第30話 シグノア王子の一手


 それは、カイオロス王国から帰還した2日後の事だった。サージリア辺境伯領の領都サルベリンに鎮座するサージリア家の本邸。その2階にある一室で、第1夫人のアリマーが不機嫌さを隠す事もなく手に持った書類を睨みつけていた。


「占星術師ミリネランマとその従者2人。結局何者なのかは分からずじまい。アレからバウンズには現れた形跡が無い」


 資料を乱暴に机に叩きつける。


「それならば我々と共に来ていた誰かが演じていたに違いないではないか! なのに何故見つけられない!? お前達はまともに探しているのか!?」


 怒鳴りつけるその先には、頭を下げ恐縮する5人の男達がいた。全員、サージリア家の雇っている密偵である。


「あのミリアとか言う小娘達はどうなのだ! ウィンディアの渡れなくなった大橋を越えてきたのだ。決して只者ではないだろう!」

「確かにそうですが、あのミリアとか言う娘には理由がありません。この度の一件は事が露呈すればカイオロス王国との国際問題にもなり兼ねません。そんな危ない橋を渡るものでしょうか?」

「それを調べるのがお前達の仕事だろう!」


 それを言われると黙り込むしか無くなる密偵達。

 実は、彼らが黙り込んだのには別の理由があった。彼らとて無能ではない。当然、ミリアについては色々と調べていた。

 ところが、その色々と調べていく内に、ミリアとの繋がりがある人物の存在が見えてきて、しかもその人物は皆決して迂闊につついてはいけない連中である事が明らかになってきたのだ。

 中でも特にヤバいと感じたのが彼女の師匠だ。

 ベルモール・モルフェルグス。

 世界に3人しかいない大魔道アークの魔道士。灼眼の雷帝クリムゾン・アイズの異名を持つ世界最高位の魔道士の名前だ。もしミリアを強引に捕縛などすれば、かの大魔道士化け物にどんな報復をされるか分かったものじゃない。誰だって我が身は可愛いのだ。

 そう言う理由わけもあって、密偵達は知らぬ存ぜぬを貫き通す事にした。大魔道士アークの怒りに比べれば、この第1夫人の怒りなど可愛いものなのだから。


「……仕方ない。そこで暫し待て」


 そう言うと、アリマーはテーブルに座り羊皮紙に何かをしたためると、小さく折り畳んで密偵の男に手渡す。


「これを父に渡しなさい。くれぐれも誰にも見つからないように。分かっているな?」

「はっ!」


 密偵の男達は屋敷を出ると、そのまま雑踏に紛れて姿を消した。





 アリマー夫人配下の密偵は決して無能ではない。むしろかなり有能な部類に入る。魔力による感知を避けるために一般市民と変わらないくらいまで抑える術にも長けているし、扮する行商人としての振る舞いも完璧にこなしている。そこらの伯爵家の私兵程度には全く気付かせる事さえないだろう。


 しかし、今回は流石に相手が悪かった。



 行商人に扮した密偵達はサージリア領から北回りで目的地に向かおうと馬車を走らせていた。そして、サージリア領を出た丁度その時、突然見知らぬ一団に取り囲まれた。

 そう、それはあまりに突然の事。密偵達は全く予想もしていなかった。街道を行き交っていた旅人風の人や商人風の男。さらには旅芸人一座と思われる踊り子を引き連れた一団に取り囲まれるなどと。


「い、一体何なのです!?」


 密偵のリーダーはあくまで動揺したフリで馬車から顔を出す。


「全員動くな」


 その声はやたらと威圧感のある声だった。しかもそれを発していたのは旅芸人一座の踊り子の女性。スレンダーでありながら女性らしさを感じられる肢体。しかしながら、その身体には引き締まった筋肉が見て取れた。


「荷物を改めさせてもらう」

「わ、我々はサージリア辺境伯御用達の行商ですぞ。一体誰の許可を得てこのような事を」


 踊り子の女性が密偵のリーダーの眼前にある書類を突き出した。それを見て、密偵のリーダーは思わず息を詰まらせそうになる。


「お、王家の紋章!?」

「シグノア殿下からの指示書だ。荷を改めさせてもらうぞ」


 シグノア殿下。その名が出たと共に、今自分達を取り囲む一団が何者か、密偵のリーダーには明確に見えた。

 その次の瞬間、自分の真横を何かが風を切って通り抜けたのを感じた。そう、。何が飛んだのかは見えなかった。直後、背後から「ぐっ」というくぐもった呻き声とガランと言う金属の物体を落とした音。見れば、そこには剣を抜こうとしたのか、その持ち手を撃ち抜かれて蹲る護衛の男が1人。


「私のこの魔鉱石の礫は鋼鉄の鎧すら撃ち抜く。抵抗ならやめておいた方が身のためだ」


 踊り子姿の女性は手にジャラジャラと小石大の礫を弄びながらそう言った。

 それでもまだこの女性を甘く見ていたのか、複数人で掛かればどうにかなると思っていたのか。5人の護衛が剣を抜く。それを冷めた目で一瞥し、宙に投げた礫を指5本で同時に5発弾いた。

 魔力の伝導率の高い魔鉱石製の礫を一点集中の魔力強化を施した指先で放つ。その礫はまさに『魔弾』と呼ぶに相応しいものだった。

 見る事さえ困難な速度で風を切り裂く音と共に襲来する魔力を帯びたその魔弾はたちまち5人の肩や腕を貫いて戦闘不能に陥れる。

 まだ抵抗の意思がありそうな護衛達に対し、踊り子の女性はやれやれと肩をすくめる。


「我々は魔道騎士団オリジンナイツ第5軍の者である。無駄な抵抗はやめておけ」


 やはり。密偵のリーダーはそう思っていた。

 諜報を生業とする密偵にとって、この諜報を専門にする精鋭魔道騎士団オリジンナイツ第5軍の存在はまさに雲の上の存在ものだった。その一団に取り囲まれた以上脱出は不可能だろう。

 そして、このタイミング。

 アリマー夫人から密書を受け取り、それを届けるためにサージリア領を出た途端に捕捉された。

 それはつまり、魔道騎士団オリジンナイツの第5軍。いや、この場合は第5軍に指示を出しているシグノア殿下か。そのシグノア殿下にアリマー夫人はすでに監視対象となっていると言う事。

 これはもうダメかもしれない。密偵のリーダーはそう諦めの吐息をつかざるを得ないのだった。

 



    ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「シグノア殿下」


 ヴァナディール魔法学園の生徒会室で生徒達からの要望書などに目を通していたシグノアは、幼馴染でかつ婚約者の女性の呼び声に顔を上げた。


「ルグリアか。何かあったのかい?」

「第5軍のミスト団長から報告書が届きました」


 それを聞いて、シグノアは面白げに笑う。


「流石は諜報のプロフェッショナルの第5軍だね。素晴らしい仕事速度だ」


 シグノアはルグリアから封書を受け取ると、ペーパーナイフで封を開ける。中から10枚ほどの報告書と手紙らしき羊皮紙が入っていた。


「これは?」

「密偵が持っていた密書だそうです」

「なるほどね」


 数分後――

 報告書を読んでいたシグノアは顔を上げる。


「この密書を持っていた密偵はどうしてる?」

「捕縛して第5軍の詰所に監禁していると聞いています」

「そうか。ミストもそこにいるのかな?」

「おそらく」


 第5軍は諜報の部隊である。団長のミスト含め、団員は普段から常にどこかに飛び回っているだけに、ルグリアにはおそらくとしか言えなかった。


「まあ、誰かいるだろう。これから向かうよ。

 折角だから、その帰りにどこかで食事でもしようか。ルグリアは何か食べたいものはあるかい?」

「あ、それでしたら――」


 普段はシグノアに対してあまり自分の希望を口にしないルグリア。そんなルグリアが夕食で食べたいものとして希望したのは意外なものだった。


「私は学食に行きたいです。具体的には学食のプディングが食べたいです」


 王族であるシグノアに対し、その幼馴染かつ婚約者であるルグリアもマシューサイト侯爵家の令嬢である。そんな2人が王城に用事があるのに食事を外部で取るのはかなり異例ではある。しかもその希望が学食など他の貴族が聞いたら鼻で笑いそうな話だろう。


 最も、彼女の目的が学食で働いている『料理の女神』セリアラ特製の『女神のプディング』だと知らなければ、だが。


「学園の学食も本当にレベルが上がったものだね。今なら全員王宮の調理場にスカウトしても良いくらいだよ」

「全員セリアラさんの弟子になったようなものですから。生徒達だけでなく教師達も喜んでいましたよ」

「ふふふ、それだけでもミリアさん達が学園に来たメリットと言えるかな」


 シグノアはそう笑いながらも、スラスラと書類にサインをしてようやく羽ペンを机に置く。そしてググッと背伸びを1つ。


「よし、それじゃあ行こうか」


 そう言って、シグノアはルグリアを伴って生徒会室を後にした。







 その数日後の事だった。

 サージリア家に一通の書状が届いたのは。

 宛先は当主バラン。差出人はヴァナディール王家だった。


「王家が王国の伯爵家以上の家族を集めて会議を行うらしい。珍しいな。この時期に王家から召集がかかるとは」

「会議のテーマはどのようなものなのでしょう?」

「ふむ、カイオロス王国関連の事らしい。やはりシルカの婚約に関して王家への報告を後回しにしたのはまずかったかもしれんな」

「それに、あのパーティでのトラブルも問題だったかもしれません。一度王家の方からもあの怪しい占星術師を捕らえるように進言しましょう」


 そう、全てはあのミリネランマとか言う怪しい占星術師のせい。奴さえ捕まえればバルディッシュ侯爵家との関係もまた立て直せるのではないか。アリマーはそう考えていた。



 しかし、アリマーは気づいていない。

 これは全てシグノア王子の策略である事に。



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