第39話 瓦礫の街・1
「どなたか存じませんが、助けて頂いてありがとうございます」
行商人の中年夫婦はミリアとシルカに深々と頭を下げた。
それは、ミリアとシルカが仲間達と離れて街道までやって来てすぐ。遠くの方から土煙が上がっているのが目に付いた。すでに周囲が薄暗くなって来ていて何の土煙なのか判別がつかなかったのだが、そこは『魔蟲奏者』のシルカ。付近に潜伏していた魔蟲達から、アレは人間の乗った馬車とそれを追う魔獣の群れだとの知らせが来たらしい。
離れたところの情報を得る事が出来る『魔蟲奏者』の利便性に驚くと同時に、ミリアはこうも思った。
魔蟲達の知能が上がってない?――と。
追ってきた魔獣は猪型の魔獣ラウンドボアが5体ほど。1体1体が幌馬車位の大きさのある大型の魔獣だ。ただ見た所
猪型の魔獣はその名の通り猪突猛進。勢いのまま突進し獲物を跳ね飛ばして仕留める魔獣だ。よって、ラウンドボアを相手取る場合最初に取る手は足を止める事。
「
最近ミリアの中で、その使い勝手の良さからクセになりつつある地属性魔法。それによって馬車とラウンドボアの間に分厚い岩の壁が生えて来た。当然、走る猪は急には止まれない。衝突音と振動が岩壁を震わせた。
それとほぼ同時にミリアとシルカは大地を蹴る。風の魔法により宙に舞い上がった2人は眼下で目を回す魔獣達目掛けて魔力を解き放った。
「
「
シルカの生み出した渦巻く大気が作り出す風の槍がラウンドボア2体の眉間を穿ち、さらにミリアの放つ鋭い氷の槍が残り3体の脳髄を破壊する。5体の魔獣はビクッと一瞬痙攣したが、そのまま動かなくなった。
「さすが陛下から頂いた杖だわ。私が使ってもビクともしない。それに魔力コントロールもすっごいやりやすいし」
「そうね。前は眉間に打ち込んだ途端に破裂して衝撃で頭部から胴体の前半分が吹き飛んでたし。あれじゃあ、食料にも売り物にもならないわよ」
「……何かシルカもエクリアみたいになってきたね」
「苦労を知ったからよ、多分」
言いつつシルカはミリアの作った岩壁に手を置いた。そして風属性の魔力を岩壁に走らせる。その瞬間、岩壁はまるで砂に戻るかのように崩れ落ちた。
「はぁ〜、シルカも器用よね。エクリアもリーレもそんな事できないわよ」
「こう見えても私の魔力は風属性特化ですから。その魔力の扱いで他の属性魔力の人に負けたらお母さんに怒られるわ」
それに、カイトに置いていかれたくないし。そんな事をブツブツ言っていたシルカだったが、とりあえず聞き流すミリアだった。
そして、時間は現在に戻る。
丁寧に頭を下げて礼を述べる行商人らしき2人に、ミリアは「いやいや、たまたま通りかかっただけですから」と謙遜する。
「私、行商を営んでおります、ビューレンと申します。こちらは妻のナスタリカです」
「ご丁寧にどうも。私はミリアです」
「シルカです。あの、馬車を走らせていた方向からすると、お2人はバウンズの方から来たようにお見受けしますが」
そのシルカの言葉に分かりやすく顔色を変えた2人。
「私達、訳あってバウンズに向かっているんです。何か情報があれば頂けないでしょうか」
ビューレンは妻と顔を合わせると、言いにくそうにこう言った。
「どのような用向きかは存じませんが、今バウンズには近寄らない方が良いですよ」
「バウンズで何かあったんですか?」
領主のレバンナ侯爵が反乱を起こした。ミリアもレストリルの話からはそこまでは予想できたが、ビューレンから出た言葉はミリアの想像のさらに上を行っていた。
「今のバウンズはもう人の住める所ではありません。奇妙な怪物が暴れるわ、どさくさに紛れた悪漢がやりたい放題始めるわ。今ではあそこはただの廃墟に成り果ててしまいました」
「私達もその惨状を見て商売は無理だと判断してすぐに街を離れようと思ったのですが、護衛の傭兵を雇おうにも頼りの冒険者ギルドもすでに瓦礫の山。已む無く危険を押してヴァナディール王国を目指したのですが、やはり無謀でしたでしょうか」
困ったように眉を
「ここからだとヴァナディール王国との国境まででも2日はかかります。そんな長時間移動に護衛もなしでなど無謀すぎますよ。
これは提案なのですが、私達と一緒に来ませんか?
一応最初の目的地はバウンズですが、その後はおそらく王都の……どこだっけ?」
「オロン」
「そうそう。オロンに向かう事になるかと思います。方向は逆ですが、今はその方が一番安全ではないかと」
ミリアの提案にビューレンとナスタリカの夫妻は少しお互いに話し合うと、その提案に頷くのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ち、ちょっと、何よそれ!?」
戻ってきたミリアとシルカに対し、エクリアの第一声。それも当然の事。なぜならミリアが巨大な猪の魔獣の躯を狩猟した獲物よろしく引きずってきたのだから。それも1人で3匹も。
「ラウンドボア。この行商人の人達を助けるついでに晩ご飯として持ってきたのよ」
「いや、それでも多すぎじゃない? この大きさなら1匹で20人分くらいはありそうだけど。それを3匹って……」
「いや、エクリアさん。驚くところ、そこ?」
カイト含め、ミリアが1人で巨大な魔獣3匹を引きずって来た事に驚いているのだが、そんなところを気にしていてはミリアの親友は務まらない。
「ところで、後ろのお2人はどちら様ですか?」
ふと気付いたサラジアがそう尋ねる。
見た目華奢な少女のミリアが自身の数倍以上もあるラウンドボアを3匹も引きずってくると言う異質な光景に面食らっていたため、2人の存在に気付くのが遅れてしまったのは仕方のない事と言えよう。声を掛けられて夫妻は深々と頭を下げる。
「私達、ミリアさんとシルカさんに助けて頂きました。行商のビューレンとナスタリカと申します。この度、ミリアさんの提案で王都オロンまでご一緒させて頂く事になりました。どうかよろしくお願いいたします」
「これはご丁寧に。ランバルト傭兵団の副団長をしております。サラジアと申します」
サラジアは丁寧に挨拶を返した。
カイオロス王国での活動中は自分達がヴァナディール王国の
ちなみに、最初はライエル傭兵団にしようとしたが、カイオロス王国ではライエルの名前も知られていたためミリア達が辞めさせた。
「ビューレンさん達はバウンズから逃げてきたそうです。何か有益なお話が聞けると思うのでバウンズの様子も含め詳しい話を聞いておいてもらえますか。とりあえず、まずはこのラウンドボアを解体してくるので。シルカ、手伝ってくれる? あと、リーレも一緒にお願い」
「分かったわ」
「うん」
解体作業において、最初に行う工程は血抜きである。
血抜きは首に傷を付け、逆さ吊りにして全身の血液を抜く作業である。肉の腐敗を防ぐための加工処理なのだが、なにぶん今回はラウンドボアと言う巨大な魔獣である。それをまともに吊るせる木なんてそう簡単に見つかるわけもない。
そこでミリアが取ったのは地面から生やした太い氷の槍を使って喉元から串刺しにする方法だ。見た目かなりエグいが、まあ仕方がないだろう。リーレはミリアと一緒にある程度回数をこなしているため涼しい顔をしているが、流石にシルカの表情は冴えなかった。
「シルカ、悪いけど魔蟲達に周囲を警戒してもらってくれる? 血の臭いは野生の獣や魔獣を誘い寄せるから」
「ミリアちゃん、こっちはそろそろ血抜きが終わりそうですよ」
「あ、ホントだ。じゃあ内臓抜いてから解体するから冷凍処理をお願いするわ」
「分かりました」
言って、ミリアは鉈のような包丁を取り出すと瞬く間にラウンドボアの巨体を解体した。バラされた魔猪の肉はすぐさまリーレの氷の魔法によって凍結される。それも、リーレが扱うのは氷属性の中でもかなりの高等技術。指定空間の温度を一時的に絶対零度近くにまで引き下げ、その極寒の空気を食材に直接打ち込んで凍結させる瞬間冷凍法である。
手際よくラウンドボアを食肉加工する2人に、慣れって凄いわねぇと感心しつつ、魔蟲達の声に耳を傾けるシルカ。
ミリアの言う通り、血の臭いに誘われて何匹か森の獣が寄ってきてはいるが、それらは全て魔蟲達が追い返すか餌にするかで対応している。さらに言うと、どうやら魔獣類はこの辺にはいないようだ。遭遇件数はゼロだった。
「合成魔獣どころか普通の魔獣の影もなし……か」
前にこのバルディッシュ侯爵領に来た時は
なのに今回はまだ一度も遭遇していないとは。これはたまたまなのか、それとも何かの前触れなのか。
「何かあった?」
シルカは顔を上げる。いつの間にかミリアとリーレはラウンドボアの解体を終えたらしく、奥を見ればリーレが地面に掘られた大きめの穴の中に取り出した内臓やら骨やらを放り込んでいた。
「終わったの?」
「ええ、大体はね。後は後始末を残すだけ」
「後始末?」
「ミリアちゃん、準備できたよ」
リーレのミリアを呼ぶ声が聞こえてきた。それに対してミリアはリーレに少し離れるように促す。リーレは言われた通りに穴から離れ、シルカのところまでやって来た。
「シルカちゃんもお疲れさまです」
「う、うん。全部魔蟲達任せだけどね。ところで解体ってこれで終わり? ミリアは後始末があるって言ってたけど」
「そうですね。解体した後の内臓とか骨とか皮とかは放っておくと腐敗してこの辺に悪影響を及ぼしますからね。だからああして――」
「
投げ込まれた火炎弾が穴の中から火柱を吹き上げた。大気を歪ませるほどの熱量を持った炎はラウンドボアの骨やら皮やら内臓やらが放り込まれた穴をうねるように駆け巡り、数刻もしない間に穴の中身を
それを確認し、ミリアとリーレは掘り返した土を元通りに埋め直す。ここまででようやく後始末が完了である。
「手慣れてるわね」
「ベルモールさんから一通り教わってるから。あの人が教えるのは魔法だけじゃなくてね、こういう独り立ちした時に役立つ知識や経験も授けてくれるのよ。
あ、シルカ。そこの草を採取しておいて」
言われて足元に目を向ける。そこには種類の違ういくつかの植物が生えているが、シルカにはただの雑草にしか見えない。とりあえずミリアの指差した先にある植物を引っこ抜く。
「これでいいの?」
「そう、それ。その草、サミエル草って香草だから。肉の臭みを取るのに最適なのよ」
「サミエル草……」
改めて見てもただの雑草にしか見えない。
(そう言えば、ミリアって植物学の成績は常に学年トップだったわね。何で植物に関してはこんなに覚えてるのに地理はお隣カイオロス王国の王都名を忘れるくらい残念なんだろう……)
山のような猪肉を背負いリーレと共に歩くミリアを見つめながら、そんな事を考えるシルカだった。
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