第6話 シルカの憂鬱
風の街ウィンディアを含むヴァナディール魔法王国の東の地域はその大部分が高い山々で占められており、その隙間を縫うような形で人々が通る導線が作られている。ウィンディアからサルベリンへの道も例外ではない。
サージリア辺境伯の管理するサージリア領。その領都サルベリンは領地のほぼ中央。盆地状になった場所に作られていた。
街の人口は約二千人。
五千人を超える地水火風の属性の名を冠する中心都市や王都ヴァナディには及ばないものの、それでも十分な大都市と言える。
現在、シルカはこの街の西の外れにあるサージリア家の別邸の一室にいた。
ぼんやりと窓から見えるサルベリンの街並みを眺め、「はぁ〜」と溜息をつく。
「学園都市を離れてもうすぐ2週間か。何の連絡もできなかったけど、みんな心配してるかなぁ」
アザークラスも仲間達の顔を思い浮かべる。ほんの数日だったが、本当に楽しい日々だった。
「カイト、か……」
子供の頃からずっと一緒にいた幼馴染。ある意味、学園に入ったのもカイトが入ったからと言うのが理由の中では一番広範囲を占めている。
もう彼には会えないんだろうか。そう思うと悲しくなってきた。そして今後の事を考えるとどうしても気分が暗くなる。そうしてシルカは何度目かも分からない溜息を吐くのだった。
そんな時、部屋のドアがノックされる。
「シルカ、俺だが」
ドアの奥から男性の声が聞こえた。シルカは顔を上げる。
「鍵は開いてるよ」
そのシルカの返答を待って、ガチャリとドアが開く。
そこには
青年はシルカの顔を見て眉を顰めた。
「泣いていたのか?」
「え?」
シルカは手で目頭を拭う。確かにそこから涙と思わしき雫が溢れていた。慌てて取り繕うように笑顔を浮かべるシルカ。
「そ、そんな事ないわよ。心配しないで、兄さん」
「……なら良いんだが」
青年――シルカの兄リュートはシルカの元までやって来て一冊の本をシルカの前のテーブルに置いた。
「頼まれていた紋章術の教本だ。基礎的な事は大体ここに書いてある」
「ありがとう、兄さん」
「いや、この程度はどうって事ないさ。
シルカは紋章術に興味があるのか?」
「うん、学園にいた時にある先生から覚えるように言われたの」
「ある先生? アザークラスにそんな事を教えてくれる先生がいたかな」
「兄さんが在学してた時はいなかったわ。その先生は今年から臨時講師って事で週に一回、
「アザークラスにか?
なんか信じられないな。言っちゃ悪いが、アザークラスと言えば……」
そこまででリュートは言い淀む。
リュートはアザークラスの本当の姿を知らない。当時はまだアザークラスは落ちこぼれのクラスであると誤解されていて、リュートの認識もその時と同じだった。
「シルカは帰りたいのか?
アザークラスに」
「もちろんよ。折角親友と呼べる人もできたのに、その矢先に呼び戻されるなんて」
「でも、アザークラスにいても」
「兄さん」
リュートの言葉をシルカは遮った。
そして、教本を見ながらテーブルの上の羊皮紙にスラスラと魔水晶を溶かしたインクである紋章陣を描き出す。
そして――
「おいで。可愛い私の友達」
トン、と紋章陣を魔力を込めた指先で叩く。
その瞬間、紋章陣が光を放った。シルカの描いたのは召喚の紋章陣。召喚に関しては実は言葉は必要ない。全ては紋章陣に記されているのだから。
しばらくして、召喚陣から「キュー」と言う鳴き声と共に1匹の魔蟲が飛び出して来た。
「なっ!?」
咄嗟にリュートは腰の剣に手を添える。
しかし、やや大きめの蜻蛉型のその魔蟲はシルカの周りを一回りしてから、翳したシルカの腕に止まった。全く襲ってくる気配はない。敵意も何も感じない。そんなあり得ない光景にリュートは呆然としていた。
「し、シルカ。それは一体」
動揺で震える声のままリュートが尋ねる。対してシルカはその魔蟲――
「私の
「どう言う事だ?」
「私も最近知った事なんだけどね。アザークラスは落ちこぼれのクラスなんかじゃない。
アザークラスはこの魔蟲奏者みたいな
「じゃあ、カイト君もか?」
リュートは率直に言ってシルカがカイトと一緒にいる事を望ましく思っていなかった。自分の親友、ライエルの弟ではあるが、才能溢れるライエルとは違い、彼からは全く魔力を感じなかった。正真正銘落ちこぼれだと思っていた。
しかし、シルカの話が本当だとすれば、同じアザークラスにいるカイトも何か特殊な力を持っていると言う事になる。
そんなリュートの答えを表すかのように、シルカは頷いた。
「カイトの持つ力、無属性の魔力は私達では絶対に見る事も感じる事もできないわ。そして、絶対に防げない。例え、
「それはいくらなんでも大袈裟じゃないか?」
「そんな事ないわよ。だって、実際に初見じゃ分からなかったんだから」
そこでリュートが固まる。
「ちょっと待ってくれ。
それを見てシルカは「そう言えばちゃんと話してなかったっけ」と頬をぽりぽり。そして教えられた通り、召喚陣に『反転』を示す文字を追加してトン。魔蟲を送還した。
「臨時講師の先生、ベルモール・モルフェルグスって言うの。
「なっ」
それには流石にリュートも開いた口が塞がらなかった。
そんなリュートの様子を特に気にする事もなく、ふとシルカはリュートに尋ねる。
「そう言えば兄さん。今日は確か南の方に巡回に行くって言ってなかった?」
シルカに聞かれ、気を取り直してリュートは答える。
「あ、ああ、そうだ。南部地方に厄介な山賊団が住み着いたらしくてな。奴ら、襲う相手を選ぶからな。中々尻尾を掴ませないんだ」
「なるほど、確かに厄介ね」
「今は巡回を増やすくらいしか手が無いんだが、奴らは数もそれなりに揃えているからな。負ける事はないが、それでも取り逃がす事はあるかもしれない」
「兄さんが率いる
「腹立たしい事にな。とにかく、俺は行ってくる。
分かっていると思うが」
リュートの言葉にシルカも頷き返した。
「うん。アリマーさんの一派の動向には気をつける」
その答えにリュートは満足げに頷き、部屋を後にした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
前述の通り、南部には大規模の山賊団が根城を構えていた。その総勢は百人近くにも登り、王国内の山賊団の中でもトップクラスの規模を誇る。
サージリア領は山々に覆われているため、山賊団が根城を構えられるような場所は少ない。聳える山と切り立った崖が天然の要害になっているからだ。そのため砦の数がさほど多くもなく、使い捨てられた古城すらあまりないのが現状だった。
そう言う事もあり、山賊達は狙う相手を金を持ってそうで尚且つ護衛があまり多くない商会の馬車のみに絞っていた。目撃者は残らず消す。それがこの山賊団のルールだった。
そして現在、山賊団が襲撃対象にナイデル商会のキャラバン隊を選んだのも無理はない話だった。何せ護衛は見た目女子供ばかり。しかもあからさまに若くまだ学生っぽさが抜けない様子。これでは襲うなと言う方が無理かもしれない。
だが、外見と実力が一致しないと言うのはよくある事で、今回はその典型だった。
見た目ただのガキみたいな護衛なのに、そいつらがやたらと強い。火炎弾やら氷弾やらが飛び交い、人族と赤獅子族の少年が剣と爪で縦横無尽に薙ぎ倒す。明らかに確かな訓練を受けた上に戦い慣れをしている精鋭。その挙句見た事も聞いた事もない魔法のようなもので残り全員がぐしゃっと瞬時に地面に押し潰された。死んではいないが、おそらくはその連中は足から腰にかけての骨を完全に砕かれて再起不能だろう。
「う〜ん、重力4倍でこれか。5倍だとミンチになりそうね」
「気持ち悪い事言うなっての。想像しそうになるじゃない」
ヴィルナが文字通り足腰が砕けた(物理的に)山賊達を見回しながらそんな事を言う。その横でミリアが身震いをしていた。
「でもヴィルナさんがいると制圧が楽ね。重力魔法は私も使えたらいいのに」
「風の魔法で上から押さえつける事はできますけど、洞窟内や屋根のあるところだとその方法は使えませんし」
「本当に、
やや呆れたように呟くエクリアの隣で苦笑いを浮かべるリーレ。
それと同時にトンと足を一踏み。そこから無数の氷の蔦がまるで意思があるかのごとく地面を這うように近くにあった岩陰に飛び込んだ。さらにそこへエクリアが後ろを向いたまま火炎弾を岩陰にヒョイと投げ込んだ。ドォォンと岩陰が赤く染まり、そこから転がり出てくる焦げた男。大怪我には違いないが、幸い死んではいない。
「やっぱり隠れてたわね。ここの山賊って警戒心が強いって聞いてたから、多分状況報告係の奴がいると思ったわ。リーレ、援護ありがとね」
「どういたしまして」
それを目を丸くして見つめるアザークラスの面々。
獣人族特有の野生の勘やナルミヤの精霊達ですら気付かなかった潜伏者をいとも簡単に見つけ出し、しかもその方向を見もせずにほぼ無詠唱で魔法を打ち込んだ。
周辺の魔力を辿って隠れている相手を見つけ出す。ミリアやエクリア、リーレの3人は普段から使っているため見落としがちだが、実はこれもとんでもない高等技術。少なくとも中等部第2学年の生徒が使える技ではない。
ミリアだけでなく、その親友2人も十分に化け物だと4人は思った。
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