第32話 悪魔の呪いのような癒しの魔法


「お疲れ様。そいつは生きてる?」

「一応急所は避けたし、深く斬りつけたわけじゃないからな。まあ重傷ではあるが死にはせんさ」


 ライエルは剣を鞘に収めるとガートンの首根っこを引っ掴んで引きずってきた。「あがっ」とか「ぐげっ」とか呻き声が聞こえるので、確かに死にはしなかったらしい。


「一応、他の傭兵団もリーダー格っぽい奴らは生け捕りにした。多少手荒になったからな。悪いが傷を治してやってくれるか」


 ぽいっとライエルがミリア達の前にガートンの身体を放り投げる。左肩から右脇腹まで一直線に斬り傷が付いている。これは迷いなく一撃で付けた傷だ。死ぬほどではないが決して軽くはない刀傷。今後この男に雇い主などを吐かせるにしても、まずは喋れる程度まで傷を塞ぐ必要があるだろう。

 ミリアはガートンの前に屈み込むと、両手を傷口にかざす。


「優しき水よ、傷を塞げ。

 癒しの水ヒールウォーター


 ミリアが使うのは水属性の癒しの魔法。治癒能力を活性化させる水を生み出して対象の傷を塞ぐ魔法である。

 そして本来ならば、その魔法は傷口を覆う程度の量があればいい。そう、本来ならば。


「がぼがぼがぼ!」


 ガートンが自分の体の倍ほどもある癒しの水の球体の中でもがいていた。確かに傷は塞がっていってはいるが、癒しの効果があるとは言えこれはあくまで水である。人と言うものは水の中で呼吸できるようには作られていない。


「ミリア、もう拷問やってるの?」

「そんなつもりはないんだけど」


 呆れたようにガートンのもがく様を見つめるシルカにミリアは「おかしいな」とぽりぽり後頭部を掻いていた。


「これはマズイですね。

 旋風の砲弾ウインドボール


 と、そこへやってきたシルカの母シルヴィアが、それを見た途端にすぐさま風の魔法を放った。ミリアの作った水球はその風の魔法で吹き散らされてキラキラと舞う水滴に姿を変えた。となると当然中にいた人物は重力に引かれて落下する。


「イテェ!」


 ガートンはしたたかに背中を打ち付けてゲホゲホと咳き込む。


「すいません。溺れさせるつもりはなかったんですが」

「ミリアちゃんは魔力を制御する方法を見つけないといけませんね」


 シルヴィアはガートンの元まで行くと、その胸元を指差した。


「え……何これ」


 呆然とミリアはシルヴィアの指差した場所を見つめる。

 ガートンの胸元。つまりライエルに袈裟懸けに斬られた傷があった場所だ。その傷は確かに塞がっている。塞がっているが、その跡がさらに不自然に肉が盛り上がって不気味な塊となっていたのだ。


「お母さん、これって……」

「ミリアちゃんの癒しの魔法の結果です」

「私の?」

「癒しの魔法、癒しの水ヒールウォーター癒しの風ヒールウインドなどの魔法はあくまで人の持つ自然治癒能力を活性化させるものだと言うのは知っていると思います。本来持っている人の力を使っているのだから、人体に害を成す事は普通ならばあり得ません。

 ですが、ミリアちゃん。貴女の場合は話が違います。大き過ぎる魔力の全てが自然治癒力の活性化に向けられたために、この人の身体は傷を塞いでもなおおさまらず、その傷跡の肉が不自然に増殖してこのような醜い形に変化してしまったのです」


 その話を聞いて、ミリアは一気に青くなる。

 今まで魔法を攻撃面ばかり見ていたために、この補助や癒しなどの方に考えが回らなかった。

 師匠のベルモールや親友のエクリア達にも魔力の制御についてしつこいくらいに注意されていた。攻撃の魔法では威力が強すぎて仲間を巻き込みかねない事が問題視されていた。それはミリア自身も理解して解決するように努力はしている。

 しかし、まさか人を救う癒しの魔法すらこのような異常な効果を引き起こすとは。もしこれがミリアの知り合い達に起こったらと思うとゾッとする。


「でもミリアが自分自身に癒しの魔法を使ってるのは見た事あるけど、こんな現象は起こらなかったよ?」

「自分の魔力ですからね。推測でしかありませんが、自分自身の魔力だと治癒能力との同調率が違うのでしょう」


 少々自信なさげに言うシルヴィア。彼女も別に魔法の研究員ではない。具体的に調べたわけでもないので、詳しい事までは分かっていなかった。


「それで、これを治す方法って」

「おそらくは切り取るしかないでしょうね。これは癒しの魔法による効果ですから、同じ癒しの魔法では治せませんし。まあ今回は丁度良いので利用させてもらいますか」


 シルヴィアは不穏な笑みを浮かべた。


「リュート。この傭兵を運びなさい」

「え? どこに?」

「そこに開いた大きな落とし穴の所までです」


 リュートは言われた通りにガートンを引き摺って落とし穴の所まで連れて来る。ガートンはどうやら体が思うように動かないらしく、身をよじる程度しか抵抗できていない。それを見てミリアはこれもまた自分の癒しの魔法のためかと思うと戦慄する。


「さて、皆さん居心地はどうですか?」


 シルヴィアはあくまでにこやかに落とし穴の中に向かって声を掛けた。

 ナルミヤの精霊魔法によって開けられた落とし穴はサージリア家の大型の馬車であっても2台は簡単にすっぽり収まるくらいの大きさがある。そこに20人近い傭兵達がひしめいていた。


「良い訳ねぇだろうが!」

「さっさと出しやがれ!」

「殺すぞ、このアマァ!」


 とりあえず元気はあるらしい。様々な罵詈雑言が落とし穴の中から聞こえてくる。それに対し、シルヴィアは一喝。


「お黙りなさい!」


 魔力を込めて威圧したらしく、傭兵達は一斉に黙り込んだ。


「貴方達はこの私、サージリア辺境伯家のシルヴィア・アルラーク・サージリアを襲撃したのです。ただで済むと思っていますか?」

「どうするってんだよ」


 後ろ盾がそんなに強力なのか、まだ強気に出る傭兵達。だが、そんな態度も次の瞬間には凍りついた。


「リュート。さっきの傭兵を投げ入れなさい」


 リュートは言われた通りにガートンの身体を穴の中に投げ入れた。


「何だよ、ガートンじゃ……ひっ!」


 ガートンの姿を見た傭兵団の団長デルモスが顔を引きつらせた。


「お前、そのぶよぶよした肉の塊はどうしたんだ?」

「あ、あいつらに着けられたんだ。うまく身体も動かねぇ。おいデルモス。悪い事は言わんからアイツらには逆らうな。アイツらは悪魔の手先、いや化身だ。あんな奴らに歯向かったら死ぬより辛い目に合わせられちまう」

「はあ? そんなバカな事が」


 デルモスがそう言いかけた直後、突然穴の上から鋭い何かが降り注ぎ、背後にいる傭兵団の男達5人を撃ち抜いた。


「ミリアちゃん」

「分かってますよ」


 ミリアは渋々癒しの水ヒールウォーターを使う。生み出された水の量はおよそ大き目の桶5杯分ほど。これでも頑張って制御した方である。それらが先ほどのシルヴィアが放った旋風の弾丸ウインドバレットによって肩やら腕やら足やらを撃ち抜かれた5人に、文字通り桶をひっくり返したようにぶっ掛けた。

 するとどうだろう。傷は一瞬にして塞がったが、それだけでは治らず傷口を塞いでいた肉が膨張し蠢く奇怪な肉塊へと姿を変えた。


「な、何だよこれぇぇぇ!」

「か、身体が、俺の身体がぁぁ!」


 悲痛な悲鳴が聞こえてくる。それを見てミリアは「魔力解放率1%でもダメか」と肩を落としていた。

 そんな傭兵達以上にショックを受けているミリアを尻目に、シルヴィアは傭兵達に語りかける。


「どうです? その肉塊は悪魔の呪いのようなものです。癒しの魔法では治せません。むしろ悪化するでしょう」

「あの、シルヴィアさん。人の癒しの魔法を悪魔の呪い呼ばわりはやめてください。一応気にしてるんで」

「まあまあ、良いから良いから」

「全然良くないです」


 不満げに睨むミリアに対し、あくまで楽しそうなシルヴィア。むしろこの人の方が悪魔の化身なのではないかと疑うミリアだった。


「ふ、ふざけるな! 何が悪魔の呪いだ!

 こんなもの、回復薬さえ使えば」


 肩に肉塊が発生した傭兵は道具袋から回復薬を取り出す。それは『ネクタル』と呼ばれる神々の癒しの名を冠した最高位の回復薬だった。


「ネクタルか。エミルモールにも置いてあったけど、目玉が飛び出るかのような金額だったわ。とても傭兵団に手を出せるような代物じゃないんだけど」

「具体的には?」

「1本で簡単な家が建つわね」

「そ、そんなにか」


 相場を聞いてカイトが引いている。無理もない。金額面で一般の人が買えるような代物じゃないのだから。

 そんな最高級回復薬ネクタルを惜しげもなく肩に振りかける傭兵の男。彼はこれさえあれば治ると考えていただろう。

 だが、現実は真逆だった。肉塊はまるで栄養を摂るかの如くネクタルを吸収し、さらに膨張して男の肩から腕全体を埋め尽くしてしまった。


「う、うわああぁぁぁぁ!」


 パニックになって膨れ上がった腕を振り回す男。

 これに関して考えてみれば当然の事で、癒しの魔法で活性化した治癒能力が暴走し、その結果として変質した肉塊なのだ。そこに同じ癒しの力など使えば治癒能力がさらに暴走するのは火を見るよりも明らかだ。だが、一介の魔道士ですらない傭兵にそんな専門的な知識を理解しろと言う方が到底無理な話である。

 他の傭兵達は何とか止めようとするが、巨大化した腕が邪魔で近づけない。


「だから言ったでしょう。その肉塊は癒しの力では治せないと。治すにはその腕を切り落とすしかない」


 切り落としてもその傷口に癒しの力を使えばまた肉塊が発生するかもしれませんが、とシルヴィアは意味ありげに笑った。


「母さん、何だか楽しそうだな」

「きっと貴族生活が長すぎてストレスが溜まってたんだと思うわ。私だってほんの数日で思わず脱走したくなったもの」


 そんなシルヴィアの姿を見たシルカとリュート子供達の言である。


「さて、私が聞きたいのは1つだけ。貴方達の雇い主の事です。言いたくないなら言わなくても良いですよ。肉塊が増えるだけなので」


 ニコニコ微笑むシルヴィアの周囲には渦を巻く風が10以上。旋風の弾丸ウインドバレットの準備はすでに完了していた。その横では半ばヤケクソのミリアの姿が。彼女の頭上には、まさにこの落とし穴を埋め尽くすほどの量の癒しの水ヒールウォーターが浮かんでいた。


「わ、分かった! 話す! 知ってる事は全部話すからやめてくれ!」


 そんな地獄のような光景に、流石の傭兵達も屈したのだった。


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