第16話私たち、仲直りします

 まさみはひったくるように自分の鞄を持って家を出たが、どこにも行く宛てが無かった。彼女はなんとなく駅の方を歩いていると、一軒のファミレスが目に入り、ぷらっと店に入った。まさみは若い女性の店員に窓の近くの席に案内された。この時間だったら晴人と夕食を食べている時間だが、食欲がわかずとりあえずドリンクバーを店員に頼んだ。まさみは自分でホットコーヒーを自分で取ってくると机に突っ伏した。晴人から何度も連絡が来ているのは分かっているが、連絡を返す気力がなくてスマートフォンを鞄の底にしまった。まさみは何度目か分からないため息をついた。彼女は自分が全て悪いことを分かっていた。柳からセクハラまがいのことを言われても笑顔で聞き流せないこと、仕事に私情を挟んでしまうこと、イライラして晴人に八つ当たりしてしまうことも全部自分が悪いのだ。まさみはふと外を見ると晴人がいた。晴人もまさみがファミレスにいることに気づくと、そこにいろと口を動かして店に入ってきた。晴人はズンズンとまさみのいる席に近づくと彼女とは向かいの席に座った。

「ごめんなさい」

 まさみは晴人が席に着くと否や頭を下げた。

「いや俺も悪かったと思う」

「ううん。私が悪いの。晴人はなんにも悪くないよ。だから気にしないで」

 まさみは顔を上げると晴人は眉を顰めて腕を組んでいた。彼は大きくはないがはっきりとした口調で言った。

「それは違うと思う」

 まさみは自分が謝れば仲直り出来ると思っていたので、晴人の口からそんな言葉が出るなんて驚いて目を見開いた。晴人は眉間に皺を寄せながらゆっくりと話し始めた。

「まさみは何かあったら自分が我慢して収めようとするだろ? それは中々出来ないしすごいことだと思う。だけどそれじゃあ駄目だと思う。もしかしたらまた知らないうちにまさみを怒らせたり傷つけたりするかもしれないからちゃんと話したい」

 それに謝りたいのに謝らせてもらえないのって結構辛いんだけどと晴人は苦笑いしながら付け足した。まさみは晴人の言葉にハッとした。今まで何かあったら自分が我慢すれば丸く収まり、みんなのためになると思っていた。しかしまさみが我慢をすることで謝罪も弁解する余地も与えず、やり直すチャンスを奪っていたのだ。

「あんな風にポットを置いてたらお前が入れろって言われてるみたいだよな。ごめん。今度からは無くなったら自分が入れる」

 まさみはゆっくりと自分の気持ちを言葉にした。

「私が怒ったのはそういう理由もあるけどそれだけじゃない。復職したけど通勤するだけでもう疲れちゃうの。土日にしっかり休んでも全然疲れが取れない。今までとは違うことに慣れなくてそれでイライラしてて……。それに会社で嫌なことがあって」

「嫌なこと? 」

 まさみは言いづらかったが意を決して口にした。

「上司に結婚しても働くつもりなのとか仕事が辛くなったら家事をすればいいんだからって言われて……」

 それを聞いていた晴人の顔がぐっと険しくなった。

「なんだよそれ? 結婚したら家に入るのが前提かよ。それもムカつくけど仕事が辛いなら家事をすればいいっていうのが一番ムカつく。家事が大した仕事じゃないみたいじゃん」

 晴人の言葉を聞いていたまさみは涙をポロポロと流した。

「なんで泣いてるんだよ?! 」

 晴人はテーブルの上にあったナプキンをごっそり抜き取るとまさみに渡した。まさみはナプキンを受け取ると目の当たりをナプキンで押えた。

「ごめん。まさか怒ってくれるなんて思ってなくて……。誰かが自分のために怒ってくれるってこんなに嬉しいことなんだね」

 まさみは泣きながら笑っていた。その顔が面白かったのか晴人は可笑しそうに笑った。


 二人はそこから一時間ほど話し合った。まさみは満員電車が大きな負担になっているので、時差出勤か勤務時間を短縮出来るのか会社に聞いてみることにした。そしてまさみが今まで通りの働き方が出来るまでは晴人が家事の分担を増やすことが決まった。ただまだ解決出来ていないことが一つあった。

「その上司はどうすんの? なんか社内に相談出来る窓口とかないの? 」

「あるにはあるけどあんまり動いてないみたい……。大丈夫。その上司は直属の上司じゃないしフロアも違うから滅多に会わないから平気だよ」

「分かった。嫌なことがあったらまた言えよ」

「うん。ありがとう……。なんかお腹減っちゃたな」

「たらこスパゲティ作ったんだけど食べる? 」

「食べる! 晴人の作るたらこスパゲティ美味しいんだよね」

「それじゃあ帰ろうか」

 二人はファミレスを出ると肩を並べて家まで歩いた。まさみは晴人の言葉を頭の中で反芻していた。もしあの時颯太と話し合っていれば別れることはなかったんじゃないかと思うと胸が鈍く傷んだが、それでも晴人と結婚すると決めたのだ。まさみは胸の痛みを感じながら晴人の隣を歩いた。

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