第17話 私たち、結婚1年目です
晴人と話し合った次の日にまさみは上司の中田にしばらくの間、時短勤務か時差出勤が出来ないかと相談すると時短勤務が認められた。半年経つと彼女は今まで通りの勤務時間に戻り、その頃には晴人が多く担当していた家事もまさみが出来るようになり、二人の家事の割合がちょうど半分になった。これから一生免疫抑制剤を飲まなければいけないことを除いては、まさみは今まで通りの生活に戻っていた。その頃にはまさみも晴人の結婚生活が一年経ち、二人はこの生活に満足していた。しかしこの結婚生活はまさみの移植の為に始まったものであり、いつ解消されてもおかしくない。二人はそのことがずっと頭の中にありながらも暮らし続けていた。
まさみはいつも通りに家の鍵を開けてただいまと言ったが、いつもだったらおかえりという言葉が返ってくるが、晴人の声はいつまでも聞こえなかった。晴人は大学時代の友人たちと食事に誘われて出掛けていたからだ。まさみは冷蔵庫から野菜を取り出すと簡単にサラダを作り、朝食に食べた味噌汁がまだ残っていたのでそれを温めた。そして冷凍庫から冷凍食品のパスタを取り出すと電子レンジに入れて温めた。普段は晴人が食事を作ることが多く、晴人が作る時は卵焼き、焼き魚、味噌汁、白米といった和食がほとんどなので簡単ではあるが久しぶりに自分で作る夕食にまさみは少しテンションが高まった。
まさみが風呂から上がっても晴人が帰ってくる様子はなく、そろそろ寝ようと寝室に向かおうとした時にスマートフォンが着信を告げた。彼女はスマートフォンを持つと、晴人と一緒に食事をしているはずの友人の西条からの連絡だった。西条は大学のゼミが同じでまさみも時々話す仲だったが、卒業してからは全く連絡を取っていなかったので、まさみは不思議に思いながら電話に出た。
「もしもし。西条くんだよね? 何かあったの? 」
「高橋! 実は晴人が……」
「えっ? 」
まさみは西条の言葉を聞いて血の気が引いた気がした。
まさみはタクシーで病院に着くと、病院の中を走った。夜の病院は静まり返っていてまさみの走る音と彼女の荒い息が妙に響いた。
「西条くん! 」
まさみが呼ぶと西条たちが振り返った。
「晴人は大丈夫なの? 階段から落ちたって! 」
「う、うん」
西条はまさみの勢いに気圧されていた。
「お前ちゃんと話してないのかよ」
友人の一人が口を挟んだ。
「大丈夫だよ。晴人は足を骨折しただけだから」
「へっ? そうなの? 」
「あいつ酔っ払って俺はこの階段から飛び降りるって言って飛び降りたのはいいけど、着地に失敗してそれで骨折」
「何それ?! 馬鹿じゃん! 」
まさみは友人から晴人の怪我のあらましを聞いて呆れてしまった。西条は赤い顔でゲラゲラと笑っていた。友人たちも赤い顔をしているが西条は特に赤い顔をしており、かなり酔っ払っているようだった。
「でも本当にお前ら結婚したんだな。式を挙げなかったのはなんで? 金がないから? 」
友人が西条を窘めたが西条はヘラヘラしながらごめんと謝った。
「お前らが結婚したって聞いて本当にびっくりしたよ。だって晴人って小春ちゃんみたいな子がタイプだったろ? 」
晴人は大学生の時に三谷小春というゼミの後輩と付き合っていた。小春は晴人よりも背が小さくて可愛らしい女性だった。小春はキャバクラでアルバイトとして働いているせいか、男性とのコミュニケーションやメイクが得意でファッションのコーディネートも上手だった。大学生のまさみはメイクが苦手でファッションもTシャツにジーンズという格好でいつも大学に通っていた。社会人になってまさみも自分に似合うファッションとメイクを勉強して身につけたが、大学時代のまさみと小春を比べると確かに正反対だった。晴人と小春が付き合っていたことを知っている友人たちはやめろよとか酔い過ぎだぞと注意しているが、西条は聞く耳を持たない。
「晴人と一緒だと背が高いの気になるだろ? ヒールだって履きたいだろうし。俺は晴人よりも背が高いし、晴人なんか止めて俺とかどう? 」
まさみは曖昧な笑みを浮かべながら西条は昔からこういう人間だったことを思い出していた。相手が気になっていることをわざと指摘して、笑いにしようとする。本人は毒舌を気取っているがただの暴言としか言いようがない。
「止めろよ西条」
「何だよ冗談じゃん」
「お前は酔いすぎだよ。そろそろ帰るぞ」
友人が二人で西条の肩を掴むとズルズルと引きずっていった。西条は大きな声で何だよそこまで酔っ払ってねぇぞと喚いていた。まさみはもう一人の友人と診察室の前に取り残された。
「今、処置をしてる。そろそろ出てくるとは思うけど……」
友人が言い終わった所で診察室が開き、看護師の女性が車椅子に乗った晴人を押して部屋から出てきた。晴人の左足にはギプスがされていた。
「ごめん」
晴人は申し訳なさそうにぽつりと言った。まさみは晴人と目を合わす為にしゃがんだ。
「晴人が階段から落ちたって聞いて急いで来たんだよ。でも良かった。足の骨折で済んで」
「本当にごめん……。そういえば西条たちは? 」
「西条が騒ぎ出したからあいつらが連れて帰ったんだよ」
「そうだったんだ……。本当にごめん」
晴人は二人に頭を下げた。
「もういいよ。それより高橋にこれ以上心配を掛けるなよ」
「分かってるよ」
まさみが晴人の車椅子を押そうとすると友人が代わり、病院の外まで連れ出してくれた。病院を出ると友人はすぐにタクシーを捕まえて、晴人の肩を抱いて慎重にタクシーに乗せると、タクシーの運転手にちょっと待っててもらっていいですかと声を掛けた。
「俺は違うタクシーで帰るから」
「本当に色々ありがとう。ごめんね。迷惑をかけちゃって」
「こっちこそごめんな。嫌な気持ちしただろ? 」
「ううん。大丈夫だから気にしないで」
友人は鞄から財布を取り出すと一万円札をまさみに渡した。
「これタクシー代」
「そんないいよ! 」
まさみは返そうとしたが、彼は受け取らなかった。
「いいから。色々迷惑を掛けちゃったからそのお詫び。返さなくていいからさ受け取ってよ」
「そんなの駄目だよ」
「いいから! 俺の気が済まないから」
「分かった……。受け取る。ありがとう」
まさみは躊躇しながらも一万円札を受け取り、タクシーに乗り込むとタクシーが動き出した。彼女が後ろを見ると友人はブンブンと腕を振って二人を見送っていた。彼女は西条とのやり取りで大学時代の苦い思い出が蘇りそうになり、思わずため息がこぼれた。そのため息に気づいた晴人はごめんともう一度謝った。
「違うよ。晴人のことじゃないよ」
「でもめちゃくちゃ迷惑を掛けたから」
「本当に大丈夫だよ」
「でも……」
「そんな叱られた犬みたいな顔をしないの! よーしよしよし! 」
晴人は珍しく気弱になってしょぼくれた顔をしていたので、まさみは晴人の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「止めろよ! お前はムツゴロウさんか!? 」
晴人はボサボサになった髪を手ぐしで直した。
「ごめんごめん! でも本当に気にしないで。お互いが支え合うのが夫婦でしょ? 」
まさみは晴人に笑いかけると晴人も安心したように笑った。まさみは晴人と笑っている内に気が付くと西条との記憶が薄れた。
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