第24話 2人目の無属性の使い手


 風竜峡谷の最奥。暴風の竜王テンペストドラゴンロードの住まう天然の城塞の前でその者達は対峙していた。

 方や荒れ狂う烈風をイメージした緑色の鱗をもったドラゴン達。

 それに相対しているのは、闇のような漆黒のローブを纏った魔道士と同じく闇のようなスーツを身に着けた小柄な人間。その両手には大ぶりのダガーが握られている。


 風を司る竜の中でも上位に位置する暴風の竜テンペストドラゴンが5体にその竜王が1体。人2人で相手をするにはあまりにも無謀すぎる戦力差。それは誰しもがそう思える状況に見えた。


 ところが――


 振り下ろす爪を身を翻して回避するとそのまま一直線に暴風竜の懐に飛びこむ黒い影。まるで瞬間移動のように一瞬にしてその姿は暴風竜の目の前に躍り出た。

 繰り出すダガーの一撃にその暴風竜は魔力で編んだ物理障壁を使って身を守ろうとする。が、その時ミリアは信じられないものを目にする事になる。その黒い人がダガーを振り抜いた途端、暴風竜の巨体が吹っ飛んで行ったのだ。


「そんなバカな!」


 思わずそう口にするミリア。他の面々も同じだった。

 見ていたミリアにはその黒い姿に特別な魔力は感じ取れなかった。筋力強化すら使っていないのにあの暴風竜をあそこまで派手に吹っ飛ばしたのだ。吹っ飛ばされた暴風竜は岩壁に叩きつけられ、瓦礫の山と共に谷底へと墜落した。

 敵討ちとばかりに他の暴風竜が襲いかかるも、その圧倒的なまでの速度差で捉える事ができず、最初の暴風竜は真下から顎を蹴り上げられ昏倒。2体目はその長い首を引っ掴むと振り回して3体目の暴風竜に叩きつける。さらに、そのまま地面に叩きつけた上にダメ押しとばかりに背中に膝を打ち込んで沈めた。


 王の親衛隊のように見えた5体中4体があっという間に戦闘不能。それも上位種の暴風竜テンペストドラゴンがだ。強靭と言われている竜の鱗すらほとんど役に立っていない。

 何がどうなっているのか、ミリア達には理解できなかった。


「ミリアちゃん」


 その時、リーレが後ろから声を掛けてきた。


「どうしたの、リーレ?」

「あの黒い魔道士の持ってる杖を見て」


 言われて杖に目を向ける。その杖の先には不気味な赤黒い宝玉が嵌っている。そして、暴風竜を圧倒する黒い軽戦士に興味を引かれて気づかなかったが、あの宝玉から溢れるドス黒い魔力。あの気持ち悪い魔力には覚えがあった。

 そう、あの魔力はーー


「……瘴気?」


 淀んだ魔素マナが変質して発生する成れの果て。それは周囲のあらゆるものに影響を与える。瘴気に捕らわれた魔物は凶暴な魔獣と化し、さらにそれを取り込んだ人間すら身体を魔獣へと変質させてしまう。


「まさか、ワイバーン達が狂ったのはあの杖が放ってる瘴気のせい?」

「可能性としては一番高いと思います」

「なら、あれは私がなんとかするわ。後はあっちの真っ黒な戦士の方だけど」

「あっちは俺が行く」


 カイトが言った。


「多分、あいつは俺でないと止められないと思う」

「どう言う事?」

「確認だけど、あいつは身体強化魔法使ってるの分かる?」


 全員、「えっ?」とカイトに振り返る。

 本来身体強化は全身に魔力を通してブーストをかける魔法だ。なので発動すれば多少の魔力を感じる事ができるはず。ところが、少なくともミリアにはあの黒い軽戦士からは全く魔力が感じられなかった。


(普通の魔道士に感じられない魔力……まさか)


 カイトの意図を察したミリアは頷き返した。




 竜族。すなわちドラゴンはこの広いエンティルスでは最強の一角に名を連ねる種族である。

 しかも自分達は王を護る親衛隊であり、他の風の竜ウインドドラゴン達とは一線を画す実力を持った暴風の竜テンペストドラゴンだ。如何なる敵が来ようとも撃退する自信があった。

 だが、これは何だ?

 目の前には全身を真っ黒なスーツとマスクで覆った小柄な人間。吹けば飛ぶかのようにも見えるほど小さな存在。そのはずだった。

 あっという間に悉く撃ち落とされる親衛隊仲間達。気付けば残るは自分1人。暴風の竜テンペストドラゴンたら自分達がこんな小さな生物になす術もなくやられるとは。

 その敵はゆらりと立ち上がると、まるで空間ごと飛び越えたかのようにその暴風竜の目の前に躍り出た。反射的に叩きつけるように右手を振り下ろすが、その黒い軽戦士は宙を舞う羽根のように振り下ろしをひらりと避ける。そしてダガーを大きく薙ぎ払った。

 暴風竜の身体には常に風の防壁と呼ばれる魔力結界で覆われており、それが暴風竜の強さの秘密の1つだった。だが、それを嘲笑うかのように斬撃の衝撃が暴風竜の身体を撃ち抜いた。


『ぐっ』


 想定もしていない衝撃が身体を貫き、思わず膝をつきそうになるがそれだけは意地で堪える。王の手前、あまりにも無様な姿は晒せない。顔を上げたその眼前。黒い敵がそのダガーを振りかざしていた。

 避けられない。その暴風竜は身を固くして耐える。

 しかし、そのダメージが暴風竜の体に届く事はなかった。


「そうはさせるか!」


 黒い軽戦士の繰り出すダガーを剣で弾き返した青年。その瞬間、バチーーンと何かが弾け飛ぶ音が谷に木霊する。


「加勢します。奴は任せてください」

『す、すまん』


 何が起きたのか、その暴風竜には分からなかったが、理解できたのはとりあえず危機は一時的に去ったと言う事だろう。



 驚いていたのはその暴風竜だけではない。黒い軽戦士自身も内心驚愕していた。まさか、今の攻撃を防がれるとは思っていなかったためだ。

 割って入った剣士――カイトは今ので確信したように言った。


「やっぱり、の魔力なら防げるようだな」


 そして剣を突き付け、告げる。


「お前、の使い手だな」


 覆面の隙間から見える目が見開かれる。そして、


「……無属性だって? お前は一体」


 それは呟くような小さな声だったが、その声はカイトの耳に届いていた。男とするならば声変わりのしていない声。いや、この場合はもっとシンプルな答えだろう。


「その声。女性か?」


 黒い軽戦士は反射的に口を押さえた。その仕草だけで女性だと確信が持てた。

 そんな動揺が呼んだ一瞬の油断。背後に控えた竜王が彼女に強烈な風属性の魔法を叩きつけた。


滅風の砲弾ブラストボール!』


 それは風属性の上位『暴風テンペスト』クラスよりもさらに上。人智を超えた竜族の王のみが扱う最上位クラスの魔法攻撃。

 全てを破壊するような暴風と衝撃波を詰め込んだ球体。それが黒の軽戦士を飲み込み、次の瞬間凄まじい爆風を周囲に開放した。その威力で周囲の岸壁は吹き飛び、神殿を成していた柱もその殆どが瓦礫と化して散った。


 これには耐えられない。カイトはそう思った。

 無属性はあらゆる属性魔力の障壁を透過する代わりに、相手の放つ属性攻撃は一切防御できない。そう言う彼自身は暴風竜に庇ってもらって事なきを得たが。


「な、嘘だろ……」


 そんな言葉を漏らすカイト。

 土煙の舞い上がるその奥に、ゆっくりと浮かび上がる人影があった。

 漆黒の瘴気を放つ杖を正面に構えながら障壁を張る黒い魔道士。

 そう、そこにあったのは後ろで見ていただけだった黒い魔道士が自らの障壁で黒い軽戦士を守る姿だった。


『ば、バカな。我らが王の魔法を防ぎ切っただと』


 驚くのも無理はない。人よりも遥かに高い力を持った竜族。それもその王たる者が放った魔法を防ぎ切ったのだ。魔道具の力を仮に用いていたとしても人間の力では到底不可能だ。つまり、何かしらの補助を受けていたと考えられる。

 と、それと同時に奥に残る土煙から鋭く飛び出す1つの人影。


「!!」


 虚を突かれた黒い軽戦士は反応が遅れ、黒い魔道士に至ってはほとんど見動きすら取れていない。

 その人影――ミリアはその杖目掛けて両拳を叩きつけた。そう、杖の先端の宝玉目掛けて。


 ――魔光の破砕撃オーラブレイカー


 魔光流動ストリームオーラを利用した徒手空拳魔光奥義の1つ。攻撃がヒットした瞬間に魔光を対象に浸透させ内側から炸裂させる技だ。これには例え瘴気があったとしても意味はない。

 宝玉はガラス玉が弾けるようにして粉々になり、溢れ出ていた瘴気も嘘のように消滅した。


「あの魔法を防いだのは、その杖のおかげよね。瘴気をベールのようにして広げ、さらにその奥に火属性の魔力を込めた障壁を張って防いだんでしょ。瘴気は魔力を減衰させるからね。

 でもこれでもう同じ手で竜王様の攻撃は防げない。観念する事ね!」


 宝玉破壊に成功したミリアは竜王の近くに着地してそう告げた。


「……」


 黒い軽戦士はミリア達と黒い魔道士を交互に目をやり、やがて大きくため息をつく。


「仕方ない。まあ面白いデータは取れた事だ。この辺で撤退するか」

『逃がすと思うのか!』

『待て!』


 竜王の静止の声も間に合わず、ミリアを押しのけるように暴風竜の親衛隊が敵2人に突進する。


「……解放し吹き飛ばせ」


 黒い軽戦士が黒い魔道士にそう告げる。


「えっ」


 そんな間の抜けた声がミリアの口から洩れた。

 黒い魔道士の魔力が急激に、爆発的に膨れ上がる。その大きさは今のミリアを遥かに上回るほどに。

 全身からプラズマを纏った巨大な魔力が噴き出し始める。

 その姿は、あのベルゼドとの戦いの魔力が暴走した時のように。



 そしてミリアは悟った。

 今のミリアではあの魔力の爆発はどうやっても防げないと言う事を。



「アアアアアァァァァァァァァァァァ!!」



 黒い魔道士の叫び声が響き渡り――



 風竜峡谷のその一角は光と共に跡形もなく消え去った。



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