこまでもコケにされた怒りの方が勝ったようだ。

 怒りに身を任せて振り下ろされた警棒は頭部に命中し、細身の体がもんどり打つ。

 すかさず子分共も交えて取り囲んで蹴る、蹴る、蹴る。

「やめて! 待って……僕」

 と抵抗の声も虚しく暴力は続き、直ぐに言葉にならない呻きと咳き込みに変わった。制服は靴の跡だらけになり、口から鼻から血飛沫が飛ぶ。

「ちょ、ちょっと! やめなさい! やめてー」

 真遊海は輪の外から叫ぶが男達の暴走は止まらない。

 躍斗はと言えば輪の外から、躍斗の扮装をした子分が代わりに暴行されるのを眺めていた。

 気の毒だとは思うが、結局こいつらの仲間だ。こんな連中とつるんだのが運の尽きだ。

 時間を遅めて近くに居たニセモノと入れ替わり、ニセモノに注目が移った所で躍斗は姿を消したのだ。

 躍斗は怒鳴り声を上げる真遊海の手を取って部屋を出ようとする。

 真遊海は連れ出されまいと抵抗したが、躍斗の顔を確認すると驚いて暴行の被害者と躍斗を交互に見比べる。

 困惑した顔のまま躍斗に引かれてライブハウスを出た。

「一体……どうなってんの?」

「それより、僕に何か用なのか?」

 一瞬何を聞かれているのか分からないという顔をしたが、やがて納得したように、

「べ、別に……何も」

 何もって事は無いだろう。あれだけ大がかりに探しておいて、と露骨に訝し気な顔をする。

「ほら、名前聞いてなかったから」

 もじもじと指を摺り合せて言う。

「教えるわけないだろ。あんな連中が家に来るのはごめんだ」

「じゃ、私にだけ」

「あいつらの仲間じゃないか」

「じゃ、縁切る」

 子供かよ。そんな簡単にいくわけないだろうに、と呆れ顔をする。

 躍斗はあいつらが真遊海に何をしようとしていたのかを教えてやった。信じないのはこのお嬢さんの勝手だ。

「なにそれ。そんな事したら、後でどうなるかをあいつらが思い知るだけよ」

「そうかもしれないが、あいつらが思い知っても君の純潔は戻って来ないだろ」

 半ば呆れるように言うと、真遊海は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。

 そして「ぶっ」と噴き出してゲラゲラと笑い出した。

 一変して下品に笑い転げる真遊海に面食らっていると、

「やっぱ……あんたいいわ。探させて良かった」

 と涙を拭いながら一人納得している。

「そうね。一応、助けてくれたみたいだからお礼を言っとくわ」

 と言って自身の着けていたペンダントを外し、躍斗の首に手を回してそれを着けた。

 唇が頬に触れるというくらいに近づく。真遊海の匂いを間近で感じとり、少し顔が赤くなる。

「じゃね。また会いましょ」

 無邪気に笑って走り去る。

 そして道路に停めてあった巨大な黒い車に乗り込んだ。

 あれは、リムジンという奴ではないのか? とやや茫然としたようにそれを見送った。

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