魔王という目標

 カチリ!

 とマウスをクリックしてページを閉じると、少年は椅子の背もたれに身を預けた。

 そのまま手を頭の後ろに組んで、日記サイトのトップページが映っているパソコンの画面を眺める。

 登録者の欄には「利賀とが 躍斗やくと」と書かれていた。

 日記は友人まで公開されるものだが、日記の主――躍斗が友人登録しているユーザーはいないので、実質サイト運営の管理者くらいしか見る事の出来ない日記だ。

 管理者も何の変哲もない一高校生の思想に興味はないだろう。

 先程閲覧していた日記の一件以来、躍斗は学校に行っていない。

 あれ以来、何もかもがバカバカしくなって不登校するようになり、ずっと引き篭っていたので特に更新するような事もなかった。

 たまには何か書いてみようかと思い開いてみたが、最後の書き込みを見て思い出し、またやる気を失くして結局閉じた。

 一応気分が悪い、と仮病――まあ気分が悪いのはホントだが――を使っているので大人しく療養していたが、何もしないのもそれはそれで精神衛生上よろしくないだろう、とネットゲームを立ち上げる。

 フィールド上を自由に歩き回り、物を破壊したり敵を倒したりするタイプのゲームだが、数人でパーティを組んで遊ぶ事が前提の物が多い中、このゲームは比較的一人でも楽しむ事が出来るので気に入っていた。

 しばらくぶりのフィールドを何をするでもなく歩いていると、壁の中からぬっとキャラクターが現れる。

 回線の混雑で見た目がおかしな事になるラグって奴か? と見ていると、そのキャラは、躍斗の操作するキャラに攻撃を加えると、また壁の中に消えていった。

 このゲームではプレイヤーによって倒される事はない。挨拶的に使われるだけで、知らない相手にいきなり攻撃しても不快感を与える程度だ。

 それを嫌うユーザーもいれば、だから面白いと言うユーザーもいる。

 躍斗も不快には思うものの、いつかやりかえしてやろうと心に留め、何だかんだでそれを楽しんでいる。

 しかし今のプレイヤーは壁の中に消えていった。追って仕返しする事も出来ない。

 本来キャラクターは壁を通り抜けられないが、不正なツールを利用して迷惑行為をするユーザーもいる。

 マップ内には管理者の操作するキャラクターも徘徊している。その管理者キャラはユーザーからも見えず、接触する事も無い。壁も自由に通り抜けられる。

 その設定――アクセス方法を解析して、一部の機能を使えるようにした物だとネットの記事で読んだ。

 高度な技術が必要なものだが、どこかの物好きが作ったツールをネットで手に入れるだけなので、実際には誰でも使う事が出来る。

 公式には禁止されていて、使えないよう対応されるものだが不正ツールも更新されて結局はイタチゴッコだ。

 どこへ行ったのかと見回していると、離れた壁から現れて、他プレイヤーを殴っては壁に消えていった。

 躍斗を狙ったのではなく、手当たり次第にやっていたようだ。

 不正キャラはしばらく迷惑行為を続けていたが、突然その動きをピタッと止めた。

 そして跡形もなく消えてしまう。

 どうやら管理者によって登録を抹消されたらしい。つまりこのゲームから追い出されて出入り禁止になった。

 不正行為を行うユーザーは、正当に遊んでくれているユーザーにとって不利益になるから管理者によって排除されてしまう。

 しかし管理者もパトロールして探しているだけなので、どれだけ禁止してもたまに出てくるものだ。自動検出も出来るが万能ではない。

 あまりに悪質だと接続先を突き止めて、現実にそれ相応の責任を問われる事もある。

 躍斗もシステムの制限を超えた力に興味が無いわけではないが、ツールさえあれば誰でもできる時点で、それは特別でも何でもない。

 そのまま数日間、特に意味もなくずっとネットゲームをやっていたら、父親が部屋にやってきた。

 お前これからどうするつもりなんだ? というような事を真剣な面持ちで言う。

 高校三年生の息子を持つ親としては当然の心配だろう。

 しかし躍斗には学校へ行き、就職して、他人の中に混ざって社会の歯車になる将来は想像できなかった。

 ネットゲームをやりながらも、結局ゲームのルールに縛られている中で、他人と同じように行動しなくてはならない事に同じ疑問を感じていた所だ。


 でもこのゲームを作っている人達は、ルールに縛られる事なくゲームに参加する事ができる。

 いわゆる管理者権限を持ったキャラクター、ゲームマスターだ。

 先程の不正ツールも、開発者が絡んでいるのではないかとネットでも囁かれている。

 しかしゲーム会社に就職してネットゲームを作るのも違う気がする。それは結局会社の一員でしかない。

 躍斗は考える。

 相対性理論だとか量子力学なんかのテレビ番組で、この世もルールに従って動いていると言っていた。

 この世界も巨大なシステムの中にあるバーチャルリアリティに過ぎないのかもしれないと。

 いっそこの世界そのもののルールを解き明かすのはどうだろう。この世界の管理者権限を手に入れる。

 そう。世界のことわりを解き明かし、『宇宙の真理』に到達する。


「それが僕の生涯の目標だ」


 なんだそれはと問う父に、躍斗は親切丁寧に説いて聞かせる。

 大半はテレビの特番で言っているような事だ。

 だが具体的にどうするのかという疑問には答えられない。躍斗自身、その答えを持っていない。

 父は怒ったような、泣いているような、笑っているような、何とも言えない顔をして出て行った。

 少なくとも壮大な夢を抱く息子を誇りに思う感じではなかった。

 それ以来、躍斗は家族とほとんど話す事もなくなった。



 夢を抱いたはいいが、実際どうすればいいかは分からない。

 世界の数学者はこの世を全て数式で表す事を『世界を解き明かす』と称しているそうだが、今から数学を突き詰めて彼らの先に立てるとも思えない。

 何か別なアプローチはないものか、と特に意味もなく近くのコンビニに向かっている時に奇妙な事に気が付いた。

 存在感が薄い為か、道行く人が躍斗の事を気にしない。

 それはいつもの事なのだが、そのままコンビニで買い物している時に、ぼんやりと考え事をしていたので商品を手に持ったまま、会計する事なく外に出てしまった。


 気が付いてすぐに店に戻ったが、どうして誰も咎めなかった? と訝しむ。

 誰も見ていなかったにしてはおかしい。客は多かったし店員もカウンターに詰めている。

 存在感の薄さも極めればここまで行くのか、と半ば自虐的に笑ってみたが「もう一度外に出ればどうなるのか?」という好奇心に勝てなかった。

 恐る恐るそのまま外に出ようとすると、当然のように店員に咎められた。

 会計を忘れたと主張したが聞き入れられるはずもなく、別室に連れて行かれ、名前は? 親は? 学校は? としつこく聞かれる。

 何も答えず、まずトイレに行きたいと繰り返した。

 店員の付き添いでトイレに行き、鍵は閉めるなと店員はドアに足を挟む。


 濡れ衣を着せられて問い詰められる事など慣れている。大変な事になったという気持ちよりも、さっきの違いは何だったのかと真剣に考える。

 ぼんやりと、考え事をしていたのだ。早い話が無心。

 躍斗は、さっきやっていたように「世界とは何なのか」と考える事に集中する。次第に「集中する」という意識も消え、ぼんやりと周囲の空気に同化するような感じになる。

 無意識に動くようにドアを開け、そのまま何事ないように店員の横を通り過ぎ、そのまま外へ出た。


 体が透明になったのではない。店員は躍斗がドアを開けた事にも気が付かなかった。

 その後、何度か試してみたが本物のようだ。

 ついにやった。本当に『特殊能力』に目覚めた、と躍斗は確信する。

 周囲からその存在を消し、世界に同化する。

 世界の理、宇宙の真理に一歩近づいたに違いない。


 やはり自分は周囲の連中と同列で終わる人間ではなかったのだと思いつつも、こんな事で有頂天になっていてはいけない、と自身を諌める。

 この能力を更に高め、新たな力を開花させなくては。今のままではただ『ストーキングに役立つ能力』だ。

 これは世界の支配者管理者権限、神になる為のとっかかり、神の目――『世界を監視する能力』の一端なのだ。

 いや、神など自分のガラではない……と思い直す。躍斗は元来人間嫌いだ。

 人間の頂点にも、人類の支配にも興味はない。


“僕は魔王。世界を司る魔王になる”


 差し当たりこの能力を使って何ができるのか?

 銀行には入れても金庫室には入れない。世界の魔王たる者が、扉が開くまで金庫室の前でポツンと座っているのも間抜けだし、さすがに会計中の現金を盗むのは心が乱れる。

 動揺してはこの能力も働かない。

 コンビニから盗む事で慣らすという手もあるが、後に世界の魔王になる者が「万引きから始めました」というのも締まらない話である。

 別に今欲しい物はない。じっくり考えようじゃないか。

 この力はくだらない事に使う為に得たのではない。

 くだらない事に使う奴は所詮その程度にしか収まらない。

 目標は最初に大きく設定するものだ――と自身の躍進劇に思いを馳せ、利賀 躍斗は暫くぶりとなる外界繁華街へ足を運んだ。

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