第30話 魔獣と化す薬


「ぐ……」

「ふふふ、どうしたのだ?

 妾をメルキャットに引っ立てるのではなかったのか?

 それとも、やはり妾こそが大魔王アニハニータと認め、そうしてこうべを垂れておるのか?」


 上から見下ろす小柄な少女が楽しげに笑う。

 オルディアは必死に起きあがろうとするが、何かに四肢を押さえつけられているようにほとんど力が入らなかった。


(お、俺の身体に一体何が起こっている? 本物の大魔王のアニハニータであったとしてもこんな力はなかったはずだ。だとすれば……)


 地面に頭を付けたまま、視線だけをアニハニータと側に控えるハーピーの少女を見た。

 レミナ・サンタライズ。ロスターグのハーピー族を取りまとめるデクノア・サンタライズ卿の娘。何かしらの理由で西の大陸にあるヴァナディール王国の魔法学園に預けられていた。

 アニハニータの仕業でなければ、この娘が何かしらの力で引き起こした事に違いない。


「大魔王様、そろそろ」

「お、そうだな」


 レミナに言われてアニハニータはスッと身を引いた。

 その瞬間、まるで何事もなかったかのようにオルディアや兵士達の体を縛っていた力が消え去った。実はレミナの言葉に宿した魔力には時間制限があり、相手自身に効果が及ぶ言葉の場合、現在はおよそ3分間ほどで効果が切れるようになっていた。これは魔法学園で持続時間の実験をして分かった事である。ちなみにこの持続時間も伸びていて、最初は30秒ほどだった。

 ガバッと勢いよく起き上がるオルディア。


「貴様の仕業か!」


 起き上がるなり槍を手にレミナに飛び掛かるオルディア。そこそこ動きは速いが、今のカイトやレイダーの戦い方を見ていたレミナにはその動きはかなり緩慢に見えた。ひらりと避けると、そのレミナの後ろからミリアの正拳突きがオルディアの顔面に突き刺さる。カウンター一閃、オルディアの身体は先程まで踏ん反り返っていた玉座を粉砕し、その背後の壁まで吹っ飛ばされていた。

 吹き出す鼻血を手で押さえて何とか起き上がる。


「おのれ! 兵は!? 兵はどうした!?」

「ここに来るまでの敵はほとんどエクリアとリーレに制圧を頼んだけど」


 その時、部屋の外からバタバタと足音が聞こえてきた。足音の数からして、おそらく10人以上はいそうだ。その兵士達は室内に雪崩れ込んでくる。


「は、ははは! 形勢逆転だな!

 いくらお前達が強かろうと数さえ揃えば」


 勝ち誇るオルディアに対し、ミリアは無言でとある場所へ向かう。それはこの部屋を支える太い大柱の1本だった。

 徐に手に風の魔力を宿すと、その場で一太刀、さらに天井辺りまで跳び上がって一太刀、手刀で斬りつけた。手刀で放たれた風の刃は太い柱を一撃で両断。そして、さらにその柱を両手で抱える。


「一体何をする気だ?」


 そんな声が誰からともなく漏れる。

 当然だ。見た目小柄なミリアが自分の数十倍もある柱をどうしようと言うのか。そんな嘲りも混ざっていただろう。だが、次の瞬間、オルディア含めミリアの事を詳しく知らない者達は信じられない光景を目にする事になる。

 ミリアが腕に力を込め、一気にその大柱を引っこ抜いたのだ。そして――


「邪魔をするなぁぁぁぁ!」


 その大柱を部屋の入り口辺りに踏み込んできていた兵士達に向かって投げつけたのだ。


「た、退避退避!」


 慌てて兵士達が入って来た扉から我先にと逃走し、直後に大柱が直撃。扉付近が崩壊し、砂煙が消えた後に見えて来たのは完全に瓦礫と大柱で埋まってしまった入り口付近だった。これではもう増援の兵士もこの部屋には入ってこれないだろう。


「さて、あんたの頼みの援軍はこれで無くなったわけね」


 パキパキとミリアが指を鳴らすと、「ひっ」と声を漏らすオルディア。明らかにその目には怯えが宿っていた。


「こ、こんなバカな……俺は王だぞ。このロスターグを支配する者だ。そんな俺に、こんな仕打ちを……」

「あんたが何だろうと知るか! よくもまあ私の大事な親友を人質に取ってくれたわね! 覚悟はできてるんでしょうね!」


 ミリアが怒りの魔力を練り上げ巨大な火球を生み出した。それはオルディアを消し炭にするには十分過ぎる程。それどころかこの部屋までも吹き飛ばしかねないほどに見えた。


「……妾達も逃げた方が良いかもしれん」

「大魔王様。言い難いのですが、ミリアの投げた大柱のせいで入り口が潰れて脱出できません」

「そうだった。あれに巻き込まれたら妾でもタダでは済まなさそうだぞ」

「ではこうしましょう。私が真言魔法で何とかミリアの魔法の余波を防ぎます。多分私の固有能力ユニークスキルなら何とかなると思いますので」

「すまんが頼む」


 そんな事をこそこそ話している2人に対し、実際に打ち込まれる方はそんな暢気な話ではない。あんなもの喰らったら確実に死ぬ。絶対な死を目の前に頭がパニックになるオルディア。


「お、俺はこんなところで死んでいい男ではない。ロスターグの王からいずれはこのサーベルジアを統べる王になる存在だぞ。そんな俺が、こんなところで。

 はっ、そうだ。こんな時のために……」


 そこでハッとしたようにオルディアは懐に手を突っ込んだ。そこから取り出したのは1本の小瓶。中には薄緑色の液体が入っていた。

 それを見た瞬間、ミリアの脳裏にある光景がフラッシュバックする。


 ヴァナディール魔法学園の闘技場で、魔獣と化した1人の男子生徒。


「その薬は!」


 オルディアはその瓶の蓋を開けると一気に飲み干した。次の瞬間――



 ドクンッ



 大気が鼓動したように感じた。

 カッと目を見開くと、自らの体を抱えオルディアは大きく咆哮する。


「ガアアアアアァァァァァァァァァ!」


 その変化は目に見える形で現れだした。

 茶褐色の体毛で覆われたその身体の色は、背に生えた大きな翼までも漆黒に染まる。足の鉤爪はさらに鋭さを増し、その両手からもまるで刃のように爪が伸びる。その姿はもはやガルーダの姿をしただけの全く別の魔獣にしか見えなかった。

 咄嗟にミリアは生み出した大火球を魔獣目掛けて投げつける。が、その次の瞬間、その内側から爆発するように漆黒の煙にも似た瘴気が噴き出した。その瘴気に触れた大火球はまるで吹き消される蝋燭の火のようにあっさりと掻き消され、それだけでなく瘴気と共に爆発した衝撃波でダンドール城塞最上階の天井が残らず吹き飛び、周囲に瓦礫を散乱させる。


「む、これはいかん」

「大魔王様、失礼します」


 レミナはアニハニータの両肩を鉤爪で掴むと翼を羽ばたかせる。落下する瓦礫をひらりひらりと避けながら空へと舞い上がった。眼下を見ればダンドール城塞の最上階は全て消し飛び、まさに屋上のようになっている。そこはレミナはゆっくりと舞い降りアニハニータを降ろした。


「すまんな。手間をかけた」

「いえ、問題ありません」


 と、直後、目の前の瓦礫の山が轟音と共に吹き飛んだ。そこには拳を突き上げるミリアの姿が。そして目の前の瘴気を放つ魔獣と化したオルディアを睨みつける。


「まさかここでまたあの薬にお目に掛かるとはね」

「何じゃ、アレを知っておるのか?」

「ヴァナディール魔法学園で1回、王城横の広場で1回出くわしているのよ」


 ヴァナディール王国で出現したのは実は3体いたのだが、ミリアが直接戦ったのはその内の2体。魔法学園の生徒ブライトンが変化したものと、貴族のグロウテイン伯爵が変化したもの。まあ、ブライトンは生徒会長のシグノアが倒してしまったし、グロウテインに至っては杖を壊されたミリアに怒りのまま放たれた爆炎の魔法で爆発四散してしまったが。


「とんでもない物を作る奴らもいるものだ。だが今はまずあのオルディアの成れの果てをどうにかするのが先決か」


 ミリアやアニハニータ達が見据えるその先には、膨れ上がり巨大化した肉体を四肢で支える1匹の獣。元腕であった前足には鋭い爪。後ろ足は鉤爪。巨大な翼を広げ、威嚇するように奇声を上げている漆黒の魔獣。血走った目には最早理性は残っていないように見える。その姿はまるで、


「あれはもうガルーダじゃない。あの姿は、まるでグリフォンみたい」


 グリフォン。討伐ランク特A級以上とされる幻獣の一種。同ランクのモンスターにはこれまでに見たものだけでも月光蝶ムーンライトバタフライ百足龍虫ドラゴンセンチピードなどがいる。

 だが、今目の前にいる魔獣は本来のグリフォンよりもさらに厄介な相手である事は間違いない。その理由の最たるものが、あの体から噴き出している瘴気だろう。アレのせいでただでさえ分厚い毛皮で刃が通りづらいのに、それだけでなく魔法まであまり効かなくなってしまっている。


「ギュアアアァァァァァァッ!」


 漆黒のグリフォンは雄たけびを上げるとバサッと翼を羽ばたかせた。その瞬間翼から瘴気が地面目掛けて噴き出し、その巨体を宙に浮かび上がらせた。それだけに留まらず、噴き出した瘴気は屋上全域に押し寄せミリアやレミナ、アニハニータと異変に駆けつけてきたガルーダの兵士達を飲み込んだ。

 瘴気は浴びたものの精神を犯し、暴走させる効果がある。咄嗟にミリア達は魔力の障壁で瘴気を防いだものの、ガルーダ兵達はそうもいかなかった。目を血走らせて敵味方問わず襲い掛かってくる。


「このっ、旋風の砲撃ウインドボール!」


 風の砲撃は暴走するガルーダ兵を周囲の瘴気と共に吹き飛ばす。さらに追撃の風の魔法で屋上に残っていた瘴気も残らず吹き飛ばした。


「敵は?」


 周囲を見回すが、その風景は一変していた。ダンドール城塞周囲はほとんどが漆黒の瘴気に閉ざされていてその先を見る事さえもできなくなっている。ところどころに先ほどの兵士と同様に暴走し暴れまわるガルーダ兵。どうやら風の竜ウインドドラゴン達は瘴気の外に避難したらしい。


「ミリア、無事か?」

「大丈夫?」


 ミリアの元にエクリアとリーレも合流した。

 アニハニータとレミナは共に魔力障壁と真言魔法で瘴気から身を守っていたらしく、特に問題はなさそうだ。後はこの周囲を覆う瘴気だが。


「この瘴気の原因は漆黒のグリフォンと化したオルディアだ。あのオルディアをどうにかせねば、この辺りは瘴気の海に沈められてしまう。しかし、ガルーダの時とは異なり空中を自由に飛び回る奴にどう対処すれば……」

「……私が何とかする」


 ミリアはおもむろに声を上げた。


暴風竜テンペストドラゴン、まだいる?」


 その声に反応し、瘴気の壁を突き抜けて暴風竜テンペストドラゴンの巨体がミリアの目の前に舞い降りてきた。


『ここにいる。奴は一体なんだ?

 突然瘴気を放ちながら飛び回り始めたのだが。おかげで風竜峡谷の事を思い出して酷く不快だ』

「あいつはこのロスターグの王だった奴よ。魔獣化の薬を飲んであの魔獣に変化してしまったのよ」

『魔獣化だと?』

「詳しい事は後で。今はまずあいつを倒さないと、この辺も風竜峡谷の二の舞になる」

『……私を呼んだと言う事は私の助力が必要と言う訳だな?』

「力を貸してもらえる?」

『無論だ。背に乗れ!』


 言うと同時に暴風竜テンペストドラゴンは身を伏せ、その背にミリアは飛び乗った。


「みんなはまだ無事な人を探して。暴れる兵士もおそらく瘴気がなくなれば元に戻ると思うから」

「分かった。暴れるガルーダ兵は一先ず気絶させろと言うのだな。妾達に任せるがいい」


 アニハニータの返答に全員が頷いた。

 それを確認し、ミリアは暴風竜テンペストドラゴンと共に上空へと飛び立った。


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